第8話 花の舞う日に再会を①



 はるかはこぎつねたちに運ばれていく。

 最初は服を引っ張られるだけだったけど、途中からこぎつねたちの背中に乗せられた。やんちゃに駆けていくこぎつねたちは、毛皮の波のように遥を連れていく。


 玄関をあっさり通過し、屋敷の外へ出た。

 すると目の前に広がったのは、大きな庭園。

 飛沫を上げる噴水があり、整然と並んだ石畳があり、よく手入れされた庭木が並んでいる。遠くには門が見え、その先に続くのは丘を下る道。


 出来たら門の外にいきたいけれど、お尻の下のこぎつねたちは止まらない。元気よく屋敷の裏へと駆けていく。

 やがて「着いたよっ」と芝生の上に下ろされた。

 大変な目に遭った……と顔を上げる。そして。


「え……」


 思わず声がれた。

 そこにあったのは、まるで絵画のように美しい花園。色とりどりの花が咲き誇り、柔らかい風に花びらが揺れている。

 その光景にひどく心が揺さぶられた。一目見ただけで記憶がざわめき、呆然としながら足を踏み入れる。


「ここ……知ってる」

「あたりまえだよ。知ってるよ。だって、みすずのお気に入りの花園だもん」

 一匹のこぎつねがそう言いながら胸に飛び込んできた。反射的に抱き留める。

「ここがお気に入り……?」

「そうだよ。思い出がつまった大切な場所。みすずがそう言ってたのに、わすれちゃったの? へんなのー」


 こぎつねは可愛らしく顔をすり寄せてくる。

「ね、きれいでしょ? ぼくたち、ちゃんとお水あげてたよ。みすずが帰ってきた時、うれしくなるようにちゃんとお世話してたの。みすず、うれしい?」

「あ、えっと……」


 言葉に詰まった。

 この子たちは祖母が亡くなったことを理解していないようだ。

 僕はみすずじゃないんだ、とちゃんと説明すべきだと思う。

 でもそうなると、祖母の死に触れなくてはならない。子供のようなこぎつねたちにそれを伝えていいのだろうか。


「みすず? どうしたの? なんだか哀しそうな顔してる」

「いや、その……」

 迷っていると、ふいに背後から声がした。

「やめなさい、お前たち。遥様がお困りだ」


みやが追いついてきていた。遥に対する時のような慇懃な口調ではなく、眷属に対する強い口調だった。執事は花園には入らず、柵代わりの煉瓦の前で静かに佇んでいる。


「はるか? はるかって誰? ここにいるのはみすずだよ?」

「その方はみすず様ではない。みすず様のごれいそんの遥様だ」

「ごれーそん?」

 腕のなかでこぎつねが首を傾げる。他のこぎつねたちも足元で大きなハテナマークを浮かべていた。


「えっと……孫だよ。みすずは僕のおばあちゃんで、僕はみすずの孫なんだ」

「まご? じゃあ、はるかはみすずの子供の子供?」

「うん、そうなるね」

「じゃあ、みすずはどこ? どこにいるの?」

「それは……」

「みすず様は亡くなられた。もうどこにもいない」


 投げかけられたのは、ナイフのように鋭利な言葉だった。率直過ぎる物言いに驚き、雅火を見る。しかし佇む執事はあくまで無表情だった。


 こぎつねたちの尻尾は一斉に垂れ下がる。

「みすず……もういないの? 帰ってこないの?」

「そうだ。みすず様は死んでしまわれた。黄昏たそがれ館に戻られることは二度とない」

「ま、待てよ。何もそんなにはっきり言わなくても……っ」

 さすがに声を上げる。だが雅火の視線はどこまでも冷え冷えとしていた。

「これは妖狐の眷属の問題です。口出しは無用に願います」

「だからって……っ」


 すん、と鼻をすする音がした。

 見れば、こぎつねたちが小さな体を震わせていた。つぶらな瞳からぽろぽろと涙がこぼれていく。


「……嫌だよぉ。もう会えないなんて嫌だよ。帰ってきてよ、みすず……」

 腕のなかのこぎつねも泣いていた。

 慰めるようにぎゅっと抱きしめる。でもその手はどうしてもぎこちなく、こぎつねの涙は止まらない。


 どうしてあげればいいか、わからなかった。かけるべき言葉も見つからなかった。

 そうして戸惑っていて、ふと……気づいた。


 ああ。僕は今、この子たちと哀しみを共有できてない……。


 亡くなったのは自分の祖母だ。なのにこの子たちのようにちゃんと哀しむことができずにいる。それは……とても寂しいことのように思えた。


 こぎつねをそっと下ろす。

「……はるか?」

「ごめんね」

 うかがうように見上げてきたこぎつねの頭を撫で、花園から出る。

 小さな煉瓦の柵をまたぐと、無表情の雅火とすれ違った。


「どこへいかれるのですか?」

「屋敷を出ていくよ」

「またあやかしに襲われますよ」

「それでもいい。僕はここにいるべきじゃない」

「拗ねているのですか?」

 向けられたのはどこか蔑むような視線。


「お祖母ばあ様の死を哀しむ輪のなかに入れず、そのことに疎外感を覚えたのですか? だから屋敷を出ていくと?」

 静かな言葉のなかには挑発のニュアンスもあった。

 だがさっきのように食ってかかろうとは思わなかった。足を止め、執事へ振り返る。


「ここは……あの子たちと祖母の思い出の場所だ。部外者の僕がいたらいけない」

「部外者?」

「邪魔をしたくないんだ。僕は泣くことができないから、ちゃんと泣けるあの子たちの邪魔をしたくない」

「…………」


 妖狐の執事を見据え、きちんと頭を下げた。

「悪いけど、僕には当主の仕事はできない。祖母の屋敷をどうか……よろしく頼みます」

 そうして去ろうとした。

 だが背を向けた拍子に腕を掴まれた。強い力に驚いて振り向くと、真剣な瞳がこちらを見つめていた。


「あなたは部外者ではない」

 冷たかった瞳にほんの少しだけ熱がこもっていた。

くみひもをお出し下さい。それを見ればおわかりになります」

「組紐……?」


 目の前の必死な表情が気になった。

 いぶかしく思いながらポケットをまさぐり、取り出したのは切れた組紐。

「これでいいのか?」

 手のひらに載せて、執事へ見せる。するとスーツの長身越しに、花園と組紐が一緒に視界に収まった。その瞬間だ。


「……っ」

 組紐が輝いた。その光に導かれるように記憶の蓋が開いていく。忘れていた思い出が一斉に蘇る。


 幼い頃、低い視界でみた、この花園。


 無邪気に駆けていく、自分。


 着物姿でゆったりとついてきてくれる、祖母の笑顔。


 頬を撫でる、柔らかい風。


 そして手に巻いてもらった、この組紐の感触。


「ああ、そうか、僕は……」

 頭を押さえながらつぶやく。足元がふらついて、体がよろけた。

 支えたのは、執事だった。

「思い出して頂けたようですね?」

 向けられた瞳は、今までと違ってどこか哀しく、そして優しいものだった。

「……うん、思い出したよ」


 体を支えてもらいながら、執事の顔を見上げる。

 まだ少し戸惑いはあった。それでもはっきりと口にする。


「僕は昔、ここにきた。この花園、そして……この黄昏館に」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る