ノブレス・オブリージュ 下
仕事帰り、重い足を引きずり自動ドアを潜ると、コンビニ内の雑誌コーナーに足を進めていつもの月刊誌を手に取ると、今度はその反対側の壁に設置された冷蔵棚に並んだ幾つかの弁当を見比べる。
最近は仕事が立て込んできてる事、そして単に飽きが来たと言う事も相まって、社会人になりたてのころは続けると意気込んでいた自炊も最近はごく稀になり。
キッチンに向き合って作業をすることは、包丁や鍋を使った物では無くお湯を沸かしたり電子レンジに冷凍食品を突っ込むだけとなっていた。
そうとは言え、彼女の生活はすさんでいる訳では無い、寧ろ正直な話、仕事で多少難易度の高い仕事を任される様になった今現在は、それなりに充実していると感じていた。
とはいえ、こうも毎日似通った食事を続けるのはどうかとも思う。
味付けが濃く添加物たっぷりのこういった食事は、確かに簡単に栄養補給が出来る上、最近こういったコンビニも思考を凝らした商品を作っている為に飽きを感じる事は無いが、だからと言って体に良い訳では無い。
しかし、キッチンに立って野菜中心の健康的な食事を作る位なら、寧ろ足りない睡眠時間を補う事に使った方がなにぶん有意義だ。
そう自分に言い訳をし、先週の今頃食べたのと同じ弁当を手に取りレジへと足を運ぶ。
ふと左手を確認すると時計の針は丁度夜の10時を示しており、自分が感じている疲労は嘘偽りでは無く、きちんとした理由から生まれた本物であると証明してくれた。
会社から家までは大した距離は無く、彼女は通勤を徒歩で行っている。
最近は何かと物騒な話を聞きはするが、デスクワークメインな彼女にとって、こうして足を動かし自宅へ向かう20分余りの間は貴重な運動時間であり運動不足からくる罪悪感を幾分和らげる免罪符でもあった。
勿論それ以上に、こうして体を動かしている時は頭の回転が柔軟になりやすく、煮詰まった仕事の切り口を作る貴重な時間でもある為、止められようと彼女はこの日課を辞める気は無かった。
町の中心から少しだけ外れた場所にある会社のビル、その一角を通り抜けて住宅街に入り込むと二つ目の信号を左折、その先にある細い道をしばらく進み、ゴミ捨て場がある十字路を右折。
するとほどなくして彼女が住まうマンションが見えてくる。
一般的なセキュリティに、これまた一般的な間取りの2DK。
一人暮らしにしては上等すぎるかもしれない条件のこのマンションが彼女の住処だ。
今日もまた、階段を上がりその先にある自宅の扉は今日も静かに家主の帰りを待っている、そう思っていたのだが今回は違った。
「……あの」
声を掛けるべきか僅かに逡巡した後、彼女は恐る恐る声を出す。
声を掛けたその相手は男女の二人組であり、自分の家の前で扉を塞ぐように立ったまま、手に持っていた書類に目を通し、お互い熱心に何かやり取りをしていた。
恐らくは何かのセールスの類であり、こんな時間なのにもかかわらず傍迷惑にこんな処で話し合いをしている最中なのだろう。
こういう人間と関わるとろくな事は無いのだが、残念な事にこの二人組は自分の家の前に居座っているのだ。
こうなってしまっては、知らないふりをしたまま家に帰る事は不可能だ。
「そこ、私の部屋です」
だったらいっそ、なるべく手っ取り早く彼らを追い払ってしまおう、何か揉めた場合は警察に電話をするなり、大声を張り上げるなりすれば場所が場所なだけにこの二人組を追っ払う事が可能だとの考えだ。
「失礼、今何と?」
「ですから、そこ私の家です」
少しだけ強い口調で言ってみると、相手は安心した様子で柔和な笑みを作った後、持っていた書類を相方に渡し、代わりに懐から名刺を取り出して彼女に差し出す。
「よかった、突然申し訳ありません。
私たちはこのような者です」
そう言い目の前に差し出された名刺に目も向けず、彼女は男を追っ払う為にぞんざいに手を振ると、家の鍵を開ける。
案の定彼らは胡散臭いセールスマンだ、そう思っての態度だったのだが。
肝心の相手は焦って商品の紹介を始めるでも、憤慨するでもなく、落ち着いた口調で食い下がった。
「カフゥさんで合ってますね?」
「……どうしてそれを?」
不意に男が紡いだ単語、それは間違いなく彼女の名前だった。
だが、自分は彼らに自分の名前を名乗ったつもりは一切無く、ましてやこんな二人組との面識は無い。
もしかしたら仕事で一度顔を合わした仲なのかもしれないと思ったが、それでは無い事は男の連れの若い女がファイルに仕舞っていた書類が否定した。
「っていうか、それはっ……!」
「これは……その」
女が持っていた紙、それにはカフゥの名前に住所、職場の名前など、ありとあらゆる情報が書き込まれていたからだ。
個人情報が裏ルートで販売される現在とと言えど、ここまでの情報が漏れているのは明らかに不自然だ。
第一、そんな人間がわざわざ自分の目の前に姿を現す事など無い筈であり、幾ら考えてもその理由が判らないカフゥは、全身に纏わりついていた疲労が一瞬にして悪寒へと変わったのを感じ、一歩だけ足を引く。
「待ってください、あなたは何か勘違いをなさっている様で――」
「何の……事?」
だらだらと流れる冷や汗を誤魔化す様に、そっとポケットの中のケータイに手を伸ばしたカフゥは、この場所から今すぐに逃げ出すべきか、もしくは助けを呼ぶために悲鳴を上げるべきかを思案する。
すると、男は女から書類を取り上げるとカフゥに差し出して口を開いた。
「確かに、こんな書類を持っていては要らぬ誤解を招いてしまいますね。
実のところ、私達はあなたに関する情報を秘密裏に集めていました、その事は素直に認めましょう」
「……何を言ってるの? あなた達は一体……」
そう言い、全体像が見えない会話に食らいつくカフゥの元へ、再び一枚の名刺が差し出された。
「私達はこのような者です」
「……『APS』……?」
差し出された名刺、そこには目の前に居る男の名前と思われう文字列と、聞き覚えの無いそんな団体名が記載されていた。
男も、その反応が予想通りだったのか、驚くでも呆れるでもなくカフゥの反応を見届けると、横で待機していた女から一枚の封筒を受け取り名刺に続いて差し出す。
「私たちが所属するAPSの詳細についてはそちらに記載されています。
とはいえ、あなたにとって我々が胡散臭い集団として認識されている事は間違いが無いでしょう」
「その通りよ、こんな名前の団体聞いた事無いし、第一私に言わせてもらえば何が目的で私の帰りを待っていたのかも判らないけど」
そう言う彼女の言葉通り、彼らがどうしてこんな時間にこんな場所に居たのかが不明であり、そもそも唯のセールスの類なら、彼女の個人情報を勝手に集める様な真似などしない筈だ。
その答えは目の前の男が紡いだ予想外な一言をきっかけに、説明された。
「カフゥさん。
単刀直入に説明しましょう、あなたは特別な存在です」
予想をはるかに超えた意味不明な説明、それを耳にして一瞬形容不明な頭痛を覚えつつも、その後に続く説明に聞き入ってしまうのだった。
「……ふざけないでよ……」
マキナが紡いだ言葉に対し、思わず強い言葉を用いて抵抗してしまう。
確かにこの男は今しがた襲い掛かったエニグマを焦る事無く瞬時に倒した。
そして彼は今回の一連の出来事に関して、この場に居る誰よりも情報を持っており、この二点の情報から鑑みても彼が何か勘違いをしているとは考えられない。
だが、そうとは言え先ほど彼が言った言葉を鵜呑みにする気は一切起きる訳が無い。
「ふざけた事言わないでよ……」
再度、自身の思いが口から洩れ、ガラス片が散乱した室内に響き渡る。
だがカフゥ自身も判っていた、これは認めらざるを得ない事実であり、自分が今現在やっている事は全て駄々をこねる子供のそれと全く同じなのだ。
別の仮説も説明出来ない、ましてや否定する根拠すら何処にも無い。
だったらいっそ、マキナの意見を鵜呑みにする方がずっと楽だと判っているのだが、それだけは絶対に嫌だった、この場に居る誰かを犯人だと疑う事だけはしたくなかったのだ。
だからこそ彼女は根拠の無い自身を武器に反抗的な発言をするのだが、そんな彼女の意思のほつれをマキナは的確に突いてくる。
「ふざけてなどいません。
先ほどのエニグマの行動、いいえ……
エニグマが襲い掛かったタイミングが不自然だと思いませんか? 私が重要な事をあなた達に伝えようとした瞬間、この場に疑惑のタネを撒こうとした刹那の時、あのエニグマは襲い掛かって来た。
勿論、口封じの為に」
そう言うと、一歩、そしてまた一歩カフゥへと近づくマキナ。
反対にカフゥは僅かに癖のある髪を揺らして少しずつ後ずさり、そのまま背後にあったアルミサッシに背中をぶつけて動きを止める。
だが、そんな彼女を更に追い込むかの様にゆっくりと口を開いた。
「あなたがこの世界にやってきてからですね、エニグマが姿を見せる様になったのは」
その問いの意味が判らず、カフゥは息を飲む。
「……まってよ、どういう――」
「エニグマの存在は私達の能力が関係しているのは間違いがありません、ここまで説明しても私の言葉の意味が理解できませんか?」
じりじりと、万力の様に締め付けていくマキナの言葉。
その声はずきずきと彼女の肌を刺し、意識を摩耗させていく。
勿論、自分が犯人で無い自身はある、だが彼が言ってる通り、自分がこの世界にやってきてからなのだ、エニグマが姿を現す様になったのは。
「答えて下さい。 あなたが持つ力は何ですか?」
とどめとばかりに放たれたマキナの言葉。
透き通った双眸に一切の迷いが無く、無言の圧力となってカフゥの胸を締め上げていく。
そんな時不意に口を開いたのは、これまでのやり取りを一人冷静に見ていたクーナだった。
「もういい」
彼は何か諦めた様子で息を吸い込むと、小さな体でうなだれて続きの言葉を繋ぐ。
「彼女の能力は『音響操作』物音を消したり増幅したり、または遠くの音を聞こえる様にしたり、兎に角、音に関してならなんでも出来る能力だよ。
勿論、君が思ってる様な、使い方はまず出来ない」
そう言うとクーナは親指の爪を噛み、鈍く存在感を放つ頭痛を誤魔化す様に片目を閉じる。
「っていうか、化け物を作る能力を持ってる奴なんて、ここ箱庭に限らず誰一人として居ねぇよ。
犯人捜しするのもいいが、適当な判断すぎると思うけどな」
クーナの意思を代弁してか先ほどのエニグマの一件で完全に目を覚ましたカルヴェラは、懐から葉巻きを一本取り出して口へ咥え、火を付ける。
一本吸うのに時間がかかる葉巻きに火を付けた、つまり、彼はそれなりに長くなる会話を始める気なのだろう。
「仲間を庇いたい気持ちは判ります。
ですが、その相手は現にあなたたちを裏切っているのですよ。
疑わずして、どうやって自分たちを欺いた犯人を見つけると? 如何にして犯人捜しをすると?」
食い下がるマキナと、納得がいかないカルヴェラ。
そんな二人に噛みつく様、クーナは声を荒げる。
「もういい!! ……もういいんだ。
確かに彼が言うとおりだよ、僕達の能力は皆単一にしか見えないけれど、応用次第でどんな事でも出来る。
だとしたら、この場に居る全ての人間に容疑が掛けられていると判断するのが妥当だよ」
苦虫を噛んだ様な声で、クーナは苦渋の決断をすると最初にカルヴェラを指さしてから説明を始めた。
「彼の力は見ての通り『飛行』。
大きさや速度に関わらず、どんなものでも飛ばす事が出来る。
彼は最初のエニグマの一件の際には箱庭の自室で寝ていた。
その事は僕自身が良く知っているし、第一彼が一連のエニグマの詳細を知ったのは、昨日の事だよ」
次に、彼は部屋の奥で神経質に服に付いていたガラス片を退けるミグを指す。
「彼も同じく、エニグマの存在自体良く知らない。
っていうよりも、彼は箱庭からまともに外に出ないし、エニグマを見たのも説明を聞いたのも今さっきだ。
第一、彼の能力は『物を正常に戻す』だ、治療や作り変えの力ならまだしも、元に戻す事しか出来ない力でどうやってエニグマを生み出すのかも判らないよ」
そう言い切ると、珍しく黙ったままのミグから視線を動かしてステイシスの方向を向くクーナ。
そして、大きく咳払いをしてから続きの言葉を紡ぐ。
「ステイシス!――」
何か意味があったのか、彼はそこで一瞬言葉を切ると、びくりと肩を震わせたステイシスを見て小さく笑い、続きの言葉を繋ぐ。
心なしか、室内の明度が落ち空気が変わった様な雰囲気がした。
「――彼女の能力は『時間停止』。
規模や期間を問わず、時間を止める事が出来る。
とはいっても、時間の逆行や未来に行くなんて、そう言う使い方は出来ないけどね。
彼女もエニグマを直接見たのはついさっきの事だし、僕は基本的に彼女の傍に居るから、能力を使うまでも無く彼女の行動を観察出来る。
正直、わざわざ目線が届く範囲で力を使うメリットは僕には無いけどね、まぁ使わないメリットも無いけれど……
兎に角、念を押して言うよ、彼女はエニグマを生み出した犯人では無い」
「問題はこっからさきだな……」
クーナが僅かに表情を歪めたのに気が付いたのか、カルヴェラは小さく咳払いをすると、いつの間にか燃え尽き短くなった葉巻きを窓から投げ捨てる。
「彼は君も知ってる通り、『電撃』を操る力を持っている――」
そう言い、クーナはイントへ向き直った。
「――問題は、彼がどちらのエニグマの件にも直接かかわっている事だけどさ……
幸か不幸か、彼はエニグマに二度も殺されかけてるし、第一イントが犯人だった場合、君を助けるメリットが無いよね?
なのに、彼はわざわざ君と言うイレギュラーを助けた訳だ、これは疑う余地も無いでしょ?」
そう言い、最後になったガーフィンに向き直ると、一気に表情を暗くしてから言葉を繋いだ。
「彼女の名前はガーフィン。
能力は、『空間転移』。
ありとあらゆる空間に飛び、ありとあらゆる処から色々な物を取り出す事が出来る。
それが彼女の力だよ」
そう言いきったクーナの位表情とは裏腹に、マキナは怜悧な顔に僅かに好奇の色を滲ませて口を開いた。
「ありとあらゆる処に飛べる……つまり、この世界とは違う次元にも?」
予想通りのその一言に、クーナは一瞬息を詰まらせ、胃がずきずきと痛み始めたのを感じる。
「それは判らない……
兎に角、彼女は一回目のエニグマの騒動の際イントと一緒にいて、エニグマの退治に力を貸してくれたよ」
「二度目はどうですか?」
やはりだった、ここでこれ以上追及しないでいてくれれば、クーナも説明をしないで済んだのにマキナは執拗に説明を求める。
「……二度目は――」
「見てた」
思わず言い淀んだクーナの代わりに、ガーフィンは口を開いて自ら説明をした。
「ガーフィン!」
「いいからビリビリは黙ってて、これは私の問題だから」
そう言うと思わず口を開いたイントをなだめ、ガーフィンは言葉を繋いだ。
「二度目のエニグマが現れた時、私はこの箱庭に戻ってきてたよ、そして一度目と同じで傷一つ負って無い……皆を守ろうとしたイントとは違ってね。
それに、私の力を応用したら、別の次元に居る化け物をこっちに連れて来る事も、そしてそれぞれ別の世界に居た皆を、この世界に連れて来る事だって出来るかもしれない。
そう言いたいんでしょ?」
どこか自虐的に紡ぐガーフィン。
彼女にとって、自身の力はアイデンティティそのものであり、彼女だけが唯一持っていた特権だった。
だが、今はその力を自慢するでは無く、ただ単に自虐的に、そして自棄気味に説明していく。
「でもその証拠なんて何処にも無い」
「ええ……しかし妙です。
まるでその言い口、自分が犯人だと言ってる様です」
「……」
いつも無意味に明るいガーフィンが見せた露骨な程暗い表情、そこにマキナは容赦なく食らいつく。
結果、言い返す言葉が尽きたのか僅かに目を伏せて口を噤むガーフィン。
彼女の行動に落胆してか、部屋の空気が一段と重くなる。
ここで何か一つでもガーフィンが否定をするのなら、多少は空気が軽くなるだろう。
しかし、彼女がこうして無言でいる限り、その望みすら薄くなり経過する時間に合わせて彼女の発言は力の無い物へとなってゆく。
そこで、止めとばかりにマキナは口を開いた。
「答えは出たみたいですね」
落胆の色を含んだ声が少しだけ漏れ、重苦しい沈黙の中に否定的ではあるが同意の意思が姿を現す。
空気の密度が何倍にも増えたかの様に、重くまとわりつく空気が満たされた室内。
何かを言おうとして直ぐに口を噤む人間も居る中、今度はイントが声を張り上げた。
「絶対に無い……ある訳無いだろそんな事!!」
彼は目深に被っていたフードを外すと、鋭い眼光を放ち怒鳴りつける。
基本物静かで何処か物憂げな言葉使いをするイントが明確な意思を露わにし、鋭い言葉を使った事に一同が目を丸くして振り返る。
彼は元々誰かの為に何かをする人間では無い、そしてそれ以前に他人との繋がりなど持とうとすらしない人間だ。
だが、そんな彼にガーフィンだけは優しく手を伸ばしてくれた。
彼女の存在がイントに行動原理を与え、この箱庭に留まり続けたいと思う意欲を与えてくれた。
だからこそ、イントは初めから決めていた。
「もう一度言ってみろ! 彼女が犯人? エニグマを生み出した張本人?
ふざけんな!!」
刹那、イントの背後で電撃が爆ぜる。
まるで彼の感情を表現しているかの様にその電撃は激しく揺れ、一同を威嚇するかの様に虫が羽ばたく様な音を奏でる。
「何の真似です?」
「それはこっちの台詞だ」
一切臆した様子も無く淡々と心情を述べるマキナと、そんな相手に対して露骨な嫌悪感を滾らせるイント。
「さっきの言葉を全て訂正しろ」
そう言うと、背後で爆ぜていた火花を更に増幅させてゆくイント、議論や討論などでは無い、それは脅しの他ならない行動だ。
元々自身の力を良く思っていなかったイントだ、何かの為に力を使うどころか他人の前では極力この力を使うまいとしていた。
その理由は単純だ、自分の持つ力で他人を怯えさせたく無いから。
そして、それ以上に他人から恐れられる事が絶対に嫌だった、その筈なのに今彼は自分の力を脅しの道具として行使している。
その事実に驚きを隠せない一同を余所に、マキナは小さく溜息を吐くと口を開いた。
「あなたも子供ですね、そんな幼稚な手段で一体何が変わると言うのです?」
相手を見下した様な口調。
あまり挑発をしたら自分の身が危ない筈なのだが、イントが自分に対して電撃を放たないと判っているからか。
それとも電撃自体が怖くないのか、彼はイントの背後で爆ぜる力に一切の関心も示さず、落ち着き払った口調で言葉の続きを言う。
「第一、何か勘違いをしていませんか?
私は彼女が犯人だと決めた訳ではありません、ただ単に今のままでは間違い無く彼女の有罪が固まる、そう言いたいだけですよ?」
腕組みをすると、眼をすっと細めるマキナ。
彼の言葉の意味が判らず僅かに眉をひそめたイントに対し、更に言葉を繋いだ。
「判らないのですか?
つまり、彼女が犯人で無いと否定するのなら、言葉を使うのでは無く証拠を見つけろと言ってるんです」
言葉の意味が判り、慌てて電撃を収めるイントを見て大きく溜息を吐くと。
マキナは散らばったガラス片を避け、その場所にあったパイプ椅子に腰かけるのだった。
「とは言っても、あまり良い気持ちはしないな……」
そう言うと、イントは硬く閉ざされた部屋に背を向けて小さく呟く。
彼が背中を向けた部屋は、体育館の用具置き場だ。
採光用の窓があるだけの簡素な一室、元々所狭しと置かれていたスポーツ用品はもう別の部屋に運ばれており、代わりにパイプベッドと椅子、そして小さな机とライトだけが置かれている為、見ようによっては刑務所の中にも見えるその室内で、ステイシスは静かに椅子に腰かけ本を読んでいた。
「大丈夫か?」
「猫ってのは狭い処好きなんだにゃー」
「こんなときでものんきだな……」
何処か楽しげに返事をするガーフィンの心使いに、元気なく返事をするイント。
彼女が居る部屋には鍵が掛けられており、彼女の足にはロープが結ばれ、部屋の隅にある鉄骨に繋がれていた。
勿論、彼女が力を使えば労せずにこの空間から逃げ出す事は可能ではあるのだが、そうなった場合はクーナの能力がそれを感知する。
これは彼女の行動を制限し、エニグマとの関係が無いかを調べる為の措置だ。
一体どれくらいの頻度でエニグマが現れるのかは不明だが、今現在最もエニグマと関係があると思われるのが彼女だ。
もし仮に彼女がエニグマを呼び出す場合自身の能力を使う事は明白ではあるが、こうして観察下に置かれた状況でエニグマを呼び出せば容易にクーナの力の網に引っ掛かる。
逆に、彼女が一切の動きを見せていないのにも関わらず、不意にエニグマが姿を現せば、彼女の身の潔白は証明される。
その為、ガーフィン自身も進んでこの計画に参加した訳だが。
こうして実験動物の様に延々観察されているのはあまり良い気持ちでは無い。
一応プライバシーを考慮し、こうして窓の少ない部屋を選んだは良いのだが、今度はその事から来る閉塞感で気が狂いそうになるものだ。
だが、それでもガーフィンは気楽に笑ってみせると、扉の先で心配そうにしているイントに対して、気楽に言葉を繋ぐ。
「正直さ、嬉しかったよ」
「何がだよ……」
彼女の言葉の意味を理解しておきながら、何処か誤魔化す口調を紡いだイントは姿の見えないガーフィンに対して返事を返す。
薄い鉄板で作られた引き戸の先、そこで彼女の笑い声が小さく響くと今までとは少しだけ違う様子でガーフィンは言葉を繋いだ。
「さっきの……私の事をあんなに必死で守ってくれるなんてね」
「うるせぇ」
「私が犯人かも知れないのに……っていうより、犯人だったらどうする気なの?」
「あーもう! 煩いな」
僅かな沈黙すら残さずに帰って来たイントの言葉に小さく笑うと、ガーフィンは持っていた本を閉じて椅子に腰かけなおす。
丁度その時、体育館の扉が開く音と二つの足音が響くのに気が付き、彼女は照れ隠しをするイントに質問を投げた。
「誰か来た?」
「あー、うん。
クーナとマキナ……」
体重と周期の違う二つの足音の理由が判ったガーフィンは小さく納得すると、だんだんと大きくなる二つの足音に耳を傾け、少しだけ大きな声を出す。
「どーかにゃ? エニグマは出たかにゃ?」
「まだ出るわけ無いでしょ……そんなに直ぐに」
当たり前な返事を返すクーナが示す通り、彼女がこの部屋に入ってまだ2時間と経過していなく、幸か不幸かその為に彼女がこの部屋を出るのはまだまだ先であると検討が付いていた。
だが、光量の足りない室内でガーフィンは小さく息を吸い込む。
ささくれた木の匂いとカビの匂い、そして何処か甘く感じる埃の匂いが充満した室内で、ガーフィンは膝を抱えて座り直すと足首から伸びたロープに手を掛ける。
そのロープはナイロン製の丈夫な物であり、刃物が無ければそうそう切断する事は不可能なのだが、彼女は何か気になるのかそのロープを数度引いて強度を確かめる。
「出るわけ無いよねぇ……普通は……」
このロープから逃れるには力を行使するしかない、そう判断するとガーフィンは暗い室内の奥にあるものを見て小さく溜息を吐く。
「皆、驚くだろうな……」
小さく呟いたガーフィン。
彼女の視線の先、そこには真っ白な毛並みに赤く輝く瞳を持った犬の姿があった。
しかもその数は5、1体1体はたいして大きく無いが、それらは間違いなくエニグマであり、この場に居てはいけない存在だった。
「予想外な事態に驚くんだろうな……」
ガーフィンは部屋の奥からこちらを見るエニグマを再度見つめ、口端を吊り上げてそう呟くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます