追撃 下
空気そのものを引き裂く様な音と共に、空を電撃が弾ける。
その先端は細かな軌道修正を繰り返しながらも、狙いと寸分違わず目的のそれに命中していた。
「想像通り……」
しかし、その結果が何を招くかを知っていたイントは、判り切った様子でそう吐き捨てると乗っていた車のボンネットから転がるように飛び、地面に足を着いた。
突如として自分の目の前に現れた異形、それに対して自分の電撃は飾りの様な物でしか無く、当たったところで大した効果は得られない。
そんな事は、その異形の持つ真っ白な肌を見た時から薄々と想像がついてはいたのだが、それでも能力を行使したのは、その異形の注意を引く位の効果はある、そう確信していたからだ。
だが、そんな小さじ一杯程の期待すら今回は裏切られる事になった。
「つうかこいつ……!?」
イントはその驚きに眼を瞬かせて驚きを露わにする。
たとえ分厚い鎧を身に纏っていても、小石を投げ付けられたら顔をしかめ石が飛んできた方向い怒りを込めた視線と罵声を返す。
たとえ家の中でくつろいでいようと、窓ガラスを雨が叩けばカーテンを開き今後の天候に思いをはせる。
大抵はそんなものだ、だからこそ痛くも痒くも無いとは言え、あの怪物は怪訝そうにこちを振り返る、無意味な抵抗をするちっぽけな自分に何かしらの関心を持つ。
そう思っていた。
しかし、怪物が次に取った行動は、自身の意思を外れた物だった。
「待て待ておい! どうなってんだよ……」
その怪物はあろうことが飛んできた電撃に反応してこちらを一瞥するが、まるで怯えるかの様に身をひるがえすと歩みを更に加速させて逃げ始めた。
イントは再び電撃を放とうと考えるが、わずかな逡巡の後車の助手席に横たえられていた物を掴み構える。
それは一丁のライフルだった。
本来は競技用や狩猟用として作られたそれは、一般的な銃器と比べても特に高い精度を誇るため、自身から怪物までの距離が30メートル程離れている今現在でも、その距離に関係なく銃弾を届けはするだろう。
だが、一つの問題があった。
それは、怪物が右手に掴んでいる人影だ。
怪物自身が盾するように構える訳でもなく、襟首を適当に掴み引きずっているだけなので、ライフルの扱いに慣れている人間なら労する事も無く人影を避けて狙撃するのだろう、しかしイントは銃器の扱いには疎かった。
そして、何よりも彼はこの銃をまともに扱った事すら無い。
どんな道具でもそうだが、その道具の本当の性能を引き出すにはその道具を使いこなせる技術を得ている事が必須事項だ。
料理に疎い人間が、どれだけ高級食材を使ったところでまともな料理を作れず。
車に疎い人間が、スポーツカーを手足の様に扱える訳ではない。
つまり今のイントにとって、このライフルで正確に怪物だけを狙い撃つ事はほぼ不可能と言えた。
だからこそ、イントは僅かな逡巡に答えると銃を背中に担いで地面を蹴った。
怪物は人型であり、体の縮尺も自分と大差無い。
ならば移動速度に大した差は生まれないだろう、仮に単純な身体能力の違いが自信と対象の間にあったところで、今相手は大荷物を抱えている。
だったらそうそう簡単に距離は広がら無いとの判断だった。
理由は不明だが、怪物は何故か自分から必死に逃げようとしており、そして更に相当焦っている様だ。
開けぱなしになっていた窓から校舎内へ侵入すると、体のあちこちを窓枠にぶつける人影を引きずったまま廊下を走る。
そこへ遅れてやってきたイントは、外していたフードを深く被ると、更に口元を袖口で押さえてからうずくまる。
「痛いかも知れないけど……」
少しだけ眼を細めると、そう一言だけ呟いてから力を行使する。
刹那炸裂する電撃、それは校舎の天井を駆け抜け、そこに取り付けられていた蛍光灯を直撃、その外見からは似合わない鈍い破裂音を響かせて蛍光灯は砕け散った。
雨の様に廊下へと降り注ぐ幾つものガラス片。
昼過ぎの明るい日差しに照らされてか、無数の破片はきらきらと輝き空間を白く染める。
それは美しい光景ではあったのだが、それがガラス片である事には違いが無く。
案の定降り注ぐ破片は目深に被ったフードの隙間から服の中へ侵入、イントの頬に小さな切り傷を生んだ。
だが、それは怪物も同じだった。
降り注いだ雨に体を傷つけ、そして地面に降り積もったガラス片を踏み転倒、人影を手放すと、床を数度転がると血まみれの体を起こして、こちらに向き直り咆哮。
怪物に対して電撃は通じない、だが、物理的な現象は別問題だ。
案の定怪物は降り注いだガラス片によって傷つき、やっと自分に対して明確な敵意を示してくれた。
おまけに丁寧に怪物は手に持っていた男を手放し、こちらへと歩みを始めていた。
これは願っても無い絶好の機会だ、イントは小さく鼻を鳴らして自分の思惑通りに事が動いた事答える。
「ああそうだよ、来いよ」
イントの挑発的な一言、そしてその後で背中に担いでいたライフルを構えると、ボルトを引いて初段を銃の内部へ送り込む。
初めからイントは電撃で相手を倒す気などなかった。
だが、怪物に電撃は通じなくとも一般的な物理的な力は通じる、その事実は先の出来事でガーフィンが証明していた。
電撃は怪物の注意を引く為の手段として使い道しか無く、実際に一撃を与えるのは背中に抱えた銃であると思っていた。
そしてその考えは予想通りの結果を生んだ。
天井から降ってきたガラス片により体を傷つけた怪物は流石に激昂したのか、一歩、また一歩と足を進めて距離を詰める。
一見すると今すぐにでも逃げ出したくなる恐ろしい光景だ、しかし道は狭い上に一本道だ。
怪物の動きには制限が生まれるのは必然であり、イントにとっては狙わずとも引き金を引くだけで怪物を打ち抜く事が可能になる。
イントは目を細めると、細かな微調整をしてスコープの中心に怪物を捉えて小さく息を吸い込み、引き金を……引けなかった。
「くそっ!」
イントは掌を襲った衝撃と目の前で飛び散る銃の残骸、そして振りぬいた腕を再び構え直す怪物に対して悪態を吐く。
何が起きたのか、それは一瞬こそ判らなかったが地面に着いた深い爪の跡が怪物の行動を事後報告していた。
怪物は、地面を文字通り『蹴って』加速した。
問題は、怪物の足に鋭い爪が生えていた事だ。
つるつるとした地面では、幾ら力を加えても摩擦係数に応じて効果を低下させる。
だが、運動靴のスパイクの様に、あるいは車のチェーンの様に。
地面へしっかりと食いつく為の道具を使えば、その制約を無視する事が可能だ。
つまり、怪物は自身の足に生えていた爪をスパイクの様に地面に突き立てる事で一気に加速、大きく振りかぶった右腕でイントの構えていたライフルを中ほどから叩き折っていたのだ。
更に、怪物は情け遠慮の一切無い一撃。
横なぶりに放たれた左腕での一撃、それを身を捻って回避するイントだが、丁度へそのあたりをかすめた鋭い爪の感触に脂汗を浮かべる。
恐らくこの怪物には高い知性が存在する。
それは先ほどの行動ですぐに判った、何故なら怪物は最初から床に爪を突き立てていなかったからだ。
単に逃げるにも単に攻撃をするにも、最初から爪を地面に突き立てればその動きは幾らでも早くなり、速やかに行動を取れた。
それをしなかったのは恐らく、イントを油断させる為だろう。
呼び動作の殆ど無い動きにイントは意表を突かれ、急な怪物の加速に対処しきれなかったのだ。
結果、イントのライフルは半ばで折られて宙を舞い、イントの手の中には、マガジンとトリガーだけの鉄塊が残された。
そこに繰り出される更なる一撃。
それは、腕では無く、鋭い怪物の口から放たれた。
怪物は耳元まで裂けた口を大きく開くと、その先にあるサメの様な牙をぎらつかせ、イントののど元へと噛みつくが、その口に壊れた銃を突っ込む形でイントは行動を阻止。
「……仕事しろ脳味噌」
焦る胸の鼓動をなだめ、イントは怪物からなるべく距離を取る為に後ずさると、鉄の塊である筈のそれをバリバリと噛み砕き、腹の中におさめていく怪物を見て小さく皮肉を吐く。
武器はもう無くなった、ならばあたりを見渡せば何かを見つけられるかもと考えたが、都合良く凶器が落ちているわけが無い。
そうとなればいち早くこの場所から逃げ出したいものだが、この怪物がイントをそう簡単に開放するとは思えない。
頬を汗が伝い、全身の血の気が失せていくのが感じられた、丁度その瞬間だ、遠くから銃声が響いたのは。
自分が持っているそれよりも小口径な物の発砲音であり、銃声と呼ぶにはささやかなものだったが、その音を聞いたイントの脳裏を、様々な考えが高速で駆け巡る。
遠くで鳴り響いた銃声は恐らく、クーナの物だろう。
彼は先日の騒ぎに学び、どこからか銃を手に入れていた。
本来箱庭では不必要とされてる道具なだけあり、クーナにはその道具の使い道が判らない様子ではあったが、銃を使った事の無いイントにも、銃弾が何故放たれるかは知っていた。
薬莢内に詰められていた火薬、それが爆発的に燃焼する事により、大量のガスが一気に発生し弾頭が打ち出される。
そして銃の役目は弾丸を安定して投擲するためのレールでしかない。
ならば、何故レールが銃に必要なのか? それは単に火薬が持つ破壊力に指向性を与える為だ、指向性があるから銃弾は目的の物だけを破壊する。
つまりは、凶器としての機能を持っているのは銃弾の中、薬莢に詰められた火薬だけなのだ。
つまり……
「理論上なら……」
意味ありげに呟くイントを余所に、怪物は鋭く吠えるとイントの元へと飛びかかる。
イントの電撃は怪物には通じず、頼みの綱だった武器ももう手元には無く、今は怪物の腹の中だ。
そんな絶体絶命の状況でもなお、イントは落ち着いた様子で小さく言葉を吐いた。
「変なもの食うと、食あたり起こすぞ」
刹那、イントは電撃を放った。
もちろん怪物に対してその行動は一切の意味を成さなかったが、怪物の『中』にあるものに対しては絶大な効果を示した。
怪物の腹の中から響く破裂音。
水の中に大きな石を投げ込んだ様な音が数度響き、それに合わせるようにして怪物は痙攣、そして口から大量の血液を吐いて倒れこんだ。
イントが先ほど放った電撃は、怪物を直接焼く為の物では無かった。
彼が放った電撃、それは怪物自身では無く、怪物の体内に取り込まれていたライフル、もっと正確に述べると、噛み砕かれずに残っていた幾つかの銃弾に対して放たれていた。
薬莢の中で爆ぜた小さな電撃、それによって銃弾は暴発。
怪物の体内で連続して爆ぜ、その力を全て破壊力に変えて怪物の体内を完膚なきまでに破壊したのだ。
「クーナの奴……」
全身の力が抜け、床へと倒れる怪物を余所に、クーナが居る筈の天井を見てから小さく呟くイント。
クーナは銃の扱いを練習しているのか、先ほどから連続して銃声が響いている。
「遊んでないでちゃんと見張ってくれよ……」
小さく愚痴を吐きながらも、彼は再び視線を廊下へ戻してから、眉を吊り上げる。
その時起きた出来事としては大それた物だったのだが、それでも彼が冷静でいたのは、恐らくこの結果が何となく検討が付いていたからだろう。
「……またか」
イントが視線を戻した先、そこには怪物の姿は無く。
先ほど争って生まれた血痕までもが綺麗に消え、リノリウムの床の上には冗談の様に噛み砕かれた銃と、爆ぜ弾頭を歪ませた幾つかの銃弾が転がっていた。
この現象はこの間の出来事とよく似ている、ごく一瞬、瞬きする程短い間目を離しただけで、相手の痕跡は一切消えてなくなっている。
怪物の外観もどこか似ている。
全身を磁器の様に白い皮膚で覆い、節穴の様に適当に取り付けられた双眸を思い出し、イントは嫌な予感を覚える。
恐らく、この怪物は再び現れる。
どういう経路を通ったのか、そもそも絶対的な性能を持つクーナのセンサーの目をかいくぐったのかすら不明だが、それでも再びこれらは現れる、そんな確かな予感がした。
「一体何なんだか……なぞなぞは嫌いだ……」
突如現れた異形と容赦の無い攻撃、相手には自身の能力が通じない事実。
そして、これらはどこから現れ、どこに消えたのかという疑問。
どの程度の知性を持ち合わせているのか? 第一、これらは一体何が目的で現れたのか?
そもそも、あの異形は生き物なのか? それでなければ何なのか?
一連の出来事に関する情報を整理するために集めてみるが、その情報が膨大すぎて何から手をつければいいのかわからない。
あまりにも謎が多すぎ、なぞ解きをする以前の問題なのだ。
更に、今回新たな情報が付け足された。
「……誰だよこいつ……」
イントは、床に倒れたまま動かない一人の男の元へと歩み寄る。
彼は、先ほど怪物に襟首を掴まれ引きずられていた男だ。
イントはその人物の顔を見ると眉根を寄せて小さく唸る。
ガーフィンとは違い、彼は若干の人見知りを持っている為にちゃんと会話をした事がある相手はその数は4分の1程度まで落ちるが、だからと言ってそれだけの理由で相手の顔を忘れたりはしない。
むしろ、総人口48人のこの世界の住人の顔など、誰もが労する事無く覚えてしまう。
だが、この人物の正体だけはイントに判らなかった。
この世界にいると言うことは、恐らく自分たちと同じく能力を持っており、体の成長や老化は止まってしまったのだろう。
そのため、外見がそのまま彼の年齢を示しているとは限らないのだが、少なくとも外見上はかなり若く、イントよりも若いころに能力が覚醒した事は間違いが無い。
無骨な力強さよりもまだどこか繊細で華奢な印象が目立つのは、彼の体がまだ成長段階な華奢さを残しているからだろう。
顔の殆どは中途半端な長さの髪に隠れていたが、それでも彼が端麗な素顔を持っている事は直ぐに判った。
「兎に角……無事だよな?」
見た限り目立った怪我の類は一切無く、先ほどガラスを降らせたのにもかかわらずそれは奇跡とも言える事だ。
だが、頭などを打っていた場合は、下手に血まみれな状況よりもたちが悪い。
そのため、まずは頭に強く打った箇所が無いかと確認するため、イントは彼の髪をかき分けてから、下にあった瞼が開かれている事に気が付きあわてて手を離す。
「……うおぉっ!」
そのままつんのめり、尻もちを付いて小さく悲鳴を上げたイントに対し、男はゆっくりとした動作で上体を起こすと小さく笑ってみせる。
この世界の住人が増えるのはいつも前触れが無い。
何故このような世界が作られたのか、そもそも自分たちは何故能力を持ち年を取る事すら無いのか。
考えるだけ気が遠くなる大量の情報、その濁流の中においてこの人物の存在はことさら特殊な状況では無い。
だが……
「……49人目だと……?」
何処からか、そして誰が紡いだのか、何かを知る声が小さく響いた。
一連の出来事が終息を迎えた箱庭を、一つの人影が双眼鏡越しに眺めて観察していた。
距離としてかなり離れている為肉眼では殆ど見えない位置ではあるのだが、倍率の高い双眼鏡を使っている為箱庭の中で慌てふためく住人の姿はよく見えた。
その人物は計画が順調に進んでいる事に口端を吊り上げ、八重歯を光らせ不敵な笑みを浮かべる。
計画は順調であり必要な情報が次々と得られる感覚は、何物にも代えられない快楽となってゆく。
「……」
その人物は、双眼鏡を外すとそばに止めてあったオフロードバイクのハンドルにひっかけ、開いた手を空に掲げる。
そこで小さく数回振ると、その手の通り過ぎた場所に変化が生まれた。
素早く動かした腕の跡に残像の様に色彩が溢れ、その彩度を濃密にしていく。
黒とも紫とも、青とも赤とも説明できる複雑な色彩、その色の渦の中から不意に、白い鳥が飛び出し、空中で小さく羽ばたいたのち、バイクのハンドルに留まり羽根を休める。
一見すれば手品か何かにも見えるが、手品ならわざわざこんな奇妙な鳥は用意しないだろう。
その鳥の両目に当たる場所には節穴のような物が二つあるだけで、きらきらと愛らしい瞳の輝きは存在しなく、あるとしたらその穴から漏れる不自然な光だけだ。
しかも、あろうことかその鳥には牙が生えていた。
猛禽類を思わせる鋭いくちばし、その奥に、サメを思わせる剃刀の様な牙がいくつも生え揃っており。
更に、その牙を数度動かすと、子供の泣き声の様なひどく不気味な声を響かせる。
そんな化け物を見て、その存在は再度不敵に笑うとこれからの計画を頭の中で組み立て直して小さく笑い、バイクのエンジンを始動させるのだった。
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