追撃 中

 道具と言う物はどれもが等しく目的があってこの世に生まれ、そして沢山の人間に扱わる事でその存在意義を達成させる、そして人々の生活を豊かに、もしくは秩序あるものへと成長させてゆく物だ。

 しかし、絶え間なく成長を続ける人々の生活において、不必要になっていく道具も幾つか存在する。

 たとえば公衆電話。

 電話と言う道具が固定式だった時代には大いに役に立ち、人々の生活を支えている物だったが、技術が進化し、道を行き交う人々が電話を持ち歩く様になってゆくと、瞬く間にその存在は消えて見えなくなった。

 たとえばレコード盤、音のデジタル化が進むにつれ、確実にその数を減らしている。

 たとえば石炭で走る列車。

 たとえば……

 考えればきりがない過去の遺産、それらと同じ様、存在が不要になりつつある道具があった。

 「なかなか物騒な物を……」

 机の上に置かれた拳銃を手に取り、悪態混じりの溜め息をを吐くカルヴェラ。

 「カルヴェラが言えた事?」

 そんな彼に対し、革張りの椅子に腰かけたまま首を傾けるのはクーナだった。

 彼の言葉通り、カルヴェラは普段良くライフルを持ち歩いている、本人に誰かを傷つける様な趣味が無くとも、傍から見たらそれなりに物騒だと思われるのは道理だ。

 だが、そんな皮肉に対して悪びれる様子も無く肩をすくめるとクーナに向き直る。

 「んで? これをどうしたいと?」

 「使い方教えてよ」

 「あん? これのか?」

 迷いの類が一切感じられないクーナの言葉、それに対してカルヴェラは何か冗談を振られた様子で反応をすると、さっきのクーナの一言が手違いでは無かったのかと言葉を掛け直す。

 それもその筈だ、拳銃に限らず今現在に置いて銃器の類に対しての必要性は一切無い。

 銃と言えば本来何か生き物を傷付け、もしくは死に至らしめる為だけに作られた道具だからだ。

 今が戦時中だったり、もしくはそれ以外の理由で他人から命を狙われているでもしなければ銃など使い道が無く。

 何かしら凶暴な野生動物が群れて街中を闊歩していようと、わざわざ信頼性に欠けた道具に頼らずとも、この世界の人間は総じて強力な力を持っており。

 クーナの様に攻撃には使えない能力だとしても、危機を予め察知して避ける位の使い道はある。

 「そう、もしかしたら必要になるかもしれないからね」

 そう呟く彼自身が猫の着ぐるみの様な、むしろ着ぐるみそのものに身を纏い、フードの下から長い髪の毛を揺らしている為にどうにも真剣味が掛けてしまうのだが、フードの下で揺れるドングリ眼から彼が冗談を言ってるわけでは無いと判断したカルヴェラは、頭痛を覚えた様な表情を作ると溜め息を吐く。

 そして、とりあえずと言った具合で懐に手を当て、肝心の物が無い事に溜め息を吐いて答える。

 そこへ、クーナが手を突き出して何かを差し出した。

 「これ?」

 「んあ? まぁこれで我慢するか」

 カルヴェラはクーナが取りだした煙草を一本受け取ると、フィルターを口に含み、反対側にライターで火を灯す。

 「……イントが車の中見たときから嫌な予感してたけどよ、一体何があった?」

 深く煙を吸い込むと、吸い込む時の倍の時間を掛けて紫煙を吐き、思い出したようにそう紡ぐカルヴェラ。

 此処に来る直前に見た物だが、基本平和主義者のイントの車の中には二丁のライフルが乗っていた。

 その事について初めから説明するつもりだったらしく、クーナはカルヴェラと同じように紫煙を燻らせてから説明を始めた。

 「結論から言うと、イントが襲われた」

 「……はぁ!? んなまさか、野犬か? それとも熊か何かか?……いやそれは――」

 「そう、そんな可愛い理由なら僕も此処まで大げさな備えはしないよ」

 カルヴェラの考えを先読みすると、クーナは咥えていた煙草の灰を灰皿に落とすと、何処か達観した様な様子でカルヴェラの瞳を見上げる。

 「犬だの熊だの、何にしてもどれもが等しく僕たちを傷付ける事は出来ない。

 勿論寝込みを襲われるとか、そう言うのが無い限り……まぁこの辺の理由は説明するまでも無いよね?」

 「何を今さら……当たり前の事を再確認する気か?」

 彼が言う通り想像つく限りの大抵の事象では、この世界の人間は怪我すら負わないだろう。

 その一番の要因が、この世界の全ての人間が持った力だ、カルヴェラは空を自在に飛べ、クーナは世界の全てを認知出来る。

 傾向こそ違えど、その力に際限は無い為、使い方を考えればどれもが等しく神に等しい行為が可能なのだ。

 たとえばカルヴェラの力は、一見空を飛ぶしか使い道が無い様に見えるが、それはつまりどんな危機的状況に陥った所で、瞬時に空を駆け逃げ回れる事を意味し。

 使い道によっては身の周りにある全ての物を飛ばし、自分に迫った全ての脅威を退ける事も可能なのだ。

 大多数の人間が放棄した世界には、人の代わりに沢山の凶暴な生き物が住みついている。

 だが、これらに対して完璧なまでの防衛策を持っている彼らは皆、武器と言う概念を持たない。

 全身を分厚い鎧で覆った人間が、地を這う鼠に怯えなどしない。

 そんな感覚と似ているだろう、だからこそ、次にクーナが紡いだ言葉に驚愕を隠せなかった。

 「問題は、イントの力ではその相手を退ける事が出来なかったって事なんだよ」

 「……っはぁ!? んな馬鹿な」

 「僕だって冗談だと思ったよ、でもイントはそう言う嘘を吐く人間じゃないしね……それに……アレが僕を騙す為の嘘だとしても、あれだけ大掛かりな仕掛けは用意する訳が無い」

 力を行使しているのか、視線を明後日の所に向けて何かを再確認したクーナは最後のそう付け足した。

 「つまり……その相手はイントの力を破ったと?」

 分厚い鎧を着ていた人間が、鼠を恐れる可能性が一切無いわけでは無い。

 鎧は分厚く鼠の牙は通らない、だが、牙は通らない程ごく僅かな隙間でも、鎧には継ぎ目があり空気穴が存在する。

 だからこそ、鼠が持っている病気や何かしらの毒素は鎧の隙間を通り、その中の人間を傷付ける場合がある。

 だが、仮にそうだとしても、人間が鼠よりも弱い訳では無い。

 鎧が無意味だとしても、軽く足を踏み込めば鼠を踏み殺せる、だからこそ鼠が跳びかかって来た所で何も怖く無いのだ。

 だが……

 「破ったと言うよりも……破れなかったが正解かな?

 イントの力がその怪物の防御をね、だからイントは自力で自分の身を守れなかったんだ」

 「んな事ある訳……」

 もし仮に、足で踏み潰した所で、木の棒で殴り付けた所で、鼠が一切のダメージを負わなかった場合はどうなるか。

 今回起きた例外がそれだ。

 イントの前に飛び出した脅威はイントの力を一切受け付けず、一方的に攻撃を加えてきた。

 「嘘を吐いて何の得があるのさ、第一、僕自身もこの事をカルヴェラに言うべきか迷ってたんだから」

 「まぁそうだが……でも一体どうすればあの電撃に対抗ができるんだか……っていうか今さりげなく怪物って言ったよな?」

 「うん、聞いた話によると、相手は真っ白くてでっかい蜘蛛だって」

 「その化け物から身を守るために銃が必要だと?」

 「うん!」

 イントから聞いた話の為、その怪物の全体像がいまいち浮かばないのだが、それでも何とか説明を続けるクーナ。

 だが、そんな話を聞き『はいそうですか』と言った具合で納得は出来ないカルヴェラは何かの冗談だと思って小さく笑って見せる。

 「嘘臭え……」

 無理も無い話ではあるのだが、そんな彼の態度に態度が多少気にかかったのか、クーナは机に手を置くと拳銃を指で突いてから抗議の意思を露わにした。

 「僕が冗談を言ってる様に見えるの?」

 「悪いがその通りだ」

 カルヴェラをおちょくる為だけにこのような物を用意するとは思えないが、それでも彼の説明よりは現実味がある自分の仮定を提示する。

 すると、今度は露骨に嫌悪感を露わにしてからクーナは口を開いた。

 「自分で言うのもあれだけど、僕はこの箱庭のリーダーだ。

 だからこそ、この箱庭の住人の身の安全を守る事と、女の子の下着を盗む行為だけは細心の注意を払ってるつもりだけどね」

 「下着と住人の価値が同じってどういう事だよ……」

 何処まで本気で言っているのかは不明だが、少なくとも彼の言葉の後半部分は言葉のあやだろうと信じて皮肉を吐くカルヴェラ。

 クーナの変態願望に一々突っ込みを入れてると限が無いため、その程度の皮肉で済ませたつもりだがその行為が寧ろ彼の変態心に火を灯してしまった。

 「いいや、違うね。

 みんなの安全と一枚のパンツ、その価値は同等では無いよ……寧ろパンツの方がずっとずっと価値がある!!

 考えてもみてよ! パンツだよパンツ! もうさ……もうさ――!!」

 「その辺にしとけ」

 目をぎらぎらと光らせ力説を始めたクーナだが、途中でその口を閉じざるを得なくなった。

 何故なら、カルヴェラが容赦無く彼の脳天に拳を振り下ろしたからだ。

 「痛いよぉ……」

 「お前のペースに合わしてたら日が暮れるだろ」

 クーナの脳天を叩いた為僅かに痛む右腕をさすりながら愚痴を吐くと、机の上に置かれていた拳銃を手に取り、銃の側面に取りつけられていたボタンを操作。

 銃の操作を知らないクーナにはそれが何なのかは分らない様だが、マガジンキャッチと呼ばれるそれを操作した事により、グリップから吐き出された弾倉が机の上に落ちて鈍い音を立てる。

 「おもちゃでは無い様だな」

 「当たり前だよぉ、だから教えてって言ったのに……」

 「理由はどうであれ、あんたがこんな物を使いたがるのには何かしら理由があるんだろ」

 「だから本当の事だって……」

 そこで初めて、クーナの説明を一割でも信じようと感じたカルヴェラは、弾倉をグリップ内に収めるて拳銃をクーナに差し出す。

 「使い方は簡単だ、ここを操作してセーフティーを外す、っておいこっちに向けんな!」

 慣れない手つきで銃を受け取り、小さな手で安全装置を外したクーナが無意識のうちに銃口を此方へ向けた為に悲鳴を上げるカルヴェラ。

 「ん! ああごめんごめん」

 「まぁ兎に角だ、後はスライドを操作、自分で引けるか?」

 「んー!! よっと……」

 最初は片手で操作しようとするが筋力が足りないと判断したクーナは、椅子に座ると足でグリップを挟んで固定、両手でスライドを引いてから手を離す。

 「そうなったら後は狙いを定めて引き金を引くだけだ、だけど、間違っても人に向けんじゃねぇぞ、いいか?」

 バネ仕掛けで元の状態に戻った銃身は、その瞬間から弾丸がチャンバー内に送られ撃鉄が挙げられるため、ちょっとした動作で銃弾が発射される可能性があった。

 その為、念には念をと思い、クーナに対して強く言葉を投げてから煙草を灰皿に押し付けるカルヴェラ。

 「……ん? 聞いてるか?」

 だが、肝心の相手から一切の返答が返ってこない為眉を寄せてから視線を上げて相手を見るカルヴェラ。

 そして彼は絶句をした。

 「それが住人の守るために必要な行為か?……冗談じゃ済まねぇぞ」

 1オクターブほどキーを落とした声で紡がれる鋭い言葉、それは、自身のに向けて銃を構えるクーナに対して放たれていた。






 「……ん?」

 不意に響いた破裂音に顔を上げるカフゥ。

 のどかな昼下がり、校舎の屋上で他愛の無い話に華を咲かせていたカフゥとステイシスの耳に響いたのは、あまり聞き覚えの無い音だった。

 小さな風船が割れる様な、もしくは焚火が爆ぜる様な。

 気の抜ける様な乾いた破裂音、経験のある人間ならそれが拳銃の発砲音だと判断出来るのだが、当然のことながら彼女等二人にはそれが何の音なのか分らず、首を傾ける。

 「今の音……何でしょうか?」

 「……さあ」

 そう言うと音がした方向を見る為に腰を上げ、屋上のフェンス越しに隣の校舎を目を凝らして見つめるカフゥ。

 「グラサンと変態が何かやってる」

 「何をやってます?」

 「分んない……なんか暴れてるけど、って……え!?」

 クーナの自室の中、カルヴェラと部屋の主が何やら暴れているのを見て疑問符を浮かべていた彼女だが。

 不意に窓ガラスが割られ、クーナがグラウンド投げ飛ばされた事に絶句をしたのは次の瞬間だった。






 一瞬の間に割り出した選択肢としは、その行動は称賛に当たるだろう。

 不意に拳銃を此方へ向け、引き金を引いたクーナ。

 その意思に従い、従順にして強力な弾丸を吐き出した拳銃は、銃弾にほんの少しだけ遅れて硝煙とガスを室内に撒き散らした。

 銃弾はカルヴェラの右肩をかすめ、その後ろにあった物に食い込んで沈黙。

 そこで彼は、一瞬の隙を突いてクーナへと手を伸ばすと、彼の首根っこを掴んで窓ガラスの方向へ投げる。

 勿論その時自身の体に施しているのと同じ力を行使し、彼の体から重力を取りはらっていた為、彼の体は容易に宙を舞い窓ガラスを破ると、そのままグラウンドの上空数メートルの所で制止した。

 そこでカルヴェラは、彼が落とした拳銃を拾うと割れた窓ガラスをくぐる様にして部屋を抜け出し、クーナのすぐ傍までやって来てから銃を構えた……先ほど自身が居た部屋に向けて。

 「あれがその怪物って奴か?」

 「分らないよ……そもそも蜘蛛の形じゃ……くぅっ!……」

 そんな彼の横で空に浮いたまま短く悲鳴を上げるクーナ、彼の右手首は砂を詰めた皮手袋の様にぶらりと垂れさがり、不自然な個所から折れ曲がっていた。

 大人の体ならこれほど大きな事態にはならずに済んだだろう、しかし、彼の体は子供のそれと同じだ。

 衝撃の消し方すら判らず、不安定な姿勢のまま銃を発砲、その結果、銃を撃った衝撃は彼の右手首を襲い、未発達な彼の骨をやすやすと砕いてしまった。

 「大丈夫かと聞きたいところだが、あいつらをまずはどうにかしないとな」

 そう言い、アイアンサイト越しに教室に狙いを定めるカルヴェラ。

 その目線の先に、問題の存在が居た。

 「一体何物なんだよ奴らは……」

 突然自身に向けて銃を向けたクーナだが、その行動には明確な意味があった。

 彼の向けた銃は、確かにカルヴェラの方向を向いていたのだが、カルヴェラを狙っていた訳では無い。

 クーナが狙っていたのは、カルヴェラのすぐ後ろに居た存在だ。

 それを一言で説明するなら真っ白な人影、もしくは出来そこないのマネキンと言った所だろう。

 紙粘土を練り上げ、とりあえず人だと分る形に造形した様な、単純ゆえに醜悪なその存在は、本来なら瞳が付いている筈の節穴から鈍い光を放ち、両手には鋭い爪を生やしていた。

 そんな怪物はいつの間にか箱庭内に侵入し、カルヴェラの真後ろの回り込み、そして……長い爪を突き立てる為に腕を大きく振りかぶっていたのだ。

 その事に気が付いたクーナはカルヴェラを守るために発砲したのだ。

 耳元を通り抜ける弾丸の音と、不意に飛び散った血液に顔をしかめつつも状況を大まかに悟ったカルヴェラはクーナの首根っこを掴んで彼を投げ飛ばした。

 そうすることでクーナを真っ先に避難させると、彼が落とした拳銃を拾い自身も部屋の外に逃げ出して銃を構える。

 「話とかをしてどうにかなる相手じゃ無いんだろ?」

 「言葉が通じる相手なら……出会い頭に……襲いかかったりしないでしょ……」

 よっぽど折れた腕が痛むのか、脂汗を浮かべるクーナは、途切れ途切れの言葉で強がって見せる。

 幸い、この怪物も通常の物理的な攻撃は受け付けるらしく、ぽっかりと開いた銃弾の傷からは血液を垂れ流しているが。

 それでも銃弾の一発は大したダメージでは無いらしく、左右の手から伸びた爪を大きく振りかぶると、軽く助走をつけると床板を蹴った。

 一体どれだけの筋力を持っていたのか、それとも単に見た目の割に体が軽いのか、それとも何かしらの原理で重力を無視したのか。

 おおよそ2メートルほどの体を空に舞わせて此方へと飛びかかって来る。

 モニター越しに見る分には、安っぽいCGやワイヤーアクションだと馬鹿にしてしまいそうな光景だが、実際にその現場を目の当たりにして恐怖心をそそられない人間は居ないだろう。

 だが、そんな現場に居た二人は至って冷静だった。

 「それじゃ正当防衛って事で、なんにしてもミグやらカフゥが心配だからな」

 そう言うと、拳銃の引き金を立て続けに引くカルヴェラ、片手で銃を構えていた為、狙いは多少甘くとも、弾道のずれはカルヴェラにとって大した問題では無い。

 半ば無意識の状態で彼は力を行使すると、右上に大きく狙いを逸れた弾丸の軌道を修正、打ち出したの5発の弾丸の内2発を此方を睨みつける左右の双眸に。

 残り3発を、怪物の胸元に打ち込む。

 「こいつはおまけだ!」

 更に駄目押しとばかりに、接近する速度を落とした怪物に対して空中で回し蹴りを叩き込むカルヴェラ。

 能力を織り交ぜて放たれた一撃は見た目以上の破壊力が込められていた様であり、鈍い打撲音を響かせた怪物は重力に従って地面に落下。

 その下にあった渡り廊下に頭から落下、同時に骨が砕ける不快な音を響かせて沈黙した。

 「こんな不快な気持は初めてだ……」

 辺りを見回し、他に怪物が居ない事を確認して一息付くカルヴェラの耳は、忌々しげに呟くクーナの声を拾った。

 心の底から目の前で沈黙する異形を罵る様な声、だがそれ以上のその声が非難しているのは自分自身だった。

 「この僕が見落とすなんて……しかも二度も……」

 石畳の上で沈黙する怪物を睨みつけ、無事な方の左手を口元へ運び親指を噛みしめるクーナ。

 基本的に人の嫌がる事を好むクーナだが、それでも一つだけ絶対に守っていたルールがあった。

 それが箱庭の住人に傷一つ負わせない事。

 単に感覚が鋭い、それ以外の面で優れた点を持ち合わせていない自分を、リーダーとして認識し慕う、そんな仲間を守る為ならどんな手間も惜しまないでいたつもりだ。

 だからこそ常日頃から箱庭内の出来事は能力を通じて察知し、少しでも異常があれば皆に知らせて大事にならない様に務めていた。

 その筈なのに、前回と、そして今まさに目の前で起きた出来事は起きてしまった。

 「どうしてだ……僕の力ならこの世界の全てを知ることが可能な筈なのに……誰も傷付かない様に……」

 子供の外見には似合わない、恐ろしく鋭い視線を光らせるクーナの肩を、カルヴェラは掴むと落ち着いた口調で話しかける。

 「『誰も傷つかない様』にしたいのなら、まずはその癖を直さないとだな」

 そんな彼の一言にハッと我に帰ると、右手親指から出血している事に気づき黙り込むクーナ。

 よほど悔しかったのだろう、血が出るまで自分の指を噛んでいたクーナは、少しだけ恥ずかしそうに笑って見せると、外見に見合った幼い表情を作り校舎の一角を指差した。

 「カルヴェラ、痛いよぉ」

 「だろうな、まぁ少し我慢しろ」

 そう言い彼は力を操作、水中を泳ぐ様にして保健室の前まで行くと、開きっぱなしになっていた窓からクーナを放り込んだ。

 「おいオカマ野郎!!」

 教室の中に顔だけ突っ込むと、そう言って部屋の主を呼び付けるカルヴェラ。

 理にかなっていると言えばそれまでなのだが、その呼び声に対して嬉しそうに振り返るクーナを余所に、部屋の一角にあった用具箱が大きく揺れた。

 中から件の『オカマ野郎』、つまりはミグが巨体を捩じらせつつ飛び出した。

 「ななななな何ですか!!? あなた達は何時もいつも!!」

 「何時もじゃねえだろ」

 「っていうか今私の事オカマって言いましたか!? 言いましたね、はい言いましたね!! ええそうですよどうせ私は図体だけデカイオカマ野郎ですよ。

 何の役にも立たずどんくさくて騒がしくて被害妄想の塊みたいな男ですよ! はいはいそうですよ! あ!!? 今ちょっと『自覚あるなら直せなよ』とか考えましたよね!! ええそうですよね! そう考えました――」

 「いや、そこまで言ってねぇだろ」

 相変わらずな様子で騒ぎたてるミグだが、彼がこうして騒いでいる辺り、今さっき起きた出来事には気が付いていない様だ。

 少なくとも、その事に一安心をしたカルヴェラは、彼に一発蹴りを入れて黙らせると、クーナの治療を急かすのだった。






 自身の事をシュレティンガーの子猫だと言いきる女が居た。

 その人物の本当の名前はガーフィンであり、そんなガーフィンの良き友であり玩具であるイントは愛車のボンネットに跨ったまま、ふと彼女は本当に猫の様な物だと考えるのだった。

 先ほどまで彼女は自分の目の前でバイクに乗る練習をしていたのだが、ある程度思う通りに制御が出来る様になった彼女は、不意に何処かへと消えた。

 恐らく何処か広い道のある所で運転の練習をしているのだろうが、その場所を知らず、それ以前にわざわざ探そうと言う気も無いイントは。

 一人車のボンネットに転がって彼女が車内に残して言った本を広げた。

 「なんだかんだであいつこう言うの好きだよな……」

 ガーフィンが置いて行ったのは、パズル雑誌だった。

 俗に言うイラストロジックやナンバープレイスと呼ばれるパズルの問いが並ぶページの中、まだ鉛筆で書き込まれていない箇所を広げると、細かく書かれた数字を頼りに問題を解き始めるイント。

 そこでふと、雑誌の表紙に書かれていた『enigma』の文字に目を止める。

 「エニグマ……なぞなぞ、パズルって意味だよな……なぞなぞ……そういや……」

 判らない事は沢山ある、知らない事を知れば知るほど、知らない世界はどんどん広がり自分に新たな疑問を投げかける。

 それを満たす目的もあり、彼は車で旅をする生活を続けているのだが、そんなある日最大級の疑問とぶつかった。

 それが、この間出会った真っ白な怪物だ。

 自身が今まで忌み嫌ってきた電撃をものともせず、皆が恐れた自分に対して何の躊躇も無く襲いかかった存在。

 その存在が一体何者なのか、それは今まで出会ったどんなエニグマ(なぞなぞ)よりも強大だった。

 「なんで電気が利かなかったんだ……」

 軽く念じ、掌の上で小さな火花を発生させるイント。

 その手を水を払う様に振ると、その動きに合わせて電撃は宙を走り地面に転がっていた空き缶にぶつかり小さな破裂音が響き渡る。

 少なくとも、この力は健在だ。

 だからこそ、やはり納得がいかない。

 なぜあの怪物は無傷だったのか、それ以前にあの怪物はイントの持つ常識が一切通じない様にも見えた。

 まるで水面に映る影に触れようとするのと同じで、幾ら手を伸ばしても届かず、幾ら水面をかき混ぜてもその影は再び姿を現す。

 あの怪物もそんな幻影だったのでは無いか、そうとすら思えてくる、だが……

 「現実なんだよな」

 ボンネットにうつ伏せの姿勢で寝転んだまま、ボディーに刻まれた一つの傷をなぞる。

 元々雑な使い方をするが故にこの車には細かな傷が多いのだが、その中でもこの一つだけはひと際大きく、そして真新しかった。

 「あいつめ……人の愛車を」

 ぼそりと呟いたイントの言葉通り、この傷はあの怪物が付けた物だ。

 つまりそれは、あの怪物が自分にだけ見える幻覚や、幻の類では無い事を証明していた。

 そして、次に目の当たりにした出来事を通じ、彼はあの怪物の存在が現実の物だと再確認する事になる。

 「……?」

 不意に足音と、何かを引きずる音が響いた。

 恐らくはガーフィンが何処からか帰って来たのだろう。

 ならば嫌み半分で彼女に愚痴の一つでも吐いてやろうと思い、不満げに顔を上げたイント。

 そして彼は、目の前に立っていた真っ白の人影と、その影に引きずられる、意識の無い男を目の当たりにするのだった。

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