白い悪意 下
冷静に事態を思い返せば思い返す程出鱈目過ぎており、あまりにも自身の常識を逸脱した出来事だ。
事の始まりは今からそう昔の事では無い、時間にして数十分前に起きた一つの切っ掛けが今の事態を招いたのだ。
いつも通りのドライブの途中、何か妙な物を見かけた。
それを追ってみると、その相手は自分が今までに見たことの無い奇天烈な怪物であり、しかもあろうことかその怪物は自分の命を狙って攻撃を始めた。
この地点で十分予想外な事態ではあるのだが、問題はその次に起きた事だ。
幾らでも自分を追いかけ、執拗に命を狙う怪物に対してイントは力を行使した。
最初に警告をしていた為イントは情けなど無い強力な一撃を放ったのだが、肝心の怪物は傷付いた様子も、ましては電撃を受けた様子も一切見せず、平然とした様子でカウンターの攻撃を放った。
この時の出来事は、幸い車に同乗していたガーフィンが力を行使したおかげで事無きを得たのだが。
ここでもう一つ予想外な事態が起きた。
それがガーフィンが怪物の一撃に巻き込まれ、何処かへと姿を消した事だ、そのためイントは逃げる術も失い、一人建物の屋上から怪物を迎撃する必要が生まれたのだが、第三の想定外がイントの脳裏を突いた。
だが、その想定外がはっきりとした形を形成した時、その想定外が自分の命の危機だと悟ったイントは、持っていた武器を捨てると、両足のバネに力を込める。
「ちぃ!!」
考えるよりも早く身をひるがえすと、怪物の一撃を回避しようと床を転がるイント。
だが、直撃では無いにしろ、自身の足場を揺らす衝撃が無い事に疑問符を浮かべて視線を上げる。
彼の目線の先、そこには腕を振り上げたまま怪物が硬直していた。
先ほどと違う点と言えば、怪物が長い角を生やしている事だろう。
「これは……」
混乱していた為に一瞬意味が理解できなかったイントだが、怪物の角の先端から血が噴き出して初めて、怪物の頭から伸びていた物は怪物の体の一部では無く怪物の体に突き立った鉄パイプだと悟る。
変化はそれだけでは無い、突如怪物の体のあちこちからパイプが生え、そこで事態を理解したイントは初めて上空を見上げる。
イントが見上げた先、そこから大量の鉄パイプが降り注いでいた。
誰かが放り投げた訳では無い、唯突然空中に鉄パイプが生まれ、そして重力に従って落下。
ダーツの矢の如く真っすぐに落ちたその先端は、自重をそのままエネルギーに置換。
怪物の体を狙いの中心として幾つも突き立った。
「ガーフィン!」
「生け捕りは無理だにゃー」
「だからその『にゃー』ってのやめろ」
何処か遠いところから鉄パイプを手に入れ、空間を飛び越えて怪物の頭上高くに鉄パイプを設置。
そんな事が出来る相手は決まっている、イントはその相手が無事でいた事に胸をなでおろすと、お決まりとなった愚痴を吐き捨てつつも声のした方向を振りかえる。
「少しは心配してくれた?」
「ああ、お前が居なけりゃ車を此処から降ろせないからな」
「えー、そっち? それ酷くない?」
ピンボケした本音に不満を交えつつも、それが相手の最大限の心使いだと知っていたガーフィンは特徴的な八重歯を光らし、僅かに乱れた前髪を手櫛で戻すと指差しして話題を戻す。
「それで、電気は効かないけど力持ちってだけで死なない訳じゃないみたい」
ガーフィンが指差す先で、怪物は体からいくつものパイプを生やしたまま地面へ崩れ、そのまま声も上げずに沈黙。
光っていた目は明度を失い、真っ黒な節穴へと変化していく。
「っつうか、これ出来るんだった早くやってくれよ、そのせいで俺はな……」
そう言い、左掌をガーフィンに見せてぼやき、思い出した様に走る激痛に眉を歪めるイント。
「まぁさ、流石に動き回ってる相手にあれは無理だからさ、イントがなんとかしてっくれるかなって?」
「つまり俺は囮だと?」
「まぁそんな言い方も出来なくは……ひゃぁ!」
誤魔化す様に笑うガーフィンの頬を抓むと、一音ずつはっきりとした口調で語りかけるイント。
「ごめんなさいは?」
「ふぉふぇんなふぁい!(ごめんなさい)」
「まぁ良い、お前が無事な……」
目元だけは笑っているが、明らかに苛立っているイントの声に脂汗を浮かべつつも、引っ張られた頬を動かしなんとか謝罪をする、そして満足がいったのか、手を離してくれたイントに曖昧な笑みを浮かべつつも、僅かに赤くなった頬を撫でつつ再び怪物の方向を向く。
だが、その時イントが自身を許してから手を離したのでは無く、それ以外の理由で手を離してくれたのだと悟った彼女は、目を見開き息を飲む。
イントと彼女が見つめる先、そこには地面に転がる鉄パイプと、怪物が踏み荒らした地面はあったが、肝心の怪物の姿が何処にも無い。
「ガーフィン、あいつを何処かに運んだか?」
「そんな事するわけ無いでしょ……」
先ほどまでは間違いなく目線の先に居た怪物の姿は、傷口から流した大量の血液と共に消え失せていた。
「幻覚でも見てたのか……俺達……いや、二人揃ってはありえんか」
ぼそりと呟きつつも、怪物が投げ飛ばしたスポーツカーが突き立った廃墟を見て、それは見当違いな想像だと再確認するイント。
小高い土砂の山やあちこち穿ったアスファルト、それらは間違いなく先の怪物が存在していた事を証明していた。
「逃げたか……?」
「それは無いんじゃない? あの怪我だったし、そもそも動かなくなったのイントも見たでしょ?」
「まぁ確かに……だがそれなら一体何が……」
あまりにも予想外過ぎた出来事だったが、今こうして考えていても答えが出る気がしなかった。
「考えるよりさ、まずはその手……どうにかしよっか?」
そう言うガーフィンは、ポケットからハンカチを一枚取り出すと彼の左手に巻き、車に乗る様に指差しをして口を開いた。
「まだ『道中が重要?』」
「いんや、怪我をしたんだ、サクッと帰りたい」
右手で扉を開くと、運転席に腰かけたイントに笑みで答えると、ガーフィンは車に手を当てたまま力を行使した。
「ってのが一連のやり取り、状況は分ったかにゃ?」
「それ何て映画?」
「映画じゃ無くてノンフィクション」
そう屋上で呟いたガーフィンは大げさにふくれっ面を作り、ドレス姿のクーナに背を向ける。
「まーたこれだよ」
クーナは毎度毎度の事に呆れて見せると、慣れた仕草で煙草を一口吸い込んでから目を細める。
年齢もへったくれも無い彼らにとって、クーナの子供の外見のまた外見以上の意味を持っていないのだが、それでもぱっと見は物ごころついたばかりの子供がゆっくりと紫煙を吐いてる姿を見ると気が引ける。
とはいえ、本当に物ごころついたばかりの子供が、好き好んで煙草を嗜む訳無い。
「大体さぁ、そんな非科学的な事ある訳無いでしょ?」
「ふん!」
短くなった煙草を足元に転がっていた缶にねじ込んで処理すると、腕組みするなりクーナは答える。
だが、ガーフィンはそんな彼の一言い大げさに鼻を鳴らして抗議。
「あの……ひとついいですか?」
「ん? おっぱい揉んでいいの?」
「……はぁ?」
初対面の相手と言う事もあり、控え目に手を上げ会話に割り込んだカフゥに、クーナは何を悟ったのか当然と言った具合で不自然過ぎる返答を返すのだが。
そんな無邪気な邪気に、カフゥはまるで路傍に落ちた小石か、それ以下の物を見る様に冷めた視線をぶつけて制する。
「ガーフィンさんが言っていた怪物なんですけど、証拠みたいな物って無いんですか?」
「あー、さっきも話した通り、そう言うのは一切無いんだよにゃー」
「でも、見落としただけで何処かにその証拠になる物とかあったりしませんかね、本来あった筈の物が突然消えるなんて事は無い筈だから」
そう言い、不意にある考えが浮かんだカフゥは、傍で不貞腐れて、胡坐に頬杖の姿勢で居たクーナの方向を見つめる。
その視線に気が付いたのか、クーナはぱっと表情を明るくて視線を返す。
「クーナ、お願いが……」
「何!? 着替えるの!? 分った見てる見て――」
「違う」
脊髄反射で紡がれる変態発言を、同じく脊髄反射で返すカフゥ。
色々と生活が代わり何かと苦労している様だったが、クーナの扱いに関しては完璧なまでの対応が取れる様になっており、その点に関して彼女は随分とこの世界に順応出来た様子である。
「えー、生で下着姿見たい見たい見たい見たいよぉ!!」
「踏むぞ!」
「寧ろ踏んで! 是非踏んで!! はぁはぁ……」
さらりと『生で』と付けてるあたり、クーナが日頃自身の力を使って何をしているのか明らかではあり、そんな彼に制裁を加えようと利き足を宙に浮かすのだが。
今度は呼吸を荒くしてから地面に背を付けて仰向けになるクーナ、何が嬉しいのか小さな顔には全力で恍惚の表情を浮かべている物だから余計に厄介だ。
「ひぃっ! 気持ち悪い!」
すんでの所まで振り下ろされていた足を上げると、数歩後ずさり悲鳴を上げるカフゥ。
その時、彼らが居る場所へ通じる扉が開かれたため、一同はその方向を向くと予想通りそこにはイントが居た。
「クーナ、話は聞いた……っていうか、何寝転んでんだよそんな所で」
「スタンバイ!」
「意味分らねぇよ……」
目深に被ったフードの下、イントは小さく疑問符を浮かべると会話に割り込む。
「クーナ、全体スキャンを今直ぐしてくれ」
そう言うイントに、利き手を上げて返事を済ますと、落ち着いた様子で口を開いた。
「それはもう終わったよ、結論から言うと、二人が居た場所にこれと言って不自然な物は無いね。
確かに二人がいたであろう場所はあちこち壊れてるけど、それ以外に怪物の死骸みたいな不自然な物は無いんだし」
「はぁ? ちょっとまて、あんな巨大な生き物が消える訳無いだろ、っていうかどれだけ小さな証拠でもお前の力なら――」
「何も無かったけど、だからと言って証拠になる物が無いとは言って無いよ。
あの壊れ方は二人だけでそう簡単に出来る物じゃ無いし」
そう言い、自信気に人差し指を立てるクーナ。
彼が言う通り、直接的な証拠が無くとも、何かが起きた場合は形跡は残る。
たとえば土の地面を踏んだ靴が見当たらなくとも、地面には確実に足跡が残る。
その足跡に石膏でも流し込み、固めてしまえば地面を踏んだであろう靴の靴底と寸分たがわないレプリカを作る事も容易だ。
つまり、怪物事態は見つける事が出来なくとも、破壊された物を詳細に調べればその存在は露わになるのだろう。
「ただ、それでもあまりに不自然だよ、結果は確実に残っているのにその状況を生みだした著本人が一切見当たらない。
ガーフィンが言った通り、奴をイントが見つけたであろう場所から続くは足跡があるのに、そこまでに続く足跡が何処にも無い訳だし」
「まて、どういう意味だ?」
「だから、怪物は突然降って湧いたみたいに突然発生したみたいて事!」
本人としては納得してるようだが、いまいちな表情を浮かべるイントに対し、クーナは上体を起こしながらそう答える。
「どういうことかと聞かれても、こんなのは初めての事だから上手く説明できないよ」
手を左右に広げて見せるクーナ、外見こそ子供の(更に言うと変態の)それで頼りないのだが、このような時に彼の判断力はとても頼りになる。
だが、そんな彼でもこの事態はあまりにも予想外らしく、何処か膨れた様な表情の下、彼がこの瞬間手に入れた全ての情報からあり得る可能性を探りだしていく。
「降って湧いた様な……もし二人が見た怪物が幻覚の類だとしたら……」
「二人揃って? それは無いでしょ?」
クーナが口に出して呟いた可能性を、ガーフィンが軽く否定する。
そもそも幻覚など一人の人間の妄想が生み出すものであり、その影響も等の本人にしか出ない。
だが、クーナは小さく首を振ると突貫工事で作り出した仮定を持ち上げる。
「幻覚と言うか幻影と言うか……ホログラムみたいな物を作り出す力なら」
「それなら地面に空いた穴は……そもそもそんな力ならお前の力で簡単に見破れるだろ? そもそもそんな力を持った人間は居ない訳だし」
そんなイントの問いに、予め用意されていた可能性を提示する。
「そのホログラムってのが唯の光の屈折なら確かに見破るのは簡単だよ。
でも仮に、その力が人の心を操る様な力ならこの限りじゃないのかなって。
もしそれなら、僕の力の目を盗むこと位簡単でしょ? それで散々怪物が暴れまわる幻影を見せて、その後で地面に穴を開けたりしてそれっぽい証拠を残すとか……
もしかしたら今僕が確認している光景そのものが幻影の可能性だってあり得るでしょ?」
クーナの言った仮定は一見突飛な様にも聞こえるが、仮に人の心を操るタイプの力があればそれは可能だ。
自身の認識範囲を天文学的な規模まで広げるクーナの能力、だがそれはあくまでも感覚を広げるだけであり、感覚そのものを操られていた場合はどうしようも無い。
それはテレビモニター越しにニュースの中継を見るのとよく似ている、基本はあり得ない話ではあるのだが、テレビに映る景色を誤魔化し嘘の情報を流す事は容易だ。
被害現場の前に行き、肝心な所を隠して撮影すればいいのだ、もしくはもういっその事巨大な屋内セットを組んで、その中で出鱈目な中継を放送するだけで簡単に人は騙せてしまう。
「ちょっとまって、じゃあ仮にそんな力を持ってる人が居たとして、一体何のためにそんな事を?」
「だからあくまでも今の話は仮定の一つに過ぎないよ」
「一つって、他にって他に何が?」
そんなガーフィンに、クーナは指を二本立てて見せると口を開いた。
「ざっと考えた分だけど、残る可能性はあと二つ。
一つは、その怪物は何処か別の次元から現れて、またふと元居た次元にワープした。
つまりは、そこが何処なのかは分らないけど、僕の力の範囲外にまで一気に逃げた可能性」
「それは無いだろ」
「だよねぇ……それじゃもう一つの可能性。
怪物が死んだ直後、怪物を構成していた成分の組成が変化した場合。
たとえば水や氷ならその質量を認識しやすいし、それ故に見つけるのが容易だけどさ。
仮に水蒸気になってしまったら、その全体量を見抜くのは難しいでしょ? 目に見える訳でも無いし」
冷たいイントの声など初めから想像の範疇だったクーナは、小さく頷くと最後の仮定を提示した。
だが、一同は小さく首を振ると、その可能性を揃って否定する。
「死んだ途端怪物が蒸発したって事か?
それ無いな、仮にそうだとしたら俺達が直ぐに気が付く」
「そうだにゃー」
「そのにゃーってのやめろ」
自身の記憶を思い返しつつ、ガーフィンの相槌に慣れた様子で突っ込みを入れるイント。
「まぁ、なんにしててあの怪物が一体とは限らない訳だし、全員に知らせといた方が……」
「それは駄目、っていうかもう少し待って」
そう否定を入れたのは、クーナだった。
彼は眉間を押さえて何かを考えた後、その理由を説明した。
「イントの言ってる事を信じない訳では無いけど、明確な証拠が無い状態で下手気に騒いだら、不要な混乱を招いてしまうからね」
その言葉に、一瞬眉根を寄せた物の、適当な返答が浮かばなかったイントは鼻を鳴らすと黙り込んでフードを被り直す。
「まぁ兎に角さ、今日の所は一時解散って事で……」
淀んだ空気を正す為か、クーナは指を鳴らすとカフゥに向き直り指をわきわきと動かし始める。
その指の動きからして、どうやら彼は両手で何かを揉もうとしてる事は明らかであり、その意図が読めたカフゥは一歩、また一歩と距離を置くと一目散に逃げ出した。
「っておいお前ら……ったく……」
唐突なその動きに呆れつつも、イントは頭を掻くと治療が終わった腕を見つめ、そして溜め息一つ吐いてから屋上を後にする。
元々烏合の衆を体現した様な集団なだけあり集合は苦手だが、こうして解散するのだけは皆得意だった。
「シュレティンガーの子猫ちゃんは何処に行こうかにゃー」
ガーフィンと言えばそんな事を呟きつつ空間を飛ぶと、何処かのバイク屋に足を着く。
「どんなのが良いのか分らないけど……こう言うのはフィーリングだよね」
彼女にとって乗り物など無用の長物なのだが、何を思ったのか彼女は店の中に展示されていたバイクを見回すとその中の一台に目を留める。
「綺麗な色……」
彼女が見つめる先、そこには夕焼け色の塗装が施された一台のオフロードバイクが鎮座していた。
内面は大人のそれ、というか子供ではあり得ない程ハイレベルな助平であるクーナだが、実際に彼の体は子供のそれと同じであり。
肺活量や筋力もまた子供のそれと同じだ。
結果、勢いよくカフゥを追いかけグラウンドに飛び出したクーナは、息を切らすと適当な段差に腰を置き呼吸を整える。
「休憩……はぁ……」
何処で手に入れたのか、無駄に露出度の高い服を着ている為にそれなりに涼しいとは言え、やはり今の気候の下ではそれなりに汗ばむ物だ。
クーナは懐から煙草を一本とライターを取り出すと、一服を始める。
「カフゥ足が速いよぉ」
小さく愚痴り、視界に彼女の姿が無い事を確認すると小さくぼやく。
勿論、彼が力を行使すれば簡単にカフゥを探し出す事は可能なのだが、初めから彼女を追いかける事が目的では無かったクーナは、口から紫煙を吐き出しつつ空を見上げて物思いを始める。
「何処からやって来た……か……」
視界をふわふわと漂う煙、決まった形態すら持たず風に流されるそれだが、突然空虚に表れる物では無い。
彼が手に煙草を持っているように、どんな物にも出発点は存在するのだ。
だが、イントが言った怪物に出発点は存在しなかった、あるとしたらあまりにも不自然な途中経過のみだ。
砂漠の中心に一つだけ足跡が残されてい居る様な違和感。
立ったひとつの足跡を残す為でも、そこに行くまでには幾つかの痕跡が生まれるはずだ、だが、その足跡に出発点も終着点も存在しない、降って湧いたかの様に唯一組の足跡が残されただけだ。
どうやって証拠を消したのかは不明だが、その足跡を残した存在は、まるで別次元から瞬間移動したかの様に、たった一つの足跡だけを残して再び消えた。
「……ん?」
コンクリート製段差に腰かけたまま、短くなった煙草を揺らすクーナの耳は、草木が揺れる音を拾った。
「なんだ、お前か」
彼が一瞥した先、そこには一匹の猫が居た。
夜の闇を押し固めた様に、頭から尻尾の先まで黒く染まった体のその猫は、クーナにとっては顔なじみの存在だった。
「残念だけど、今は食べ物持ってないよ?」
そう言い手の中に食べ物が無い事を証明したクーナは、猫が口に何かを咥えている事に気が付いた。
それは小さな小鳥だ、空を飛ぶ事が出来ない猫がどのように捕まえたのかは不明だが、小さな体で精いっぱいの抵抗を示している辺り、少なくともその鳥は猫が自ら捉えた物なのだろう。
「まーただ、そんなの自慢げに見せられても困るんだけどな……」
その光景を目の当たりにして、クーナは小さく眉を寄せる。
猫と言う生き物は気まぐれな物であり、時折こうやって自分の手柄を自慢する為、獲物を生きたまま捉えて人の前に差し出す事がある。
猫としては自己顕示欲を満たされるのだろうが、それを見せられる側としてはあまり気持ちが良い物では無い。
「ほら、逃がしてあげなよ」
そう言うと、軽く手を振って猫に指示を出すクーナ。
その言葉が伝わったのか、それとも単に顎が疲れただけか、猫は口を開くと鳥を解放する。
だが、鳥は既に羽が折られていたのか勢いよく羽ばたくものの、空を飛べずに地面の上で転がる。
そんな鳥を哀れに思いクーナは手を伸ばして掴もうとするのだが、それよりも早く再び猫が飛びかかり、その首根っこに噛みついていた。
「ああっ! ったく逃がしてあげれば良いのに……」
小さく悪態をつきつつも、しょうがない事だと諦めて溜め息を吐くクーナ。
自慢をしてるつもりなのだろう、視界の隅であえて見せびらかす様に猫は鳥に噛みつくと、そのまま羽をむしり始める。
そんな血生臭い光景から目を逸らすと、短くなった煙草を一口吸い込み短く煙を吐き、黒猫に当てた愚痴を呟く。
「ったく自慢する為とは言っても、どこから捕って来たんだい?……これだから気まぐれな猫は――」
そこまで言った時、ふと脳裏を考えが過りそのまま硬直をする。
それから二呼吸程時間を開け、横で鳥を食べる黒猫の姿を見てからクーナは鼻を鳴らすと、煙草を地面に押し付けて独り言の続きを繋いだ。
「まさかね……」
いくら何でも突飛過ぎる考え、だが、理屈としては破綻が無いその考えを鼻で笑いつつも、胸の奥に太い釘が刺さる感覚を覚えるのだった。
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