白い悪意 中
「とは言え……全然諦める気無いみたいだな」
イントはバックミラーを覗きこむと、そこに映る白い怪物を見てぼそりと呟く。
先ほどから結構な速度で車を走らせており、いい加減あの化け物は追いかける事を諦めると思っていたのだがそうはいかないらしい。
「だから飛ぶ?」
「いやまだだ……って言うかちょっと試したい事があるんだよな」
ガーフィンはいい加減現状に飽きたのか、溜め息交じりの言葉を紡ぐがイントは首を振って答えると、自身の運転する車と後ろを走る怪物のおおよその距離を把握。
ガーフィンに対して短く警告を伝えると、少しだけハンドルを切りサイドブレーキを引いた。
元々オンロード用では無い上、速度もかなり出ている。
案の定車が履いていたタイヤは、慣性の法則を押し殺す事が出来ずに白煙を上げてスリップし車体が真後ろを向く。
だが、初めからその事が狙いだったのかイントはギアを切り替え、タイヤを逆転させると後ろ向きに車を走らせた。
「ぎにゃぁ!! ……っちょと何を……」
あまりにも乱暴すぎる運転と、横なぶりの力に揺られ扉に鼻をぶつけた事に対して吐かれた彼女の抗議だったが、イントは忙しなく運転したまま視界を駆け抜ける景色に狙いを付けて軽く念じる。
刹那、イントが先ほどタイヤ痕を残した道路の中心に、肉眼でも確認できる程強力な電撃が生まれた。
乾いた木材が爆ぜる様な、甲高く乾いた音が響く視界を睨みつけ、イントは小さく鼻を鳴らす。
「はっずれー」
「外したんだよ」
大抵の生き物なら痛みを感じるよりも早く絶命させる一撃、だがその電撃は自身に危害を加えようとしている白い化け物には当たらず、何もない虚空で爆ぜていた。
だがそれはイントが狙った事である、本来この力はイントにとって、自身の体以上に精密に扱える力だ、その気になれば確実に対象を焼き切れる電撃をあえて狙いを外して放っていた。
「一応警告だけはしとかないとな」
何を考えているのか、そもそも通常の思考回路を持ち合わせているか定かではなく、そこの癖して明らかに自身の命を奪おうとした怪物、その気になれば電撃を浴びせて殺す事は可能なのだが、流石に何の前振りも無くは気が引けた。
だが、目の前で炸裂した脅威に対して何の警戒も見せず、長い8本足を蠢かせて走る怪物の姿を目の当たりにして自身が行った警告は無駄だと悟ると、イントは力を行使する為に再び意識を向ける。
「あーもう、知らないからな……」
再び耳障りな音と共に目の前に電撃が生まれ、その余波は道の左右に肩を並べて鎮座していた家々の窓ガラスを砕く形で吸収される。
だが、ガラスを割ったのはあくまでも余波に過ぎず、イントが意識して破壊しようとした相手、それは目の前の怪物だった。
そしてその予想通り怪物の中心、丁度赤く光る眼頭の辺りで生まれた電撃は間違いなくその身を焼いたはずだったのだが……
「おい……嘘だろ……」
イントはペダルを踏み込んだまま僅かに焦燥感を滲ませる。
「今手加減した?」
状況が上手く理解できていないのか、ガーフィンはそんな質問を投げる。
実際イントは力をある程度制限していた、そもそも際限がない力だ、仮にこの星を丸ごと焼き尽くすつもりで力を行使した所で、ある程度の『加減』をしている訳であり。
先ほど使った力も間違いなく『加減』して行使された物だ、だがその加減は相手に対してではなく余波で自身の車が故障しない様にする為である。
つまりは、自分の命を狙う怪物の身を案じたつもりなどなく、寧ろ生き物に対して使うには明らかに余剰な力の筈だった。
その筈なのに、目の前の怪物は何事も無かったかのように走り続けている。
「あーもう、本当にどうなっても知らないからな!」
バックギアのままでこの怪物と同じ速度は出せないらしく、車と怪物の距離が縮まっていく中イントは焦り混じりに再び力を使う。
その力は先ほどの比では無い、道幅一杯に白い光の壁が生まれ、発生した熱により通りの左右にあった家々は赤い炎を吐き出す。
急激な温度変化によりアスファルトは溶け、その下にあった地盤の水分は急速に気化、ポップコーンの様に道がはじけ飛び黒い固まりと土煙が視界を完全に覆う。
それは生き物相手どころか、相手が重戦車だろうが高層ビルだろうがお構いなしに破壊する程強力だった。
イント自身も此処まで完膚無きままに道が破壊されるとは思っていなかったのだが、これだけやれば相手も無事では済まないだろうと少しだけ安心しすると。
彼は僅かにため息を吐いてからアクセルを緩める、まさにその瞬間視界が陰った。
「っく……!!」
明るい太陽光を遮ったのは、雲でも無ければ空を舞う鳥の影でも無い。
それは爆散した地面が生んだ土煙、その中から現れた白い脚だった。
節足動物のそれに良く似た足の付け根、そこには赤い光が二つ光っており遅れて子供の鳴き声の様な不気味な音が響く。
間違いなくあの怪物は生きていた、だが何故か?
そんな逡巡をする間も無く、イントは脊髄反射でハンドルを切ると繰り出された一撃を紙一重で回避、目の前のアスファルトに穴が穿たれ爆薬が爆ぜた様な音を響かせた。
「なんで効かないんだ……くそ!!」
イントは更に追い打ちで放たれた一撃を、ハンドルを左に切って回避。
激しく悪態をつきながらも更に電撃を放つがやはり結果は同じだ。
怪物に間違いなく命中した一撃は想定通りの力を放ち霧散、だが肝心の相手は初めからそのような事無かったかの様子で、更に攻撃を重ねてくる。
そして怪物が立て続けに放った3回目の攻撃、それを回避した際にタイヤが縁石に乗り上げてスピン、幸い道が広かった為それ以上何かに接触する様子は無かったが。
制御が効かなくなった車の中で、イントは全身の血が凍りつくのを感じる。
横滑りを起こす車に対し、怪物は情け容赦の無い一撃を放っていたからだ。
「ガーフィン!!」
珍しくイントが放った悲鳴にも似た罵声、その声は砕かれた地面の断末魔によってかき消された。
新たに生まれた土埃、その中から迷彩柄の車が飛び出す事は無く、怪物は駄目押しとばかりにもう一撃を加えるのだが。
何か異変に気が付いたのか怪物は動きを止め、埃の中を真っ赤な双眸で見据える。
街を抜ける穏やかな空気が茶色い土埃を何処かへ運び、絶対的な破壊が繰り広げられた箇所を露わにするのだが、そこに車の姿は見当たらない。
「最初から頼れば良いのに」
「色々順序ってのがあるんだよ……」
ばつが悪そうに呟くイント、『彼は車に乗ったまま』建物の屋上に乗っていた。
丈夫そうな建物を狙った結果なのか、イントの車が乗っている場所は怪物が見下ろせる範囲では一番真新しく丈夫そうな物ではあったが、流石に軽い大衆車ではなく重たい軍用車だ、みしみしと音を立てているのが気になるが、贅沢は言えない状況である。
「にしても、本当にあれは何なんだよ、規格外にも程があるぞ」
「規格外なのはあんたのビリビリも一緒だけどね」
ガーフィンは先ほどの騒動により車内に散乱した荷物の中から、イントが愛用していた双眼鏡を手に取ると、100メートル程先で血眼になって辺りを覗う怪物を観察する。
「あれさ、どうしてイントのビリビリ受けても平気なのかな?」
「まぁ魚なんかとは違って多少耐性はある事は想像ついてたが、それを考慮しても丈夫すぎる。
それにあの馬鹿でかさにあの怪力、あんな生き物自然に存在する訳ねぇし、かといって自然じゃ無けりゃ誰がどうやって作ったんだか……」
イントが見つめる先、白い怪物は何かいらついているのか、自重を支えているには不自然な手足を振り乱し、道端に放置されていたスポーツカーを殴りつける。
巨体とは言え大して太い訳でも無い足に殴られた車は、外装はおろかフレームまで大きく歪ませると、耳障りな金属音を上げゴムボールの様に空を舞う。
「おいおい……高い車をまぁ贅沢に……」
砲弾の様に宙を舞い、数十メートル先にあった二階建ての家に直撃し、家と共に瓦解していく光景を見て溜息を吐く。
排気量の割に軽量な車体が売りとは言え、先ほど怪物が殴りつけたのは車である事は間違いなく、少なく見積もっても1トンはある車体をあの怪物はやすやすと放り投げ、更には自分の力も通じない程強固な体を持っているのだ。
「あれさ、箱庭までついてきたら厄介じゃ無い?」
「厄介とかそういう次元じゃないだろ、お前やカルヴェラは良いとして、その他は……」
頭の中であの怪物が校庭で暴れまわる様を想像して身震いをするイント。
素早く動け怪物から距離を取ることが出来る人間なら良いが、クーナやメグの様な能力の人間にはあの怪力をあしらう術が無く。
イントの様にこの世界では不要とされがちな、攻撃力に特化した能力でも歯が立たない相手なのだ。
「まぁ、ステイシスの力使えば良いだけか……」
イントはフードを深く被り直すと少しだけ思案し、何か上手い考えが浮かんだのか、ガーフィンに向き直り口を開いた。
「ガーフィン、あいつを捕まえよう」
「……っにゃぁ!!?」
偶然なのか狙ってか妙な声を上げて驚くガーフィンに、イントは冷静に説明をした。
「奴の性質を調べる為だよ、俺達が逃げるだけなら大して難しい話じゃないけど。
もし奴が一体だけじゃなくて、別の個体がある日箱庭に行ったらどうなると思う?」
「それはまぁクーナの力があるから先に対処すれ……あ!」
そこまで言った所で何かに気が付き、間が抜けた声を上げるガーフィン。
クーナの力は探知だ、バクテリアの一匹でも探知できる精度を持つ彼の力なら、これと言って労せずにあの怪物の接近を見抜く事が出来るはずだが、探知できるだけでは何の解決にもならない。
何故なら、あの怪物に対する対処法が分らないからだ。
「そう言う事、だから奴をとっ捕まえて色々と弱点を探るぞ」
「なるほどにゃー」
「だからその『にゃー』ってのやめろって……とりあえずお願い出来るか?」
「うにゃっ!」
刹那、ガーフィンの姿が消え、車内にはイントが一人だけ取り残される。
「さてと……」
イントはシートベルトを外すと、重い腰を浮かして車から出て双眼鏡に構える。
その視界の先に、突如として大量の土砂が出現した。
「激しいな……」
しかもその量はダンプカー一台や二台に乗りきるほど量では無く、両サイドを家に塞がれた道に沿って流し込まれて小高い山を形成する。
勿論その時、土砂は道の中心で暴れていた怪物にも降り注ぎ、一緒に飲みこんでしまう。
ロープや鎖で縛らせてはくれない相手、ならばもっと別の方法で拘束してしまえばいい。
それがガーフィンの出した考えだった、水の中では動きが緩慢になり、厚い布団は体にまとわりつき動きを拘束するのと同じで。
体にぴったりとまとわりついた土砂は怪物の動きを制限、どこの山から持って来たのか不明な土砂は、一瞬にして怪物の棺を形成した。
「つうか、そんな事やったら死んじまうんじゃねぇか……?」
双眼鏡に映る簡易的な山、その頂上Vサインを構えて笑うガーフィン、何処か満足げな彼女の表情を驚きよりも呆れから来る溜め息を吐いて眺める。
「まぁいいか……生き埋めにしたらなんとかなると……」
当初の予定とは大きく外れたが、それでも結果オーライな為文句は言わないでおこう、そう思った矢先予想外な変化に襲われた。
「……っ! 逃げろ!!」
予兆をいち早く感じ取ったイントは警告を飛ばすが、距離が距離な為に聞こえなかったのか、聞こえてはいたが反応が遅れたのか。
どちらにせよ突如爆砕した土砂に彼女の姿は飲みこまれ、大量の土煙が宙を舞っていた。
「……ガーフィン!!」
塀の傍、に駆け寄り仲間の無事を確認しようと再び双眼鏡を覗き込む。
しかし舞い上がる土煙の中、土砂の中から体を引きあげる怪物の他に、動く物は見当たらず、イントは全身の血液が急速に凍り付く感覚を覚える。
土砂に埋もれ動きを束縛されていた怪物には、まだ力の余裕があったらしい。
自重の何倍もあるであろう圧力にさらされていた怪物は、腕を振り乱して土砂を払いのけると咆哮を響かせる。
まるで火山の噴火の様に飛び散る土砂、その衝撃に巻き込まれたであろうガーフィンの姿は見えないが、ただ事ではないのは間違いないのだが逡巡している暇は無い。
ガーフィンが土砂に気付き、何処か遠い地へ避難出来ていたら良いのだが、そうでは無かった場合が心配だった。
力は本人の意識があるときにだけ行使される、つまり本人にその意識が無い状態、つまりはこの時ガーフィンが気絶でもしていた場合、彼女の運命は決定付けられる。
「気まぐれ子猫なら自力で避けろよ……」
小さく呟くと、イントは怪物へ向けて電撃を放つ、しかしその力は先ほどまでのとは違い、酷く弱い物だ。
「無駄ではあるけど、気を引くくらいには使えるみたいだな」
イントは近くに居るであろうガーフィンの為、ごく弱い力で電撃を放った訳だが、肝心の怪物の注意を引くには十分な効果があった。
白い怪物は真っ赤は双眸を此方へ向けると、長い八本足で地を掻き此方へと駆け寄る。
「んでどうするかだな……戦うにしてもあいつにはどうも電気は効かないみたいだし……」
ぼそぼそと所属不明な余裕を吐き、頭を掻いて辺りを見渡すが、実際ははそんな余裕などイントには無かった、ガーフィンの力に頼ることが出来ない現状において、イントは今居る屋上から逃げ出す術など無いのだ。
車を置いて逃げるにも、この建物から降りている最中に建物ごと破壊され自分はがれきに押し潰されるだろう。
かといって、電撃の効かない相手に自身の能力は一切効かず、カルヴェラの様に銃器を持ち歩く趣味も無い。
「これって結構……やばいかもな……」
言葉に出して初めて、自身の血の気が失せて目眩すら感じるのを覚えるイント、そうこうしている間にも怪物はどんどんと距離を詰めており、そう長い時間を使わなくとも相手はこちらに辿りつくだろう。
ガーフィンの身が心配ではあるが今はそれどころでは無い、自分の身の危険を顧みず怪物の気を引いたは良いが、案の定今度は自分が絶体絶命の危機に陥ったのだ。
「……くそ……仕事しろ脳味噌」
後ずさりしつつもそう吐き捨てて深く深呼吸をする、そして辺りを見渡し何かこの危機的状況を打開出来る物が無いかと目配せすると、意外な物に目が留まった。
彼が今居る屋上には、設置途中のソーラーパネルが幾つか置かれており、その隅には使いかけで放置された工具類やパネルの土台の材料が並んでいた。
「いけるか……? いや、理論上なら……」
イントはそこに放置されていた、ボルト数本とコイル状に巻かれた銅線を手に取り屋上の端、怪物が良く見える場所まで駆け寄ると巻かれた銅線を左手で構え、その穴から怪物を覗きこむ。
「一時的とは言え土砂で動きが止まったって事は、物理的な力は影響するって事だろ?」
呟いたイントは、右手でボルトを掴み銅線の傍まで持ってくると電気を放つ。
その電気の向けられた相手は、怪物では無く左手に持っていた銅線だ。
コイル状に巻かれた銅線に電気は流れ込み、瞬間的に強力な磁場を発生させ、イントが右手に持っていたボルトを吸い込み、反対側から吐き出す。
原理としてはコイルガンと呼ばれる物だ、大量の電気を円を描いた回路へと流し、その時発生した磁力で金属を投擲。
一部のマニアの間でのみ、少々物騒な玩具として好まれるていたそれを、イントは自身の扱う規格外な電力で必殺の武器として転化させた。
どれほどの電力が込められたのか、イントが持っていたボルトは音速すら超えた速度で放たれ、宙を舞う。
その時に空気を裂き、音の壁すら裂かれた為、破裂音にも似た轟音が響き渡る。
だが、その場の思いつきで作られた武器には、威力こそあれど命中精度は無い。
元々空気抵抗の大きな形だったボルトは大きく弧を描くと、怪物の体では無くその傍にあったトラックに直撃、その車体を貫くと隣に立っていた電柱をへし折る形で動きを止めた。
予想外な威力ではあったが、目的の物に当たらなければ何の意味も持たない、とは言え初めから一発で当たるとは考えてはいなかったイントは、持っていた他のボルトを用意するが、顔を歪ませて銅線を取り溢す。
「……くぁ……」
突然襲い掛かった激痛は、銅線を握っていた左手から広がる、その箇所を見てみると、銅線と触れていた箇所が焼けただれ、その原因を生んだ銅線は独特な刺激臭を放ちながらその皮膜から煙を上げていた。
イントは自身の電力の制御は正確に行っていた、だが電気が銅線を通る際に生まれる熱までは考慮していなかった。
一般的に銅線はその電気抵抗の低さから電線として利用され、大量の電気を流しても熱を発しにくい筈なのだが、イントの放った電力はその想定を大きく上回り。
一瞬だけ走ったその電力に銅線は発熱、ゴム製の皮膜を焼き切りイントの左手までも焼き焦がしたのだ。
だが、今そんな事を気にしている余裕は無い、イントは持っていたタオルを左手に巻くと、未だに高熱を放っている銅線を掴み上げる。
しかしその一連のやり取りが命取りだと悟ったのは次の瞬間だった。
銅線を構え狙いをすました時、彼の目の前には例の怪物が居座り、そして長い腕を振りかぶっていた。
対してイントは、右手に持っていたボルトを銅線の前に持ってくるだけで、確実に怪物に対して強力な一撃を与える事が可能ではあったが。
自分が利き腕を動かすよりも、怪物が腕を振り下ろす方が早いとだろう、そう悟ったイントは、自身の死を生まれて初めて覚悟するのだった。
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