白い悪意 上

 彼らが住まう学校には幾つかの呼び名が存在する。

 勿論単に『学校』と呼ぶだけでも意味は通じるのだが、それだけでは味気ないとの理由から幾つかの愛称が生まれ、その一つに『箱庭』と言う名前も生まれた。

 その呼び名の通り、学校の中は、一歩も外に出る事無くとも生活が出来る空間となっていた。

 雨水をろ過して飲み水を作り、ごみ処理は焼却場で。

 花壇には野菜が青々と茂り、屋上の一部に設置された太陽光温水器を使えば、暖かいシャワーだって浴びる事が出来る。

 しかし、そんな箱庭でも手に入らない物が幾つか存在する。

 それらの多くははちり紙にや燃料、電池に洗剤などと言った消耗品の類だが、一部の住人がそれらをもぬけの殻になった世界から拾い集め、この場所に持ってくる事でこの箱庭は機能していた。

 そして今現在、学校のグラウンドの中心に止められた迷彩柄の車両、その車の持ち主の担当していた作業がそのような生活用品の確保であり。

 定期的に荷物が満載になった車で此処にやって来たイントは、少しだけ面倒臭そうにするものの、周りからの称賛の声にまんざらでも無い反応を見せるのがいつもの事だった。

 このやり取りはずっと昔から続いてきており、これから先も一切の変化無く続くと思っていたのだが今回は少しだけ違った。

 まず、その車がやって来る日時だ。

 通常月に一度の頻度でイントは箱庭へやって来ており、一週間前に箱庭を出発した彼が帰って来るのはずっと先だと思われていた。

 しかし、彼は今現在何処かの遠くの地からこの場所に戻って来ており、そんな彼の帰還方法が二つ目の相違点だ。

 イントが普段の足として使っている車両は元々軍用に設計された物であり、明らかにオーバースペックなエンジンと足回りから生まれる走破性能はそこらの車の比では無い。

 砂地だろうと岩場だろうと、浅い小川だろうと平然と走り抜け、目的の場所へ人と物を運ぶその車両だが、突如空間そのものを割いて姿を現す機能は持ち合わせている訳が無い。

 「あれ何ですか?」

 カフゥは突然現れた車両、その車内から姿を現した二人の人物を見て、小さく疑問の声を上げる。

 しかしその口調に驚きの色は含まれていない、何故ならその現象を引き起こせるであろう人間の存在を知っていたからだ、その人物の名前はガーフィン、彼女は空間を飛び越える力があると聞いた。

 だったら、遠く離れた場所から車と共にこの場所へ空間を飛べば、今目の前で起きた現象は用意に起こせる筈であり、最初こそ驚いたものの口を開いて紡がれた疑問符は別の方向に向けられていたのだ。

 「分らない……でもイントがガーフィンの力に頼るとなると……」

 隣でその一部始終を見ていたクーナは、相変わらず変態衣装(今日は矢鱈と露出の高いドレス姿)のまま顎に手を当て考え込む。

 何処で手に入れたのか、水商売でお馴染みの衣装をそのままスケールダウンした様な服、それを纏った彼の服装を見ると否応なしに突っ込みを入れたくなるのだが、つい最近その欲求を抑え込む術を身に付けたカフゥは、彼が言おうとしている事を予想する。

 「僕が思っている以上にあいつは変態だからね、幾ら瞬間移動が出来る人と一緒でも、律義に車での移動に拘るんだよ」

 前半部分はそのまま自分自身への悪口に使える言葉を交えると、クーナは咥え煙草のまま車の運転席から姿を現した男を指差す。

 彼が指差したのは、フード付きのジップパーカーを頭から被ったイントだった。

 彼はグラウンドへ慌てて駆け寄るステイシスに、何か大声で話しかけているのだが、その声は屋上に居た二人の元へは届かない。

 「何て言ってるの?」

 「『可愛い可愛いクーナちゃんとお話をしたい!』だって」

 色々と着色された言葉を紡ぐクーナの頭を、カフゥは情け容赦無く持っていた古本で打つと、自身の力を使って彼が言っていた言葉の意味が大体合ってると確認する。

 「痛いよぉ」

 「黙れおっさん」

 能天気な反応を示すクーナを軽くあしらうと、口元に手を当ててイントとステイシスのやり取りに意識を向けるカフゥ。

 「ねぇクーナ、白い化け物って何?」

 「知らないよぉ……」

 まだ打たれた脳天が痛むのか、何処で手に入れたのかも不明なフリル付きのスカートを揺らしつつ、呻くように紡ぐクーナ。

 「兎に角……ガーフィン! こっちこっち!!」

 やっと痛みが引いたのか、彼は手すりの傍まで歩み寄り大声でガーフィンを呼ぶ。

 すると、視線の先に居たガーフィンの姿が突如消え、不意に真後ろから彼女の声が響いた。

 「やぁ、君は新入り君かな?」

 「……! えっと、はい、カフゥって言います」

 カフゥは突然の事に他所は驚きつつも、振り返ると軽く会釈を交えて挨拶を済ませる。

 ガーフィンとしては新入りが一人や二人増える事は、今さら大した出来事でも無いらしく、ホットパンツのポケットに突っこまれていた腕を引き抜き、軽い仕草で握手を求める。

 「よろしく、周りから聞いているかもだけど、私の名前はガーフィン。

 持っている力はさっき見た通り、遠出したい時はいつでも呼んで」

 「はぁ……」

 今まで出会った誰よりもエネルギーが満ち溢れた彼女の言葉に押されつつも、カフゥは小さく頷き彼女の手を掴む。

 「それでなんだけど……クーナ」

 「……」

 予備動作も無くクーナに話しを振るガーフィンだが、何か気に食わないのかクーナ自身は首を振りそっぽを向く。

 そこへ更に修正を加えた言葉を投げかけた。

 「クーナ『ちゃん』 お話出来るかにゃ?」

 「……何!? ガーフィンおねぇちゃん!!」

 ドングリ眼を宝石の様に輝かせ、元気よく振り返るクーナ。

 ここまで来るともはや突っ込み入れる事すら馬鹿馬鹿しくなり、大きく溜め息を吐くカフゥ。

 ガーフィンと言えば、言葉の最後に何故か『にゃ』と付ける辺り、現状をまんざらでも無い具合で受け止めている様だ。

 「私達、と言うかビリビリが私と一緒に帰って来た地点で大体は見当ついてるだろうけど、一応説明するね。

 物品調達の最中、ちょっと予想外な事が起きたの」

 不意に声色を硬くすると、腕組みをするガーフィン。

 何処か子供の様な、山の天気の様に気まぐれな彼女の表情から作られる独特な雰囲気、表面上は楽しげだが、その中に僅かばかりな畏怖が込められた彼女の言葉は、今回の物語の始まりから順を追って説明された。






 「っつうか何時までついてくるくるんだよ……」

 「良いでしょ? 別に私の好き勝手なんだし」

 「あのな、これは俺の車なんだ」

 運転席に腰かけ、人っ子一人居ない山道で車を走らせるイント、そして彼の隣の席に腰かけ、持っていたクロスワードパズルを解くガーフィン。

 「『俺の車』? それはおかしいね、この車はビリビリのじゃ無くて、どっかの誰かの。

 何処かに置いてあったのを勝手に拾って自分の物にしただけでしょ?」

 持っていた雑誌から目をずらすと、前を向いたまま僅かに頬を歪めるイントを見つめて小さく笑うガーフィン。

 そんな彼女の態度が気にくわなかったのか、イントはカーブに差し掛かる時に急ハンドルを切る。

 必要以上に大きく切られたハンドルに合わせ、車体は大柄な体を大きく揺らして方向転換、慣性の法則に引っ張られ中に乗っていた荷物が荷台の上で跳ね、助手席のガーフィンは元々踏ん反り返った様な不安定な姿勢だった為、車の窓ガラスに顎をぶつけて呻く。

 「ちょっと! イント……」

 「ああすまん、『俺の車じゃないから』上手く運転出来ないんだ」

 小さく皮肉を言うと、イントはギアを一速落として目の前に広がる下り坂へ車を進める。

 エンジンブレーキを効かせつつ坂を下る車体の中、イントは頭上に広がる真っ青な空を窓越しに眺め、どこか明後日の方向を思い溜め息を吐く。

 その真意を知ってか知らずか、ガーフィンは持っていた雑誌を車のダッシュボードへ投げ込むと、僅かに痛む頬をさすり口を開いた。

 「それにしてもいい天気」

 「あんたなら何時だって晴れてる場所に行けるだろ」

 「そりゃあね、私は好きな所に現れる、シュレティンガーの子猫ちゃん」

 「その『子猫ちゃん』ってのいい加減やめろ」

 相変わらずなガーフィンの様子を横目に見ながらギアを一速上げると、嫌味を込めた言葉を紡ぐ。

 「大体な、毒ガスと一緒に箱に詰め込まれたいのか?」

 「それは唯のシュレティンガーの猫、私はシュレティンガーの子猫、似てるけど違うのだにゃー!」

 「やばい、こいつうぜぇぞ……」

 ぼそりと聞こえるように独り言を紡いだイントは、目の前に伸びた坂道を前にしてアクセルを踏む足に僅かに力を込める。

 「今の聞こえてたんだけど?」

 「聞こえる様に言ったんだよ、つうかなんだその子猫ちゃんって……また変な本でも読んだのか?」

 「いんや、これは私の哲学! 私ってさ、好きな所に何時でも行けるじゃん?」

 「なんでこんな所に居るのかは不満でしかないがな」

 何を今さらと言いた気に、イントは鼻を鳴らすと代用品の皮肉で感所の問いに答える。

 ガーフィンの力は瞬間移動、どれだけの距離があろうと好きな時に好きな回数空間を越えて足を踏み込む力を持っている。

 箱庭に関係を持つ人間の間でも、三本指に入る程強大かつ実用性に長けた力を持ったガーフィンは、自身の説明を済ますとそこから自分の考えの説明を始めた。

 「まぁそんな事言わないでさ、そんな私の力なんだけどさ、好きな時に好きな場所へ行けるって事は、この世界の全ての場所に私が存在してるって事なのかなって」

 「意味分らねぇよ……」

 イントは低い音で唸るエンジンの振動を感じつつ、車の速度計を確認してから口を開いた。

 「大体、早く移動出来るのと何処にでも存在出来るは別もんだろ」

 「そうかにゃ?」

 相変わらずな様子でとぼけるガーフィン、普段から好き勝手な場所へ飛びまわり、いざ探そうと思うと何時まで経っても見つけられないその横顔は、子供の様に幼気に見えた。

 彼女は元々音楽を生業にしていた人間なのは事実なのだが、彼女には音楽以外の趣味があった。

 そのもう一つの趣味でありアイデンティティーは読書だった、普段の言動からは予想しずらいが、彼女は元々活字が好きであり普段一人の時は良く本を読んで過ごしている。

 暇があれば古本屋(普通の本屋にある本は全て読み終えた為)に飛び目ぼしい本を読み漁り暇な時間を消費し、ふと気が向いたらベースギターを抱え一人で演奏している。

 「つうか、そんな好き勝手に好きな場所へ行ける奴が、どうしてこんなローテクな乗り物に乗ってんだ?」

 「気まぐれ子猫は好きな所で好きな事をするものでしょ?」

 小さく笑い、狭い車内で伸びをするガーフィン。

 彼女の言葉が事実なら、この車内が今現在ガーフィンにとって過ごしやすい場所らしいが、この車は軍用車両だ。

 走破性と言う点においては右に並ぶ車両は殆ど無いが、その分この車は快適さを大きく犠牲にしている。

 遮音性よりも頑強さと整備性を優先した車体は、無駄にハイスペックなエンジンの駆動音を包み隠さず車内まで飛ばし。

 クッション性よりも生産性を優先して取りつけられた、薄っぺらいシートは否応無く乗員の腰を攻撃する。

 何より、こんな暑苦しい天気なのにも関わらず、この車の空調機能はおまけ程度しか機能していない。

 その理由は単に整備不良と言うのもあるのだが、ちゃんと整備を行いエアコンガスを補充した所で、車内の温度が一度か二度下がる程度だ。

 つまりはそれがこの車の性能であり、初めから快適さなどを求める方が馬鹿馬鹿しい話なのだ、だからこそ何か特別な理由がなければこのような車に乗りたがる人間は居ない。

 「こんな車内を好きだと言う奴がいたとはな……」

 イントは不満気に声を漏らすと、助手席の後ろ、つまりは後部座席に乗っていた水筒に手を伸ばし引き寄せる。

 「あれ? イントは好きで乗ってるんじゃ無いの?」

 「俺が趣味だけでこの車に乗ってると思ったのか?」

 水筒に口を付け、潤った口で不満を漏らすイント。

 「あれ? 違うの?」

 「普通の車じゃ荷物乗らないし、変な所に乗り上げたら一大事だろ、でもこいつならそう言う変な事には気を使わなくていいしな」

 口ではそんな事を言ってみるが、この車はイントの趣味であるのが本音だ。

 いや、正確には彼の趣味が少しずつ変化し、この車を好きになっていた。

 最初こそガーフィンに言った理由から、彼はこの車に乗っていたのだが。

 暑いだの揺れるだのと、散々この車の愚痴を言っているうちに何処かこの車に愛着が付き、いつの間にか握り慣れたハンドルは手に吸いつく様に馴染み。

 アクセルの硬さ、クラッチ版の削れ具合まで手に取る様に伝わるペダルの感触、今となってはこの車は彼の体の延長線上の存在になっていた。

 「みんな車好だねぇ、私にはさっぱりだけど……」

 「お前はそもそも、乗り物必要ねぇだろ」

 横目で呆れる様に呟いたガーフィンを確認すると、それ以上に呆れて言葉を返すイント。

 「つうか……お前ほど便利な力持ってる奴は居ないだろ」

 「あれ? そうかにゃ?」

 「そうだろ、俺の電撃だって、魚とかを取る時しか使わないし、ミグの力にしても、そもそも怪我をしなければいいだけの話しだ。

 クーナに関しては多少便利かも知れんが、ステイシスなんかあれだろ、自分以外の時間を止めるのはすげぇが、止めたところで使い道ねぇ能力だ」

 言葉に合わせ、左足を踏み込みクラッチを外すとギアを一段上げるイント。

 「確かに一つ一つの力はとてつも無いし、何かと戦わなくちゃいけないなんてヒーロー染みた事やるには最適かも知れんが。

 それ以外の事ではまともに使い道もねぇよ」

 「まぁそもそも、戦わなくちゃいけない悪物なんて居ないしね」

 ガーフィンは僅かに汗が浮いた額を拭うと、持っていた本を閉じてダッシュボードに投げ、椅子の下から缶コーヒーを取り出して封を切る。

 「それで? 俺達の中でもトップクラスで便利な能力持ってるガーフィンさんは何故こんなところに?」

 「気まぐれ子猫は好きな所に現れるのだにゃぁ」

 拳を作ったままの手で、頬の横へ持ってくるとそのまま手招きの様な仕草をするガーフィン、そんなあざとい仕草に不満げに声を漏らすと、イントは言葉を繋いだ。

 「だからやめろ、その『ニャー』って奴、幾つだよお前は……

 あと、俺が聞きたいのは、気まぐれにしてもこんな男くさい車にどんな魅力を感じたのかだ」

 イントはガーフィンが持っていた缶コーヒーを取り上げると、元々の所有権を示す様に後付けのドリンクホルダーへしまう。

 「イントのけち」

 「いいやドけちだ」

 イントはガーフィンが封を切った缶に口を付けると、満足げに喉を鳴らす。

 「第一、お前なら自分で好きな所から取ってくればいいじゃねぇか」

 「まぁそうなんだけど、でもさ、人からもらった物ってのが良いんじゃん?」

 そう言いつつ、座席の下にもう一つだけ隠されていた缶コーヒーを取り出すと、悪びれる様子も無く封を切った。

 流石に色々愚痴るのも馬鹿らしいと判断したのか、イントは曖昧な表情を浮かべつつも抵抗の意思は見せず、僅かに蛇行した道に合わせてハンドルを切る。

 道が蛇の様に曲がりくねっており、更に背の高い木々がうっそうと茂っていた為にこれまでは先が良く見えなかったのだが、イントがそのカーブを曲がりきった時、一気に視界が変化した。

 「相変わらず大きな街だ、人っ子一人居ないのが玉に傷だけど……」

 目の前に広がる景色、小高い丘から見下ろした町並みには背の高い木々の代わりに、コンクリートと鉄骨で出来た電柱と送電塔、そしてそれらの間にひしめき合った家々とそこから顔を上げた背の高い商業用の建物。

 体よく言えば閑静な住宅街、体よく捉え無くも、それは唯の住宅街であり人が住む為だけに特化した街並みであり、面白さは微塵も無い。

 だが、色々と違う点があるとすれば、その町は外見上は至って普通なのだが、その町の機能は全て停止している。

 いや、正確には街の機能は殆ど残っているのだが、それを動かす動力源が停止しており、この場合の動力源はこの町に住んでいたであろう人間だ。

 どんなに精巧に作られた道具であろうと、それを動かす動力源が無ければ機能しない。

 電池を抜かれた時計は時を刻まない、水が枯れた川で水車は動かない、風の無い室内で風車は回らない。

 そして人の居ない世界で街は機能しないのだ、この町の様に、この世界から殆どの人間は姿を消し、これまであった文明の証明は唯の遺物として世界に取り残されている。

 「またネガティブなってる」

 「いや、呆れてるだけ」

 イントはハンドルを切ると坂を下り、その街並みへ車を走らせていく。

 途中道端に放置された車を避け、人気の一切無い街の中駆け抜ける車内、僅かな気まずさを孕んだ空気が淀むのだが、それを感じてかガーフィンは小さく溜め息を吐くと、イントへ振り返り特徴的な八重歯を光らせて笑う。

 「さっきさ、イントは私がどうしてこんな車に乗ってるのかって言ったよね?」

 「ああ、気まぐれ猫は好きな所に居るんだろ?」

 「子猫ちゃん!」

 「うるせぇ」

 何のこだわりがあるかは不明だが、ガーフィンは小さく彼の言葉に噛みつくと言葉を続けた。

 「そう、私の好きな場所に居るの」

 「んじゃあなんでこんな暑苦しい車の中に居るんだよ、もっと気候の良い国でバカンスでも楽しめばいいだろ?」

 ぼやくイントに、ガーフィンは少しだ拗ねた表情を見せ、更に言葉を重ねた。

 「まぁ暑苦しいしアレだけどさ、快適なだけじゃ居心地が良いとは言えないでしょ?」

 「なんだ、意味分らんことぶつくさと……」

 イントは暑さに体力を削られたのか、小さく生まれた欠伸を噛み殺しつつぼやく。

 時間は丁度昼過ぎを回った所だ、空から注ぐ光の角度は限りなく鈍角になり、気温も又光量に合わせて上がる。

 クーラーを全開にしているとは言え、元々気密性が緩い扉は冷気を外へ逃がし。

 視認性を稼ぐために付けられた大きな窓からは、肌を刺す様な紫外線が降り注ぎダッシュボードを遠慮容赦無く熱しており、そんな蒸し風呂の様な車内でイントは汗を拭う。

 勿論、イントの場合はこの季節外れなパーカーを脱げば多少は暑さから縁が遠くなるのだが、彼なりの拘りなのか、目深に被ったフードの下イントは一人我慢を続ける。

 「それで? こんな所に今日は何しに来たの?」

 ガーフィンは涼しげなタンクトップ姿で、フロントガラス越しに広がる街並みを見て尋ねる。

 イントは元々箱庭へ様々な生活物資を届ける役割を担っており、こうして遠出を繰り返している。

 とはいえ、箱庭に住んでいる人間が少ない事、そしてその住人が資源を無駄遣いしない事もあり、生活物資の多くは早々数が減らない。

 「たまの散歩だよ、普段はこんな所滅多に来ないからな」

 とはいえ、箱庭で出番が来るまでごろごろと過ごす趣味は彼には無く、目的が無くとも何処かへ出かけ、ぶらぶらと時間を消費するのが彼の性分に合っていた。

 だからこそ、彼は箱庭を出て目的の場所から資源を回収する途中、様々な所への寄り路を楽しむ様になり。

 今となってはこの資源回収の度は寧ろおまけの要素となり、事実上は彼の一人旅の最中、ついでに行われる帰還の為の口実となっていた。

 「散歩って……車だし」

 「物の例えだ」

 少しだけむすっとしながらも、再びクロスワードに目を通すガーフィンを一瞥すると、今となっては機能しない唯の飾りとなった信号機の下でハンドルを切る。

 「でも本当になんでこんな所に……? 散歩にしたってもっと良い所あるでしょ?」

 ガーフィンは雑誌から顔を上げると、相変わらず人っ子一人居ない街並みを見て呟く。

 視界に広がるのは様々な色調を持った住宅、そしてその周りを覆うブロック塀に枯れた針葉樹の様にそびえたつ電柱、そしてそこから蜘蛛の糸の様に伸びた電線。

 相互に繋がれた銅線はどこも異常が無いのだが、今となっては誰も使おうとは考えず、そもそもその存在を利用していた住人は一人も残されていない。

 こうして残されたのは電線だけでは無い、地下を走っていた都市ガスも上下水道も、目には見えない電波による繋がりも全てが機能停止し、帰る事の無い住人を静かに待ち続けている。

 「同じ所を見て回るのでもいいだが、それだどもし新入りがこっちに来てた時大変だろ」

 「あ、成るほど……」

 イントの言葉に対してか、それとも手の中のクロスワードに対してか、どちらに向けられたとも分らない言葉を紡いだガーフィン。

 「……でもさ、それってわざわざ実際にイントが探さなくても、クーナに任せれば良いでしょ?」

 「あの変態か……」

 イントは脳裏に映し出された園児服を着た仲間の、助平心に塗れた愛らしい笑顔を思い出し苦笑いを浮かべる。

 「まぁ……なんだろうな、そう言われると元も子も無いんだが、あいつの力ばかりに頼ってるのも癪なんだよ」

 事実、クーナの力には際限が無く、好きなだけの情報を集める事が出来るのだが、それを処理するのもクーナ一人だ。

 何百と言う監視カメラの映像を一度に見る事は出来ても、それら一つ一つに映っているかもしれない僅かな異常を探すのはそれなりに根気が要るのと同じだ。

 そのためクーナは強い力を持っては要るのだが、その力は常に解放はされておらず基本は彼らが住まう箱庭から数十キロ圏内に限られている。

 「箱庭から数十キロ圏内の人間の、下着の色を常に監視してないで、もっと常日頃から世界中に目を向けてほしいけどね」

 皮肉と言うか、殆どが事実で作られた彼女の言葉を左耳で聞き取りつつ、相変わらずな溜め息を吐いたイントは言葉を重ねる。

 「でも、週一位で『全体スキャン』はかけてるんだろ?」

 「まあねぇ、クーナちゃんああ見えてそう言う所はしっかりしているから」

 イントの言った『全体スキャン』それはクーナがこの世界に取り残された人を探す為に行っている習慣の一つだ。

 この世界に人が連れ込まれる周期は誰も知らない、だからこそ一人取り残された人を救う為、クーナは定期的に全神経を集中させて探しているのだ。

 勿論、クーナにとってこれは多少骨の折れる作業とはいえ、この作業のお陰で大抵の新入りは一人寂しく街中を徘徊する期間がぐっと縮んだ事は称賛に値する。

 「誰かが言ってたけど、変態こそ正義だってのもあながち間違いじゃないのかもな」

 口でこそ嫌っては要るが、イントはクーナの事を信頼しており、外見上は自分よりもずと年下だが、自分よりもずっと様々な事を知っているクーナをある種の目標として捉えていた。

 何より、イントも彼の能力に救われ、そしてガーフィンが彼を受け入れるより早く、クーナはイントへ手をのばしていた。

 「まぁ、ガキの姿で咥え煙草ってのにはあまり関心出来ないけど……ん?」

 特に目的地も無く気の向いた方向にハンドルを切ったイントは、何か視界の隅で動いた物に反応して眉をひそめる。

 「どうかした?」

 「いや……鳥か何かか?」

 イントがハンドルを切った時、ずっと先に続く道の先で何かが見えた気がした。

 しかし、形態すら不確かなその影は、視界の先に並んだ住宅の陰に入り込んだ為、イントにはそれが何だったのか、そもそもどの位の大きさなのかも検討がつかず、適当な仮定で無理矢理納得するのだが、それはそれでイントの興味をそそるものがあった。

 「鳥だとしたら何だ? 結構大きかったよな……」

 イントはアクセルペダルを踏み込み、影が逃げ込んだ先へ車を進める。

 先程の影がそもそも鳥なのかすら怪しかったが、大通りの方へ姿を潜めたその影の正体が気になっていた。

 もともと娯楽に欠けただひたすらに堕落した日々を過ごす彼らにとって、ちょっとした出来事でも十分に興味をそそる物であり、時間に余裕がある彼らはとことん好奇心に着いていく。

 勿論、良くも悪くもその行動は何かしらの出来事を招く訳だが、大抵の場合これらの無駄は良い方向に働くものだ。

 そして仮に追いかけていた対象が凶暴な存在獣だとしても、さしてそれらは問題には成らない、何故ならイントには想像が付く限りの脅威に対して有効過ぎる程の攻撃手段を持っていたからだ。

 「何かと無関心なのに、こんなのは好きなのかにゃあ?」

 「だからその『にゃあ』っての辞めろ」

 イントが小言で答えたのはあくまでも話しの話題を反らす為だ、そしてその意図を読み取ったガーフィンはいたずらな笑みを浮かべると、先ほどの影が消えた方向を指差して口を開いた。

 「それで? 追いかける?」

 「ああ、だけどお前の力には頼らないぞ」

 「どうして、私に任せれば一瞬なのに」

 「こう言うのは道中が大事なんだよ、直ぐに結果が分ってちゃ面白くないだろ……」

 物事で重要なのは結果だけでは無く、そこまでに到達するまでの手間だ。

 勿論手間暇かけただけ結果を手にした喜びが大きいとまでは言わないが、何の手間も無く手に入れた結果など大して意味は無く、その観点からも、イントはガーフィンの力には頼らなかった。

 「のんびり屋さん」

 小さく欠伸をしてシートへ座り直すガーフィンはイントとは逆の考えだ。

 彼女はどちらかと言うと合理主義と言うか、結果論で物事を考える傾向が強く、イントの様にのんびりとした行動は取らずどちらかと言えばせっかちな部類に入る。

 そのため、彼女としてはすぐさま先ほどの影が消えた通りへワープしたいのだが、ここで下手気に動いてはイントの気分を損ねると考え、大人しく座席に身を預けたまま缶コーヒーを啜る。

 「でも、さっきの何なのかな?」

 「さぁな、俺も殆ど見えなかったし、あるとしたら何か大型の鳥だが、それにしては不自然な動きをしてたのが気になる。

 まぁ何にしてもこの角を曲がれば何かは分るだろ」

 イントはブレーキを踏み少しだけ車を減速させると交差点を左折、そしてその先に広がる景色に目配せをするのだが、肝心の物が見えない事に溜め息で抗議する。

 「逃げられたか」

 「ほら私に任せないから」

 「うるせぇ」

 小さく愚痴を言いつつも、まだ先ほどの影がこの近くに居るのではないかと考え、とろとろと走る車の窓へ目を向け、民家の合間に出来た隙間をくまなく探す。

 だが、彼が探していたのは自分よりも小さな、そしてあくまでも常識の範疇で説明が付く存在だった。

 だからこそ、自身の予想を大きく逸脱した、常識の範疇には囚われない存在が視線を横切っても直ぐにそれが何かを悟る事が出来なかった。

 「……!!」

 「きゃぁ!」

 イントは目線を横切ったそれが何かは分らなかったが、言葉に出来ない異様な雰囲気と刺す様な脅威に遅れて気が付いた彼は、半ば無意識にアクセルを蹴った。

 図太いエンジン音で咆哮する車体、そして横なぶりの力でシートに押しつけられるイントは、短く悲鳴を上げるガーフィンを余所に視線をバックミラーに向ける。

 「クソ……!!」

 普段は滅多に使うことの無いミラー、元々対向車も後続車とも滅多に遭遇しないこの世界では、無用の長物でしかないのだが、今回ばかりはしっかりとその性能を発揮してくれた。

 「なんだよ……あれは」

 車内に設置されたバックミラー、その中の景色は巻きあげられた土くれと埃の色に染まっていた。

 この車が走っていた場所が舗装されていない山道だったら納得がいくのだが、此処は間違いなく舗装がされた道だ、仮にオフロードタイヤを履いた車が高速で走り抜けたとしても、大して土埃は舞う事が無い。

 だが、事実として車の後ろには激しい土埃が上がっている、目の良い人間なら直ぐに分るのだろうが、土埃を上げている場所、そこだけは舗装されておらず大きな穴が開いていた。

 なぜなら、車が走り抜けた直後に襲いかかった力に、数層のアスファルトはめくれ上がりその下の地面までも抉れ空を舞ったからだ。

 「掴まってろ!」

 「遅ーい!」

 そうごねつつも、イントの言葉に素直に従って車内の手すりに掴まるガーフィン。

 彼女が身の安全を確保した事を知ると、イントは短く息を吸い込むとギアを一速落として力任せに車体を加速させて背後で起きた異常から距離を取る。

 そしてある程度土埃が落ち着き、視認性が上がった視界に映り込んだ異形を再度見直し、小さく息を飲む。

 「最低な一日だ」

 「同感……って言うかあれ何?」 

 「さぁ、図鑑にも乗って無いだろうな、あんなSF小説でしか出ないような化け物」

 最悪の場合の切り札を持っていた二人は、肉眼で捉えた異形を目の当たりにしつつも、何処か落ち着いた口調でやり取りをしてから再び地面を破壊した異形を睨み据える。

 道を走っていた二人を襲ったその存在は、大きな体を器用に畳み住宅の間に挟まれる様に隠れていた。

 いや、隠れているつもりだったと説明するのが妥当だろう、何故ならその影は物陰に隠れるにはあまりにも大きすぎで、その体はあまりにも目立つ色合いをしていたからだ。

 簡単に例えるなら、それは巨大な白い蜘蛛だ。

 蜘蛛の様な八本の足を備え、体全体には硬い甲羅を覆っている辺り、節足動物のそれとよく似てはいるが、その体は蜘蛛のそれにしてはあまりに大きく、ざっと見ても身長は4メートルを超えている。

 全体的に陶器の様に白く艶があり、全ての足が繋がる胴体の上、眼球に当たる部分にはドリルで開けた様な穴が開いており中から赤い光を漏らしている辺り、何処か人工物の様な雰囲気を持ってはいるのだが、赤々と光る眼の下に付いたサメや狼を思わせる鋭い牙が自身が有機物であると証明していた。

 「つうか気持ちわりぃ」

 その生き物の上げる産声の様な声は否応なしに人の生理的嫌悪感を逆撫でにした。

 そして何より、一瞬でもこの化け物の存在の発見が遅ければ、自分らは車と共に押しつぶされていたと言う恐怖に冷や汗を流すイント。

 「って言うか追っかけてきてるよ! どっかに飛ぶ?」

 「道中が大事なんだよ! とりあえず掴まれ!」

 こんな時でも無駄な拘りを発揮するイントは、タコメーターがレッドゾーンすれすれで揺れている事を知るとギアを切り替え、更に車体を加速させ。

 迷彩柄に塗装されたその車体に何か好奇心を刺激されたのか、たった一蹴りで地面を破壊した化け物は歓喜し、産声の様な声で咆哮すると全速力で地を駆け二人を追いかけるのだった。

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