カフゥの場合 下

 距離と呼ばれる物は長い歴史を経た現在においても、人間にとっては大きな障害である。

 アスファルトの上で作物は育たない、ジャングルでボール競技は出来ない、砂漠では水は汲めない、と言った具合に、何かしらの行動を起こす為にはそれなりの距離を移動する必要が生まれてくる。

 そしてその移動の為に費やす時間は目的地までの距離に応じて伸び、その分貴重な時間を消費する必要が出てくるのだ。

 これは避けては通れない障害であり、目的地までの通行料として支払う時間という通貨をなるべく節約する為、人は様々は移動手段を生み出した。

 それは自転車であったり自動車であったり、飛行機であったり船であったりと。

 動力源や使用環境に関してもばらばらではあるのだが、それでも確かな共通点としてそのどれもが移動に費やす時間を節約するために生み出された物だ。

 つまりは、乗り物と呼ばれる物は文明の結晶であり、人類にとっては切っても切れない存在なのは間違いが無い、とはいえ、彼女等が移動手段としてこの乗り物を選択したのは大きな間違いとしか言えないであろう。

 「……あとどのくらい?」

 カフゥは揺れる車体の上、いい加減ズキズキと痛み始めた腰を浮かして本日数回目の悪態を吐いた。

 「なんだあ、もうギブアップか?」

 そう言う彼女に反応をしたのは、サングラスで目元を隠した若い男である。

 彼の名前はカルヴェラ、空を飛ぶことに特化したその力を誇示するためか、それとも単に車の振動を避けるためか、彼は広い道を走る車の上にへばりつく様に浮いていた。

 「五月蠅い……」

 「なんだよ、だから最初に言っただろ? 俺に任せればわざわざケツを痛める必要なんて無いって」

 そう言い、彼女頭上付近までやってくると、まるで鳥が魚を捕まえる様にだらりと手を伸ばし、彼女の頭を鷲掴みにしようとするのだが。

 彼の意図が読めたカフゥは頭を下げ、更に彼の手を払いのけて口を開いた。

 「やめて! それ怖いから嫌いなの!」

 少しだけ強い意志を込めて発せられた彼女の言葉、それに反応してかカルヴェラは彼女を空に舞いあげる事を諦めると、航空ショーで見る様なアクロバット飛行を単身でやってのけつつ、空高くへと舞い上がる。

 「空飛ぶのは嫌いなの?」

 「嫌いと言うより、流石に怖いでしょ?」

 入れ替わる様に横から響いた声に、カフゥは返事をした。

 その相手は、クーナである。

 彼は相変わらずなスモックに黄色の帽子という姿で、ドングリ眼を輝かせると彼女の言葉に少しだけ頷いてから口を開く。

 「カルヴェラ乱暴だからね!」

 「聞こえてんぞ」

 そんな彼の声に上空からカルヴェラが反論を被せる。

 そもそも彼女等が今現在何処に居るのかと説明すると、大型トラックの『荷台の』上である。

 そのため元々クッション性が良く無いサスペンション越しに伝わる振動は、座席のスポンジに吸われる事もなく彼女の腰に殺到し、結果として荷台に接していた箇所は酷く痛むのだ。

 最初は単にクーナに助手席を譲ったつもりではあったのだが、クーラーがまともに機能しないこの車では流石に暑いと、クーナは助手席に乗ることを拒み荷台に腰かけた彼女の隣に座っている。

 勿論外見が子供な彼の事をカフゥは心配している訳だが、肝心のクーナと言えばひと際大きく車体が揺れるその瞬間を心待ちにしていた。

 「あぅっ!」

 その瞬間は予想以上に早くやって来て、彼は横倒しにバランスを崩して倒れると、しがみ付く様にカフゥの胸元に飛び込む、ついでに言うと必要以上に彼女の体を触ったりしている。

 外見上は幼い女の子の姿をしているが、その外見の下に、常人では歯の絶たない助平心を放し飼いにしている彼にとって、揺れる車体はストレスの元では無く、助平心を満たす絶好の機会なのだ。

 「大丈夫?」

 「うん、ありがとうカフゥお姉ちゃん」

 そう言い、表面上は非常に無邪気で愛らしい笑顔をするクーナ。

 もし彼女がクーナの心を読む力でも持っていたのなら、この瞬間絶叫して彼を放り投げかねないのだが、幸か不幸かカフゥにそのような便利な能力は備わっていない。

 「ちゃんと座って無いと危ないよ」

 そう言うカフゥに、再度抱きつくクーナ。

 ついでに言うと彼は彼女の胸元に顔を擦りつけ、小さな手で彼女の色々な個所を撫で回したりしているのだが。

 外見に惑わされているカフゥは小さく笑うだけで抵抗の意思を一切見せない。

 「こうしてたら大丈夫だね!」

 自分にしがみついたまま、そう言うクーナを眺めて小さく笑うカフゥ。

 先ほどのカルヴェラの説明が色々と気にかかってはいたが、それでもとんとん拍子で話が進む為か、不安だった気持ちは幾分和らいだのか幾分表情が明るくなっていた。

 その事が嬉しいのか、それともクーナの本心が読めているのか。

 カルヴェラは空から彼女等のやり取りを眺め、小さくほくそ笑むと視線を前方へと向ける。

 視線に合わせるように鼻へ届く潮の匂い、そして耳元で囁き始める波の音。

 その事にカフゥが気付いたのはそれから数分後、走っていた車が急停車し、慣性の法則により転がり後頭部を硬い鉄板に打ち付けた時だった。

 「ぎゃ……うう……何?」

 「着いたんだよ!」

 硬い物に頭を打ち付けた彼女とは対照的に、柔らかい物に後頭部を押しつけたクーナは元気に声を上げると、立ちあがり車の前に広がる景色を指差す。

 彼女等が辿りついたのは海だった。

 それもかなり綺麗な砂浜であり、水平線の先には何も見えなく柔らかな風の元、水面は心地よい音を立てて波打っている。

 「それで急に……っていうか、だからと言って急ブレーキする事な……」

 数時間ぶりに見る海の景色、未だに状況を飲み込めていないとは言え、自身の身の安全が保障された上で見る景色はオフィスワークをして一日を過ごしているカフゥの目にはとても新鮮であり、何よりも綺麗だった、その為運転手へ向けて放たれた悪態はちゃんとした形を持つよりも早く別の語句へと置きかえられた。

 「綺麗……」

 「でしょ? この海とっても綺麗なんだよ!」

 そう言い荷台から飛び降りると、太陽に照らされ熱く焼けたアスファルトに着地してカフゥに手を伸ばす。

 勿論身長の低い彼の手では高い荷台の上に乗った彼女までは届かないのだが、一応クーナに合わせて状態を伸ばし、その小さな手を掴もうとするカフゥ。

 その時、運転席側の扉が開く。

 開けたのは先程まで車を運転していたステイシスであり、立て付けが悪いのか力任せに開かれた扉は、先ほど荷台の外に身を乗り出していたカフゥの側頭部へ直撃。

 元々無理な姿勢で身を伸ばしていた彼女は、突然襲い掛かった衝撃と視界に火花を写す程の激痛に呻き、荷台から転げ落ちてしまう。 

 「あ、あの、その……大丈夫ですか?」

 「……うう……大丈夫……」

 口元を手で覆い、心底心配してくれるステイシスの為にも、口では無事と伝えつつアスファルトの上で悶えるカフゥ。

 「痛いの痛いの飛んでけー」

 そんな子供騙しを口にしながらカフゥの頭を撫でるクーナ。

 その背中に、やや心配した様なカルヴェラの声がかかる。

 「大丈夫か? あれならミグ連れてくるが」

 「大丈夫だよ、怪我をしてる訳じゃないからね」

 「そうか?」

 「大丈夫、血流とかには異常ないよ、少しだけ神経が傷ついただけだから数分もすれば痛みは引く」

 その瞬間だけ妙に大人びた口調になるクーナ、彼にとっては彼女の怪我の診断など、子供向けの絵本を読むよりも簡単な行為なのだが。

 どうやってそのような行為を行ったのか分らないカフゥは、頭に疑問符を浮かべつつ僅かにこぶが出来た個所を押さえる。

 「?……どうして分るの?」

 「んあ? ああそうか、こいつの能力知らなかったか、こいつはな……」

 「自分の事なんだから自分で説明する!」

 勝手に紹介をしようとしたカルヴェラが気に食わなかったのか、口を尖らせたクーナは、カルヴェラに手を引かれ立ち上がるカフゥに説明を始めた。

 「クーナの特技は、どんな事でも知ることが出来る事だよ!」

 「いや……そんな簡単なのじゃ分らねぇだろ」

 如何にもと言った具合に、仁王立ちのポーズで構えて自慢気に言ってのけられた言葉に、溜め息で答えたのはカルヴェラであり。

 その言葉に補足を加えたのはステイシスだった。

 「あの、私が補足します……

 その、クーナさんの力と言うのは、何か他の物に影響を与える様な力は無いんです……その……なんと言いますか。

 クーナさんの力は、自分が周りから影響を受けやする物でして……具体的に良いますと、クーナさんの力は、自身へ第六感を与える物なんです」

 「第六感?」

 明らかに自分よりも幼い相手に対し、何故か敬語混じりで話すステイシスの言動は気になったが、それ以上に彼女が言った力の詳細が気になったカフゥは、話を進める。

 「はい……クーナさんは私達が持っていないもう一つの感覚を使って、この世界中全ての出来事を認識することが出来ます」

 「それって透視能力みたいな感じ?」

 「もっと凄いんだよ!」

 頬を膨らませてカフゥの言葉に噛みつくクーナと、まどろっこしい一同のやり取りにしびれを切らして説明を始めるカルヴェラ。

 「透視と言うか、千里眼や超感覚って所だろうな。

 単に遠くを見れる、物を透かして見えるってだけじゃなく、透明だったり小さすぎたりと肉眼ではどうやっても見えない物の形をはっきりと認識し、熱すぎたり冷たすぎたりする物の感触すら得る事が出来る。

 だからこいつには一キロ離れた密室に居る女の下着の色を言い当て、この海を構成している元素の電子一つ一つの数まで正確に数える事だって出来る。

 言ってしまえば、こいつは際限無く高性能なセンサーって所だな」

 「それで……か……」

 なぜ瞬時に彼が自分の怪我の状態を診断し、的確な診断結果を出せたのか理解出来て頷くカフゥ。

 問題があるとすればこの力を持っているクーナの件だ、彼は先ほどステイシスから借りた服へ着替えるカフゥの姿を数枚の壁越しに鑑賞し。

 今現在も彼女の下着姿を透視して内心鼻の下を伸ばしきっているのだが、生憎その事に一番の当事者は気が付いていない。

 勿論、そんな事まで想像がついていないカフゥを気の毒そうに見つめつつ、それでも今あネタばれをしても面白くないと曖昧に歪んだ表情を正して、話を進めるカルヴェラ。

 彼は海の方向を指差すと、物憂げに口を開いた。

 「それで早速だが、今回俺達はこいつの能力を魚群探知機の代わりに使うわけだ。

 そして魚が沢山潜んでいる場所が分れば俺の力で魚を集めてこの車へ乗せるんだが、流石に力に際限が無いとは言え、魚一匹一匹を肉眼で確認できなきゃ俺の力で空へ持ち上げる事は不可能。

 だからこそ、今回は新入りであるお前の出番だ」

 「そこはまかせてください」

 何故か逆立ちの様な姿勢で宙を浮いたまま、上下逆になった視界のまま状況を整理するカルヴェラ。

 そして自信気に返事をするカフゥ。

 二人のやり取りを見届けてからかクーナは海のある一帯を指差し、元気に声を上げた。

 「あそこにお魚さんの群れが居るよ!」

 「わかった」

 クーナの指示で座標を決めたカフゥは、その区画で力のごく一部を解放する。

 火花が散る訳でも大量の熱を発する訳でも無い彼女の能力、しかしその能力の影響を受けた個所で刹那、魚雷でも爆発したかの様な水柱が立ち上り何も無かった水平線は綺麗な虹で彩られる。

 先ほど説明した通り、彼女の力は光や熱を発生させる攻撃的な物では無い。

 しかし使い方を工夫すれば水中で爆発を起こす事だって可能なその力、その詳細を再度思い返し、予想以上な影響に鼻を鳴らすカルヴェラ。

 「『音』って凄いんだな……」

 「一応は空気の振動だから、増幅しただけであのくらいの衝撃にはなるみたいですね」

 少しだけ自慢気に言ってのけるカフゥ、水中で炸裂した激しい震動、それが彼女の扱える能力の一端だ。

 正確には彼女の力は音響操作、大気や液体の振動によって伝達される音の情報。

 それを意図するままに操り、時には水が爆発するほどの大音響を発生させ、更にその余波が関係無い場所まで伝わる前に音を消し去る、それが彼女の力だった。

 とはいえ、何故彼女が水中でその力を行使したのかが普通は疑問に思う所だが、その理由が直ぐに分る。

 「お……結構いい感じに浮いてくるもんだな」

 徐々に落ち着きを取り戻す水面と、浮かび上がる気絶した魚の群れ。

 カフゥが起こした水中での爆発、その時の衝撃により水中を泳いでいた魚はショックを起こしたのだ。

 原理としては発破漁と同じだ、水中で大きな音を立てて魚を気絶させる。

 違う所としては、通常の発破漁はその名前の通り何かしらの爆薬を水中で炸裂させるのだが、今回はそのような事をせずに水中で元々響いていた波の音を増幅させた位だ。

 「でもこれって本当はやったらいけない事ですよね?」

 カフゥの言葉通り、発破漁は生態系を破壊する為に禁止されている漁だ。

 だが、彼女があえて『本当は』と付け足した通り、この世界にこの行為を咎める人間は居ない。

 「まぁ大丈夫だと思いますよ、私たちが食べる分の魚はそんなに多くは無いですし、多少の事をやっても……その、自然の力の方が上回ってます。

 それに、今まではもっと強引な事をしてた訳ですし……」

 先ほどの扉の件が気にかかるのか、どこかおどおどとした口調で話す。

 彼女の説明通り普段同じように魚を取る時は、イントの電撃を水中へ流して魚を感電死させるのだ。

 大きな音を立てるのと、尋常ではないほどの電撃を流す事、どちらがより自然を破壊するかと考えれば、答えは容易に出る。

 「まぁそう言うことだ、魚荷台に移すからちょっとそこ離れといた方がいいぞ」

 一人納得をするカフゥを余所に、カルヴェラは空に舞い上がると先ほど水柱が起きた場所へ急行。

 そして能力の枝を伸ばすと、水面に浮いていた大量の魚を宙に舞わせる。

 「それにしてもすごい量、ちょっとやりすぎたかな」

 ガーフィンに続いて鳥の群れの様に空を舞う数えきれない程の魚の群れ、それを見て自分の目測の甘さを痛感するカフゥ。

 彼女としては人数分の魚が取れれば良いと思ってたのだが、どうも人間が環境破壊をしなくなった為か、魚はあまりにも多い数が水中に潜んでいたらしい。

 勿論魚の運ぶことはカルヴェラの力もあるため大した労力では無いのだが、全ての魚が冷凍庫に入るとも思えず。

 かといって燻製や干物にするにも、これだけの数を一度に捌くのは想像するだけでげんなりする。

 だが、そんな事を考えた時、一つ大きな問題が待っている事に気が付いた。

 それは……

 「あ……! 電気使えないんだっけ?」

 この世界に人はごく僅かしか居ない、家電の類は適当に拾えば良いが、それでもそれを動かす電気が何処にも無いとなれば大問題だ。

 だが、ステイシスは殊更驚いた様子も無く、口を開いた。

 「あの……それは大丈夫です、冷蔵庫よりも鮮度を保つ方法があるので……」

 相変わらず申し訳なさそうだが、それでも何処か自身に満ちた表情を浮かべるステイシス。

 恐らく彼女の言っている保存方法と言うのは、皆が持つ能力の事なのだろう。

 そうなったときに二人の人間の能力ではないかと見当が付く。

 一人目の検討は、カフゥの足を直したミグだ。

 彼の能力は『怪我の治療』では無く『異常を無かった事にする』だ、つまり食材の腐敗を異常だと捉えるのなら、その異常を無くせば腐敗した筈の食糧は全て新鮮な状態に元通りになる。

 だが、幾ら何でも一度腐った物を食べようとは思えない。

 だとしたら今度は、噂だけで聞いたもう一人の能力者、ガーフィンの能力だ。

 彼女の力は瞬間移動だ、つまりこれらの魚を何処かの雪山の頂上に運べば下手な冷凍庫よりもずっと上手に食材を冷やせる。

 とはいえ、その人物は今現在何処か遠くに旅立っており、こちらから呼び寄せる事は不可能である。

 となると、第三の能力が鍵となる。

 つまりは、今まで出会った中で唯一力を行使していない人物、ステイシスだ。

 「もしかしてあなたの力で?」

 「はい……私の力を使えば鮮度はばっちり保てます……その、冷蔵庫や冷凍庫以上に!」

 やはりその通りだった、ステイシスは長い黒髪を揺らすと、ぼんやりと開かれた幸の薄そうな瞳を輝かせる。

 しかし、彼女の力に見当がつかないカフゥは頭を悩ませる。

 最初こそ彼女の力が冷却系の何かだと思っていたのだが、冷凍庫よりも鮮度が保てると言った辺り、恐らくそれ系の力では無い事は明らかだ。

 だとしたら何なのか、その疑問を解くためにカフゥは質問を重ねた。

 「あなたの力はどんな物ですか?」

 すると、その質問を待ってましたとばかりにひと際目を輝かせ、珍しい事にはきはきとした口調で言葉を紡いだ。

 「それはですね、私は『時間を止める』事が出来ます!」

 「……ん?」

 彼女の自信満々の言葉、だが幾ら何でもその力はあまりにも突飛であり、一思いに彼女の言葉を飲み込めなかったカフゥは首を傾げてしまう。

 「時間を止められるんです!」

 「えっと、それでどうやって魚を保存?」

 「魚の時間を止めるんです!」

 「……はぁ……」

 どんな物にしても、物質が劣化する一番の要因は酸素や細菌では無く、時間の経過だ。

 どんな環境だろうと、時間の経過が無ければ腐敗や劣化はしない、だからこそ魚の時間を止め、食べたいときだけ時間を動かせば新鮮な魚が食べられるのだ。

 だが、それはあくまでも机上の空論としか言いようがないのだが。

 「ステイシス、あれ見せてあげてよ」

 だが、不意に口を開いたクーナの言葉。

 そしてその後に起きた現象によって信じざるを得ない。

 カフゥの感覚では一瞬にも満たない出来事だった。

 目を閉じた瞬間すら、吸い込んだ空気を吐きだした記憶すら無く、視界に広がる景色が一変していたからだ。

 まずは目の間に広げられたドラム缶を改造して作ったバーベキューコンロとその上に乗せられた先ほど採った魚や肉、そしてそれらを焼く炭火。

 何が起きたのか分らず辺りを見渡すと、視界に映るのは海やそこへ続くアスファルトの道では無く、数十分前に出発した筈の学校の景色だった。

 更に言うと、この場所にはクーナにカルヴェラ、ステイシスにミグと、勢揃いしている。

 「あれ……?」

 もしかしたら瞬間移動の類を受けたのかとも思ったが、ゆっくりと地平線に身を沈めて行く太陽を見て、単純な移動では片付かない出来事であると知る。

 先ほど海に居た時、その時はまだ昼過ぎであり太陽はずっと高い場所にあった、だがテレビのチャンネルを切り替えるように景色が切り替わると、太陽は低い場所まで降りてきている。

 明らかに時間も経過している、だが自分の感覚では一秒たりとも時間は経過していない。

 「これって……」

 「はい! 信じられた?」

 そう言い、視界の隅からクーナが姿を現す。

 彼も時間の経過に合わせてか、服装が変化しており今はパジャマ姿だ。

 「何が起きたの?」

 「お前単体の時間を止めただけだよ」

 それに答えたのは、日が暮れかかってもなおサングラスを外さないカルヴェラだった。

 彼はコンロの火を火ばさみで突きつつ、状況が飲み込めていないカフゥへ言葉を重ねる。

 「好きな範囲で彼女は時間を止める事が出来るんだ、だから今回そのデモンストレーションを兼ねて、あんたの時間を止めた、そして飯の準備が出来たから再び時間を動かした。

 良かったな、準備する必要も無く飯にありつけるんだ」

 突然の言葉に目を回してしまうが、カフゥは深く深呼吸をするとその状況を飲み込む。

 今現在でも時間を止めるなんて力が信じられないが、信じるしか無く僅かに痛む頭にその事実を書き加えていると、クーナが手を引いてきた。

 どうやら立ったままの彼女に座ってほしいのか、カフゥをパイプ椅子の方へと招き、端の欠けたコップを差し出す。

 「ありがとう」

 「早く座って座って!」

 戸惑いつつも椅子に座った彼女の膝に、今度はクーナが飛び乗る。

 「ここがクーナの特等席!」

 元気にそう言ってのけるが、そのやり取りを見てカルヴェラが小さく笑うと、彼女が持っていない新たな情報を差し出す。

 「なぁ、いい加減可愛そうだから説明するが、そいつ男だぞ」

 その一言に目を見開くカフゥ、そして膝の上に座ったままのクーナの顔を覗き込むと、驚きを隠せない様子で彼女は口を開いた。

 「え? 女の子じゃないの?」

 「えへへ、クーナはねぇ、男の子なんだよ」

 クーナは今更といった具合の質問に明るく答えると、短い脚をぶらぶらと揺らして彼女に笑顔を向ける。

 とはいえ、正直な所カルヴェラとしては、クーナが男である事実よりももっと重要な事を知らせたつもりだった。

 だが、そんな事まで頭が回っていない相手に溜め息を向けると、良く噛み砕いてから説明を重ねた。

 「あんたさ、力を手に入れてから自分の体に変化があった事に気が付かなかったか?」

 「変化……? あ、歳を取らなくなるとか?」

 「それだ、全ての力を持った人間は、自身の力に目覚めたその瞬間から歳を取らなくなる、と言うか成長すらしなくなるんだ」

 「それがどうかしたの?」

 彼なりにかなり丁寧に説明した筈だが、それでも意味がよく理解出来ていないカフゥは首を傾げるばかりだ。

 そこでさも呆れた表情を浮かべた後、カルヴェラは最後の説明をする。

 「つまりだ、あんたの膝の上に居るガキ、そいつは見た目上は唯の女の子だが。

 中身は少なくとも俺と同じかそれ以上年寄りの男だって事、そしてそいつの力は透視、今現在もお前の下着姿を吟味して、更にあんたの胸に顔を埋めたりしてエロ本脳むき出しにしてるんだよ」

 長々と紡がれた彼の言葉、それを聞き終えると全身の産毛を逆立て硬直するカフゥ。

 ばつが悪そうに目を背けるクーナ。

 そのやり取りをにやにやしたまま見るカルヴェラ、そして何故かいじけているミグ。

 最後に焼けた肉をフォークで突いて周りの注意を引くステイシス。

「あの……お肉そろそろ良い具合ですよ……」

 彼女は良い具合に火の通った肉の存在を皆に知らせるのだが、その声は説明するまでも無くカフゥの悲鳴によってかき消されるのだった。






 日も完全に暮れ、遠く離れた場所で行われていた歓迎会はそろそろお開きの時間となった頃、一同が魚を取った場所に一つの異変が起きていた。

 勿論この場所に流れた桁外れな大音響の地点で十分異変ではあるのだが、それ以外に起きた異変、それは海の底から姿を見せた一つの存在の誕生だった。

 楕円形の胴体から8本の足を伸ばしている辺り、蟹や蜘蛛と良く似ているのだがその大きさがあまりにも不自然だった。

 極端に大きな訳では無く、その位の大きさの生き物なら幾らでも地上に存在する、だが人とほぼ同じ大きさの蜘蛛や蟹など存在しない。

 ましては全身をペンキで塗った様に白く染めている訳はなく、口がある位置には狼や虎が持つ様な鋭い牙を生やしている訳も無い。

 そして何より、光に反射してる訳でも無く自ら赤く光る目を持った生き物など聞いたことが無い。

 勿論、その場所に誰かが居たのなら何かしら驚きの声を上げる筈なのだが、残念な事にその生き物を誰かが目撃するのは、暫く経ってからの事である。

 しかし、遠くは無いその未来に期待してか。

 名前すら付いていないその生き物は明るく輝く月を見つめ、人間の産声と良く似た鳴き声を上げるのだった。

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