空っぽの世界 下

 休日は家からそう遠く無い場所にある湖畔に出かけ、そこでテントを組むと石を集めて作った竈で火を焚き、煤の浮いたお湯でインスタントコーヒーを作り何をするでもなくただゆっくりとした時間を過ごす。

 それがイントにとっては何時も通りの休日だった。

 普段は電子機器に囲まれた事務所内での仕事をしているが、人工物に囲まれる日常からふと解放され、電子機器が刻む規則的なリズムでは無く、流れる水が奏でる不規則だが心地よい旋律が鼓膜を擽る。

 青臭い草木の匂いに空を舞う小鳥の囀りに耳を傾ける僅かなひとときは、忙しない仕事で溜まったストレスを解き解し、心なしか体も軽くする。

 水面すれすれの所へ設置されたアウトドアチェアから足を伸ばし、冷たい水につま先を沈め取りとめの無い空想に浸る。

 これまで何度やってきた、数えるだけで馬鹿馬鹿しく思えてくるほど再三繰り返された習慣、今日の出来事もこれから繰り返される同じ習慣に埋もれ、記憶の片隅にも残らなくなってしまうのだろう。

 丁度そんな事を考えていた時だった。

 不思議な薬を飲んだ訳でも。

 強力な放射線を浴びた訳でも。

 悪魔と契約した訳でも、天使と約束した訳でも無い。

 それなのに何故か『ソレ』が出来ると感じたのだ。

 流水につま先を沈めたまま、手を真っすぐに伸ばしてみる。

 手を伸ばす事に何の意味も無いと知っていた、その時はあえて予備動作をしたに過ぎない。

 そして、彼の思い通りにその現象は発生した。

 流れる流水、その水面で乾いた音と共に光の束が爆ぜた。

 今見えているそれは大して大きくは無いが、それはあくまでも制限された上で発生しているが故であり、本来は視界を覆い尽くすほど強大な物だと知っている。

 なぜなら、その現象を引き起こしたのは他でもなく自分自身だからだ。

 イントは伸ばしていた手をゆっくりと空に向ける。

 するとその動きに合わせ光の束は細く変形し、雷の様に青々とした空に伸び花火の様にその先端を上空で爆ぜさせた。

 その現象は自分が意図した通り、それなりに遠くで発生したのだろう。

 光から幾分遅れて甲高い音が響き、近くの木の葉を揺らす。

 秒速にして340メートル。

 音はそれだけの速度を持っていながら、光と共に発生したにも関わらず自身の元へ届いたのは4秒以上経過してからだった。

 「約1300メートル……」

 初めての事なのに関わらず、一切動揺していない事に自分でも驚いている。

 初めて自転車に乗った時、初めて海を見た時、初めての物を食べた時。

 どんな時でも初めての経験は新鮮であり、少しは眼を見開く筈だ。

 ましてやこんな超常現象を目の当たりにして、そしてその切っ掛けが自分なのにもかかわらず驚かなかった理由、それは簡単だった。

 「呼吸するよりも簡単だ……」

 イントにとってその力は、ごく自然な事だったからだ。

 鳥が空を飛ぶよりも自然な現象、例えるならば魚が水の中で呼吸するのと同じだ。

 意識すら必要無い、呼吸するよりも簡単に扱え自身の体以上に精密に操れる。

 その知識は誰かから得たわけでもない。

 バラバラになったパズルが不意に噛みあう様に、着慣れた服を身に纏う様に、あたりまえな事として自身の元へやってきた知識だ。

 いつか噛みあう合うと分かっていた情報の欠片が、かちりと音を立てて噛み合う事実に驚く人間は居ない。

 着慣れた服へ、どうやれば袖を通せるか悩む人間は居ない。

 それらと同じだ。

 イントはその瞬間、その力が己の認識の届く範囲では一切の際限が無く。

 行使することに呼吸をする以上の労力は必要としない、そんな力を手に入れた自覚があった。

 恐らくその気になれば、自分の居る町を跡形も無く吹き飛ばす事も可能な力。

 だがその事に一切の恐怖を抱いては居なかった。

 自分でも分かっている、この力は『無意識下』だろうと自分の『意のまま』に操れるからだ。

 だが、そこまで分かっても一つだけ分からない事があった。

 「一体何でこんな力が……」

 所属不明の力、それは確かにイントの身に備わったが。

 その力を得た理由だけは、あれから遠い時を経た今でも分からないでいた。






 「確かにね、これだけの力なら世界中の人間も居なくなるのはわかるけどさ、ちょっと悲観的になりすぎじゃないかな?」

 ガーフィンは目前で爆ぜる電撃を見つめたまま深呼吸をする。

 「あんたは良いよな、俺みたいにならなくて」

 「一緒だよ、この町のみんなね」

 ガーフィンは火花へ向け足を進めていく、その距離は数メートルの距離まで迫っていたが、それでも動じる事無く距離を詰めていく。

 「イントの力はさ、使い方を間違えたら危険かも知れないし、理解の無い人からは気持ち悪いと思われてもしょうが無いとは思うよ。

 だけど私も他のみんなも知ってる」

 ガーフィンは持っていたベースギターを地面に置くと、地を蹴ってその火花の中に身を投じる。

 車を一瞬にして破壊した高圧電流、生身の人間が接触すれば骨の芯まで焼き切られ、悲鳴を上げる間も無く絶命するだろう。

 だが、荒れ狂う火花の中ガーフィンは小さく笑って口を開いた。

 「イントは悪い事する人間じゃないでしょ?」

 ガーフィンの周りで爆ぜていた光、それは魚の群れの様にガーフィンを避けていた。

 「そんな風にやった馬鹿はあんたが初めてだよ。

 普通の人間は皆俺の事を怖がり、その火花を見たら一目散に逃げて行きやがる」

 「理解が無いだけだよ、でも私は知ってるからね。

 この力は呼吸をするよりも楽に制御できる、だからイントが望まない相手は絶対に傷つけないって。

 それはこの町に残った全ての人間も同じ、好き好んで誰かを傷つけるなんて絶対にしないっしょ?」

 そう言うとガーフィンは火花の群れの中心を横断し、イントの前にやって来る。

 「まぁ私とイントの境遇は少しだけ違うけどね、でも今はみんな平等、みんなが幸せに笑って暮らせるようにそれぞれ努力してるでしょ?

 そんな人たちが世界から人を消しちゃうかなぁ?」

 「……まぁな……」

 イントは少しだけフードを深く被ると、どこか呆れた様に口端を緩め、電撃を消滅させる。

 この世界に取り残された人間、それらはごく限られていたが、その誰もが揃いも揃って一つの共通点を持っている。

 それがさっきの電撃であり、人々が『力』だの『能力』だのと口々に呼ぶ科学では証明が出来ない現象だった。

 「もしかしてイントさ、もしかしたら自分がこの世界の人間を消したなんて未だに思ってるのかな?」

 フードの先の素顔を覗き込む様に見つめるガーフィン、彼女は息がかかるほどの距離でイントの表情が少しだけ変化したのを見ると、納得した様に鼻を鳴らして後ろを振り返る。

 その視線の先には、先ほどイントが破壊し未だに炎を上げる乗用車があった。

 「確かにさ、私達の能力に際限は無いけけどさ、電気をビリビリさせるだけで世界がこんな事になっちゃうかな?

 世界には一切傷を付けずに、力を持たない人だけを何処かに連れて行くなんて、普通は無理だにゃあ……」

 自身とは角度の違う切り口で紡がれた言葉は、根拠は無いが絶対的な自信を持っており、イントが僅かに眉を吊り上げたのを確認すると、特徴的な八重歯を光らせ笑うガーフィン。

 「楽天的だなあんたは、つうかなんだよその『にゃあ』って」

 「ちょっとは可愛く見えるかなって?」

 「無駄なあがきだ年増……」

 「まぁ、失礼しちゃうにゃあ」

 ハンモックに横たわり、ゆっくりと吹き抜ける風の音を子守唄代わりに聞くイントを指摘すると、ガーフィンは持っていた水筒をイントに手渡してから軽く伸びをする。

 「今度は何処に行く気だ?」

 「なんか眠くなったから家で寝てくる」

 アスファルトの上、無防備に置かれていたベースギターを手に取り帰り支度を始めるガーフィンを、イントは何か大切な事を思い出して呼び止める。

 「そうだ、どうせ帰るなら……」

 イントはハンモックから降りると、そのすぐ傍に止められていた台車の中身を漁ると、何かを取り出して投げ渡す。

 「電池? 切れてたっけ?」

 「クーナの奴、目覚ましが動かなねぇって五月蠅いんだよ」

 「そう、貸しにしとく、シュレディンガーの子猫ちゃんは綺麗な花火が見たいって言ってるにゃあ」

 宙を舞ったそれを危なげなく受け取ったガーフィンは、小さく鼻を鳴らすとギターケースに仕舞い、軽く手を挙げて別れの挨拶をする。

 刹那、ガーフィンの姿は消えていた。

 それは比喩や抽象でも無い、文字通り彼女の姿は消えたのだ。

 つま先から順に色彩が薄れる訳でも、光に包まれる訳でも無く、一切の予備動作も無く。

 初めから存在が無かったかの様に彼女の姿は消えたが、イントは驚くでも無く鼻を鳴らすとハンモックに寝転がり小さく呟く。

 「シュレディンガーの子猫?……ああ、瞬間移動の事か……俺ももっと便利な能力ならマシな扱い受けたかな……」

 彼女は姿を消した訳では無い、この場所から遠い場所に移動した。

 一瞬のラグも発生させず、光よりも素早く望んだ場所へ移動する力、それがガーフィンが不意に手にした能力だった。

 場合によっては傍迷惑かもしれないが、彼女の力はあくまでも移動のみであり、他人を容易に傷つける自分の力とは違う。

 それが自分と彼女の境遇の違いだ。

 彼女の力は他人から羨ましがられ、そして認められた。

 だが自分は……

 「逃げる事はねぇよな……まぁ今更だけど」

 力を手に入れたイントは、最初こそ他人に力を披露した。

 だが、反応は決まって三種類の内のどれかだった。

 一つ目の反応は、その力を見るなりイントから距離を置き、イントを歩く核弾頭として見なして逃げた。

 それ以外の殆どの人間は、遠巻きに害虫や害獣を見るそれと同じ視線をイントに浴びせた。

 そして残されたごく限られた人間は、イントに笑みを見せたものの、その不自然な笑顔の裏で彼らは猫撫で声と大金の用意を始めた、恐らくイントを実験用のモルモットとして飼い馴らす為だろう。

 どの反応も、人間に向けるべき反応では無い。

 周りから向けられる刺す様な視線、それはイントの精神を執拗に傷つけた。

 だからこそ、イントは一人が好きなのだ、向けられる視線を直接受けない様に夏場でもフードを被り、俯き加減を基本姿勢として生活した。

 半ば街の喧騒に隠れた声は、イントの事を陰で囁いた。

 だからこそ、普段はヘッドホンで音楽を聴き他人の声を遮った。

 世界は彼が力を手に入れた瞬間、彼を強く拒絶した。

 だからこそ……

 「だからこそ、世界から人を消しちまうには、動機は十分なんだよな……」

 他人が嫌いなら、やる事は決まっている。

 自身が何処かへ姿を消すか、世界から自分以外の人を消すか。

 その2択の内、イントにとっては後者の方が容易だろう、なぜなら、自分の周り数十センチの所を残して世界を電撃の海で覆えば良いだけなのだから。

 人類が作り出したどんな兵器を用いようと普通は出来ない芸当だが、イントは自分の力を使えば容易にそんな事も出来ると知っていた。

 呼吸をするよりも楽にイントは世界を滅ぼせた。

 じゃあなぜガーフィンの様な存在が居るのか、そんな疑問は考えるまでも無く湧いて出てくる。

 イントが嫌ったのは普通の人間だ、力を持たずごくありふれた日常を送る。

 それと違い、力を持った人間がイントの力を恐れるとは考えられない、もしかしたら自分と同じように他人を嫌い、理解者を求めている場合だってある。

 辛い日常が続くのなら、いっそ同じ境遇の人間を集め痛い所を舐め合い、そして何をするでもなく空の街で協力しながら生活すればいい。

 もちろんそれはイントが前々から考えていた妄想に過ぎず、実行に移した記憶は無いのだが、その想像通りの日常を送る様になると、考えが変わる。

 この世界を生み出したのは、自分なのかも知れないと。

 もちろんその結論はどう足掻いたとしても出てくる事は無い事位、イントは60年以上前から知っていた……






 この世界に住む人間が持つ力の性質は個人差が大きい。

 イントの様に電撃を生むものから、空を飛ぶもの、空間を飛び越える物、傷を癒す物と多種多様なそれらどれ一つとして同じ物は存在しないが、それでも細かな共通点が存在する。

 たとえば力を行使する際、一切の疲労を伴わない事。

 力の効果範囲は、本人が望めば望むだけ広がる事。

 それらの力を手に入れる瞬間は何の前触れも無く、その瞬間から自在に操れる事。

 力を手にした瞬間を切っ掛けに、力を持つ人間は一切年を取らなくなる事。

 つまりは、瞬きをする感覚で視界に映る景色を変化させ、ここから数百キロ離れたホームセンターの駐車場から自宅へと瞬間移動したガーフィンもまた、見た目通りの年齢では無い。

 「夜もすがら悩め電撃男、その悩みが焼き切れるまで……ってね」

 ガーフィンは自身が先ほどまで居た方向を見てそう呟く。

 もちろん肝心のイントとの距離は遠く離れるため声など届く訳が無く、視界もまたコンクリート製の壁に遮られている。

 仮にこの壁が無くとも、今度はこの建物よりも高い山が立ちはだかっている。

 「さてと……ちょっと置いてこようかな」

 そう言うと彼女は再び空間を飛ぶ。

 瞬きよりも一瞬の間に彼女が移動した先は、楽器屋だった。

 見渡す限りギターやキーボード、そして管楽器に電子音楽用の機材が並ぶ室内を見渡すガーフィン。

 電気の供給が断たれた室内を照らす為か、天井からは懐中電灯が吊るされている所を見るとここは彼女にとっては通い慣れた場所であり、ある種の秘密基地の様な物なのだろう。

 彼女は室内を見渡して自分が以前来た時と変化していないのを確認すると、いつもの場所へ向かう。

 彼女の向かった先は、楽器の試奏用のスペースであり。

 ガラス張りの小さなスペースの中にはギタースタンドが一つだけ置かれていた。

 「綺麗綺麗っと」

 彼女はその部屋に通じる扉一つ開けるのが面倒だったのか、再び空間を飛ぶとガラス張りの室内へ足を着いて独り言を呟き、背負っていたベースギターをスタンドに立て、近くに転がっていたクロスで丹念に磨き始める。

 「大切な物ほど簡単に壊れるって言うけどさ、大切にしないとそれはそれで壊れちゃうからね……」

 彼女が丹念に磨くそれは、多少使い込んだ傷は目立つ物の手入れが行き届いており。

 一部塗装が剥げては居るものの鏡の様に赤いボディーは輝いている。

 彼女がこの楽器と出会ったのは、今から70年以上も前に遡る。

 世界に人が溢れ、そして自分には共に演奏が出来る仲間が居た時代だ。

 徐々に人気が出始めたバンドで活動している際、自分の不注意でその時使っていたエレキギターを壊してしまった。

 だがその時に悲観する事は無かった。

 なぜならこれまでにも沢山の物を失っており、この手の経験には慣れていたからだ。

 たとえば愛用のマグカップ。

 大事に使おうと意気込んだ矢先、手を滑らせ粉々に砕いてしまった。

 次は、気に入っていたサングラスだ、無くさない様にと何時も身の周りに置いていたが為に、誤って踏み砕いてしまった。

 それでは落としても踏んでも壊れない物ならどうかと言うと。

 彼女が愛用していたネックレスは長い年月を経て摩耗し、そしてひとりでに千切れた。

 手入れを怠った訳では無い、毎日磨き寝るときは専用のケースに保管した。

 だが寿命に際限が無い彼女と比べると、たとえ金属製のそれでも彼女のと共に月日を共にするには短命過ぎただけだ。

 同じ理由で失った物がもう一つある。

 それは彼女が使っていたギターが故障した頃だった。

 毎日の様に顔を合わし、毎日馬鹿騒ぎをしながら楽器鳴らし夢を語り合い。

 そして夜は同じ飯を食べ、遠征の際は同じホテルで寝起きを共にした物。

 それは仲前であり友人であり、そしてバンドメンバーと呼ばれる存在だ。

 誰一人として病気を持っていなかった、不健康な生活の割に皆が健康そのものだった。

 だが、それでもガーフィンと月日を同じにするには短命過ぎた。

 一人歳を取るでも無く、20代のままの外見を保った彼女の周りで、仲間は顔に皺を刻み、白髪を生やし、そしてヴォーカルが倒れた。

 悩む事は無い、これまでと同じ様に気に入っていた道具が壊れただけだ。

 だが、一度壊れ始めた道具は、次々と不具合を起こす。

 その事を証明する様に、仲間は次々と命を落とすのは彼女の感覚では程なくしてからだ。

 別に不自然な事でも不幸な事故でも無い。

 それが普通の人間の寿命だからだ、だが一人歳を取ることの無い彼女の目の前で今度はドラム担当が倒れた。

 分っている、しょうがない事だと。

 だが、虚しい、虚しいからこそ感情を殺して過ごす。

 そんな時、ついに残っていたベース担当が病院へ運ばれた。

 外見上は自分より年上な、実際には自分よりも年下な仲間の手を掴み、上っ面だけで悲しみを表現した。

 そうしたのは、その仲間が嫌いだった訳では無い。

 上っ面だけで悲しめば、辛さを紛らわせると思っていただけだ。

 心の底からこの事態を受け止めると、自分の心が壊れてしまう、そう思っただけだ。

 そんな彼女の意思を拾ってか、病床の仲間は重い腕を上げ、部屋の隅を指差して息を引き取った。

 仲間が最後に指差した先、そこには一本のベースギターがあった。

 赤く塗装が施されたそれを、何故彼が指差したのかは直ぐに理解出来た。

 それから彼のメッセージを実行に移す為、彼女は新しく仲間を集い音楽活動を再開したのだ。

 そのバンドは予想以上にヒットし、『距離を無視したバンド』なんてガーフィンの事を分りやすくはやし立てる売り言葉と共に、彼女の弾くベースラインは電波に乗り沢山の人の耳へ届いた。

 だが、分っている。

 この仲間もいずれ失ってしまうと。

 大切な物はいつか壊れる、自分が生き続けている限り必ずその時はやってくる。

 威勢良く旋律を奏でながら、内心そんな事を感じ始めた時だった、世界から人が姿を消したのは。

 そして残されたのは劣化する事の無い人工物と、自身と同じように寿命を持たず能力を持った人間だけだった。

 「動機なら私にも十分あるんだけどね……」

 ガーフィンは綺麗に磨かれたベースの弦を緩めながら小さく呟く。

 作業の合間思い出したネガティブな感情、それを拭い捨てる様に汚れたクロスを投げ捨てると、再び自室へと空間を飛ぶ。

 「誰も人が死なない世界が欲しい、そこで仲間を見つけてまた音楽が出来たら良い。

 十分な動機だよ」

 彼女は自室の窓を開くと、そこから顔を出す。

 ガーフィンが住んでいるのは元々は高級マンションの最上階だった。

 電気の供給が止まっている為エレベーターが使えないこの場所に住むのは不都合しかない筈だが、幸い空間を飛べる彼女にとっては何一つ不便が無く、寧ろ高い所から見下ろせる景色を気に入っていた。

 視界の先に広がるのは、元々は大勢の子供が生きる術を学ぶために通ったであろう学校だ。

 勿論今はこの学校に通う子供は居ないのだが、代わりの存在がその校舎内に居座り、変わる事の無い生活を送っている。

 グラウンドで火を起こして何かを焼くサングラスの男、教室の一室から布団を引っ張り出し鉄棒に掛ける幸の薄そうな女、丹念にガラス戸を磨いている大柄な男、全てがガーフィンと同じ境遇の能力者だった。

 社会が機能不全を起こしてから暫く経過したのち、世界に残された彼らは互いに手を取り合い小さなコロニーを形成し、この場所に住居を据えた。

 元々防災設備が整い広く丈夫な校舎は避難所としての機能も持っており、自然とこの場所に人が集まるのは当然な事だ。

 一つ一つの教室はそれぞれの住人が住まい、マンションの様に姿を変えている。

 勿論ガーフィンの様にこの場所に住まいを持たない人間もいるが、そんな人物にとってもこの場所は重要な拠点として機能しており、時折この場所へ訪れては様々な情報と生活物資を落としていく。

 「今日も街は平和平和」

 ガーフィンは相変わらずのどかな生活を続ける彼らを遠目に確認すると、きびつ返して自室に置かれたベッドへ寝転がる。

 瞳を閉じて小さく響く時計の音を意識で追いかけ、徐々に睡魔が自分の体を蝕むのに任せていると、不意にある事を思い出して目を開ける。

 「あ……そう言えばクーナの電池……」

 先ほどイントから頼まれていた要件を思い出すガーフィン。

 だが、肝心の電池は先ほどまで居た楽器屋に置きっぱなしだった事を思い出す。

 「めんどくさいから起きてからでいいか……」

 距離にしては遠く離れた場所だが、距離と銘打たれた障害に極端に疎い彼女にとって、電池を取ってくる一連の行為はさしたる苦労では無いのだが、それでも一旦倒した体を起こして電池を拾うその作業が面倒だった彼女は、あえてその事を忘れて再び目を閉じ、静かに眠りの海に沈んでいくのだった。






 この世界に取り残された、又ははこの世界に留まる事が出来た人間の数は、おおよそ40人。

 この数はあくまでもガーフィンが知る限りではあり、時々新しい住人が見つかる所を鑑みると、その数はもっと多いと考えて良いだろう。

 そんな取り残された人間を探す為、彼女は世界中を飛び回り新しい仲間を探しては居るのだが、その行動に成果が出た事は数が限られている。

 通信手段はアンテナ塔を必要としない小型の無線機位であり、それ以上に遠い場所へ連絡を飛ばす手段は全て絶たれたこの世界で、散り散りになった仲間を探すのは相当な労力を要する。

 その事を判断材料に入れると、彼女の働きは称賛に値するものであり、そんな彼女の力によって孤独から逃れる事が出来た人物の一人が、イントである。

 孤独を好んでいたイントにとって、彼女との出会いが彼の心境に大きな変化を生んだ訳では無いのだが、それでも彼の行動は少しだけ変わった。

 一人行く宛も無く彷徨い、長い放浪の旅を続けていた彼の行動ルートには中継点が生まれ。

 目的が無かった放浪は、その中継点へ生活物資を供給するための活動へと変化していた。

 勿論その活動には、車を使う必要も無く好きな場所へ飛べるガーフィンの方が向いては居るのだが、彼女はその事に必要以上に干渉せず、好きなように行動を取らせていた。

 その理由は簡単だ。

 彼に繋がりを作るため、人を嫌う彼が再び他人とコミュニケーションを取る切っ掛けを作るためだ。

 今ではこの世界に住む人間にとって無くてはならない存在になり、人から愛される様になったとは言え、それでも彼が未だに思い悩んでいる事は知っていた。

 自分の電撃を不潔な物だと感じ、自分がこの事態を引き起こした災厄自身では無いのかと思い悩むイント、勿論それは単なる杞憂に過ぎないとは思いつつも、同じ思いに胸を痛めていたガーフィンは、そんな彼の考えを心の底から笑い撥ね退ける事が出来ないでいた。

 だからこそ、知りたかった。

 世界が何故このようになってしまったのかを……






 不意に目を覚ましたのは、単に寝苦しかった訳では無い。

 突然窓の先から響く、小さな感嘆の声が耳に届いたからだ。

 「……っん? 五月蠅いな……」

 起きるなり、小さく呟いた彼女は声のする窓から顔を出すと、学校のグラウンドの中心に立ち、歓喜の声を上げている子供に気が付く。

 「クーナのやつか……っていうか……」

 声の主は分ったが、その子供が何を見て大声を上げているのか気になった彼女は、その小さな瞳が向いていた方向を見つめる。

 「あ、そういや約束してたっけ、花火……」

 ガーフィンが見つめた先、そこには夜空を埋め尽くすほど大きな火花が舞い踊っていた。

 距離にするとかなり離れて居る筈なのだが、遠く離れた此処まで光を届けているその光の束を詳細を知っていた彼女は、昼間約束した事を思い出して鼻を鳴らす。

 丁度今夜の月が三日月だったためか、暗い夜空に広がるそれはとても目立つそれは間違いなくイントの物だった。

 「綺麗……」

 世界が忌み嫌い、恐怖したその現象だが、それを見てガーフィンは感動を隠せないでいた。

 人口の光の殆どが消えた世界、その夜空に輝くイントの電撃。

 人が間違いなく生み出したものの、原理すら不明な超常現象は明るく、そして力強く、短い言葉では到底説明出来ないほど美しかったからだ。

 そしてそれ以上に、ガーフィンが自分でも忘れていた頼みごとをイントが事細やかに覚えており、そして実行に移した事が嬉しかったかった。

 本物の花火の様に明るく地面を照らす光を目の当たりにしながら、彼女は小さくため息をすると再び口を開いた。

 「あんた、やっぱ最高だよ」

 例を言うなら瞬時に彼の元へ行ける、だが、やはり彼女は空間を飛ぼうとはせず、遠く離れた相手に対して小さく称賛を投げかけた彼女は、それから暫くの間夜空を見つめるのだった。

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