カラノマチ

@nekonohige_37

空っぽの世界 上

 街路樹が並ぶ街中、そこを一台の車が走る。

 走破性に特化した強力なサスペンションから伸びた、一見アンバランスにも見える大きなタイヤ。

 そして頑強さだけに特化した、味気のない無骨なボディー。

 それはしっかりと整地された街中を走るには、いささかオーバースペックな走破性能を備えた軍用車両だった。

 静かな街中を走る迷彩柄のそれは単に走っているだけでも否応にも人目を引く物なのだが、その車両の持ち主はそんな事気にも留めていないらしく。

 むしろ人目を引くことが狙いなのか、助手席に置かれた大型のオーディオコンポから大音量で古臭いロックミュージックまで垂れ流しにしている。

 しかし、生憎な事にその車両を見る人の姿は無い。

 時折姿を見せるのは道の途中に放置され、静かに主を待ち続ける車だけである。

 車の持ち主はどこに行ったのかは謎だが、そんな事気にも留めていないのか軍用車両は特に興味を示す事も無く、僅かに進路をずらして車を避け先を急ぐ。

 人が居ないのは車だけでは無い。

 一見するとそれなりに栄えた街中なのだが、どこを見ても人の姿は無く、人の姿で溢れかえった様は何処にも無い。

 書いて字の通り、この町は空っぽの街となっていた。

 電源が落とされたのか、それとも故障したのか一切光を放たない信号機、時折見える住宅は燦々と降り注ぐ陽の光の下、網戸のまま家主の帰りを待っている。

 そんな町中を、のんびりと走りつつ出ていた迷彩柄の車は、一つの建物の前に留まる。

 その建物は、日用品や家具などを取りそろえた大型の店舗、俗にホームセンターと呼ばれる物だった。

 駐車場にも放置された車が大量にあるのだが、どうせ自分以外の人間が来ることなど無いと知っているからか駐車場には車を止めず、店舗の出入り口の前に車を止めると乗っていた人物が姿を現す。

 「さてと……」

 その人物の姿で先ず視線を集める物と言えば、目深に被ったジップパーカーだろう。

 フードの横に大きな目玉の描かれたそれは、サイズの選定を誤ったのかそれとも単にファッションとしてか、長い袖は男の両腕を隠している。

 そんな自身の背丈に合わない大きな服を着たその男の名前は、イントと言う。

 車は軍用の物だが、風変わりとは言え普通の服を着たその男が軍関係者で無い事は明らかだった。

 しかし慣れた手つきで車の荷台から台車を引っ張り出すところと言い、それなりにこの作業を繰り返してきたのが見て取れる。

 「……ん? やっぱりか……」

 イントは店の扉を開こうとしたが、どうやら鍵がかかったまま放置されていたらしく開かない。

 小さく鼻を鳴らしたのち、車へ戻ると今度は矢鱈と長大なバールを取り出しガラス戸の前で小さく深呼吸をする。

 どうやら鍵が開かないため、ガラスをたたき割り店の中へ侵入しようと考えたようだ。

 イントはバールを振り上げ、そして今度は力いっぱい扉へ向けて振りおろそうとしてから動きを止める。

 「居たのか……」

 「人を幽霊か何かみたいに失礼しちゃうね」

 彼が叩き割ろうとしたガラスの先、そこには一人の女が立っていた。

 薄手のタンクトップにホットパンツとラフな服装で、おまけに背中には何故かベースギターを抱えている。

 特徴的な八重歯を少しだけ見せて笑うと、店の内側からカギを開いてイントを招き入れる。

 「鍵掛かってるからって、無理矢理叩き割るしか能が無いわけ?」

 「お前みたいに便利は裏技は持っていないんだ、ガーフィン」

 イントはバールを扉の横に立てかけると、先ほど用意した台車を引き、店の中へ足を踏み入れる。

 本来なら人が賑わい、流行りの音楽が流れているはずの店内もまたここに来る道中と同じく人気は無く、電気も落とされているためか薄暗い。

 ここはまだ出入り口付近の為太陽光が届いては居るが、奥に行くと闇は一段と濃くなると判断して、イントは懐中電灯を取り出す。

 「今度は何探してるん?」

 「電池とガスボンベ、後災害用品があればあるだけ」

 そう言うと、先ず眼に付いた備蓄用の飲料水の箱を台車に乗せ、その上に並んでいた乾パンの缶詰を手に取る。

 「泥棒みたい」

 「泥棒なら音楽流さねぇよ」

 缶詰を台車に乗せ、自身が来た方向を見て呟くイント。

 もし自身が強盗の類なら、あえてこんな昼間に行動は起こさず、ましてや人目を集めるように車から大音量で音楽を流したまま犯行は起こさない。

 「とは言っても、無断で立ち入って金を落とさず店の物持って行ってるのは事実だがな……」

 「お金でもレジに置いてみたら?」

 「金なんて持ち歩いてねぇよ」

 そう言い、今度は店の奥へ足を進めるイントとそれを追うガーフィン。

 比喩でも抽象でも無く、文字通りの意味として紡がれた自身の一言を思い返す。

 必要な物が出てきたらこうして店に礼も言わずに持ち去り、その店に置かれていた在庫が切れたら隣の店へ足を延ばす。

 それだけの事であり、律義に金を支払う義務など無く、社会に置いて重要視されるモラルも、この点に関してはあって無いようなものだと彼は考えていた。

 勿論通貨と言う概念が自身に無い訳でも、仕方なく金を支払わない訳では無い。

 払う相手が居ない、そもそも通貨と呼ばれる物が今現在において、紙屑以上の価値を持たなくなっているのだ。

 だからこそ、一見常識的に捉えられなくも無いガーフィンの言葉が、本心から湧いて出た物ではなく単に冗談として紡がれたのだとイントは知っていた。

 「店舗がでかいとそれなりに中は暗いな……」

 徐々に明度を下げて行く店内、昼間とは言え電気が落とされている室内は、海辺の夜の様に暗く、イントは持っていたライトを灯して視界を確保する。

 「綺麗だな」

 「あ! 私の事?」

 「違えよ! 店の中の状態だ!」

 そう言い店の奥を照らすイント。

 その先には、人に荒らされた形跡は一切無く、大気の流れが一切遮断されていた為か、僅かに湿気を帯びた空気が満たされてはいたものの、リノリウムの床面には埃すら落ちていない。

 人が来なくなったからとはいえ、何かしらの食品やペット用の餌も店内には陳列されているのだが、野鼠の類すら視界の隅に置かれたドッグフードに手を付けていない。

 もちろんこの建物がそれなりに丈夫に作られ、どういう訳かネズミ一匹入る隙間も無いほど緻密に設計されていた可能性はあるのだが、そうだとしてもこの現状に安易な納得は出来ない。

 そもそも、人工物と言うのは一見丈夫に見え、実際に破壊をしようと思っても壊す事はそれなりに苦労する。

 しかし、道端に空き缶を放置しておけば分る通り、大気中の酸素にその外皮を蝕まれ、空から降る雨はその進行を早めていき、気がつけば塗装は剥げ落ち茶色い錆にまみれた醜い姿にその身を変化させる。

 建物も例外では無い。

 雨風に晒され、灼熱の太陽光で人工の素材はいとも簡単に劣化しひび割れる。

 場合によっては落雷による火災や地震による揺れが元で跡形も無く崩壊する事だってあり得る筈であり、自然が生み出した物はその度に自浄作用を働かせ、元の美しい姿を取り戻が、人工物にそのような力は無い。

 人が手を加えメンテナンスをしない限り、飽きることなく劣化を続けていく筈だ。

 だが、イントが見た限り、この店は一切の劣化を見せず、綺麗なままの外観と内装を備えていた。

 「誰かが手入れしてるとか?」

 「あり得ねぇよ、そんな奴見た事ねぇし、そもそもここに限った話でもないだろ」

 フードからちらつく鼻を軽く掻き、否定の意思を示すイント。

 この店だけが綺麗だったら、ガーフィンの仮定も納得がいくが、少なくともイントがこうして車でちょっとした旅を続ける先全てが、この店の様に綺麗なままだった。

 そもそも、誰か管理している人間が居るのだったら、こうして電力の供給が絶たれる事も無く、店内の商品は時間経過に合わせて補給されている筈だ。

 「そんな事を私に聞いちゃう?」

 「はいはい……お前ほどあちこち旅する人間は居ねぇよ」

 「でしょ? それじゃあさ、一緒に出かけてみる?」

 「興味はあるが、今は生活物資の補給が最優先だろ」

 そう言い店の棚に並んでいたカセットボンベの詰まった段ボールを抱えると、強引にガーフィンへ手渡す。

 「どうせ止めても一人でどっか行くんだろ? だったらこれ運んでくれ」

 「えー……って言いたいところだけど、今日は許してあげる、家まで送れば良いの?」

 「いや、そこの車までで結構」

 「そんな遠慮しなくても良いのに」

 「遠慮じゃねぇよ、自力で持ち帰るのに意味があるんだ」

 イントの言葉に、軽く舌を出して抗議するが、それでも言いつけを守ってかくるりと視線を返し、姿を消すガーフィン。

 「やっと消えたか……」

 小さくため息をし、彼女が姿を消した方向を見てから呟くイント。

 元々ガーフィンの事が嫌いな訳では無いが、物静かで単独行動を好むイントとしては、こう元気の良い相手と一緒に居ると疲労がかさむ。

 「人によって意見はそれぞれだけど、今の現状は俺にとっては理想かもな……」

 不意に懐中電灯を消し、歩みを止め瞳も閉じるイント。

 息を吸い込んでも有機的な匂いを感じず、湿り気のある大気だけが自分以外の人間の不在を伝えてくれる。

 耳を澄ますと遙か彼方から自身の掛けた音楽が聞こえてはいるが、それ以外には何も聞こえない。

 元々音楽も自身が聞くために流したのでは無く、自分の意図しない物音を避ける為に流しているに過ぎない。

 だからこそ、こうして一人っきりの状況下は嫌いじゃない。

 だが孤独が好きな訳では無い、ただ、過去に自分へ向けられていた視線の殆どが味気のない白だっただけだ。

 それを避けられるのなら、孤独も悪くないと思う、ただそれだけなのだ。

 過去の自分へ投げかけられた視線や言葉、それはどれもが深い部分で恐怖や畏怖を孕んでおり、小さな針で自分の身を刺した。

 その原因をイントは嫌と言うほど知っている。

 ただイントは、普通の人とは少しだけ違っただけだ。

 ある種の特異体質として処理されたその性質は、不便する訳でも誰かを傷つける訳でも無かったのだが、自身と違う事を嫌う人間は自分を遠巻きに見て、腫れ物の様に扱った。

 だが、ある日を境に自分を取り巻く環境は大きく変わった。

 明確な日にちすら不明な、始まりが酷く不明瞭で、何が起きたのか今でも分らない現象は不意に訪れた。

 「一体どうなっちまったんだか、この世界は……」

 ゆっくりと目を開け、ライトを点ける。

 青白い光は太陽光と比べれば玩具の様な物だが、それでも暗闇に慣れた目は人工の光の刺激に僅かな痛みすら感じて痺れる。

 だが、その強い刺激に慣れ、視界が回復したところで、自分が居た場所に変化は無い。

 商品を買い求める客も、陳列棚の在庫を数える店員も、この店の中には一人も居ない。

 その現象は自分の視界の中だけで広げられている訳じゃ無いとイントは知っている。

 突然訪れた謎の現象は、この世界から殆どの人間を消したのだ。

 残された人間はイントの様な存在だけ、本当に数えるほどの人間しかこの世界には残されておらず、それ以外の人は何処かへ旅立ったのか、それとも突然蒸発して消えたのか。

 行き先も方法も、原因も分らないままこの世界から一人残さず消えた。

 「だからこそ、楽なんだけどさ」

 その言葉に悲観も誹謗も無い。

 ただ単に自分が思った事を口にしただけだ、誰かが傍に居たのなら、多少は不謹慎だと声を上げたかもしれないが、そんな人間もこの世界から消えて居なくなった。

 「あったか……」

 ただ、人が消えたこの世界でも、自分達が生きる為には無い一つ不自由しないほどの資源はこうして残されている。

 イントは目的の物が陳列された棚へ手を伸ばすと、ほぼ山積み状態となった台車に荷物を積み上げる。

 彼が立っているのはアウトドア用品が立ち並ぶエリア。

 本来は遊びで使う道具が殆どなのだが、電気も水もガスも、その他諸々のライフラインが断たれた今現在は、このようなアウトドア用品が非常に役に立つ。

 そんな中、イントは一つ気になる物を手に取り思案する。

 「そういや結構暑いな……」

 彼が手に取ったのはハンモックだった。

 常識的に考えれば、今車の中に入っている寝袋の方が実用性は高いのだが、ちょっとした好奇心に心擽られたのか、小さく鼻を鳴らすと台車の一番上に置き、台車の取っ手を掴む。

 「休憩でもするか」

 そう言うと、イントは薄暗い店の中、台車を押しながら光の射しこむ方へ足を進めるのだった。






 人の気配が消えた駅、その傍に設置されたバスのプラットホームを中心に、やたらと図太い音が響き渡る。

 その音の主はガーフィンだった。

 彼女はどうやってその場所に上ったのか、プラットホームに放置されたままのバスの天井の上、長いケーブルに繋がれたバッテリー式のアンプと共に陣取り、一人ベースギターを演奏していた。

 アンプがバッテリー式の為音量自体は常識の範囲内なのだが、鳴らしている音が低音の為か、その音は駅全体まで響き渡り僅かな残響すら残している。

 ベースギター張られた4本の太い弦、それぞれを細い指で弾き楽曲を演奏していく。

 弾いているパートがベースパートの為元の楽曲が何なのかは不明だが、リズミカルに奏でられる旋律は心地よい。

 その事にガーフィン自身も自覚があるのか、自分の奏でる音楽に耳を傾け、気持ち良さそうに目を細める。

 やがて音楽は最後のスパートを迎え、徐々にその旋律を複雑化、そして力強い音へ変化させ一層そのメロディーを色濃くしていく。

 そして最後の一音を奏でると同時に、ガーフィンはベースギターを振り上げ、僅かに振動している弦を優しく押さえて音を止める。

 音楽自体のセンスもさることながら、本来人が乗る事を想定していないバスの上、そこで一人の女が踊る様に演奏をする姿を見る人間が居れば否応にも足を止めるだろう。

 だが……

 「分っちゃいるけどね」

 音の余韻が完全に消えてから、ゆっくりと瞳を開け辺りを見回すガーフィン。

 彼女が見回す先には、やはり誰一人として人影が無い。

 その癖して、まるで今でも人が管理してると抗議するようにこの場所から見える景色は美しく、劣化や破損の影は見当たらない。

 人一人居ないバス停、言葉に纏めればそれだけの状況だ。

 だが、瞳を閉じ、意識を心の奥深い所へ向けるだけでその視界は瞬く間に変化する。

 視線を横に向けると同じように楽器を持った仲間が居る。

 視線を上に向けると、そんな一同を照らす大量の照明と目が合う。

 視線を後ろに向けると、巨大なモニターに映し出された、自分の後ろ姿が見える。

 そして視線を正面に向けると。

 当たり前の様に自らの元へ集った、数えきれないファンの視線と歓声が自分へ投げられる。

 埃っぽく蒸し暑い室内、人口密度が異常に高く決して快適とは呼べない空間へ、彼らは一つの目的の為だけに集っている。

 それはガーフィンと会うためであり、そして彼女が当時参加していたバンド『スケアクロウ』が奏でる音楽を直接聞くため。

 ただそれだけの為に集まったのだ。

 視界に収まりきらないほどの人の海、その果てが何処にあるのかさえ見当がつかない、だがその海からきらきらと光る瞳は、全て自分達の方向を向いており、呆れる事無く関心の潮風を吹かせている。

 普通ならこんな場所で演奏しろと言われたら足がすくみ指は震え、たとえ何千回と奏でてきた音楽ですら演奏が出来ないだろう。

 だがガーフィンは違う、寧ろこれだけの人が居るからこそ本当に気持ちを込めて演奏出来た、だからこそライブの度に涙が溢れ、胸の奥深い所に温かいものが溢れるのだ。

 だが、瞳を開ければそれはただの幻影に過ぎない事位、嫌と言うほど分る。

 「みんなどこに行っちゃったのかな? それとも消えちゃった? 私みたいに」

 呟いてみた言葉に深い意味は無い。

 瞳を開ければ、過去の自分の栄誉では無く、一人さみしく演奏するちっぽけな女から見た空っぽの街並みだけが広がっている。

 自分の音楽を聞かせたい、また歓声を浴びたい、そう思っても人が居ないのだ。

 だったらせめて自分の様な境遇の人間を探し、手を差し伸べようとあえて目立つ行動を取ってはみたが、どうやらこの周辺にも人は居ないらしく、何処にもこちらへと歩みを進める影は無い。

 「にしても暑い……イント水持ってるかな」

 ガーフィンはベースギターからケーブルを外すと、背中に抱え身支度を始める。

 行き先は先ほど居たホームセンターであり、目当てはイントが持ってるであろう飲料水である。

 「そんじゃ、ちょっと行ってくるかな」

 そう独り言を呟くと、ガーフィンはその場から姿を消すのだった。






 イントが居るホームセンターの外観は、先ほどとは少しだけ外見を変えていた。

 具体的に言うと、広い駐車場を夜間照らすために設置された電灯、そのうち二本の間にはハンモックが掛けられており、その犯行を行った犯人は、自由気ままに、そして酷く不用心な姿でハンモックの上で小さく寝息を立てていた。

人が眠るなど想定していない駐車場の片隅は何処かのキャンプ場の様に姿を変えているのだ。

 「何してるの?」

 その姿を直上から見下ろし、呆れた声を上げるガーフィン。

 「お前こそ何してんだよ」

 イントはフードを少しだけずらし、自分を見下ろすその姿を見て眉根を寄せる。

 「不用心にもこんな所で眠る男の観察、それ以外に何に見える?」

 「人里に下りてきた山猿、もしくは馬鹿なガキ、それ以外には見えねぇな」

 イントは眠たげに瞼を擦ると、ガーフィンが乗っている場所を指差し皮肉を言う。

 「失礼しちゃうね」

 「そんな高い電灯によじ登る女なんて聞いた事ねえよ」

 イントがそう言ったのも無理が無い。

 彼女が今現在居る場所は、イントが支柱として利用している電灯の上、半ばしがみ付く様な姿勢で自分を見下ろす姿を見ての事だった。

 普通なら寝ている自分を起こさす、掴みどころの無い柱をどのようにして登ったのか疑問に思う所だが、どのようにして彼女がそこまで登ったのかを知っているイントは鼻を鳴らし呆れたようにうなだれる。

 「登ったんじゃ無くて乗ったの、それ位分るでしょ?」

 「ああ……んで何が目的だ?」

 「ちょっと喉が渇いたから」

 「んじゃあ一旦家に帰れば良いだろ……」

 「現地調達が私のポリシーだから」

 そう言うと彼女はイントが懐に乗せていた水筒を指差し、するすると支柱を滑り下りてくる。

 「今日は人見つけたか?」

 「いつも通り」

 「だろうな……」

 うなだれながら水筒を差し出すイント、その際に零れた言葉に同情も憤りも無かった。

 「サンキュ」

 ガーフィンは水筒の中身を一口飲むと、汗をタオルで拭いてため息をつく。

 「お礼に演奏でも聞く?」

 そう言い地面に立てかけられていたベースギターを抱える、しかしイントは掌を開き彼女の意向を阻止する。

 「要らん、今は静かにしていたいんだ」

 「どうしてさ? 私の演奏を生で聴ける機会なんて早々無いのに」

 「元々CDでも聞いた事ねぇよ……」

 「絶対嘘でしょ? 自分で言うのもアレだけどさ、私結構有名な人なんだよ?」

 そうは言ったものの、ごく自然な疑問を込めて鼻を鳴らすイントの姿を見ると、自分が嘘を言っているのではないかと不安になるガーフィン。

 音楽の好みは違えど、イントの様に四六時中音楽を聴く人間の耳に、ガーフィンが所属していたバンド『スケアクロウ』の名前を聞いたことが無いと言うのはにわかには信じられない。

 しかしイント自身そう普段から嘘をつく人間では無く、相手をおちょくる為だけに嘘をつく事などもってのほかだ。

 「知らねぇよ……まぁその事を証明する人間なんて残っちゃ居ないけどな」

 そう言い人気の無い駐車場を眺めるイント。

 耳を澄ましても聞こえてくるのはささやかなそよ風の音と、自身らの声だけ、あえて目を向けなくとも否応無しに自分らが孤独だと分ってしまう。

 自分が元々孤独ではない人間だと証明するのは、今彼女が抱えている赤のベースギターだけだ。

 だが、その楽器が奏でる音色に合わさる他の音はもうどこにも無い。

 「一体どうなっちゃったんだろ……」

 「知らん……俺達を置いてどっか遠い所に旅立ったのか、それとも突然霧になって消えたのか、それとも俺達が眠っているうちにとんでもない時間が経って、世界が滅んじまったのか」

 「一つ目の説が外れている事は私が知ってる、この世界のどこもこんな状況だからね」

 「便利な裏技だな」

 自嘲気味た言葉を並べてはみたが、この場所に居る二人にそれ以上の仮説を立てる事が出来ない。

 「裏技……か……」

 むしろ、それ以上の仮説を立てないようにしていた。

 軽い嫌味を込めて呟いた一つの言葉。

 「原因は裏技のせいか?」

 「違うよ、多分ね」

 軽く否定はしてみたが、その言葉は何処か歯切れが悪い。

 「だけど、単純な科学じゃこんな現象は証明出来ない……それ以外にこの現象を証明出来るとしたら神様位のもんだろ」

 「あれ? 迷信何て信じる人なの?」

 「いいや、だけど裏技だって似たような物だろ、こんなもん空想漫画の世界だ……」

 町がこんな状態になってからもう随分と時間が経過した。

 しかし残された人間に、正確な日時を知る術など無く、そもそも時間の概念すら価値を持たなくなった現在、わざわざあの日からどれだけの日数が経ったのか調べようとする物好きなんて残されていない。

 「空想漫画ねぇ、まぁ科学では証明できなかった事ではあるけど……」

 すると、不意に良く乾いた小枝が折れる音が響く。

 その方向を見てみると再び同じ音を響かせ、視界の奥で明るい火花が爆ぜた。

 「こんな異常現象、科学なんかじゃ証明出来ねぇだろ?」

 一度爆ぜた光の欠片がその輝きを失うとほぼ同時に、すぐ傍で再び爆ぜ、その数を増やしていく。

 最初こそ焚火をしている様なささやかな音だったのだが、光の数が増えるにつれどんどんとその音は激しさと密度を増し、数秒も経たないうちに巨大な羽虫が羽ばたく様な断続的な音へ変化していく。

 点と点を重ねれば線になり、線を重ねれば面になるように、単純な光の明滅は眩い輝きへと変化し、その面積を大きくしていく。

 「随分と激しいね」

 ガーフィンは自身の身の丈をすっぽりと飲み込むほどの大きさになった光の固まりに向き直り、若干の恐怖心を込めて呟く。

 その声に反応してか、光の固まりは意思を持ったかのように一部分を変形させると、蛇や鞭の様に長く伸び、近くに止められていたコンパクトカーに直撃する。

 光の正体は高圧の電気だったらしく、その直撃を受けた車は激しく跳ねた後、燃料タンクにその火花を引火させ炎上。

 黒煙を纏う車は更なる轟音を響かせると、それなりに距離のあるイントの場所まで熱風を届ける。

 「怖いだろ? ガーフィン」

 イントは何が起きているのか全てを知ってるらしく、フードを深く被り直すと小さく呟く。

 爆ぜる光と燃える車の轟音に半ばかき消されては居たのだが、それでも彼の言葉ははっきりと聞き取れた。

 「科学なんかじゃ証明できない、普通の人間には怯えて逃げ惑うしか出来ないこんな現象ならどんな事を引き起こしても不思議じゃないだろ?」

 視界の隅で激しく暴れる高圧電流の束、既に火花や雷の次元に収まらなくなったそれを余所に、イントは皮肉を呟く。

 世界から人を消した方法。

 そんなことおおよそ想像がついていた。

 だからこそ曖昧な説を並べ、適当に納得をしてはいたのだ。

 「世界を変えてしまったのはきっとこの現象のせいだ……いや、正確にはこの現象すら一つの形態に過ぎないがな……」

 僅かに後ずさるガーフィンを余所に、イントは上体を起こすと眠い目を擦り目を見開く。

 そして視界の奥でその領域を広げる光の壁を眺め、小さくため息をするのだった。

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