孤独な狂狼


そうか、彼は「人間」だったのだな。ウイングはその時初めてそう思った。

ウイングは野暮用で地球に戻っていた。ウイングは久々な心地はしていなかったが、いつの間に地球では数十年の時が経ってしまっていたらしい。

少し景色の変わった東京を歩いていたら、偶然出会った、黒に白のリボンの中折れ帽を粋に被る初老のスーツの男。いや、若く見えるだけで実際はもう少し年がいっているのかもしれない。かつての乱暴な雰囲気に煙草の香りを纏わせ、いかにも「ちょいワル」なハードボイルドなそれになっている。しかし、核の部分はあの頃と同じだということが五感でわかる。

この人間が、かつてカゲロウだったということが。


「変わってないな、お前は」

「お前の目は節穴か?それとも嫌味か?」


人前で臆面もなく舌打ちをする。そういうところも変わっていない。


「…意外だな。老いたことを恥じているのか?」

「んでそうなんだよ。俺よりも変わってねぇ奴がいくらでも…」


カゲロウはそう言いかけて、帽子で顔を隠しながら背ける。私も風の噂できいた。彼と同じ時に生きたバーバリアンのことを。例えば、アーグネットは、もうシステムにガタがきており、駆動限界時間が日に日に短くなっているらしい。そのほかにもご主人を失った傀儡、二度と笑わぬ道化、など。彼らは見た目こそ変わらないが、その実態は変わり果ててしまった、と。

嫌なことを思い出させんな、そう言いたげにカゲロウは煙草に火をつける。


「こら、ここは…」

「禁煙エリア、だろ?だからだよ」


煙を吐く横顔、睫毛が危うく揺れる。

私は指を鳴らして風を局地的に巻き起こして、煙草の火を消した。相変わらずお堅いこって。カゲロウは諦めたように苦笑いした。そのときに、カゲロウが私の肩を見て、目を丸くした。


「…お前生き物なんて飼うようなタイプだったか?」


呼ばれた気配にドラが身を乗り出した。もともとドラは人への警戒心が薄い。それにしても度胸がある奴だ、とウイングはドラへの好感度を上げた。


「ああ、ドラと名付けた」

「マジかよ、お前」


手をカゲロウの方に伸ばすと導かれるようにドラは腕をつたう。指先に巻きついて、カゲロウとしばらく見つめあった。


「いい趣味してんな」

「ドラ、お前のお陰でカゲロウの旦那に褒められたぞ」

「…やめろ、その感じ」


ドラが満足したように肩へとしゅるりと戻った。ドラの顎をなでると、気持ち良さそうに目を閉じる。


「なぁウイング、今はどっかの誰かに取り憑いてんのか?」

「いや」

「だったら、俺様に身体貸せよ」


カゲロウの帽子のつばの陰から、ギラリと片目が覗く。あの頃はバイザーに阻まれていたが、きっとその奥でそんな目を向けられていたのだろう。ギラギラとした、獲物を見つけた獣のような、無邪気なまでに輝いた目。もうかつてのような戦闘はできない身体になっても、かつての悪友が隣にいなくても、奴はまだ何かを企む目ができる。懐かしい戦慄を感じ、身構えた瞬間、フッと笑った。


「なんてな。やっぱりお前さんのが変わってねえよ」

「…、そうか」

「機会があったらまた会おうや。早稲田戦士ウイング」

「行くのか、カゲロウ」

「もう俺様はカゲロウじゃねえよ」


…もう、変身できないからか?

ウイングの疑問が風に乗ることはなかった。奴の最後の一言に、やるせない、果てしない感情が乗っかっていたのを肌に感じたからだ。

肌寒い秋口の風に吹かれて奴は去っていった。ドラが弱々しく喉を鳴らして見送る。何か同郷の生物なりに感じるものでもあったのだろう。その感傷は、ウイングにもわかる。

一匹狼となった奴の背中は、小さかった。

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