第2話 理由
便利な時代になったものだ。この時代を便利だと思える、即ち便利でなかった時代を知っていることこそその例だ。
ネットを通じて顔を合わせず、恥じらうことなく言の葉を交わせる。なんて便利なんだ。
"羞恥心を感じない"という点を評価するのは一部の人間かもしれない。でも"草食男子"という語が都合よく使われるこのご時世。草食男子の方こそこの世のあらゆるものを都合よく使ってやろうじゃないか。早速今日も。
「うん、好きだよ」
と、いつものようにはいかなかった。
何故こんな返答をしてしまったのか。自分でも全くわからない。
最近恋の病というやつのせいでどうかしてしまっていると自覚しているが。流石に「私のこと好きでしょ?」というイレギュラーな質問に対し、恰も当然かのように認めてしまうのはやばすぎる。
因みに本当は「え、なんでそう思ったの?」と質問返しをし、相手が僕のことを好きかどうか、この質問を遊び半分でしていないか、などを確かめるつもりだった。
「ふーん。ほんとなんだ。あの噂」
そうこうしているうちに返信が来てしまう。僕はもはや既読がついたかどうかさえも見るのを忘れるほど気が狂っていたので、通知音に尚更慌てる。
そして気になるのがあの噂。察するに、僕が天使さんのことを好きだということを友達と話していて、「可愛いよね」などと言っているところから漏れたのだろう。本人がいないのをいいことに心の声をモロに出してしまっていたが、女子の情報網は計り知れない。
さてここで、どう返信するのが正解なのか。
結果は、またも迷ってるうちに相手からきてしまうという情けなさ。
「私も平本くんのこと好きだよ」
--ウォォォォォオオッッオオ!
思わず出た叫びに、注意の声が母から。階段を通ってドア越しに響く咆哮に身震いすると、獣のように吠え、たい気持ちを抑え、跳ねた。
まさかの成功。まさかのハッピーエンド。いや、浮かれてはいけない。ハッピーではあるが、エンドではない。
あまりの驚きと嬉しさと感動から、考えるということができなくなる。
そして、既読無視という過ちを犯してしまったまま、五分の時が経ち……。
「明日の放課後話したいことがあるから教室で待ってて」
ここで会話は途絶えた。猶予が与えられたと言える。しかし、その猶予は良い時間ではなかった。案の定その日は眠りにつけず、寝不足の状態で朝を迎えた。
起きたまま目覚まし時計の音を聞くという一年に何回かの事象が、日常にちょっとした新鮮さを添える。
食べて、着替えて、出て、歩いて。電車に乗り二十分。乗り換えて再び二十分。駅を出て、歩いて校門上の時計を見たときには、家を出る直前にテレビの右上に表示されていた時刻から丁度一時間が経っていた。
教室に入ると、彼女は既に僕の席からいい感じに離れ、尚且つ僕がいい感じに眺められる前から二列目、丁度西日の当たる窓沿いの席に座っていた。読書中なのは僕と目を合わせないためか。今日も今日とて自意識過剰。
その日は、授業中も休み時間も、脳の隅、いや最早ど真ん中にあのことがあって気が気じゃなかった。
別れの挨拶とともに、目当てであり戦いの時、放課後が訪れた。
男友達から一緒に帰ろうと持ちかけられても、あとで処刑とか言われても、(くだらないやりとりだな)と無理矢理に達観して断った。
少しずつ教室から人影が減る。
ついに
「あのさ、」
文字よりも優しさを感じる。
「付き合えない」
予想外のことで瞬きが多くなる。
「だって私のこと好きじゃないでしょ?」
「え?好きだよ!だからあんなこと訊いてきたんじゃ……」
「もし私のことが好きだったとしたら、
気性が荒くなった彼女の言葉は、僕の胸に深く刺さった。
天使さんが出した一ノ瀬愛という名前は、僕の人生の重要人物。四年前、モテ期が到来していた頃に僕に想いを寄せていた幼稚園の頃からの幼馴染。しかし中学で別れた。
「二股は当然論外。もしどっちかが遊びなら、どっちかが嘘ならそれをちゃんとはっきりさせて。私に伝えて、ほんとのこと。それが付き合えない理由」
予想していなかった理由だった。そして何よりの気がかりが、天使さんが、ここから電車で一時間かかる僕の地元に住む一ノ瀬愛のことを知っていることだ。
黙っている僕を涙目で見つめると、物凄い勢いで教室を出て行ってしまった。
今日の帰り道も独りのようだ。
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