恋を知らなかった僕を殴りたい

変太郎

第1話 恋を知る

僕、平本影人ひらもとえいとは、14才にして4年前にモテ期を終え、中学生という青春を謳歌するための称号を手にしたときには、もう恋愛などとは縁はなかった。

しかし、恋愛にことと、ことを同一視してはならない。

いや、それどころか縁がなければないほど、対する欲が高まってしまうのではなかろうか。

中学二年生も折り返し。行事の多い二学期のこの時期、僕は今更ながらを経験した。客観的には二度目なのだ。でも主観的な、感覚的な、言ってしまえば俺が腑に落ちない。全世界でただ一人、俺だけが。本当に最低な男だと実感する。僕が最低だと自分で実感するのにはもう一つ理由がある。幾ら実質的に一方通行だったとはいえ、恋愛を加えてもう一度経験しているということだ。でも過去は変えられない。しかし現在戦うべき相手は物理的には近く、理論的にはどう考えても到底手の及ばない、言わば高嶺の花である。

まだ物理的な距離があれば、諦めがつくというもの。

しかしながら、諦めというのはそうそうつくものではない。この地球ほしに生きるものなら誰もが実感したことがあるだろう。もう少しわかりやすく例えるなら、時間などだろうか。

具体的には「この時間からこの番組を観たい」などというとき、「あと一分早ければ……」と諦めきれずその後の時間を無駄に過ごしてしまい、また後悔が一つ増えたりとか。

要は人の感情は面倒なんだ。

夏の陽気な街は段々と熱気を失い、季節の変わり目を感じる。その様子とは相対的な気温に身体が疑問を抱いていた。

黄昏時の柔らかでどこか冷たい風を、空気を読まず通り抜ける自動車が、強くする。

再び、別の自動車が僕の前を横切るが、安全面以外では意識をせず、170cmの身体を"それ

"と垂直に進めた。

ただ一人で歩く僕に吹く風は、紛れもなく向かい風だった。

一人きりになると色々考えてしまうもので、意味のない妄想シュミレーションと秋風が相まって、孤独感を増大させる。

僕の目と鼻の先、正確に言えば下を向いて歩く僕の額の先には、如何にも高校生活充実してます感を漂わせる、実際には充実していない公立高校の男女が横に連なって歩いている。

果たして充実とは何か。

例え真の充実が恋愛、男女関係のことを指すものではないとしても、きっと僕は充実してなどいないのだろう。

そんなことを考えて、勝手に心をすり減らしながら帰路を辿った。


自宅に着き、マナーモードにしていたスマートフォンを取り出す。

画面をつけると、まず始めに10分前に送られてきた、僕個人宛のメッセージが目に入った。

僕が女子から何か話しかけられるなんて、口でも、文字でも、重要な行事や係などの案件以外では丸一年まるっきり無かった。

にも関わらず、その「行事や係などの案件」でさえ話したことのない憧れの、別次元の存在天使あまつかそらさんから。彼女はまさしく、僕にとっての天使だった。


彼女が僕の天使になったのは、約一ヶ月前のことだった。

念の為補足。僕が一方的に崇めているだけであって、当人はごく普通の人間として生きている。

でも僕は、勝手に天使と思ってしまうほどの輝きをある時期を境に感じてしまうようになったのだ。

特に具体的に何かあったわけではない。

しかし、出来事はこれといって無いものの、何故その時期だったかと訊かれれば、答えられなくもない。

まず一つは言ってしまえば欲求不満だったのだろう。夏休みという完全孤立期を経て、少しだけ人間の情といったものを求めていた僕の心に免疫などというものは存在しなかった。

そして、もう一つ挙げるとするならば、僕が初めて告白というものを経験し、同時に失恋というものを体感した一夏から、一年が過ぎたということが大きく影響していると思われよう。

どんな行為や出来事にも"初めて"は人生で一度しか訪れない。例え喜ばしいことでなくとも印象に残った"初めて"を思い出してしまうのは当たり前のこと。

何も、思い出したくて思い出しているわけでもないのだが、それをした日、それを共にした人を迎えてしまうと脳裏によぎってしまう。そしてその後何時間、何日、何週間とふとした瞬間に後悔を繰り返して、思い出したことも含めて思い出とする。こうして記憶は刻まれていく。

そんなふとした瞬間こそ僕の弱点であり、周囲の人間からすれば様々な意味でチャンス。

偶然にも彼女にはそこを突かれたのだ。

「ねぇ、アイって人の紫陽花って曲知ってるよね?確かLINEのBGMに設定してなかったっけ」

「あー、知ってるよ。いいよねあの曲」

あの何気ない会話が、僕の核を貫いた。きっとこの会話をしてきたことに意図なんて無かったのだろう。逆にこの程度で惚れてしまったと知られたら、バカにされること間違いなしだ。それでも僕の大切な悲しみや名残が頭の中で重なり合って、より大きな見えない新物体を生み出したのだ。化学反応を起こしたのだ。

夏という恋の季節を十四回体験し、僕はようやく恋というものを感じることができた。体験と言葉を結びつけることができた。

完全無欠の緑は衰えを見せ始め、梅雨とは違った激しい雨が降ったり降らなかったり。

木々にとっては燃えようとする大切な黎明期。

汚れた水を零しながら、少しずつ移動する黒雲の隙間に、僕は眩い太陽を見つけた。



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