妹→姉 編

第17話 山井出 勝希の見た世界 ③ 『神の巫女』

「――――」


 ガチガチ、ガチガチと奥歯の震えがさっきから止まらない。


 込み上げる吐き気に加え、次々とあふれ出る涙によって視界すら歪む。


 そして、目の前には闇。


 黒い殺意のかたまりが一歩、また一歩と近づいてくる。


 尻餅をついた体勢から立ち上がろうにも、まともに力が入るのは腕だけで、腰が抜けるという感覚を初めて味わっていた。


 近づく闇の後方に見えるのは、全身血まみれになってしまった、あの人……。


 さっきからピクリとも動かないし、出血だって止まってない。


 ――まさか、もう……。


 そう考えただけで、身体の震えがますます大きくなり、涙だってさらにあふれてくる。


 ――でも……たとえそうだとしても、私ももうすぐだから……。


 そう思いながら、目の前まで近づいてきた闇に対し、ギュッと目を閉じる。


「――――」


「――――」


 聞こえてくる足音に恐怖をいだき、数秒をそれこそ永遠のように感じながら、その瞬間を待つ。


「………」


「………」


「……―――?」


 けど、いつまで待ってもその時は訪れず、いつの間にか足音が私の後ろの方に向かって遠ざかっていることに気付き、その目を開けると――。


「――なぁ。 こぶしの王、拳王ってのはお前だろ?」


 次の標的を臼井うすいさんに定めた彼女が腰を落とし、話し掛けている真っ最中だった。


「――――」


 そのことに一瞬ホッとしてしまった自身の心を浅ましく思い、呪いたくなった。


「――………―――………」


 ここからだとよく聞こえないけど、私みたく腰が抜けてるような状態になってる臼井うすいさんの肩に手を置き、何かの話を――……というより、まるで挑発しているように見える。


「………」


 ……何のつもりかわからないけど、無駄だと思った。


 あんなに怯え切った臼井うすいさん相手に何を言ったとしても、その結果が戦いに結びつくだなんて到底思えそうもなかった。


「………」


 そして……私の視界にずっと入り続けているのは、全身から出血し、ピクリとも動かなくなってしまったあの人……。


 今すぐそこに駆けつけ、できる限りの治療をしてあげたい――けど……心の弱いおくびょう者な私はそれすらもできない。


「………」


「………」


 長い話……。


 あの人もどうして、こんな時間の無駄な――。


 私がそう考えていた、その時――。


「――――」


 ――え?


 何やらすごい形相をした臼井うすいさんが急に動き出し、そのまま彼女に全力で殴り掛かっていった。


 瞬間――。


「――――」


「……―――っ!!」


 臼井うすいさんの首からまるで噴水のように鮮血が噴き出し――それと同時にガクンと、その場に両ヒザをついたまま動かなくなった。


 彼女はそんな臼井うすいさんから出た返り血を、まるでシャワーでも浴びるかのように全身で受けた後、血塗られたナイフを鋭く振るって床に血を飛ばした。


 その振るった腕の動きに同調したかのようなタイミングで、臼井うすいさんの身体が自然と傾き――。


「――――」


 ――ドサッと、力尽きてしまったかのように倒れ、動かなくなった。


 そうして倒れた臼井うすいさんを見下した彼女は、少しうつむいていた額に手を当てると――。


「ククク……――ハハッ!」


「ハーーハハハハッ!!! これが完全勝利だっ!!!」


 そう高々に宣言しながら、ナイフを持っていない方の手を大きく横に振るった。


 その彼女の動きにつられまわりを見渡すと――確かに言った通り……今まともに立っているのは彼女とその仲間達だけのようで、ここにいた生徒の全員が床に倒れ込んでいた……。


「――――」


 壁に残る弾痕や返り血の跡とともに、周囲から聞こえてくるわずかなうめき声……。


 そんな現状を、まるで感情の無いガラス玉のような瞳で見ていた私は――。


「――………」


 臼井うすいさんも……変に彼女に逆らったりしなければ、あんな目に遭わなかったろうに、何で……。


 ――と、ひとりそんなことを考えていた。


「……それでお前が、さっきの試合に勝ち残った、この学院のトップと……」


「―――っ」


 意識を外していた私の目の前にいきなり彼女が現れ、瞬間的に息が止まってしまった。


「――ま、『視えてない』以上、お前があの二人以下なのは確実なワケなんだが……」


 み、見え……? 何……?


 彼女が何か言ってきてるみたいだけど、会話の内容なんてまともに頭に入ってこない。


「~~~~っ!」


 堪え切れず、思わず目に浮かぶ涙。


 せめてこんなヤツの目の前でだけは絶対に泣いてやるかと思ってたのに、涙はみっともなくあふれ、身体の震えだって止まらない。


 そんな私を見ながら、彼女はパッと表情を明るくさせ――。


「――ま、安心しろ」


 と、まるで親友か家族にでも接するよう親しげに、ポンポンと肩に手を置いてくる。


 それから――。


「おーい。 お前ら~撤収だ~」


「それと~……そこで動けなくなってる天西 鈴音」


「ソイツにはまだ利用価値があるから、使える薬もあるだけ使って、絶対に死なせるな~」


「輸血は今すぐ開始だ。 ――急げ」


「――――」


 彼女のその一声で黒いマントを羽織った三人組が統率された動きでいっせいに行動を開始し――。


 そして、すぐさまにあの人の腕にすぐ輸血パックがつながれ、その横に担架も用意される。


「わかるか? あの程度の傷じゃ人はそんな簡単に死なんし、むしろ逆――今からアイツを死なせないためにこれから最善を尽くしてやる」


 そう言いながら、再び――ポンポンと、置かれていた手で軽く肩を叩かれる。


 死んだかもしれないと思っていたあの人がちゃんと生きていて、その命がいま救われようとしてる。


「――――」


 その事実を受けて私の心がわずかながらに軽くなり、ほんの少しだけ口元を緩くさせると――。


「何ホッとした顔してんだ!! バ~カ!!!」


 そう叫んだ彼女が私の肩をつかんだまま、いきなり腹部を蹴りつけてきた!


「がっ!! ――ゴボッ!!!」


「――――」


 ビチャビチャ!と耐える間もなく、胃の中にあったものをその場に吐き出してしまう。


「アイツをあんな目に遭わせた張本人が私だぞ!?」


「お前も少しはさっきのヤツみたく私に歯向かうような気概を見せてみろ!」


「―――っ!!」


 そう怒鳴りつけられながらノーモーションで側頭部を蹴られ、受身も何も取れずに吹き飛ばされてしまった。


「……――チッ!」


 一度だけ舌打ちした彼女は――フンと鼻を鳴らすと、それっきり私から興味を失ってしまったかのように振り返り――。


「帰るぞ! 天西 鈴音を忘れるな!」


『は~い!!』


 彼女の指示のもと、黒い布をまとった三人が最初に落ちてきた天井の穴にワイヤーを吊るし、それを伝って上に戻っていく。


「――――」


 そうして天井に到達した三人が、下の担架の四隅にくくりつけてあったワイヤーを上から引き、それを淀みない一定のスピードで上昇させていく。


「――……あぁ、そうだ」


 そんな中、彼女がまるで忘れ物か何かでも思い出したかのように振り返り、私に向かって近づいてくる。


「――――」


 その瞬間、私は覚悟させられた。


 ――あぁ……私の人生はここまでだ……と、絶望に打ちひしがれ、身をゆだねていると――。


「おい、腰抜け」


 いつの間にか目の前にいた彼女が、私の胸倉をグイッとつかみ――。


「ここは、今から私らが帰るアジトの場所だ。 復讐したくなったら、ここまで来い」


 そう言いながら、メモの切れ端を私の胸ポケットに入れてきた。


「―――っ」


 そこに入れたれたのはただの紙なのに、今の私はそれすらも恐ろしく、その部分からゾワゾワッと何かがうごめいているように感じられた。


「じゃあな……――っと!!」


「―――っ!!」


 去り際――彼女は突き飛ばしながら、私の腹部を再度つま先で蹴りつけ――。


「ハーッハハハハハハッ!!!!」


 そう高笑いしながら帰っていった。


「――――」


「………」


 頭部を蹴られた際、それで床に後頭部も打ちつけたらしく、頭がぼーっとなってしまって思考がまともに働かない。


「……―――っ」


 そんな状態のまま……一向に痛みの引かない腹部の激痛に耐えながら――グルリとなって周囲を見渡す。


「――――」


「――……ぅ……ぁ……」


 耳を澄ますと同時に、周囲から聞こえてきたのは、小さなうめきの声数々……。


 それから、2階の観客席には意識を失ってる人や、手足にケガをして動けずにいる人がたくさんいた、けど……少なくともこうして見える範囲の中では、直接命にかかわるような事態になってる人はいないように見えた。


 だったら――。


 目下もっか、一番の重傷者は臼井うすいさんだ……っ!


 私は痛み続ける腹部に手を当てながら、全身を引きずるようにして、何とか臼井うすいさんのもとへ――。


「――――」


 っ! 酷いケガ……。


 斬られた首の傷口が血管にまで達していて、出血が止まってない……!


 まずは――血を止めないと……っ!


 すぐさま私のポケットに入っていた所持品を床に広げ、それを確認する。


「―――っ」


 今ある中で使えそうなのは、スポーツタオルにガーゼや包帯、パウダータイプの傷スプレー、テーピング……。


「――――」


 あの日以来――また何かあった時のためにって、前もって購入して携帯していた救急セットだったけど、まさか本当に必要になる機会がくるだなんて思ってもいなかった。


 傷口からの感染症や何かは当然怖いけど……それより何よりも、今は流出し続ける血液を一滴でも減少させる――その一点だけを考えないと……っ!


「――――」


 まず――スポーツタオルをマクラ代わりにして頭の角度を調整……。 傷口を一番小さくさせた状態になるよう固定し、そこにパウダースプレーを噴射。


 その上から持っていた中で一番大きなガーゼを当て、それをテーピングで貼り付ける。


「――――」


 そこまでしたところでスマホを片手で操作し、119番通報――ハンズフリーにさせた状態で床に置く。


『――はい、こちら神丘市かみおかし消防本部。 火事ですか? 救急ですか?』


「――救急です。 こちら見桜けんおう女子高等学院。 たった今、銃と刃物で武装した数人の集団に襲われケガ人多数。 重傷者1名」


「至急、救急車両の手配をお願いします」


 そう話してる間にも手の動きを止めず、手にしていた包帯で臼井うすいさんの首をグルグル巻きにしていく。


『あ、あの! もしもし!? すっ、すみません! もう一度いいですか?』


 電話の向こうのオペレーターが私の想像以上に慌てた口調で聞き返してきたので、それでこっちの方は逆に落ち着き、さっきの内容をそのまま繰り返した。


 あの時――何もできなかった悔しさから私は、救急車両の手配法についても事前に調べ、学習済みだった。


 それは、ともかく――。


 そこまでしても当然のように臼井うすいさんの首からの出血は止まらず、巻いた先から包帯が血でにじんでいく。


 だったら――と、前に応急処置のことを本で調べた時に図解されていた圧迫止血のことを思い出し、実施してみる。


「――――」


 ――これ……。


 絵的に見たら、私が完全に馬乗りになって絞殺しようとしてるようにしか見えない気がするけど、今はそんなことを考えてる場合じゃない。


「――――」


 傷口を押さえる手……。


 そこに力は入れるけど、決して込め過ぎないよう……慎重に……。


「――――」


 ドクッ、ドクッと、指先から伝わってくるのは脈拍の鼓動。


 まだ生きてる……絶対に死なせない……っ!


「――――」


『――わ、わかりました! 至急向かわせますので、それまでの間、先生の方で生徒さんをよろしくお願いしますっ』


 治療している間も続けていた通話がそれで切れ、無事に救急車が手配されたようだった。


 最後の……――あ、そっか……。 私、先生だと思われたんだ……。


 けど、そんなことより今は――。


「――――」


 包帯の上からで伝わりづらいけど、これ……。


 身体が……少しずつ、冷たく……。


 けど……私の両手はいま塞がってるし……。 これ以上は、もうどうにも……。


「――――」


 ……だったら、せめて――。


 今の……私の、この手……この両手に熱を込める……っ!


 私の体温の全てを臼井うすいさんへ送る――。


 そんな、イメージ……ッ!


「――――」


 ――あ……れ……?


 視界がグルリとまわり、信じられないほどの虚脱感を覚える。


「―――っ」


 ダメ……ッ! この手だけは……っ!


 通常の平衡感覚すら失う中、指先に細心の注意を払いながら、それでも何とか意識を集中し、必死になってその状態を保ち続け――。


「――――」


「――――」


 次に気付いた時、私はガラス一枚隔てた向こうのベッドにいる臼井うすいさんを長イスに座った状態のまま……。 それをぼ~っと眺め続けていた。


「――――」


 見ると、臼井うすいさんの口や鼻に透明なチューブがつながっていて、首には仰々しく包帯が巻かれていた、けど――。


『――――』


 こうして耳に届いてくるのは、心臓が正常に動いていることを知らせてくれる機器の電子音。


「………」


 そっか……臼井うすいさん、助かったんだ……。


 細かいことはよく覚えてないけど、あれからすぐに到着した救急隊員に臼井うすいさんを無事に引き渡せた。


 そんな断片的な記憶の一部が、頭の片隅に残っていて――。


「………」


 意識を失っている臼井うすいさん……。


「―――っ」


 そんな臼井うすいさんを眺め続けながら――ピクリと、私の指先が反射的に小さく動き――。


『――今度は……ちゃんとできたよ……』


 そう小さくつぶやいた言葉が周囲に霧散して消えていくけど、その言葉を一番伝えたかった人は、もうここにいない……。


 ここではない……別のどこかへ連れ去られてしまった。


 あの人は、今日――。


「――――」


 訳もわからず、いきなり手足をナイフで斬りつけられて身動きできなくされ……さらには両目の光すら失ってしまった……。


 それは――本当に……まるで夢か映画でも見ていたかのようで、現実感が全く湧いてこない……。


 ――そうだ……。 これはきっと夢で、今から私が目を閉じ、このまま眠って意識を失う。


 ……そして、次の日に目を覚ますと、私は寮のベッドの中にいて……。 そこからはしごを登って二段ベッドの上を覗くと、布団の中で……あの人がだらしなく寝てて――。


「―――っ」


 ピクッとなって私の腕が動いた瞬間、指先にカツンと何かに触れたような感覚がし、視線をそちらの方へ――。


「――………?」


 ……何? コレ?


 いま私が座っていた長イスの上に置いてあったのは、エアコンか何かのリモコンを少し縦長にして小さくしたような、細長の機械。


 これって、ボイスレコーダー……?


「………」


 ……あれ? 何で私、これがボイスレコーダーだって知って――。


 黙ってそれを見ていると、これを受け取った際の経緯が、色々と思い返されてくる――。


「――――」


『あの、山井出さん……コレ……』


『コレ……私のボイスレコーダーなんだけど、ついさっきまで臼井うすいさんがいた所に落ちてあって……』


『わ、私……少しでも何かの手掛かりがつかめれば、って……それでっ!』


『と、ともかく! この中にはあの時の会話が録音されてて……』


『――あぁ~っ、私が何を言いたいのか全然わからないよねっ!』


『………?』


 話す内容の要領を得ないまま、私が首だけをかしげる。


 この先輩、どこかで……。 ――あ、そうだ……いつも試合の時に実況してる、あの――。


 そう思い出していたところで続く先輩の声。


『あ~、もうっ! 変だと思わなかった!?』


『あれだけ怯えきってた臼井うすいさんが、どうして人が変わったかのようにいきなり襲い掛かったりしたのか……っ!』


『――――』


 確かに、それは……私もそう思ったけど……。


『……この中に入っているのが、その答えです』


 そう言いながら先輩が私の手を取り、ボイスレコーダーを握らせる。


『シエル会長までも、あんなにボロボロにさせたアイツ等を……――どうかっ!』


「――――」


「――――」


「………」


 経緯は思い出したけど、その内容が全く頭に入ってこない。


 ん~……何だっけ……?


 そもそもコレ、どうやって……。


「――――」


 そのボイスレコーダーにまともに視線を向ける気すら起きず、手にした感覚を確かめるかのように、それに触れていたところで――。


『――――』


『――どうした? アイツをあんな目に遭わせた私が憎くて仕方ないだろ?』


 急に聞こえてきたのは――あの声。


「―――っ!!」


 ビクッ! と、その声にすら反応して私の身体が勝手に怯え、今の場所からとっさに距離まで取ってしまう。


『――チッ……だったらお前がかかってきやすいよう、少しお話でもしてやるよ』


『あそこに倒れてる天西 鈴音は、神の血を引く一族……。 通称『神の巫女』と呼ばれる、その最後の生き残りだ』


「――――」


 驚きは全くなかった。


 あるのは――当然とか、納得といった、そんな当たり前の感情。


 神の血……。


 そっか……なるほど……。


「――――」


 ハハッと、なって口元に浮かぶ笑み。


 あの人は……最初からして私なんかとは出来が違う、神様に選ばれた特別な存在として生まれてきたんだ……。


「――――」


 そう考えている間にも彼女の会話は続くけど、今の私に聞く意思がないからなのか――聞こえてくる内容も飛び飛びで、まるで頭にかすみがかかっているかのようだった。


『これは日本の裏社会の者達にとっては常識というか、都市伝説のようなものでな――』


『座敷わらしって知ってるか? 神の巫女はそれと同じで――』


『神の巫女が子を宿し、生まれてくるのは必ず女。 数を増やそうにもその数も一人きりで――』


「………」


 こうして聞こえてくる声がうっとおしい……。 かといって、ボイスレコーダーを止める気にもなれず――。


 頭のモヤが晴れないまま……そう考えていた、その時――。


『そうだ――アイツの親……母親がどうなったか知ってるか?』


『――死んだよ』


「――――」


 長イスの上に、力なく広げていた両腕の指先が――ピクッと、勝手に動いた。


『というか、殺されたんだ』


『それとな、アイツの母親の母親……祖母も殺された』


『さらに その前の、前の、前の母親――その全員が殺されている』


『そいつらも皆、神の血を引く巫女だった』


『その神の巫女には、古くから伝わる伝承があってな……』


『――いわく、神の巫女を手にかけた者には、絶大なる幸福が訪れる――と』


『っ! そ、そんなの――』


 聞こえてきたのは臼井うすいさんの声。


『信じられんか? だが現にアイツの母親を殺し、その恩恵を得たのが今の総理で、当然その罪を問われるようなことにもなってないぞ?』


『安心しろ、アイツの命は絶対に助けてやる』


『――ククク……ッ! なぁ、美人だろ? アイツは……』


『何せ、アイツの命には価値があってすごく金になる』


『アイツはなぁ……神の巫女を孕ませるという名目で、これからオークションにかけられる』


「――………っ」


 ビクッとなり、少し跳ねるようにして動いた私の全身。


『それとどういうワケか、金で巫女を孕ませようとするやからは決まって脂ぎったブタのような奴らばかりでなっ!』


『さらにそうして子を産んだ後でさえ、アイツにはまだまだ利用価値がある』


『神の巫女が子を宿すのは、生涯一人きりの女児のみ』


『その伝承をどうにかくつがえそうと、薬やら集団強姦やらで死ぬ寸前まで散々なぶられたあげく――その後で待つのは体外受精やら大量の薬物を用いる科学実験の数々だ』


『で――それでもダメともなると、最期はサンプルとして解剖されて終わりだ』


『――わかるか?』


『アイツは、これから――どこの誰かもわからないブタどもに金で買われ、そこで無理やり孕まされたあげく――』


『それから『将来殺されるためだけの子供』を生み――最期にボロボロになって殺されるんだ!』


『――なぁ!? 最高に笑えるだろっ!? ハハハハハッ!!!!』


「――――」


『――――』


 ――ガチリと、頭の中でスイッチが切り替わったような音が聞こえた。


 導火線に火が灯った。


 撃鉄が起こされた。


 内から湧いた電流に似た何かが放電状態となって帯電し、全身をまとった。


 映る世界が広がり、目が開いた状態のまま――まぶたがさらにもう一段階開いた。


 流れる血液がまるでマグマのようになって沸騰し、それが体内を駆け巡る――。


 手に、足に、身体に――その心に魂が宿り、全身がふるい立った!


「――――」


 すぐさま胸ポケットに手を入れ、そこに入っていたメモ紙にチラッと目を通し、また戻す。


 近くの旧図書館跡。 ――そこがアジトの拠点だった。


 ここからだと、直線距離で約2kmの地点。


「――――」


 普通にバスや電車、タクシーでの移動時間を考えようとしたところで、それを脳内でかき消す。


 ――見ると、さっきまで座っていた長イスの横には、私の竹刀が袋に入った状態で立て掛けてあった。


「―――っ」


 すぐさまそれを手にし、集中治療室のドアを開け放って外に出る。


「――――」


 並ぶ正面の窓から見える空。 外はもう完全に夜だった。


 そして――。


 ガラガラッ! と、目の前の窓を勢いよく全開にさせると、そのまま迷いのない動きで窓の縁に足を掛け、そこから外へ――。


「――――」


 ここが4階だったことに、落下した後で気付いた。


 ――関係なかった。


 たとえ何であろうと、『その程度』じゃ今の私は止められないし、止まりはしない。


「―――っ」


 正面を見据えたまま――落下の途中で3階の窓の縁にワザとかかとを当て、落下速度をわずかに減速。


「――――」


 続けて同じように2階の窓の縁にもかかとを当て、さらに速度を減速。


「―――っ!!」


 落下寸前、1階の窓の縁を思いっ切り蹴りつけ、前方へ跳躍。


「―――っ」


 近くの植え込みをクッション代わりにさせながら前転――同時にその勢いを利用させながらすぐ前進。


 その際、制服の端々がわずかに破れ、指先や頬にいくつかの切り傷が生じたけど痛みは全く感じてない。


「――――」


 向かうべき距離と方向は、もう頭の中に入ってる。


 後は――そこまでの道のりを最短距離で、一直線に……っ!


「――――」


 駆け出してすぐ――目の前に見えたのは身の丈倍以上もある鉄柵と、その横に並ぶ樹木。


 このまま行けばまともにぶつかるけど、全く問題はなかった。


「――~~~~っ!」


 私の意識はまるで正面には何もないかのように――肉体も貪欲に加速だけを求め続け、その速度をさらに上昇させ――。


「―――っ!!」


 柵の手前で地面を思い切り蹴りつけ、跳躍!


「――――」


 それは――折りしもあの高さ。


 前に挑戦した時、手すら届かなかった、あの――。


「――――」


 弱い私の心が見せるのか、その高さに全く手が届かず、落下していく自身の姿がイメージとして前方に浮かぶ。


「―――っ」


 下は向かない。 正面を見据えたまま――意識をさらに遠くの先の方へ向け、見えたイメージを無理やりにかき消す。


「―――っ!!」


 そこに到達した瞬間、その枝を踏みつけ、さらなる高みへ――。


『――――』


 月明かりに照らし出される山井出 勝希の姿……。 それがあの夜の天西 鈴音の姿と重なり、身の丈倍以上もある柵を軽々と飛び越えていった――。

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