第6話 越田 剣花の見た世界 『山井出 千夏』
最初は好きでも嫌いでもなかった。
何故なら私の子供時代が、『日常=剣道』だったのだから。
自宅にある剣道道場の師範だった祖父に付き合わされ、食事と寝るとき以外は全て剣道の練習時間だった。
そんな私の日常が異常だと気付いたのは、小学校に入ってから。
私のまわりには、自分みたく腕に青アザを作っている子は男子にもいなく、剣道を習っている子だって一人もいなかった。
そのことをまわりから指摘されたことがきっかけで、今まで何とも思っていなかった剣道のことが少し嫌いになっていった。
小学校の作文で自分の名前の由来が題材になった際、自分の名付け親が祖父だったことを初めて聞かされた。
祖父は自分の孫が男でも女でも関係なく、名前の中に必ず『剣』の文字を使うことを決めていたそうだった。
そして安易に、剣と花を足しただけの『
小学校の頃は、名前が『けんか』ということで男子からよくからかわれて、それで実際にケンカになったりもして……。
そんなこともあって私は、自分の名前も、祖父も、剣道も、だんだんと嫌いになっていった。
そうして嫌々ながらも、嫌いだった剣道をやり続けた小学校の六年間……。
――けど、中学に入ってからは無理だった。
この時期になると、おのずとやってくると言われている反抗期。
それは例に漏れることなく自分にも訪れたようで、私は荒れに荒れた。
――家庭内でも、学校生活でも、部活でも。
なまじ他の人より身体能力が高かった分、私の反抗期は普通より酷いモノとなった。
そうやって荒れた日常を過ごしている中、私は知らず知らずの内に気付いた。
剣道をやりたくない、苦しい、嫌だ――そういった負の感情を剣道の動きの中に取り入れ、発散させてみる。
「――――」
私の動きが目に見えて速くなった。
どうせ防具を着てるんだ。
今度は戦う相手に、強い悪意や敵意――殺意に近い感情を乗せて剣を振るってみた。
――私の動きが一段と速くなり、そこに鋭さまで加わった。
中学の剣道大会……向かってくる相手を蹴散らし、そのまま大会を勝ち続けた私は一年で全国大会を制覇し、日本で一番強い女子中学生となった。
翌年の二年。 私はとある大会の会場で、他校の生徒と暴力事件を起こした。
原因はよく覚えていないけど、確か肩が触れただとか、そんな理由だった気がする。
三年の大会は会場での素行不良と、試合中の行き過ぎた危険行為も合わさり、それで失格処分となった。
この会場で私に敵う相手なんて、一人もいないクセに……何で――。
そう思うと、これまで嫌いだと思っていた剣道が、この機を境に大嫌いになってしまった。
それから高校に進学した際、祖父はようやく私が前々から言っていた申し出を受け入れ、剣道をやめていいと言ってくれた。
――ただし、それには条件があった。
私が入学した見桜学院で『剣王』の称号を得ること、それが条件だった。
――楽勝だと思った。
何でもそれは、その学院で最も強い剣士に与えられる称号とのことだった。
だったら何の問題もない。
「――――」
高校も、中学と一緒だった。
剣に殺意を込め、戦う相手がどうなっても構わないと、殴るように斬りつけながら勝ち続ける内――私の前にはいつの間にか戦う対戦相手がいなくなっていた。
つまり私は、一年生のまま――高校の大会でも全国優勝を成し遂げてしまった。
実績は充分。
後は学院側から『剣王』の話が通達されるのを待つだけだった。
「――――」
一週間、半月、ひと月。
一向に連絡のない学院側にしびれを切らし、私は直接学院長室を訪ねた。
「――――」
私の質問に対しひと言、学院長は私に『剣王』の称号を与えないと言った。
私では不足している、と。
「~~~~っ!!」
高校の剣道で日本一になった私に何が足りないのかとすぐに激昂した私だったけど、学院長は何も言わず、ただ困ったように眉をひそめてみせるだけだった。
「――――」
それから二年になってまた問題を起こした私は、通算何度目かになる大会出場停止処分を受けた。
そうして三年になった頃、私は学院長の方から直に呼び出しを受けた。
最上級生になったことでようやく剣王の称号を得られるのかとも思ったけれど、呼び出された場所は何故か視聴覚室だった。
多少疑問に思って首をかしげながらもドアをノックし、中へと入る。
「――――」
その中は薄暗く、部屋の中央には電源の入ったプロジェクターだけが設置されていて、正面の白いスクリーンを明るく照らし出していた。
「――来ましたね……」
プロジェクターにつないであるノートPCを操作していた学院長が私に気付くとこちらの方を向き、近くの空いている席の方をスッと指し示す。
「………」
要領を得ないまま、私はとりあえずそのイスに腰掛けると――。
「あなたにはこれから、ある剣道の試合を見てもらいます」
プロジェクターで照らしてあるスクリーンの方を向きながら、学院長がそう告げる。
「――剣道の試合……ですか?」
一体誰の? と思いながら、そのまま胸元で腕を組み、行儀悪く座っているイスの背もたれに体重を預け、後ろに傾かせる。
「――はい。 ある女子中学生の試合です」
「――――」
聞いた瞬間、不快感をあらわにさせた私は表情を曇らせ――。
「――帰ります」
短くそう告げると、ガガッとわざとイスが大きく鳴るようにさせて立ち上がった。
――中学生? 年下の? それも女子?
その情報だけで、高一で全国制覇を成し遂げた私にとって見る価値のある内容には到底思えそうもなかった。
そのまま無言で立ち去ろうとした時、私の背に――。
「これは、学院長としての命令です」
「――座りなさい」
「――――」
そう言葉を投げつけてきた学院長の眼光からは有無を言わせない、強い強制力を感じた。
「……――~~~~っ!」
口元を歪め、足音を大きく踏み鳴らしながら戻った私は――ドスン! と、さっきのイスに乱暴に腰を下ろすと――。
「――フンッ」
と言いながらそっぽを向き、身体をほぼ真横にしながら机に
「………」
私がこうして言われた通りに動いたのは、身に受ける威圧感に多少たじろいでしまったとか、学院長のことがちょっとだけ怖いって思ってしまったとか、そういったことでは決してなく――。
学院長の権力(?)に脅されて、仕方なく従った……――うん、きっとそうだ。
学院長はそんな私を見て、まあいいでしょう、といった感じで軽く肩をすくめて息を吐いた後、プロジェクターに接続されているパソコンの前へと戻る。
「――――」
メガネで白髪の学院長が、歳のわりに手慣れた感じでパソコンを操作していく。
それからしばらくして正面のスクリーン全体に映された、ある動画。
映し出された女性……――というか少女は、これからちょうど防具の面をつけようとしているところで、次に始まる試合の準備をしている真っ最中のようだった。
『――――』
幼さの残る顔立ちに、未成熟でまだ出来上がっていない身体……。
本当に中学生……。 それに、時期だってそこまで昔ってワケでもなさそう……――っていうより、むしろ最近?
てっきり過去に実在したスゴイ達人みたいな女性がいて、その人の戦う映像が白黒で流れるって予想してたけど、どうやらそれも違うようだった。
――こんな試合に、一体何が……。
そんな反抗心むき出し状態のまま、流れ続ける映像をとりあえず横目で眺め、視界に収めておく。
「――………」
見ている間に……机に置いていたヒジが自然と下ろされ、顔や身体の向きも真横から、しだいに正面へ――。
「――――」
そして――ふと気付くと私は、瞬きすることすら忘れ、流れる映像に釘付けとなっていた。
それは確かに剣道だったけれど、彼女の振るう剣はこれまで私が習ってきた、私の知っている剣道の常識とあまりにもかけ離れていた。
それだけ彼女の剣は独創的かつ自由で、何故だか人の視線を集める不思議な魅力があった。
試合そのものも毎回所々危なげで、その内容にも意外性があってハラハラさせられるというか、試合の流れ全体が――まるで演劇や舞台を見ているような……そんなストーリー性すら感じさせるようで、いやがおうにも注目させられてしまう。
そして全国大会の決勝戦――ギリギリまで追い詰められた彼女がそこから奇跡の大逆転劇をみせ、華々しく全国制覇を達成させた。
『――――』
優勝した彼女がインタビューを受けている映像が流れる中、学院長がスクッと立ち上がって振り返り、私と向かい合う。
「彼女が初めて竹刀を握ったのは中学校に入ってから……そして、いま見せた映像がその彼女が一年生で全国優勝を成し遂げた時のものです」
一年……生……? いや、それよりも……剣道を始めたのが中学からって――。
「これまで剣道を嫌い、他人に対し全く興味を向けてこなかったあなたは知らなかったでしょう?」
「――見ての通り、彼女はまぎれもない本物です」
「――――」
その言葉の裏に、あなたとは違って、という意味が含まれているように感じられたけど、不思議と何も思わなかった。
何故なら私自身も彼女のことを認め、その事実を受け入れてしまっていたから。
確かに、学院長の言う通り……剣道を心の底から嫌っていた私は、これまで戦う相手の顔や名前なんて気に掛けたこともなかった。
日常生活の中でもテレビで剣道の文字が見えた瞬間にチャンネルを変えるか、そのまま電源を切ってたりしてたし……。
「――そして、次に見せるのが二年生の映像になります」
言いながら学院長が再びパソコンを操作し、新たな試合映像が流れる。
『――――』
その後……二年、三年と、連続して流れる映像を食い入るように見続ける私。
「………」
こうして……時系列順に見てるとよくわかる。
一年生の時なんかとは、もう比較にならない……。
彼女は、試合経験を積み重ねる度……――さらに、さらに強くなっていた。
そして、一年生の時にわずかながらに見え隠れしていた隙が徐々に小さくなり、それがほどんどわからないレベルになっていく……。
リズムに乗って楽しく踊るようだった動きが、まるで日本舞踊か日本刀ような……研ぎ澄まされた動きへと進化していく。
『――――』
――……違う……それじゃあ、ダメだ……。
彼女と戦っている相手の反応を見ながら、常にそう思ってしまう。
今の彼女は、レベルというか――次元が違った。
2つか3つ……あるいはそれ以上、立っているステージが違う。
三年最後の大会……彼女は当然のごとく優勝し、その時の表彰式の映像が流れている。
その様子を眺めながら、学院長が口を開く。
「――彼女の名前は、
「あなたと一つ違いの下級生で、現在我が学院の二年生です」
そう言いながら、学院長がこちらに振り返ると――。
「今から一週間後、あなたには彼女と戦ってもらいます」
「――勝った方が剣王です」
「――――」
そう告げられた瞬間、全身がビクッとなって震え、座っていたイスごと身体を引いてしまった。
実際にここにはいない――映像だけの彼女に
今までずっと……彼女の戦い振りを見てきたけど、自分だったらどう戦うという考えは想定すらしていなかった。
最後の方で聞こえた剣王なんて、もうどうでもよかった。
本番が一週間後? 半年や、一年先じゃなく?
――いや、違う……。 たとえそれ以上の準備期間があったとしても、それで今の私が彼女に追いつける保証なんて……どこにも……。
「――――」
足りない――時間が、圧倒的に。
私は……今まで何をしてきたのだろう。
普段の練習なんてやってもやらなくても一緒だと適当に流し、最近では竹刀に全く触れなかった日も、かなり……あって――。
「―――っ」
――何はともかく、今は少しでも時間が惜しかった。
視聴覚室から出ていく挨拶もそこそこに、私は半ば逃げるような形になって廊下を駆け出していった。
「――――」
そして、そのまま自宅に帰った私はすぐさま胴着に着替え、誰もいない自宅の道場で素振りを始め――ひたすらに竹刀を振り続けた。
「――――」
「――――」
「……っ、はー……はー……」
気付くとあたりはすっかり暗くなっていて、手にした竹刀を杖代わりにしながら上体を支え、乱れた呼吸を整えていた。
「――――」
こうして……腕が上がらなくなるまで素振りをしたのなんて、それこそ数年振りだった。
胴着が汗を吸って重くなり、私の足元には汗の水溜りができている。
それでも、まだ全然足りない。
「―――っ」
わずかな休憩の後、伏せていた顔を上げてすぐさま素振りを再開。
「――――」
「――………っ」
もはや竹刀が持てなくなったほどに握力のなくなった私は、それでも徒手空拳のまま竹刀を持っているようにして構え、彼女を強くイメージして腕を振るう。
「――――」
――負け。 ――負け。 ――負け。
――負け。 ――負け。 ――負け。
――また、負け。
そうして負け続けた数が四桁に届こうとしたところで空が
「―――っ」
――また……負けた。
こちらからの攻撃は全く当たらないのに対し、何故か彼女の攻撃だけが私に届く。
――そう……この感覚に、私は覚えがあった。
「―――っ」
思い立ったら、即行動。
「――――」
「―――っ!」
ゴンと、勢いをつけて下げた頭が床にぶつかり、いい音で鳴り響いた。
私はすでに起きていた祖父に対し、どうしても勝ちたい相手がいるから稽古をつけてほしいと言い、廊下に両ヒザをついたまま頭を下げていた。
「――――」
そこまでした後で、祖父と私は最近家庭内で冷戦みたいな状態になっていたことを思い出したりしたけど、もう後には引けなかった。
「……―――っ」
祖父はそんな私を見てフンと鼻を鳴らすとそのままきびすを返し、廊下の奥へと進んでいった。
そんな――まるで自分の存在なんて無視するかのように歩き去っていく祖父の後ろ姿を見ながらも私は諦め切れず、慌ててその後を追いかける。
「――――」
そうして追いついた先――道場の中央で正座していた祖父は、そこで私のことを待ち構えていた。
「――~~~~っ!」
それを見て一気に血がたぎった私は、お願いします! と叫び、祖父に向かっていった。
「――――」
――結果、私は数合と持たずに打ち負け、そのまま意識を失ってしまった。
目が覚めると私は居間にいて、そこでご飯をたらふく食べた後、また祖父と打ち合った。
そしてまた意識を失い、ご飯を食べ、また打ち合う。
私の剣の全ては祖父に届かず、ただひたすらに負け続ける。
こうして付き合ってもらう祖父には悪いけれど、今のこの状況は私にとって非常に都合のいい、最高の練習環境だった。
「――――」
一週間は、あっという間に過ぎ去った。
結局、私は最後まで祖父に負け続け、一勝もすることができなかった。
――けど、私にとってはそれでよかった。
私の目的は、この一週間の間でできる限り強くなるくこと。
私の手前勝手な自己評価だけど、その目的だけはしっかりと果たすことができた――と、心からそう思えたから。
「――――」
最終日の夜は精神統一にあて、これまで酷使し続けた身体と心を休めるよう努めた。
そうして精神統一をしていた
「――――」
その日の深夜、私の身体はロクに動けないほどに疲れ切っているのに、明日のことが気がかりで眠気が全く訪れず、ほとんど徹夜に近いような状態で次の日の朝を迎えてしまった。
「――――」
そして、翌日の早朝。
私が眠気覚ましのため庭先で顔を洗っていると、頭の上にパサリとタオルが落とされ、同時に――勝ってこい、とひと言だけ告げられ、祖父はそのまま横を通り過ぎていった。
そのタオルでしっかりと顔を拭き、口元に笑みを浮かべた私は――行ってきます! と、かなり深めに頭を下げ、学校に向かっていった。
私の体調は最悪に近かったけど、心だけは戦意で満ちあふれ、戦う準備は万全だった。
そうして臨戦態勢を維持しながら午前の授業を受けていた私のもとに、生徒会から連絡があった。
何でも学院長が私を呼び出しているらしく、昼休みに視聴覚室まで来てほしいとのことだった。
また視聴覚室? 会場じゃなく? もしかして彼女との戦いが昼休みじゃなく放課後に変更になった……とか?
そんな疑問を覚えながらも、言われた通りの昼休みに視聴覚室を訪ね、ドアを開けると――。
「――――」
そこには――私に対し、深々と頭を下げている学院長の姿があった。
私はドアを開けた状態のまま――え? 何? と、固まっていると――。
「まず最初に、私はあなたに謝らなければなりません」
頭を伏せた状態のまま――学院長が私に話し掛けてくる。
「私はあなたに対し、決して許されない嘘をついてしまいました」
「確かに……我が学院に山井出 千夏さんは在籍していましたが、それはもう過去のことです」
「――いえ……在籍していたというのも名ばかりで、彼女はこの学院に……ただの一度も登校すらしませんでした」
「……しなかったというより、できなかった、と言う方が正しいかもしれませんが……」
「………?」
最初から真面目に話を聞いてはいるけど、学院長が何を言いたいのか全く要領を得ない。
「……何故なら、病気だった彼女は高校の一年間を病院のベッドの上で過ごし――」
「それから二年になってすぐ、病状が悪化して危篤状態が続き――そのまま亡くなってしまいました……」
「十四歳病でした」
「――――」
――……え?
なく、なった……?
なくなったって……死んだってこと……? それに、十四歳病って――。
それは、世界中の子供から――その親までもが怯えている、原因不明の死の病だった。
「これが、その時のニュース映像です」
そう言った後、設置済みだったプロジェクターから出力されたテレビのニュース映像。 そこには大声で泣く参列者の様子が映し出されていて、その次に切り替わったスタジオのキャスター達も全員神妙な面持ちになっていた。
「………」
私がいまだ事実を受け止めきれず、呆然となっていたところに学院長が続ける。
「確かに私はあなたに対し、決して許されない嘘をつきました」
「ですがしかし、彼女と戦うことが決まってそれに備えた一週間は、あなたのこれからの高校生活――……いえ、今後の人生において必ずかけがいのない財産になった、と――」
「私は確信を持ってそう言い切ることができます」
「………」
反論はなかった……それはすなわち、学院長の言ったことが事実であることを示していて……。
「――――」
「このUSBには彼女が剣道家として歩んだ中学時代――その全ての試合の映像が収められています」
そう言いながら近づいてきた学院長が、私の手の上にそのUSBを乗せ、それを両手で包み込んで握らせた。
それを見ながら、私は――あぁ……親戚のおじいちゃんとかおばあちゃんがよくこうやってお小遣いをくれてたなぁ……と、場違いなことを考えていた。
「そして、あらためて……あなたに嘘をつき、騙してしまい――本当に申し訳ありませんでした」
学院長がそう言って最後にもう一度頭を下げ、視聴覚室のドアが閉じられた。
それから――。
「――――」
『――――』
次に気付いた時、私はカーテンを閉め切った自分の部屋にいて、そのままベッドの中にもぐり込み、力のない瞳でノートパソコンの画面を眺め続けていた。
画面の中にいる彼女はとても輝いていて、剣道をしながらとても楽しそうに笑っていて……。
その姿が、とても――。
「――――」
「う……」
『うわあああああああっ!!!』
わけもわからずただ叫び、涙が止まらなかった。
布団に包まってる中で叫んだ分、その絶叫の全てが余すところなく自分に伝わり、鼓膜が破れるかと思った。
それほどの、大音量だった……。
「――――」
それから学校を休み、自室で泣き続けた三日間。
その途中――祖父が私の部屋を訪ね、もう剣を置いていいと言ってきた。
――違う……違うよ……。
打ちのめされ、負けてしまった方が一体どれだけ楽だったろう……。
彼女はもう、どこにもいない……。
勝つことも負けることもできない……そんな、別の存在になってしまった……。
『――――』
光のない私の瞳には、楽しそうに戦う彼女の映像が反射し、映り続けている。
そう……楽しそうなんだ……。 戦う本人はもちろん……戦って負けた、その対戦相手でさえも――。
相手を打ちのめし、屈服させ、最後には泣かせてしまう……。 そんな私の剣とは、あまりにもかけ離れていた。
彼女の剣は、戦った相手に120%の力を発揮させ、なおその上を行く。
一撃一撃に本人の想いの乗った、活きた剣に思えた。
『――――』
学院長からもらった彼女の試合映像は、もう数百回以上もループしていて、目を閉じていてもすぐにその場面が思い返せる。
彼女の生き方や考え――何よりもその剣技の高さに興味が湧いた。
『――――』
インターネットには山井出 千夏に関するまとめサイトがいくつも作られていて、そこから様々な情報を知ることができた。
山井出流のこと。
そして――中学三年の時、その身体はどれだけ病気でボロボロで、それでもいかに身体に負担を掛けずに動けるか試行錯誤した結果……それが山井出流の原点となったこと。
流派のことなんてこれまで意識したこともなかった私だったけど、道場でひとり――まぶたの奥に残る彼女の動きを模倣し、同じように動いてみた。
「――――」
――すごく、動きやすかった。
振るって打ち込む竹刀が、まるで伸ばした腕の延長になってしまったかのような……そんな、何とも言えない一体感に加え――。
重力、遠心力、自重――さらに相手の力さえも自らの動きの中に取り入れ、それを倍返しさせるかのような……そんな全く無駄のない力のコスト運用。
まさに力の弱い、非力な女性が強くなるために生み出された――そんな流派だと感じた。
しかし、ある程度慣れて使いこなしている内、それが間違いだと気付かされた。
「――――」
私の動きが急激に変わった。
山井出流は子供や女性でも手軽に扱える簡単な流派――それが世間一般の解釈……。
けど、それは――あくまで表面上はそう見えるというだけで、元々練度が高い者が扱うと別の顔を見せた。
「――――」
まるで重力を無視して動いているかのような加速法に加え、無限に派生していくかのような剣技の組み合わせ……。
一体、これまでの私はどれだけ低い場所にいたのだろう……。
これだけの技術を身につけられたらどこにだって行ける……。 かつて彼女が立っていた場所の……その先にさえも――。
「――――」
そのまましばらく――過ぎる時間の感覚もわからないほどに集中して剣を振るっていたところで学院から連絡があり、今度の剣道大会に出場するよう言われた。
「――――」
数日後――。
大会会場に到着した私は頭がカラッポの状態のまま……対峙する相手と向き合っていた。
「………」
彼女は戦いの中に何を求め、どんな景色を見てきたのだろう。
そして、彼女の歩むべきだった先には、一体何が待っていたのだろう。
そんなことを考えながらも私は大会を勝ち続け――いつの間にか私の優勝という形で幕を閉じていた。
それと、何だろ……。
先の決勝戦――。
「――――」
私が最後に振るった剣の切っ先がわずかに光っていたような……そんな気がした。
その大会の結果、どういうわけか私は学院長から剣王の称号を授けられ、全校集会で大々的に紹介されたりした。
何はともあれ、念願だった剣王の称号を得たことで……私、は――。
「――――」
私の手の中にはこうして竹刀が握られたまま……。 竹刀を置くことなく、剣を振り続けていた。
「――――」
そんな私が剣王の称号を得て、しばらく経ったある日。
「………」
学院長から突然の呼び出しを受けた私は学院長室前に立っており、そのドアをノックする。
どうぞ、と届いた声を聞いてから、失礼しますと言って中に入る。
「――――」
――笑顔だった。
学院でたまにすれ違う際、私に見せる学院長の顔は常に申し訳なさそうで、それと同時に少し心苦しそうな表情をしているモノばかりだったのに……。
それだけに、何の屈託のない今の笑顔がすごく珍しいと思った。
「越田さん、前にあなたと私が交わした嘘の約束……覚えていますか?」
「――――」
忘れるわけもなかった。 当然とばかりに、はいと答える。
「――フフッ。 あくまで可能性の段階ですが、その嘘だった約束が、もしかしたら嘘じゃなくなるかもしれませんよ?」
そう言ってまた嬉しそうに笑った学院長が、キュッとわずかに顔を引き締め――。
「学院長としての命令――……ではなく、今回はお願いです」
「手続きはこちらの方でしておきますので、ある生徒と寮争奪戦をしてもらえませんか?」
「今回は特例として、負けた際のペナルティも発生しないこととしますので……どうですか?」
そう言った学院長が優しげな表情になって微笑み、控えめな感じで私にお願いしてきた。
――ちなみに余談だけど、私が学校を休んでいた二週間余りの間は、私が個人で剣道合宿をしていたということになっていて、特に学校をサボッていたことにはなっていなかった。
そんな事情もあってか、私は騙されはしたものの、学院長にそこまで悪い印象というものを持ってはいなかった。
私はいいですよと、特に深く考えることなく答え、そのまま学院長室を後にした。
「――――」
その後――手続きは
あの時……まるで何かの悪戯を企む子供のように、終始ニコニコしていた学院長には悪いけど、私にはすでにある程度の予想がついていた。
前にインターネットで山井出 千夏のことを調べている時、そこで判明したことがある。
彼女には妹がいた。
――名前は山井出 勝希。 姉とひとつ違いの高一で、この学院に在籍している剣道部員だった。
妹の方も姉と同じく、剣道を始めたのは中学一年からで、そこからたったの三年で全国大会出場を決めていた。
さすがに姉とは比べるべくもなかったけど、それでもまごうことなき天才だった。
その妹が、姉が亡くなったことで更なる成長――いや、進化を遂げていたとするなら……。
「――………っ」
ゴクリと、私の喉が勝手に鳴り、一筋の汗が頬を伝った。
試合当日――早めに会場に到着していた私は、決して剣王の名に恥じぬ戦いをしようと、心構えを新たにし、入念なウォーミングアップをしていた。
『――――』
時間になって私の方から紹介され、先に会場内に足を踏み入れる。
そして、次はとうとう彼女の番、で――。
「――――」
……誰?
姿を現したのは、すごく見覚えのない女生徒……。
確かに……妹の山井出 勝希さんとは直接は会ったことはないけど、それでも前に見たことのある写真からして、本人じゃないのは明らかだった。
私の思考が停止し、固まっている間にも実況の声は続く。
『さぁ! 今回、まるで不幸なもらい事故のような形で剣王から挑戦されてしまった対戦相手……それが――』
『いま話題騒然の実力不確かなAランクの新人と言えばこの人っ!! 天西 鈴音だーーっ!!!』
『―――~~~~~~っ!!!!』
沸き上がる歓声。
――……うん。 だから、誰?
話題騒然って……最近は昼休みも練習ばかりで、あまり校内戦見てなかったけど、今ってそうなってるの?
学院長に言われてから、最近は他人に意識を向けるよう心掛けていたため、剣道に関しては強いと言われている選手の大体の顔や名前は頭の中に入れていた。
――つもり……だったけど、どこをどう思い出してみても彼女の顔や名前に全く心当たりがなかった。
そもそも、それ以前に彼女……これから戦おうとしてる今の、この状況すら理解してないような気が~……。
流れるアナウンスにいちいち反応し、何やら周囲を警戒でもしているような感じでビクビク怯えていて……。
――その後……互いに防具を装着し、近くの真正面で向かい合った際、防具の隙間から覗いて見える彼女の顔立ちはとても整っていて、それだけで美人だっていうのはわかったけど、お世辞にも強そうとはとても思えなかった。
しかし、そうしている間にも進行は進み、とうとう試合開始の合図が告げられた。
事前に張り詰めていた緊張の糸なんて完全に緩み切り、私がおざなりにも構えた、その瞬間――。
「―――っ!!!」
私の全身にいきなり突風が叩きつけられ、思わずその場から後ずさった。
「―――っ!」
バッ! と、とっさに会場奥の壁に視線を移し、そこに大穴でも開いてしまったのかと、すぐさま確認してしまう。
「――――」
壁も……周囲にも……特にこれといった変化はなく、さっきまでとの違いといえば――竹刀を持った目の前の彼女が私に向かって構えているということぐらい、で――。
「……――~~~~っ!」
ガクガクとヒザがありえないほどに震え、すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい衝動に駆られてしまう。
『――まぎれもない本物です』
何故だか不意に、あのとき言われた学院長の言葉が頭をよぎった。
な……何……!? これって……剣気!? ――彼女から!?
「―――っ」
そう思った瞬間、私の身体が本能的に――今の自分の力を最大限に高めてくれる山井出流にすがり、構えてしまう。
「――――」
なにやらブワッと、彼女の放つ剣気がさらに高まった気がした。
その間にも、ある予感が私の胸中で渦巻き続ける。
まさか……まさか……っ!
「―――っ!」
このまま負けばかりもいられないと、尋常じゃない彼女の剣気に私も全力の剣気で対応し、必死の抵抗を試みる。
「――――」
その抵抗がきっかけになってしまったのか、かなり空いていたハズの私との距離が一瞬でゼロとなり、彼女が真正面から打ち込んできた。
「――………っ!」
非常に受け辛い一撃だった。
まるで私の……この構え自体の隙をついたかような、そんな――。
威力の方も格別で、受けた側の私の身体が数センチ浮いたほどだった。
「――――」
その後も続く、彼女の捌き辛い連撃の数々。
さすがに受けてばかりもいられず、私の方からも何とか反撃に転じる。
「―――っ」
――今の……。
私の中にある……この予感を確かめる……。
その、ために――。
「――――」
――剣王の称号を得た後……何百、何千と、その型を繰り返した。
世界で唯一、彼女専用と言われただけのことはある。
限りなく近づくことはできるけど、決してたどり着けない……そんな極地。
相手が彼女なら……――ううん。 彼女と一緒なら、もしかして――。
「――――」
あの技には前準備というか、ある特徴があった。
初撃の面打ちを生かすためなのか、その前の打ち合いが極端に下段寄りになっていく。
そして、その下段寄りの攻撃にもいくつかの決まったパターンがあって、それをあえて忠実になぞっていく。
「――――」
その瞬間が近づくにつれて心臓の鼓動が高まり、それに合わせて相手の技のキレがさらに高まっていき、そして――。
「―――っ!!!」
「――――」
その瞬間――視界を覆い尽くすほどの激しい閃光が放たれた。
「――――」
「――~~~~っ!!!」
腕から足、背中全体に至るまで、ジーンと響いて残る尋常じゃない手ごたえ。
いつの間にか荒くなっていた呼吸とともに、目だって一時的に眩んでしまったらしく、視界の端でチカチカと輝く小さな星が見える。
こんなの……私ひとりじゃ絶対にたどり着けなかった……。
彼女と一緒だったからこそ、私は――。
「――――」
キーンと鳴り響く耳鳴りの中、途中で聞こえてきた実況の声に耳を傾けながら息を整える。
半ば感心しながら朧十字の解説を聞いてたけど、その中でひとつだけ誤っている点があった。
彼女は私の面の打ち込みに対し、横薙ぎの胴を放って相殺し――。
続けざまに放った胴への打ち込みも、打ち下ろしの面で対応された。
実際にやってみるとよくわかるけど、面から胴への『縦から横』につなげる動きは、最初の重力による加速と、打ち下ろし直後の反発を胴打ちに利用できる分、かなり打ちやすい。
けど、それとは逆――『横から縦』につながる、胴から面への連撃は、面の時に若干重力に逆らって打つような形になってしまう分非常にやりづらく、何よりスピードが乗らない。
「――――」
あの時――。
彼女は、私の朧を見てから動き出した上、それを逆の朧十字で迎撃した……。
「――………っ」
ブルッと武者震いのようなモノが内から湧き、竹刀を握る手に自然と力がこもる。
つまり――彼女が使ったのはただの朧十字じゃなく、朧十字・改とでも呼ぶべき技だった。
こんなことをできる相手が、年下の女子にいることが信じられない。
ううん、違う……。 そもそも朧十字・改を放つことができる人間なんて、世界のどこにも――。
「――――」
「あなた……誰?」
そこまで思い至ったところで、自分の思っていたことがそのまま口から出てしまっていた。
「――――」
彼女は私の問いを受け、少しだけ慌てた様子を見せたかと思うと、不意にピタリとなって落ち着き――。
「
と、真剣な口調で告げてきた。
「――――」
動揺は、なかった。
彼女はそう言っていいほどの……そう宣言していいだけの、確かな実力者だったから。
私の目に映る彼女は、不思議と嘘をついているようには見えなかったけど、それでも死者は絶対に生き返ったりしない。
――けど……。
山井出 千夏と戦えなかったことを悔やんで悲しみに明け暮れ、自室で泣き続けた日々。
戦う前に学院長が言っていた、前の約束が嘘じゃなくなるかもしれないと言っていた、あの言葉の意味。
「――~~~~っ!!」
そんな事情も相まって、今の私には防具を着けて構える目の前の彼女が、もう山井出千夏にしか見えてなってしまった。
「
そして、私の方からも自身の名前を告げ、戦闘態勢に入った。
「――――」
普通の相手だったら対応すらできず、耐え切れなくなってしまうような攻撃でも、彼女だったら絶対にその全部を受け止め切ってくれる。
だから大丈夫……っ! 彼女――山井出 千夏に、私の全てをぶつけるっ。
「―――っ!」
そう思いながら一気に距離を詰め、速度を特化させた最速の打ち込みを繰り出す。
「――――」
それを当然のようにいなし、あまつさえ反撃すらしてくる。
――その防具の隙間から見える彼女は笑っていて、本当に楽しそうだった。
「――――」
その笑顔につられ、私にもつい笑みが浮かんでしまう。
――あぁ、そうか……。 これが彼女の……山井出 千夏と戦っていた相手に見えていた景色だったんだ。
「――――」
それと同時に、いやがおうにも理解させられてしまう。
このまま戦いが続くと形勢がどうしようもなく傾いていって押し切られ、いずれ負けてしまうであろう、その結末を。
彼女と戦った相手は、誰もがその実力以上の力を発揮し、今の私もかつてない速さで動けてる。
けど、もし仮に……目の前にいるのが本物の山井出 千夏だとしたら、代わりに見せてあげたいと思った。
あなたが本来歩むべきだった、決して間違っていなかった未来の……その先を――。
「―――っ!」
つばぜり合いになって弾かれた瞬間、私は自ら後ろに跳び、彼女から大きく距離を取った。
「――――」
そして、おもむろにその場に両ヒザをつき、今まで手にしていた竹刀をコトンと床に置くと――。
そのまま、着ていた防具に手を掛け、小手から面――次に胴へと、順番に防具を外していく。
「――――」
……もし、これが本当の剣道の大会だったら、この時点で試合は中断され、私はそのまま失格負け。
けど、これは……学院内での寮争奪戦。
その進行の判断基準は、審判役を務める生徒会長に全て委ねられてる。
――大丈夫……。
相手が彼女だったら、たとえ私が防具を外したとしても大怪我を負ってしまうような事態になんて絶対にならない……。
この戦いを一番近くで見てた会長だったらわかるでしょ?
それにこうしないと、今の私の全力を彼女にぶつけられない……見せてあげることができない……っ。
だから……中止にだけはしないで……っ!
「――――」
防具を全て外し終えた私が立ち上がり、その場でトーン、トーンと軽く跳び続ける。
――イメージするべきは風……。
身体の重さを可能な限り軽く……。 まるで風に乗って舞い踊る……。 軽い……木の葉のように……。
それでいて、加速する動きは疾風のごとき速さと――さらに、かまいたちのような鋭さも兼ね備えた……。
――そんな、イメージ……。
それを頭の中で……強く……強く思い描く……。
集中、集中……さらに集中……。
「――――」
その
そうだ……会長……っ。 いま生徒会長に止められたら、この戦いは――。
「――――」
私の思考が一時的に中断され、胸中で嫌な不安が渦巻く中、生徒会長が高々と両手を左右に広げ――。
「試合再開っ!! 両者ともに全力で戦い抜いて下さいっ!!」
そう叫び、胸元で両腕を交差させた。
「――――」
思わず目尻に浮かんでしまう涙。
――あぁ、カッコイイなぁ……。
生徒会長に選ばれたのは伊達じゃない……。
それに、学院長や私のおじいちゃん……。 そしてもちろん、目の前の彼女だって……。
山井出 千夏……。 あなたの目に映る私はどうですか?
少しでも、カッコイイあなた達に近づけてますか?
受け止めてもらいたい……。
あなたと一緒だからこそたどり着けた……今の私の――全力をっ!
「――――」
これまで木の葉のように舞っていた剣花の身体が突如一陣の突風となり、鈴音に襲い掛かっていった!
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