姉→妹 編
第2話 ????の見た世界 『激痛』
「――~~~~っ!!!」
久しぶりに私に戻ってきた感覚――それは、あまりにも耐え難く……凶暴で、圧倒的過ぎる。
――『激痛』、だった。
『赤く熱せられた鉄の棒が、胸の中心を貫き続けている』
そんなイメージが、とっさに頭の中に浮かんだ。
――こ、れ……痛い、っていうより……――いや、やっぱり痛い。
「……~~~~っ!!」
不意に襲ってきた月のもの痛みに耐えるかのように、自分ではどうすることもできない激痛に、ただただ身をゆだねる。
「………っ!! ――~~~~っ!!!」
……あれ? もしかして、これって……痛みが、どんどん増してない?
「――――」
イメージの中の――赤く熱せられた鉄棒が徐々に暴れ出し、のた打ち回るヘビに変わっていく。
――うん、これは~……増してるね。
だいぶ、相当……――かなり、痛いっ!
痛い、痛い、痛い……っ。
これ以上は……さすが、にっ! 耐え切れなく、なりそう、なんですっ、ケドッ!!
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!
繰り返し言っている内に、だんだん良くなってきたりしないかな?
――痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛いっ!!
イメージの中のヘビさんが好き勝手に暴れ続ける。
――いっ!! だいっ!!
もはや痛いじゃなく、イダイ。
――~~~~っ、イダイ、イダイ、イダイ、イダイッ!!
「――ぃ゛……っ!!」
「――………」
――声が出た。
「――――」
その事実によって、今さらながらこの状況に疑問を覚えた。
私の指先から上に伸びていった糸の
――それじゃあ……今のこの身体って……あの、彼女の……?
彼女は上からやってきて、下に落ちた。
――そう。
『上から落ちた』ってことは、彼女は『一度死んだ』ってことになる。
――けど、今の私は痛い。
それはもう泣き叫びたいくらいに、メッチャクチャ痛い。
『痛い』
そう――痛いっていうのは、生きてるってことの何よりの証拠だ。
つまり、今の私は……――実際に、生きてる?
そういえば、声だってさっき出た。
ん~……だったら、それ以外は?
加速度的に悪化し続ける痛みから少しでも気を紛らわせようと、痛み以外の感覚にも意識を向けてみる。
「――――」
――ぅ゛……っ。
やった瞬間に後悔した。
え、何? 砂利? 炭? 毒?
ジャリジャリと口内から感じる――凶悪的過ぎる不快感。
例えるなら――ものすごく苦くて、毒みたいにマズイ味のする砂利が舌の上に乗ってるような……そんな状態だった。
「……~~~~っ!!」
見えなくたってわかる。
きっと今の私の眉間には、かなり深いシワができてしまっているのだろう、と。
――そうだ、目……。
目は開く?
「――――」
そう思い、すぐさま開けようとした、そのまぶたが……すごく、重い……。
というか……身体全体が、ありえないぐらい……重い……。
――まるで……鉄、みたく……。
「………」
ん? ……何で鉄?
思うところはあるものの、今度こそ渾身の力を込め、ギギギッとまぶたを開いていく――。
「――――」
やって後悔した……その2。
「………」
――血の海の中に、私はいた。
見える血は完全に乾燥し切っていて、乾いた絵の具っぽく見えなくもないけど、多分間違いないと思う……。
うつ伏せに倒れたまま……ズキズキと痛み続ける胸。
そっか……。
――この子は、胸を刺されて死んだんだ……。
そして……何故だか今、生き返ってる?
「………」
ダメだ……頭が回らない……――けど、そんなことよりも……あれ、って……。
「――――」
ブレた視界の中、それだけにピントが合い、目が離せない。
床に落ちてキャップが開いたままの……飲みかけのペットボトルの水……。
ただ、そのことだけを考える。
みず……。
――喉が……渇いた……。
「―――っ」
一度意識してしまうと、もう駄目だった。
ただ床に転がっただけのペットボトルの水が、まるで砂漠かサウナにいる中、グラスに入ってキンキンに冷えた氷水のようになって私の目に映る。
「――~~~~っ!」
腕にありったけの力を込めると同時に、パリパリッと鳴る乾いた音も耳に届く。
「――――」
見ると、どうやら乾燥して絵の具みたいになっていたまわりの赤黒い血がヒビ割れて剥がれ、パラパラと床に散らばっていく音のようだった。
「――~~~~っ!!」
全力で込めた力の大きさと、実際の腕の動きがあまりにも伴わない。
あまりにも……遅い……。
「――――」
「……―――っ!」
数センチずつ伸ばしていく腕の動きを、まるでマラソンか何かでもしているように感じながらも、その手がようやくペットボトルに触れてくれた。
「――~~~~っ!!」
届いたキャップのふちにギリギリ掛かった指先で、どうにかペットボトルを自分のもとまで引きずり寄せていく。
目の前の水を今すぐにでも飲みたいのに、目がかすんで力もまともに入らないため、どうしてもゆっくりとした動きにならざるを得ない。
マラソンをしている
「―――っ!」
そこで突然、背中に背負わされた巨大な荷物。
そんなイメージをとっさに思い浮かべてしまったこともあり、ペットボトルを引きずるたった数十センチの動きが、先の見えない途方もないものに感じられた。
「――――」
それでも、ようやく待ちに待った瞬間がきた。
「―――っ!」
最後に残った力を総動員させ、一気に持ち上げたペットボトルを、そのまま口元へ――。
「っ!! ――ゴブッ!!」
いきなりひと口目でむせてしまい、全く水を飲めなかった。
――そう……だった! 最初から口の中に入ってた『物体X』の存在を完全に忘れてた……っ!
けど、そのおかげ? といっていいのか、口の中がこれでようやくスッキリし、これまでずっと続いていた不快感がようやく消えてくれた。
気にしていたわだかまりがひとつ消えたところで、多少中身が減って軽くなったペットボトルを再度口へ持っていく。
「――――」
「~~~~っ!」
五臓六腑に染み渡るとはまさにこのことかと、そう強く実感した。
口から入った水が、胃の中心から全身に広がり……細胞の一つ一つにまで染み込んでいくイメージが鮮明に頭の中に思い浮かんでいく。
「っはぁ~~……」
ペットボトルの中身が全て空になって床に落ち、充足した満足感とともに大きく息を吐き出す。
「……―――っ」
グッと手に力を込め、その感覚を確かめる。
まだ……相当に弱いけど、これまでとは比較にならないぐらい――楽に手が動かせるのがわかった。
「………」
それとは別に……自然と気に掛かってしまうのは、水を飲んでいる間からずっと目が離せず、視界に入り続けていたもの。
それは――ペットボトルの横に置いてあったコンビニ袋の中から覗いて見えるサンドイッチと、200mlの牛乳パック。
「―――っ」
やることはさっきと同じ……――けど、さっきより自由に腕が動かせるようになった分、まだ気が楽だった。
「……~~~~っ!」
相変わらず……さっきから死ぬほど胸が痛いし、腕だってまともに動かせない、けど……っ!
――ご飯……っ。 ごはん……っ。 ゴハンッ!
そう。 下にいた時はお腹なんて全然空かなかったけど、今は別。
むしろ逆に、これまで何日も食べてこなかった分の反動で、頭の中が食べることだけで埋め尽くされてしまった。
「――………っ」
何とか手元まで持ってきたサンドイッチのフィルムを細かく震える指先で剥がしつつ、牛乳パックの飲み口にもストローを突き刺し、それで準備完了。
「―――っ」
我慢なんてもう無理――。
舌だけでなく、口の中全部を使って味わい尽くすつもりで、目の前のサンドイッチにモギュッとかぶりつく。
「――――」
口に含んだ瞬間、ふわりと溶けるように消えたサンドイッチと、その後から
――空腹は最高のスパイス。
その言葉の意味を身をもって噛み締めながら、むさぼるように食べ、飲み続ける。
「――――」
瞬く間にサンドイッチはお腹の中へと消え、牛乳だって全て飲み尽くす。
「っはぁ~……」
お腹いっぱい~と、大満足で息を吐き出しながら、ふと思ってしまう。
何だか、これって……まるで夢みたい~、と。
そう考えてしまったのがきっかけだったのか、何なのか――。
「――――」
次に気付いた時――私の世界が瞬時に切り替わっていた。
「………」
上は星で、下は濁流。
もう慣れ親しんだと言っていい……いつもの、あの世界が目の前に広がっていた……。
空腹も……胸の痛みも……。 たった今まで味わい尽くしていた、あの味覚さえも……。
ありとあらゆる感覚が、一瞬で消失した。
それに……今まで何をどうやっても動かせなかったこの身体だって、まるで何かから怯えるように縮こまった状態のまま……それって、つまり――。
「――――」
私……また死んで……もう一度ここに戻ってきたんだ……。
「………」
ハッキリ言って、いま起きた現象は奇跡だったんだろうなって……あらためてそう思う。
おそらく……一度死んだであろうあの子の肉体が何故か再び目覚め――さらにどういうワケか、その身体を私が動かせてた。
そんな状態の中、私は自分の本能と欲望に赴くまま――まるで動物みたいに浅ましく行動してただけだった……。
覆水盆に返らず……。 私は神様がくれた奇跡のような瞬間をドブに捨ててしまった……。
――だって、あれは……。
絶対にありえないって、頭の中でわかってるけど……もしかしたら――。
「――――」
もしかしたら……私が生き返る可能性のあった、最初で最後のチャンスだったかもしれないのに……。
「………」
それとも……やっぱり、夢だったのかなぁ……。
あれから時間が経つにつれ、そう思う可能性の割合が徐々に高まっていく、けど……。
どれだけ考えてみても答えは出ず、答えてくれる人だっていない……。
「………」
もう過ぎ去ってしまったこととはいえ、あの時の私に何ができたんだろうと、冷静になって思い返してみる。
とりあえず止血? それとも携帯を探して119番? ――いっそのこと、大声で叫んで誰かに助けを求める?
少し考えただけで、あの時できたこと……やらなきゃいけなかったことが、次々と頭の中に思い浮かんでくる。
――だって……あの身体はそもそも私じゃなく、あの子のものでもあったのに……それを、私は……。
「――――」
「………」
「………」
それから一体……どれだけの間考え込んでいたのか……。
何もする気になれなかった私は、ぼーっとなった状態のまま……下で荒れ狂う濁流の渦をただ眺め続けていた。
そんな時――。
「――――」
先ほどから視界の端にチラチラと、私の指先から伸びていたままになっていた糸の存在を、ようやく頭が認識した。
……――あれ?
糸が、そのままって……。
……うん。
――つまり、どういうこと?
「――――」
「―――っ!!!」
二度目ともなると、さすがにもうわかる。
……これ、は――。
五感が戻った時の、あの感覚……っ。
「――――」
「――………っ!」
状況は以前と同じ……相変わらず死ぬほど胸は痛いし、視界だってブレてかすんだまま。
私の――ついさっきまでの……いきなり五感が途切れて下に戻ったのって、もしかしてこの身体が一度意識を失ったから?
――だとしたら……。
「――――」
今すぐにでも病院に行かないと、この身体はきっと助からない。
だったら――さっき下で思いついたことを、今すぐにでも実行しないと……っ!
私の中にある理性がひっきりなしに何度も、冷静な感情で的確にそう告げてくる。
「――――」
けど、それとは別――私の中にあるもうひとつの感情が心の中で葛藤し、その行動をすぐに実行に移させない。
確かに……このままどうにかして病院にたどり着けさえすれば、この身体は助かるのかもしれない。
――けど。 それと同時に間に合わず、そのまま命を落とすかもしれない。
どっちの可能性が高いかだなんて、今の私にはわかりっこない。
だったら……どうせ同じ死ぬのだったら、どうしても行きたい場所が……会いたい人がいた。
――パパ、ママ……かっきちゃん……っ!
両親と、大切な妹に……ひと目でいいから会うんだっ!
「………っ! ――~~~~っ!!!」
その瞬間! 心の内からあふれ出た私の全力――。
両腕に込めたその力で思いっ切り上半身を起き上がらせたと同時にパラパラ――と乾いた音が鳴り、固まっていた血も床にこぼれ落ちる。
「―――っ!!!」
勢いそのまま――起き上がった際の反動を利用しながら片足を強引に前に踏み出し、その片ヒザに全ての力を込めながら上半身を一気に起こし、立ち上がる。
「……~~~~っ!!」
ここで倒れたら、もう二度と立ち上がれない――そんな覚悟を持って臨みながら必死になってバランスを保ち、グッと正面を見据える。
「――………」
私の視線が壁の一点に集中したまま……固まってしまい、動かせなくなる……。
一瞬、ここはあの病室なのかと、勘違いしそうになった。
『私立
その学生服が、目の前の壁に掛かっていた。
それこそ……これと全く同じモノが、私の入院してた病室の壁にも掛かっていたのだから……。
以前の私が憧れ……そこに通うことを夢見ながら、ついには一度も袖を通すことができなかった、あの制服……。
――ウソです。
ちょっと気になって、病室で何回か着替えたりしてました。
この制服はジャンパースカート――つまり上下がつながってるワンピースタイプで、その色は真っ白。
スカートの長さはちょうどヒザ丈ぐらいで、袖口とスカートの端――それからセーラーカラー部分の三箇所に紺色のラインが引かれ、それがいい感じのアクセントになってる。
ちなみに冬服はその夏服と色が反転したバージョンで、紺色の下地にホワイトラインが入ったタイプだったりする。
それ以外にも、この制服で大きな特徴になってるのが、胸元でリボン結びになってるやけに大きくてボリュームのある青色のスカーフ。
まるでそれがテディベアのリボンみたいに見えて、それがまた可愛いの可愛くないの、って――。
……あれ? スカーフの色が青ってことは……この子、私と同い年の高二なんだ……。
「………」
チラリと視線を下げ、いま着ている血みどろの制服と、壁に掛かっている真新しい学生服とを見比べる。
……――うん。
さすがに着替えよ。
命が懸かってるこの状況でさえ見た目を優先する私って、ある意味大物かなぁ……って我ながら思いつつ、脱いだ制服はダイレクトにゴミ箱に入れ、いそいそと新しい方の制服に着替えていく。
「――――」
そうして、着替えた――はいいけど、制服で手ぶらっていうのも何だか手持ち無沙汰っていうか、肩や手が寂しく落ち着かない感じがしたので、とりあえず机の上に置いてあったカバンも一緒に持っていくことにした。
「………」
そして、今いる部屋のドアノブに手を掛けたまま……もう一方の手で内カギのロックを解除。
そこからゴクリと息を呑み、いざ外へ――。
「――――」
まず最初に目に入ってきたのは左右に向かって異様に長く伸びる廊下と、真正面に規則正しく並ぶ大きな窓……。
それから……その窓の外に見えるの、って……――校舎?
「――――」
そうだ……何となくだけど、見覚えがある……。
もしかして、ここ……中学の頃にも一度学校見学の時に来たことのある……見桜学院の校舎?
目がボヤーとなってよくは見えない、けど……この着てる学生服からしてそうだし、それでほぼ間違いないだろうと思った。
それから、さっきまで私がいた部屋の中にベッドやら勉強机が置いてあった、ってことは……ここって、その学院内にある学生寮?
「………」
そっか……と、納得してから小さく息を吐き出し、少しだけ表情を緩ませる。
よかった……。 この学院からなら、バスですぐだ。
――家と学校が近い。
それも私が見桜学院を選んだ理由のひとつだった。
「……~~~~っ!」
ズキズキと痛み続ける身体に鞭打ちながら、とりあえずこの寮から出ないと何も始まらないと、引きずるような足どりで先を目指す。
今日が何月何日の何曜日で、今は授業中かもしれない――といった、そんな細かな事情は全く関係なかった。
私の身体が……足が……――この心臓が動き続ける限り、一歩でも自宅に近づく。
ただそのことだけを考えながら必死になって足を動かし、一歩ずつ歩みを進める。
「――――」
幸いにも――というか、私が校内を徘徊している間の中で、運悪く誰かから呼び止められたりするような事態も起きず、無事に校門までたどり着くことができた。
「……―――っ」
そこでしばらくの間、校門に手をついたまま動けず……うつむき加減になっていた私だったけど、そこからようやく乱れていた呼吸を整え、意を決して学院の境界線を越える。
こうして一歩外に出てしまえば、後は自宅に向かうだけ……っ!
そう思いながら校門近くにあったバス停まで引きずるようにして歩いていき、そこのベンチで疲れ切った身体を再び預ける。
「――――」
バスは5分と待たずにやってきた。
「……―――」
ベンチから反動をつけて立ち上がった際、カバンにぶら下がっていた定期入れが揺れたことで、その存在に気付くことができ――。
その中に入っていたICカードをパネルにかざすことで無事、到着したバスに乗り込むこともできた。
「――――」
バスは比較的空いていたため、問題なく空いた座席に座って身体を休ませることができそうだった。
「………」
疲れ切った状態で流れる景色を見ている間、バスの窓から微妙に反射して映る自分の横顔が視界に入り、そこでふと気付く。
そういえば……血。
「――――」
そう思ってとっさに顔に手を触れると、乾燥して固まっていた血がポロリと剥がれ、スカートの上にパラパラとこぼれ落ちてきた。
腕や足に多少ついていた血もそれと同じような状態で、軽く触れただけで簡単に払い落とすことができた。
それとは別に、汗を吸ってわずかに残ってしまった血もあったけど、そっちの方は制服のポケットの中に入っていたハンカチで普通に拭き取っておくことにした。
「………」
――私ってば、こうしてまた……見た目なんか気にして……。
そう思いつつも、口元には力なく笑みが浮かんでしまう。
――だって……私はもう腹をくくるって、自分でそう決めたから。
このまま自宅にたどり着いて、絶対にかっきちゃん達と会う……っ!
それまで私は、身体の――この状態のことを完全に頭の片隅に追いやって、家族のことだけを考えてやるって。
――そう、心に決めた。
だって……そうしている間は、何故だか自然と胸の痛みが和らいでいく……――ような気がするしっ。
そう思っていたからこそ、制服に着替えた時も意識的に胸の傷口をあえて見ないようにしてたし……。
――まぁ……実際問題、そんなのただの気休め……。
今の……この身体だって、もう……このバスの座席から立ち上がれるかどうかだって、怪しい……のに――。
「――――」
「――――」
――あれ?
何というか……私自身すっごく思い詰めてたんだけど、普通に自宅までたどり着けてしまった……。
「………」
ま、まぁ……着いてしまった以上、考えるのはこれからのことだと、再度気持ちを前向きに切り替え、今この瞬間のことに意識を集中させる。
「――――」
――き、緊張~~……。
よく考えてみたら、この身体は別人の――言ってみれば赤の他人なワケで、これから先どう行動すればいいのだろうと今さらながらに気付き、イヤな汗が額からにじみ出てきてしまう。
「………」
私の住んでいたこの家は、よくある普通の一般家屋で、特徴っていったらちょっと広めの庭ぐらい、で――。
「――――」
中をよく見ようと玄関先まで近づいたところで――キィと、鉄製の
そのままトトッと、自然に足も前に出てしまい――敷地の中へ一歩、二歩……。
「――――」
視線は前方へ向けたまま――後ろ手で鉄柵を閉め、動きの流れで郵便受けの中を確認。
その次に、身体の向きを玄関――ではなく中庭の方に向け、ズンズンと奥へ進んでいく。
「――――」
「ん~……――しょっ……と」
庭先にいくつか並んでいた植木鉢から目的のモノを選び、その中のひとつへ、何の
それは――何も植えられていない、粗い砂だけの入った植木鉢で、その砂の中に埋もれて隠してあった予備の家のカギを見事に掘り当てる。
「――~~♪ ~~~♪」
手にしたカギを鼻歌混じりに庭先の水道水で洗い、蛇口近くに掛けてあった布でしっかりと水気を拭き取る。
「――――」
戻った後、そのカギを玄関の鍵穴に差し込んで回すと同時にカチャリと音が鳴り、無事に玄関のカギが開く。
それで普通にドアノブが回ることを確認した後でクルリと引き返し、使い終わったカギはまた元の植木鉢の中へ……っと。
グイグイ、ポンポンと、元あった場所にカギを埋め込み、ちゃんと戻しておく。
「――――」
その後、再び玄関前まで戻ってきてからガチャリとドアを開け、中に入る動きに合わせて軽く息を吸い、ひと言。
「たっ――」
「――――」
『たっだいま~』と元気に言いかけようとした瞬間、我に返った。
――あ、あっぶなーっ!
あんまりにも普段通りなことをしたせいで、今のこの状態のことを完全に忘れてたーっ。
中身はともかく、見た目は完全に別の人なんだからーっ。
――あ……あれ? そういえば……これって、不法侵入?
い……いやいや~……違う、違う~っ。 ま、まだ大丈夫~……な、ハズ~。
……そ、そうならないようにするためにも~……。
え~~っ、と……そ、そう! まずは挨拶っ。
「――――」
「――こ……こんにちは~……」
玄関に誰もいないのはひと目でわかるけど、とりあえず形式的に声だけは掛けておく。
「……誰、ですか?」
「――――」
心臓が止まるかと思った。
私の予想に反し、斜め上方から聞こえた声。
それが不意打ちだったことも合わさって、それで私の心は一気に臨界点を超え、頭が完全に真っ白になってしまった。
「――――」
その上の方にいた人物。
つまり……ちょうど2階の階段から降りてきた――私の『妹』と、目が合っていた。
通称『かっきちゃん』。
前に生きてた頃の……私の大切な妹。
特徴:可愛くて、黒髪ショートで、カワイイ
歳は私とひとつ違いの16だから~……今は、高一?
「………」
――あ。 あの目、知ってる。
ツンデレなかっきちゃんがたまに見せる、不機嫌そうにしてる時の顔だ~。
……ん? ちょっと違う?
不機嫌っていうより……不審?
――って! そうだった!
いま一番不審なのは、この私だ!
「……あの――」
トンと階段を一歩降りたかっきちゃんが、さらに不審さを増した表情になって私の顔を覗き込んでくる。
「あ! あのっ!! わ、私は――っ! 学校からっ、近くに来てっ!」
あまりに突然の事態で混乱しまくりの私は軽いパニック状態になってしまい、自分自身で何を言っているのかもわからなくなってしまった。
「―――っ」
そんな時でさえ――私の意思とは関係なく、心の奥底からあふれ出てしまう別の感情。
『かっきちゃんと会えたっ!!』
もう二度と会えないハズだった、何よりも愛しい妹との再会。
『嬉しいっ! 嬉しいっ! 嬉しいっ!! 嬉しい~っ!!!』
『ちょっとジト目になってる、あの顔もカワイイな~♪』
――っ、と。
えへへ~と、思わずニヤけそうになった口元をかっきちゃんから見られないようにして隠す。
「――な……何……?」
急にうつむいた私に警戒したのか、かっきちゃんの声色が変わった。
――あ。 この声よく聞く。
私のコト、ちょっとキモいとか思ってる時のかっきちゃんの声だ~。
「~~~~っ!」
そのことさえ愛しく、緩んだ涙腺からポロポロと涙がこぼれ出てくる。
――って、違う、違う、違う~っ。
これ以上は絶対にヤバい~、っていうか――もう完全に不審者だよっ!
と、とりあえず……何でもいいから~、ともかく喋らなきゃっ!
「――グスッ、えっ、と~! わ、私は
鼻をすすり、顔をうつむかせていた状態から思わず出てしまった言葉は、本来の自分の名前だった。
「あ、あのっ! 違うくて! ――な、何ていうか……わ、私――」
「――――」
「――もしかして、姉の友人の方ですか?」
さっきから口が上手く回らず、完全にしどろもどろになっていた私に対し、かっきちゃんの方から助け舟を出してくれた。
「――そ、そうっ! マブ!!」
またもやよくわからないことを言ってしまった私だったけど、そう叫んだ言葉に合わせながら親指を立て、かっきちゃんに微笑んでみせる。
「――……そうですか。 とりあえず、中へどうぞ」
ピクッと、かっきちゃんの眉が一瞬動いたのを見てから気付く。
どうやら私が急に顔を上げたせいで、うつむき加減にして隠してた今の泣き顔を見られてしまったようだった。
別にかっきちゃんにだったら見られてもいいんだけど、これ以上変に思われたら、さすがに警察呼ばれるかもだし~……。
せ、せめて、今からでも普通に接するよう心掛けないと~っ。
そんな新たな決意を胸に
「――――」
それから――とりあえず私が案内されたリビングの席に着いたところでかっきちゃんの方から
うん、知ってる~♪
「………」
「………」
そこで流れる不自然な沈黙……。
話し終えたかっきちゃんが私の顔をじっと見つめ、まるで何かを待っているようで――。
「――って! そっか! 私の名前っ!!」
かっきちゃんと目が合うのが嬉しくて、完全に忘れてた~っ!
「え、え~っと……わ、私は~~……―――っ!」
ワタワタとなって、どうしよう~と なっている間にハッと気付く。
「そ、そうだっ! 生徒手帳っ!!」
あせった私が大慌ての動きで胸ポケットに手を入れた瞬間――そこからコツンと、一冊の手帳がテーブルの上に滑り落ちた。
「あっ! あった~! よかったよ~っ!!」
それは間違いなく生徒手帳だったようで、すぐに名前の項目に目を通す。
氏名欄に記載された、『天西 鈴音』の文字。
え、え~っと……何、だろ? てん、にし? ――違う、違う。 あまにし?
名前、は~……すず? えっと~……すずー、鈴はリンリンで~……次は音?
リンおと? ――じゃなく~、りんね……かな?
「――あっ! あまにし……りん、ね……?」
「それが、私の名前みたい、です……」
よろしくです、と言って私が頭を下げると、よくできた妹であるかっきちゃんもハイと言って、頭を下げ返してくれた。
多少怪しかったところはあったものの、それでお互いの自己紹介は問題なく無事に済み、私は安心した気持ちになって大きく息を吐き出した。
「――――」
そうして下を向いていた際、自然と視界に入ってきたのは、さっきまで意識していなかった生徒手帳の顔写真。
前に一度だけ……下で出会った時に知ってはいたけど、ここに写ってる生徒手帳の写真はさらに印象が違って見え――。
「うっわぁ~~っ!! これが私!?」
ガタン! と、いきなり立ち上がってテンションMAX。
「ロングの黒髪が、純和風って感じの顔立ちにとっても似合ってて、ものすっごくカワイイ~ッ!!」
「ね♪ ね? ――い、妹ちゃんも、そう思わない!?」
かっきちゃんをどう呼ぶか一瞬悩んだ結果、とりあえず
今の私は前の私の親友ってことにしたし、きっと大丈夫だよね?
「――そ、そうですね……とてもお綺麗だと思います……」
……あれ? かっきちゃんってば……何か、顔引きつってる? っていうより、テンション低い?
この子……同性の私から見ても相当――メチャクチャに可愛いと思うのに……何で?
それに今の言い方だってものすっごく他人行儀で、何だか奥歯にモノが挟まったような物言いだし、私に遠慮でもしてる……とか?
そう考えながらも、こうして私の目の前にかっきちゃんがいる限り、これ以上他のことに意識を向けているヒマなんてあるハズもなく、行動あるのみだった。
「――――」
それは――まさに夢のような時間だった……。
自己紹介のそのすぐ後、大きく鳴ってしまった私のお腹の音を聞いて、かっきちゃんは作り置きしてあったカレーを温め直し、よそってくれた。
「――――」
ひと口食べた瞬間、また涙があふれた。
私の大好きな……お母さんの手作りカレーだった。
私は、こんなに美味しいカレーは生まれて初めて食べたよ~と、涙ながらに伝えた。
大げさですよと、かっきちゃんは肩をすくめてみせたけど、私が本当に本当っ、嘘じゃないよっ! って力説すると、ハイハイとあきれ顔で言ってくれた。
不謹慎だけど……今この瞬間なら、私は死んでしまっても構わないって――本当に……心からそう思えた……。
「………」
――ま、実際には何事もなく、私は口元をニヤニヤさせながら、かっきちゃんとの久しぶりの会話を思いっ切り楽しんでただけだったけど~。
そんな中――。
「――――」
続く会話の中で私が『千夏』の名前を口にした瞬間、かっきちゃんの表情がわずかに曇り、漂う空気もどことなく重苦しくなったように感じられた。
「………」
「………」
「……――ぁ」
「――あの……今から私、紅茶とケーキを用意しますので……よかったら一緒にどうですか?」
しばらく続いていた沈黙の中、思い切って私から話題を切り換えようとしたタイミングでかっきちゃんからそう切り出し、立ち上がった。
「それと……」
「――それと、2階奥の突き当りが、姉の使っていた部屋になります」
「……よかったら、そちらでお待ち下さい」
こちらの方を一切見ることなく、背を向けたままのかっきちゃんが紅茶のティーセットを用意しながら、そう告げてきた。
「……いいの?」
気遣いとか、遠慮とか、そんなことを考えて出た言葉じゃない。
今のかっきちゃんが、何だかどことなく無理をしてて苦しそう……。 そんな想いから出た言葉だった。
「……大丈夫です。 部屋にはプレートが掛かっているので、すぐにわかると思います」
「……うん、わかった。 上で待ってるね」
そう言いながら私は軽く手を振り、2階に続く階段へと向かっていった。
「――――」
プレートは見るまでもなかった。
目的の部屋の前までたどり着いた私は、そこに入る前に一度立ち止まり、小さく深呼吸してからドアノブに手を掛け、いざ中へ――。
「――――」
ちょっとした時間旅行を感じた。
そこには、私が入院する時まで使っていた部屋と何ひとつ……どこも変わっていないように見える――『私の部屋』があった。
ベッドやカバン、教科書にマンガ。 それから、部屋全体に所狭しと置かれてあるぬいぐるみの数々……。
それと――前に長湯してた時に読んでダメにした、クシャクシャの雑誌までも……。
「………」
ツィーッと、勉強机の上を指でなぞってみる。
指先には
「――………っ」
バカだなぁ……そう思うと同時にギュッと胸が苦しくなり、目の奥がまた熱くなった。
――うぅ゛~……と、ともかくこれじゃあ……かっきちゃんにまた変なコだって思われちゃう~っ。
そう思いながら気持ちを切り替え、多少強引気味にグシグシと涙を拭き取る。
「――――」
それから――今の気持ちを少しでも落ち着かせるために部屋の中を見回っていたところで、コンコンと鳴るノックの音が聞こえ、開いたドアの向こうからティーセットを持ったかっきちゃんが中に入ってきた。
「――――」
入ってすぐ、不意にかっきちゃんと目が合ったので、とりあえず私はえへへ~っと笑って見せることにした。
「……―――」
かっきちゃんはそれに対し何事もなかったようにフィッと目を逸らし、トレイに載せて持ってきた紅茶とケーキを黙々と部屋のガラステーブルの上に置いていく。
も~、相変わらずツンデレさんだな~と思いつつ、私も手伝うよ~と言い、一緒にケーキと紅茶をテーブルに並べるお手伝いをした。
リビングでは私がかっきちゃんを質問攻めにしていたので、ここでは逆に聞き手に回り、この部屋の
「――――」
その、ハズ……なんだケド……。
何か……変だ……。
聞いている内に……その違和感が、徐々に確信めいたモノに変わっていく。
どうやらかっきちゃんいわく、姉の山井出 千夏とは天才そのものの存在らしく、そんな姉にかっきちゃんは勉強やスポーツはおろか、友達の数でさえ勝てたことがない――みたいな内容のことを少しだけ嬉しそうな口調で語ってる。
さらにかっきちゃんは、そんな姉のことを尊敬している、とさえ言ってて~……。
……ん~~? その話に出てくる千夏さんって、どこの千夏さん? それって本当に私のコト?
かっきちゃんてば、私と目が合えばいつも怒って文句ばかりで、尊敬なんかとはむしろ真逆の~……。
――あ、そっか。 かっきちゃんってばツンデレ屋さんだから、それが正しいんだ~。
ってことは、あれ? こうして普通に楽しく話せてる今の方が問題、だったり~……?
仲良く見えるのは表面上だけで、実際はそこまで……ってことに~……。
うぅ~~っ! 大体にしてそもそも、かっきちゃんの性格が素直じゃないせいで、私の頭の中が余計にこんがらがってきた~~っ。
そうしてしばらく自分の世界に入ってた私だったけど、少し使い過ぎてしまった頭と心を休めるためにも、聞こえてくるかっきちゃんの話に再度意識を傾けることにした。
「――――」
「………」
「………」
クネクネ、モジモジと、微妙に身体をくねらせる。
その後も――かっきちゃんの口から次々と出てくるのは、私がいかに凄かったのかを褒め称える賞賛の言葉ばかりで、ものすごく落ち着かない。
けなされるのならともかく、褒められることも立派な精神攻撃になるのだと、私は生まれて初めて実感させられていた。
「………」
「――~~~~っ!!!」
そして、ついには私の方がとうとう耐え切れなくなってしまい――。
「あーっ、うー~っ!! もうやめて~っ!!!」
「何かもう背中がゾワゾワ~ってなって、これ以上聞けないってばぁ~~っ!!」
「――……え?」
急に見開いたかっきちゃんの目が、一瞬鋭くなったように見えた。
「――――」
「………」
「――ぁ……あぁ……そうですか……」
何やらかっきちゃんが少し気落ちしてた感じになってたけど、すかさずそこへ――。
「そ! そうだぁ~っ!! そ、卒業アルバムとかーっ!!」
「私! それが見たいなぁ~っ!!」
いきなり話を中断させてからの強引な話題転換で、この場の空気がかなり微妙な感じになったのは自分でもわかったけど、これ以上はどうしようもなかった。
卒業アルバムだったら特に褒められるようなこともないだろうし、次こそ普通の会話を~……。
「――――」
――甘かった。
卒業アルバムを手にしたかっきちゃんの口から、今度は私の容姿についての賞賛が始まってしまった。
私の内なる苦悩は、まだままだ続くようだった……。
「――――」
けど、見た目っていっても……黒髪ストレートでショートのカワイイかっきちゃんとは違い、私の髪はわたあめみたいな天然パーマで、色だって中途半端なこげ茶。
ある程度伸ばさないとクシも通らなくなるのが嫌だから、髪型だって伸ばしっぱなしのロング一択だったし……。
どうやら髪質については私はお母さんから、かっきちゃんはお父さんからと、それぞれ分かれて遺伝した感じだった。
わたし的には、黒髪サラサラのストレートヘアーに憧れるんだけど、かっきちゃんにとっては違うのかなぁ……。
と、そんな感じの思いを頭の中でめぐらせていた、その時――。
「……だから私も髪を伸ばして脱色させて、それからパーマもかけてみようとか考えてまして――」
絶対に聞き流してはいけない、禁断のワードがかっきちゃんの口から飛び出した。
「っ!! ――絶っ対に、ダメッ!!!」
「ダメッ!ったらダメッ!! そんなキレイな黒髪っ! もったいないよっ! こんな、カワイイのにっ!!」
ここだけは絶対に譲れないと、大声で叫びながらかっきちゃんに顔を近づけ、にじり寄っていく。
「――……えっ? そう……ですか?」
言われたかっきちゃんがわずかに後ずさり、見える自分の前髪を指先で軽く捻りながら、少しだけ頬を赤く染める。
「――――」
「――本当……そうだよ~」
どうやらそれで私の言いたいことが無事に伝わったらしく、はぁ~っと長い息を吐き出してしまう。
そのまま安心して気の抜けた私は一気に喉が渇いてしまい、紅茶のカップを片手に会話を続ける。
「かっ――妹ちゃんは絶対にカワイイッ! それは私が保証するからっ!!」
危うくかっきちゃんと言いかけたのを、とっさに妹ちゃんと言い換える。
「そ、そうですか……っ」
言われてまんざらでもないのか、さらに顔を赤くさせたかっきちゃんが、目の前にあるケーキをパクパクと何度も口元へ運ぶ。
――ほら♪ やっぱり、カワイイッ♪
それで気を大きくした私はもっとかっきちゃんを喜ばそうと、別の話題を振ってみる。
「そうだよ~っ! それに比べて、ち、千夏ちゃんときたら~――」
やっぱり、自分の名前を『ちゃん』づけで口にするのって、かなりの抵抗を感じるなぁ~。
「――そうそう、知ってる~? 千夏ちゃんってば病気になった時、あのモジャモジャの茶髪も全部真っ白になっちゃたんだよ~」
「その見た目が、何だかもう本当のわたあめみたいに見えて、それがすっごいおかしくって~」
「――……は?」
「その髪だって後からかなり抜け落ちて細くなって、それでボリュームも減っちゃったもんだから、それがストレートヘアーになったみたいで、ある意味嬉しかったって~」
「――――」
「――ま。 そうまでしても、私のこんな綺麗な黒髪と比べたら、当然雲泥の差だったけどね~」
アハハ~と笑いながら最後にそう言った後、空いた方の手でパラパラと黒髪を流す様子をかっきちゃんに存分に見せびらかせ、手にしていた紅茶を優雅に口元に運ぶ。
……よしっ、これで黒髪の良さがかっきちゃんに存分に伝わっただろうし、後は――。
……ん?
あれ? かっきちゃんってば……何か、様子が……。
何やらかっきちゃんが、急に黙り込んでうつむいたまま……小さな肩をプルプルと震わせて……。
あれ? もしかして寒かったりする?
ん~っと……今の部屋の温度……――って!
「――ブハッ!!! ゴホッ!! ゴホッ!!!」
飲み込もうとした紅茶が気管を直撃し、口に含んだ紅茶を全てテーブルにぶちまけてしまった。
「なっ!! ――ちょ!!」
それを見たかっきちゃんも慌てて立ち上がり、テーブルからとっさに身を離す。
――当然、原因はある。
私の勉強机の上に置いてあった、デジタルの温湿時計を見ようとした際、ちょうど見えてしまった。
勉強机の右端の棚に収まっていた、『あの』英和辞書……。
――問題は、その中身だった。
「妹ちゃん……あの英和辞書って、妹ちゃんのでしょ……?」
口元を押さえながら下を向き、身体をプルプルと震わせて机の方を指差す。
「――は? ……――そうだけど……何で知って――」
「……何で……まだ、ここにあるの?」
「はぁ? ……――チッ」
「――だって……私はまだそれを姉から返してもらってない……」
「返してもらってない以上、私にそれを受け取る資格はないから……」
え? 何、その謎な理由。
って、そんなことより今は――。
……何だか、かっきちゃんの口調が微妙に変な気もしたけど、こっちはこっちでそれどころじゃなかった。
コレが、まだここにあるってことは……当然――。
「―――っ」
口元を軽く拭った私はスクッと立ち上がると、その勉強机の前に立ち、問題の英和辞書を手にした。
そして、紙のホルダーから中身の英和辞書を取り出すと、そのホルダー側の方に手を入れ――。
「ジャッジャーンッ!」
と、そんな効果音をつけながら大声で叫び、中に入っていた手紙を天井高く
――あぁ~……やっぱり……あった~……。
なければよかったのになぁ~と思いつつ、頭痛のする頭に手を当て――……ようとしたところで、その片手が塞がっていることに気付き――。
「――あ、妹ちゃん。 はい、コレ」
「――あ。 ――え?」
そのまま――私のすぐそばに立っていたかっきちゃんにとりあえず必要ない辞書の方を預け、返しておく。
「…………」
そうして高々と
これは……――私の遺書だ。
病院に長期入院することが決まった日の前日……。 それとなく自分の死期を悟った私が、両親とかっきちゃん宛てに書いた、あの遺書……。
「――あ、あの……っ!! それ……!!」
「ゴメンね! ちょっと先に中、確認させてっ!」
「――あぁ゛!?」
何やら、かっきちゃんからまた変な声が聞こえた気がしたけど、それより今は――。
「―――っ」
ビリビリと乱暴に封を開け、サッと内容に目を通す。
「………」
「………」
「――~~~~っ!」
その――あまりにも、あんまりな内容の文面に悶絶してしまい、言葉が出てこない。
そう……私がこの遺書を書いたのは中学三年生の終わり。 さらに書き始めたのが深夜で、そこからひたすらに休むことなく徹夜で書き続け、それが明け方になってようやく完成……。
……カンのいい方はそれだけで、その内容がどれほどのモノになるのか察していただけることだろう……。
――これは……死ねるっ!
五枚ある便箋の内、最初の一枚で心が打ち砕かれてしまい、これ以上読み進めることが不可能になってしまった。
そうやって読めなくなった手紙を遠ざけ、顔を逸らしていると――。
「~~~~~っ!!!」
何やら、やたらと怖い顔してるかっきちゃんがこっちの方を見ているのに気が付いた。
あっれ~? そんなにこの手紙の内容が気になるのかな~って、内心嬉しかったりもしたけど――。
「――妹ちゃん、ゴメンッ!! やっぱりコレ無しっ!!」
言いながら、かっきちゃんの目の前でその手紙をグシャグシャにして丸め、違う違うといった感じで軽く手を振る。
「手紙だったら、後でちゃんと私が書き直すから、それで――」
「――――」
と、私がそこまで言った瞬間、目の前に――。
一本の『黒い線』が現れた。
……ん? 何だろ、コレ?
その黒い線は、私の顔に向かって直接伸びているように見え、その発信源は――。
……かっきちゃんの、手?
「――――」
かっきちゃんの手が……見えるその黒い線の上をなぞりながら、私に向かってくる。
「――………?」
見ると――かっきちゃんの手にはケーキを食べていた時に使っていた、少し小さめのフォークも握られていた。
「――――」
さらによく見ると、その黒い線はかっきちゃんの手――というより、手にしているフォークの先端から伸びているようだった。
んん~~? どうにも今ひとつ、状況がつかめない、ケド……。
「――――」
とりあえず半歩ほど下がり、黒い線の軌道に私の身体が触れないよう調整してみる。
「………」
それから待つことしばし……。
フォーク――その先端から伸びる黒い線が、見える線上を寸分の狂いもなく通り過ぎていく。
「――――」
「――――」
結局……かっきちゃんのフォークは最後まで黒い線の軌道をなぞり切り、私の前髪をフワリと撫でていった。
「~~~~っ!!!」
「――――」
何やらすっごく歯を食いしばった表情をしたかっきちゃんが思いっ切り体勢を崩したままで、狭い部屋の中をゴロゴロと器用に転がり続け――最後にペタンとなって尻餅をついた。
――あ、パンツ。
かっきちゃんがよくパジャマ代わりにしてる部屋着の短パン――その隙間から、結構大胆にチラッとパンツが見えた。
「………」
同じ同性なのに、見えた下着につい視線が向いてしまうこの現象って一体何だろうって思いつつも、マナーとしてとりあえず視線だけは向けないようにしておく。
――けど……ちょっとだけ気になって、視線がもう一度そっちの方に~……――って、ダメダメ~ッ!
「――――」
白、か……ふ~ん。
……何だか少しだけ心臓の鼓動が早まった気がするのは、私の気のせいだって信じたい。
それは……まぁ、ともかくとして――。
「――――」
狭い部屋の中……。 尻餅をついているかっきちゃんと、それを見下ろしてるような形になっている今の私。
「………」
「………」
そんな状態のまま、二人の間には何とも言い難い……重苦しい感じのする空気が流れてて……。
……え~~っ、と……。
黒い線もそうだけど、かっきちゃんが何をしたかったのか、全くわからない……。
① 本気で私を刺そうとした
② 急な立ちくらみで、私に倒れ掛かってきた
③ かっきちゃんなりの冗談
――まぁ、これまでの楽しい会話のキャッチボールで、かっきちゃんとは相当仲良くなれたハズだから、①は当然除外として~……。
ん~……となると、残りは②か③かぁ~。
――だったら……っ。
「――――」
「コ、コラ~ッ!」
「い、妹ちゃんっ、わ、私はケーキじゃないぞ~っ!!」
③に賭けた私は、かっきちゃんの冗談に乗っかり、ピンと指を立てながら軽く腰をクネらせ、明るく注意してみせた。
「………」
「………」
「――~~~~っ!」
やけに長く感じる沈黙の中、自分の顔がみるみる赤くなっていくのが実感できてしまう。
あぁ~~もうっ!! 私ってば、こういうの一番苦手なのに~っ!
「―――って……」
「え……?」
「――出てってっ!!!」
「――え? え? ――ちょっ!」
かっきちゃんが急に叫びながら立ち上がったかと思うと、私の向きをグルリと反転させてから背中を押し、部屋の外へと無理やりに追いやっていく。
「出てってっ!! ――出てってっ!!!」
ドン、ドンと、後ろから背中を何度も押され、部屋から廊下――階段へと、次々に強制移動させられていく。
ま、間違えたーっ!
正解は②で、かっきちゃんの身体を心配して、気遣うべきだったー。
後悔あとの祭り。 こうなったかっきちゃんは、もうテコでも動かないっ。
け、けど……っ! ――でも、せめて……っ!
「――――」
「――い、妹ちゃんっ!!」
とうとう玄関先にまで追いやられ、そのままドアを閉められようとしながらも、どうにか顔を半分だけ出した私が直接かっきちゃんと向き合い――。
「あ! あのっ! せ、せめてっ、ご両親に挨拶だけでも――」
「~~~~~~っ!!」
私がそう言った瞬間、かっきちゃんの顔がまるでポストのように赤く染まっていき――。
『――出てけっ!!!』
ドカン! と、まるでドアが爆発したかのような
「――――」
「――――」
「………」
その……あんまりにもいきなりな状況に私の頭は全くついていけず、玄関前でしばし呆然となってしまう……。
「………」
――っはぁ~……それにしても、びっくりしたぁ~……。
自然と脳裏に思い浮かんでしまうのは……ついさっき見た、あの光景……。
あの時のかっきちゃん……見えた表情からして、何だか一瞬、本気で怒ってるのかと思っちゃったよ~……。
――フフッ。 にしても、かっきちゃんもかっきちゃんで、いくらあんなに怖い顔をしてみせたって、『アレ』じゃ全然意味ないよ~。
いくらフォークを人の顔に向けるのが危ないから、っていっても――。
『あれだけゆっくり動かしてたら』、ぜんぜん本気じゃないっていうのがバレバレなのに~。 全く~。
――うん♪ やっぱりかっきちゃんはいつも通り♪ ツンデレ屋さんで優しいな~♪
そう思いながら家の
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