山井出 千夏の見た世界

シャイン・シュガー

プロローグ

第1話 プロローグ 『魂』

「――ねぇ。 バカ姉、死んだの?」


 相変わらず……一向にデレの兆しを垣間見せてくれない、ツンツンな妹の澄ました声。


 それが私、山井出やまいで 千夏ちか(17歳)が聞いた、人生で最期の言葉となった……。


「――――」


「――――」


「………」


 エレベーターに乗ってる……。


 多分、その感覚が一番近い。


 どうやら……死んでしまった今の私は、目の機能を完全に失っているらしく、体感のみの情報で何となく伝わる。


 私の魂(?)のようなものが肉体から離れ、下に向かって落ちてる……そんな感じなんだろうか。


 ――『上は天国、下は地獄』


 ふと頭に、そんな単純な言葉が浮かんだ。


 ん~……『地獄』っていったら、悪いコトした人が行く所だよね。


 私のした、悪いコトって……。


「――――」


 両親より先に死んだ。


 ――うん……。 極悪人だね、私は……。


「………」


「――――」


 ……ん?


 少し感傷的になってた私の目の前を、ひと筋の光がよぎった。


 ……流れ、星?


 ――あれ? 目が見える?


 見えないと勝手に思い込んでいた私の目は、実は最初からちゃんと見えていて、ただ暗い世界の中でそう勘違いしていただけのようだった。


「………」


 微妙な気恥ずかしさを感じながらもコホンと気持ちを切り替え、いま目で追える全ての範囲に視界を利かせた。


「――――」


「――――」


 ここは、間違いなく死後の世界だった……。


 上には夜空を埋め尽くす満天の星々に、きらめいては消える流れ星。


 一見するとそれは、デート中の恋人達が愛を語らう場のような……美しく、神秘に満ちあふれた――そんな幻想的な光景に思える。


 ――けど。 本当の夜空の星は自由気まま、自分勝手に動いたりはしないし、流れ星だって垂直に自由落下したりはしない。


 だからあくまでこれは、実際の星のような……そう見えなくもないというだけで、本当の星じゃなかった。


 その言葉通り――星の数ほどもある上の光は、『人の魂』。 それ自体が放つ、命の輝きそのものを表していた。


 そして光の落下とは、その人が持つ魂が肉体から離脱……。 すなわち――『死』を意味していた。

 

 ――何故か? というか、見えてしまった。


 尾を引きながらほんの数十メートル先に落下する光が、人の――老人の形をして落ちてきた。


 ! ――あれって、板野のおじーちゃん!?


 私と同じ病院に入院していて、何度か話もしたことのあるおじいちゃんの顔にとても似ていた。


 ――というより、本人そのものだった。


 末期ガンで自分はもう長くないって、そう話してて……。


 ―――っ。 落ちた、あの先って……!


「――――」


 フッと、不意に足元がすくみ、今でもあるかどうかもわからない心臓を直接わしづかみにされたかのような――そんな、錯覚……。


 ――『死の根源』が、そこにあった。


 上を『星』に例えるなら、下にあるのは『濁流』だ。


 帯状になった光の束が渦を巻きながら幾重にも重なって連なり、それらがまるで意思を持っているかのように不規則に暴れ狂う。


「――――」


 巨大なモノが高速で動くというのは、それだけで恐怖を覚える。


 一本一本が、最低でもビルほどもありそうに見える光の集合体によって落ちた魂が飲み込まれ、あるいはその余波だけで砕かれ、飛散していく……。


 ――あぁ……そうか……。


 人は……。


 ――あらゆる生命体は、『コレ』から少しでも逃れようと……。


 『コレ』に怯え、恐怖し……あらゆる方法を駆使しながら、必死に遠ざかり続けようとしているんだ……と、本能的に強制理解させられた。


「――――」


 濁流に砕かれ、霧散していく魂……。 その欠片のひと粒が……――フッと、上に向かう瞬間を偶然目が捉えた。


「………」


 役目を終えた魂が流れ星のように落下し、下で砕け散る……。


 そして、砕かれた魂のほんのひと粒が、落ちた時以上の速さで上に戻ってる……?


 客観的に見て……上に戻っていく光に対し、下に溜まっていく光の量の方が明らかに多い……。


 それは――どこか歪な……それでいて途切れることなく循環し続ける魂の輪廻りんね


 そういった食物連鎖にも似た何かが、この世界で構築されているようだった。


 もしかしたら……上に行ったあの光は、生まれ変わりの光なのでは――と、私は自分の中で勝手にそう思うことにした。


「………」


 ……――ん?


 え~っと……。 今さら……本当に今さら、なんですけど……。


 ――あれ? 私の落下速度、遅すぎ……?


「――――」


 その当初、エレベーター程度に感じてた私の落下速度はあらためて意識した時には何故か遅くなっていて、今ではエスカレーターか階段――それ以下にさえ感じられる。


 どうして私だけ? と、思うところはあるものの、取り立てて特に困ることもないと気持ちを切り替え、これから先――私にも等しく訪れるであろう最期の瞬間を、ただ黙って待ち続けることにした。



「――――」



「――――」



「――――」



 ……長く……。



 ……長く……。



 ……長く、て……。



 ――……永い……。



 あまりにも……長い……時間が、流れた……。


 ……問題は、あった……。


 やることがなさ過ぎて……逆に、精神が持たない……。


 私の身体(全裸)は確かに存在してはいるケド、何をどうやっても指先の一本すら動かせないのは、とうの昔に確認済みだった。


 そんな状態の私が取れる行動はあまりにも少なく、あまりにも限定的で――。


 『見ること』。 『考えること』。


 その2つしか、選べる選択肢がなかった……。



「――――」



「――――」



「………」



「………」



「………」



 時間の感覚が……あまりにも曖昧あいまい、だ……。


 多分……私がここに来てから一ヶ月近くは経ってると思うけど……この状態は疲れもしないし、眠くもならないから……確実にそうだとも言い切れない……。


「………」


 その当初、心の中で強い恐怖を感じていた下の『濁流』も、今となっては見る度に上の『星』と違った視覚変化が楽しめる、私の数少ない心の癒しスポットにすらなっていた。


 そんな私の『閉じた世界』に変化が起きたのは、ちょうどそんな頃――。


「――――」


 何もすることがなかった以上、私が『ソレ』を目にしたのはもはや必然だった。


「――………?」


 女の……人?


 それは――私がハッキリと目で捉えることのできた初めての魂で、かつてない『近さ』で落ちてきた。


 ――ううん。 近いのもそうだけど……――この、『遅さ』……。


 いつもだったら、パッと光った瞬間には落ちて消えている流れ星のような光が、10秒ほど経った今でも上に留まり続け、それが徐々に迫ってきている。


「――――」


 ――やっぱり……女の人……。 それも、私と同い年ぐらいの……っ。


「――――」


 私と同じ。


「~~~~っ!」


 その言葉の意味を考えた瞬間、胸の奥からカァッと熱い何かが込み上げてきたのを自覚させられた。


 ――と、友達になれるかな?


 え~っと、さ、最初は何て話し掛けたら~……。


 ――って! その声が今は出せないんだった~っ!


「――――」


 ワタワタと混乱気味になった私がそうこう考えている間にも、かなり遠くに見えていたはずの女性の魂が見る見る内に大きくなっていく。


 いくらその魂が遅いとはいえ、ほぼ静止しているような私の状態とは比べるべくもなく――。


「――――」


 そして、とうとう頭上にまで迫った魂が、目の前を通過していき――。


「―――っ」


 ――あ。 と思った瞬間、とっさに『動いた』私の右手が、反射的にその魂を受け止めた。


「――――」


 グニャリと、まるでアメーバーのようになって受け止めた魂が指の間から抜け、下にこぼれ落ちていってしまう。


 ――あっ、ダメッ!


 そう思いながらも、今の私にはこれ以上どうすることもできず、できるのは下に落下していく魂をただ黙って見ていること、だけで――。


「――――」


「――――」


 そして……ついには受け止め続けていた魂が私の手を全て通過し終え、残った右手には何も残らなかった……。


「………」


 それは……まるで、嵐のような出来事だった……。


 驚き、戸惑い、喜び、興奮、緊張……。


 感情がまるでジェットコースターのように目まぐるしく変化する中――最後に訪れた、絶望……。


 私じゃどうすることもできなかったとはいえ……目の前で――っていうのは、さすがになぁ……。


「………」


 心の片隅でどうにも納得できない――不満に近いような感情を胸にいだきながら……何もない虚空へ、ただぼんやりと視線を漂わせる。


「………」


「………」


「――………?」


 ……い、と……?


 ――糸が、見える……。


 上から垂れ下がっている……一本の、白い糸が……。


 伸びた……その先は――。


 ……私の、指?


 見るとその糸は、私の右手の……人差し指の先に向かい、真っ直ぐに伸びていた。


「――――」


 それを見てとっさに、頭の中で『お釈迦様の糸』が思い浮かんだのを冷静に考えて否定する。


 ――多分これ……さっき目の前で落ちていった子の……その『魂の尾』だ。


「………」


 たった今……ほんのついさっき起きたことを思い返しながら……何もできなくてゴメンね、といった感じの想いを目の前の糸に向かって込めてみる。 


 その瞬間――。


「――――」


 パァッと、目の前の糸が淡い光を放ち、奇妙な色で輝き始めた。


「………?」


 ――って、わ!


 この時点で初めて私は、これまで何をどうやっても動かせなかった自分の右手が、いつの間にか前方に差し出されていたことにようやく気が付いた。


「―――っ」


 その事実と意味を考えた瞬間、今まで気落ちして沈み切っていた私の心が徐々に浮き上がり、軽くなっていくかのように感じられた。


 『見て』、『考える』。 それ以外にできること、やれる選択肢が増えた。


 ――ひとつ。 再び身体を動かそうと、何度でもチャレンジしてみること。


 ――ふたつ。 今でも私の指先で奇妙な光を放ち続ける、この糸の調査と分析をすること。


 新たに増えた2つの選択肢。 それをこれから頑張ってみようと、そう思った。


「――――」


「――――」


 結局……あれから幾度となく試してみたけど、私の身体は相も変わらず……。


 反対側の腕はおろか、指先の一本、眉のひとつすら動かせず、自力で動くのはどうやら無理そうだと、そう結論付けることにした。


 けど、それとは別――状況に進展があったのは、もう一方の方。


「……~~~~っ」


「――――」


 私が意識を集中させた分、淡い光が指先の糸を伝って上に向かって伸びていき、集中を解くとまた元に戻る。


「――――」


 ――ううん。 よく見ると、厳密には元に戻ってない。


 私が気を緩めた後も、ほんの数センチぐらい……指先の糸が淡い光を放った状態のまま、消えずに残っている。


 ……けどこの、意識を集中する――っていうのが、ありえないぐらい……どっと疲れる。


 それはまるで、指先から魂でも吸われているかのような疲労と虚脱感で、思わず意識を根こそぎ刈り取られてしまいそうになってしまう思いだった……。


 ――逆に、そのまま手放したらどうなるんだろうって考えたりもしたけど、とりあえずその一歩手前で集中を解くようにしていた。


「……~~~~っ」


「――――」


「……~~~~っ」


「――――」


 集中しては休憩……集中しては休憩……それを飽きることなく繰り返す。


 繰り返す度、指先から離れて変化した淡い光が、徐々に糸を伝って上に侵食していく。


 これまでの……何もなかった退屈な世界と比べたら、目に見えて何かしらの変化の感じられる今の現状は何物にも代え難い――何よりも刺激的な生活に思えてしょうがなかった。


「………」


「――――」


 ――繰り返す。


「………」


「――――」


 ――繰り返す。


 何度も、何度も、同じことの繰り返し。


 既にただの作業になっていたけど、不思議と飽きはこなかった。


 変化した糸の光の先端なんて、もうとっくの昔から見えてない。


 それでも、指先からわずかに残って伝わってくる微妙な感覚に従い、同じ作業をひたすら繰り返す。


「………」


 変化した光の先って、今はどこまで上に昇ったのだろう。


 数百メートル? 数キロ? 数十キロ? ――さすがに、数百キロはいってないと思う。


 そういえば……いつからか私は、集中した後の休憩がいらなくなっていた。


 少し前から、休憩に当てている時間が微妙に減ってるな~とは思ってたけど、それがとうとう、ようやく(?)、ゼロになったようだった。


「――――」


 やってる内容は以前と同じ……けど、糸から伝わってくる手応えのような感覚が、より強まっているような気がする。


「………」


 何となくコツをつかんだような気がした私はグッ、グッと、まるでロープをよじ登るような感覚で糸に意識を集中させていく。


 休憩がいらなくなったことで、光の先端がもう下に戻ることはなくなった。


 そんな――自分でもよくわからない心の安心感を得たことで、糸に込める意識をさらに強めていく。


「――――」


 そうして集中していた、その最中さなか――。


「―――っ!!!」


 極大の雷光によって私の全身がいきなり撃ち抜かれ、魂が粉々になって砕け散った!


「――――」


 後になってから知ったけど……それは雷じゃなかったし、私の魂だって砕け散ってはいなかった。


 けど……その時の私にそう勘違いさせるほどの、すさまじい衝撃が襲い掛かってきたのは紛れもない事実だった。


 その証拠に……再び動き出していた私の身体は、まるで何かから怯えるような――身を縮こませる体勢になっていたのだから……。


 私を襲った衝撃の正体、それは――。


 『五感』が戻った際の衝撃だった。

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