ハムルビ #6

同刻


「おいおい、これヤバくないか」

 キョウジがプログラムの羅列を流し見ながら言った。

「これは確かに酷いね」

 同じく画面を見詰めるカナタが言う。

「悠長に言ってる場合か! 下手すりゃ俺らの首が飛びかねない事案だぞ! 一刻も早くどうにかしないと……取り敢えず、俺ケイさんに連絡し──」

「連絡して来る」と言おうと口を開けたその時、

「その必要は無い!」

 カナタのあまりにも大きな声が部屋に響き渡った。

 予期せぬその言動にビクッとキョウジの身体が跳ねる。一瞬硬直し、カナタの怒号だけが世界に取り残され伝播した音が部屋を駆け抜けた。

 訪れる静寂。

「良いんだよ、キョウジ。これで良いんだ。僕達は何もせず、ただこれの行く先を見守っていればそれで良いんだよ」

「お、お前……何、言って──」

 キョウジの声は意図せず震えていた。それは急な大声に驚いたからでも、カナタの豹変ぶりに慄いたからでも無かった。

 穏やかに笑っていたのだ。それはカナタと二十年以上付き合いのあるキョウジが今までに見た事のない程に、嬉しそうに彼が微笑んでいたから。

 そんなカナタの思考が、まるで異界の者のように読み取れ無い事にキョウジは恐れを抱き、震えたのだ。

「僕はね、キョウジ。どうしてもこいつ──0019に罰を与えなければならないんだ。これは運命であり、誰も覆してはいけない」

「どう、どうして。罰を執行し、しているじゃないか、今。でも、今大変な事になってるから、だから──」

 キョウジの恐怖心は勝手に膨張し、身体は強張り、唇の震えから言葉が上手く前に出ずに、吃る。

「それは違うよ。僕が──神が直接罰を与えないと意味が無い。神罰を、天誅を与えないと……ねぇ?」

 カナタの顔がさらに歪む。

 キョウジはカナタの顔を、目を、口元を見れば見る程に全身の震えが増していく感覚に陥っていた。何故それほどに恐怖するのか、それはキョウジ自身にも分からなかった。ただ、こいつはカナタじゃない。カナタの皮を被った「何か」だ。

「もしかして、こ、これお前がやったのか? どのエラーを見てもウ、ウイルスに感染してるって……」

「キョウジはさ、何でウイルスが存在しているのか考えた事あるかい?」

「何、言ってんだよ」

「分からないなら教えてあげる。あれはね、世界の均衡を保つ為に有る存在なんだよ。君も聞いた事くらいあるであろうペスト、マラリア、結核、コレラ、ブルセラ症、チフス……定期的に流行するパンデミックは神の使者で、基準値を超えた人間の数を元に、乃ち正常値に戻す為に創られたプログラムなんだ。よって感情が無ければ知性もない。基準を越えた存在はエラーと見做され世間から排除されるこのシステムは平成と呼ばれた時代から何一つ変わらない。そして排除を完了しシステムが基準値に到達するとウイルス達は急激にその勢力を縮小させ、やがて歴史として保存され、畏怖されたそれらは消滅する。だから、それで今、ここに収容されているエラーの有象無象は直ちに排除されるべき「普通」から程遠い異常であり、正常値に還元されるべき者達なんだ。その排除は人間が行えば同族殺しとされ法に掴まれてしまうが、神であるこの僕の手で行えば何も問題ない……世界を構築するプログラムにエラーは無い方がいいだろ? 僕の妹も未だに眠り続けている。0019の、こいつらエラーのせいで! 僕の妹は未だ眠ったまんまなんだ!!! 眠り続けているんだ!!! こいつ等全員永遠に殺し続けてやる!!!」

 早口でまくし立てるカナタの目は真っ赤に充血し、こめかみには青黒い血管がドクドクと脈打っていた。

 まさしく狂気。

 カナタの唱える支離滅裂な超理論はあまりに稚拙ちせつであり、感情的だった。

「はぁ、はぁ……因みに言っておくと、神である僕の創造した使いの者は、ある特定のプログラムに反応して感染を拡大する。一度始まったそれはある事切欠きっかけに収束し消滅するんだ。まぁ、あくまでウイルスだからね。時代の産む天才によってワクチンが作られ、創られたそれは破壊される。エラーが消える訳じゃない……ただ、人間はそうやって成長を繰り返すんだ。

 人間の言う永遠は、神にとって一秒にも満たない……瞬く間なんだよ」

 恍惚と明後日の方向を向いて語るカナタの目は焦点が定まっていないようだった。

 おえっ。

 キョウジはカナタの、友人の言葉を少しでも理解したくて一所懸命に思考を巡らせたが、やはり狂狂としたそれを呑み込むことができずに餌付いた。

 止めないと、こいつは最早カナタじゃない。こんなこと止めさせないと。と頭で考えるも身体が動かない。脚が引きり、前に出ない。

「カナタの言いたい事は分かったよ……お、俺にもそれ手伝わせてくれよ、な?」

 よし、さっきよりスムーズに言葉が出る。出来るだけ刺激せず、カナタの言う【使者】を解析してプログラムから抹消するんだ。システムエラーが出ているのに緊急アラームが作動していない事から察するに、相当手の込んだウイルスがばら撒かれているようだ。それこそ世界規模に厳重なこの施設の関門を難なく突破出来る程に──助けは望めないだろう。俺一人で何とかするしかない。キョウジは瞬時に判断し、次の出方を伺う。

「……手伝う?」

 ギョロリとカナタの血走った眼がキョウジを捉える。

「アハッ、アハッヒヒヒヒ、フヒヒヒヒヒヒィ!」

 前触れなく笑い出した様は異様と表現する他無く、それはあまりにも不気味だった。

「な、何が可笑おかしいんだよ! お前の計画に、復讐に手を貸そうって言ってるんだ! こんな大規模な──下手すりゃ数万人を巻き込むような……少しでも人手が多い方がいいだろ?」

「ハ、ハハハァ…………キョウジ、もう実行したんだ。言ったろ? 見守るだけでいいって。余計な事はしなくていい」

「でも──」

くどいぞ!!! ……大丈夫、事故を装うくらい造作も無いさ。まだ病原体は分裂してないが、感染爆発が起こるまで保ってあと一時間と十数分だろう」

 感情の起伏が激しいカナタにキョウジは怯む。しかし、もう時間がそれほど残されていないと分かったキョウジは一歩前へと踏み出した。

「俺は友を、カナタを犯罪者にしたくは無い。お前の妹がとある事故で四年前からコールドスリープしているのは噂で聞いた。だがな、それでもお前が手を加えていい理由は無い。お前がやってるそれはお前の言うエラーと変わらない。画面を見ろよ、これはお前が産んだエラーだぞ。エラーは消さなければいけないと言うのなら、お前の理論は矛盾だらけだ! この際だから言わせてもらうがな! 俺は無神論者なんだ! お前の宗教的解釈はこれっっっっっっぽっちも理解出来ねぇんだわ! 妹さんが寝たきりになってから毎日毎日毎日毎日『神、神』って五月蠅うるせぇんだよ! 偶像にすがる時間があるなら医学学んで妹さんを起こす方法考えろや!」

 冷静でいようとしたキョウジも勢いに任せて声を荒らげる。

 四年前、カナタは妹が自殺未遂によって昏睡したまま意識を取り戻さなくなったのを切欠に、それまで非科学の愚題だと馬鹿にしていた「神」を崇めるようになっていた。

 何故崇拝するようになったのかは分からないが、その頃のカナタは心が壊れかけていたのだろう──日を追うごとに宗教にのめり込んでいたのをキョウジは酷く心配していた。

「ウルサイ……ウルサイ、ウルサイウルサイウルサイウルサイ!!!」

 カナタは俯きながらボリボリと頭を掻きむしる。十数本の髪の毛が抜け落ち、床に伏す。

「五月蠅えのはお前だぁ! 緊急アラーム回避してるんだから今すぐこんな事止めろ! まだ間に合うんだ、目ぇ醒ませカナタ!」

 キョウジはウルサイを連呼するカナタを他所にモニターに駆け寄った。


 感染爆発まで1時間02分──


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