一章 五話 ふたり
【ふたり】
偶然か、必然か。
どちらにせよ二人は出会い、共に行く。
先の見えない迷宮も、君を捜す旅も、二人ならば。
「どうして、行き詰まっているとわかっているのについてくるなんて言ったんだ」
斜め後ろを歩く彼に、先刻からずっと思っていた疑問を投げかける。彼はあのあと、ランタンの事情やこれまで歩いてきて思ったことを全部話しても、「ついていきたい」と言ったのだ。
間。
ただ二人の足音だけが廊下に響く、重い沈黙。
ぼくが知る由もないことなのだが、なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして心が落ち着かない。
「……まあ、確かにすべて君のせいにして適当な部屋で眠るように終わりを待つのもいいかも知れない」
いたたまれなくなって投げかけた疑問を撤回しようとしたその時、彼はそう言った。
「それでも、進んでも寝ていても待っているのは衰弱による死。どちらでも終わりは一緒なら、少しでも現状が変わるかもしれない方を選んだほうがお得だろう?」
彼はそう言うやいなや足を早めてぼくの前を行くと、くるりと振り返って得意げにニヤリと笑った。
これまでの彼の表情からは想像もつかない表情だが、ようやく心をひらいてもらったような気がして、「そうだな、確かに進んだほうがお得だ!」と同じようにニヤリと笑った、
「ところで、あんたの名前は?」
仲良くなれた気がして喜んでいると、ふとお互いの自己紹介がまだだったことを思い出して聞いてみる。
「名前?」
彼もまだ名乗っていなかったことを忘れていたようで、きょとんと聞き返してきた。
「一緒に進むなら、名前くらい知っておいたほうがいいだろ?」
彼の小さな「確かに」という声とともに、自己紹介が始まった。
「ぼくの名前は、」
始まったはずだった。
自分の名前が出てこない。看護婦さんにはなんて呼ばれていたっけ?覚えていない。
突然言葉をつまらせたぼくに、彼は「どうかしたのか」と言いたげな心配そうな顔でこちらを見ている。
「ごめん、自分の名前を思い出せないんだ」
しばらく名前を思い出そうとした後、どうしても思い出せなくて白状する。
「まあ、思い出せないのはしかたない。そも、知らぬ間にこんなところにいる時点で記憶が飛んでいてもおかしくはない」
彼の言葉に、少しだけ安心する。
彼は、自分の名前も覚えていないのに自己紹介を始めたぼくを嗤うことも、憐れむこともしない。そんな彼の隣は、やはり心地よいと実感した。
「それもそうだな。でも、名前がないっていうのも不便だ」
「そうだね。じゃあ、歩きながら考えるのはどうだろう」
あれから止まったままの二人の足を指さして、彼はそう言った。
そう言われて、ぼくは初めて己の足がいつの間にか止まっていたことに気づく。
あまりに会話が弾むから、足を動かすことを忘れてしまっていた。
「参考までに、わたしの名前はハク。死ぬまでの付き合いになりそうだし、よろしく」
「よろしく。確かに、最期まで一緒にいる人を嫌いたくないもんな」
二人は歩く。
二人はもう走るだけの元気を持ち合わせていない。
ランタンがその命を燃やしきる時まで、二人の足が動かなくなるときまで、歩き続ける。
ハク。
新しい友人の名前を噛みしめる。
白、箔、博、吐、魄。
彼の名前がどれなのかはわからない。どの字であろうと彼は彼で、久しぶりにできた新しい友達であることだけは変わらない。
なんだか嬉しくなって、口元が緩む。少しだけ身体が軽くなって、早足になる。
「コク」
ぽろり。
ぱっと脳に浮かんだ名前は、そのまま口からこぼれていた。
「コクなんてどうだろう」
くるりと振り返って、彼に意見を求めてみる。
黒、堕落の色。
ぼくはハクのように前向きな性格ではないし、つい楽な方を選んでしまう。そんなぼくにはぴったりな色だと思った。
「白の反対色という意味で決めたのならあまりに安直すぎる気もするけれど。」
彼は肩をすくめて呆れたように感想を口にする。少しだけ耳が痛い。
「でもまあ、」彼は続ける。
「いいと思うよ。 名前の意味を増やす旅も」
「なるほど。あるかもわからない出口をただ探すよりも楽しそうだ」
二人は歩く。
二人にははもう、走るだけの体力を持ち合わせていない。
二人は歩く。
それでも心は、先刻とは打って変わって晴れやかで。不思議と前向きになっている。
二人は歩き続ける。
ランタンがその命を燃やしきる時まで。二人の足が動かなくなるそのときまで。
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