一章 三話 目標
【目標】
いない。
私が通ってきた抜け道は彼が居る部屋の中に繋がっているはず。
しかし部屋には誰もいない。置いてあるはずのランプとマッチもない。
それを確認すると私は部屋を飛び出した。
この、暗くて、不気味で、冷や汗をかいているせいかベタベタとした空気の中。ぼくは、何の進展もなしに永遠と続く景色の中を駆け回っていた。
手にあるランタンは己が足を動かす度にアルコールがトプリトプリと音をたてている。
最初の部屋を出たときと比べてずいぶんと頼りなくなったその音は、ぼくの焦燥感を駆り立てて自分が今どうしたら良いかさえわからなくなる。
加えて、ぼくは長らく病院暮らしをしていた。それ故長時間走れるような体力は持ち合わせていないし、それどころかよくこんな長時間走れたものだと感心するばかりだ。
しかし、そんな状況が長時間もつはずもなく。
ふらふらと少しずつペースが落ちていき、しばらくすると近くの壁に手をついて崩れ落ちる。
今まで感じていなかった動悸や息切れが、一度に襲いかかる。
頭が真っ白で、目の前にあるはずの壁がぼんやりとしか見えなくて、手に伝わるひんやりとした感触と無駄な事を考える頭だけがいつもどおりの仕事をしていた。
このまま倒れたら死んでしまいそうで、そうしてしまったほうがずっと楽な気がして、ふとこの迷宮に来る前のことを思い出した。
『……貴方は、幸せでしたか?』
気味の悪い空間で誰かに投げかけられたその言葉に、ぼくはたしかに『常に命が惜しいと思える人生を送ってみたかった』と答えたはずだ。
それでは今、ぼくは常に命が惜しいと思えているのだろうか。
答えは否だ。
外に出たところで、今やり残していることも目標もない。
それでも。
「このまま簡単に終わってしまうのは、嫌だ」
口からこぼれたその音は、低く唸るような醜い声で。憧れた物語の主人公からはかけ離れたものだった。
だが、それでも良い。
声の主に問われた「幸せか否か」その問いに、今度こそまともな返答ができるように。
否でもいいから、曖昧な返事にはならないように。
よろよろと立ち上がる。
すぐに壁に手をついてしまったけれど、立ち上がれるのならば十分だ。
壁伝いに進んでいく。
ランタンをしっかりと握って、ふらふら進む。
少し歩くと、手に冷たい石の壁とは違った木製の何かがあたる。廊下の両サイドに等間隔に並んでいた戸の一つだろう。
ランタンを掲げて戸を確認する。
もう何度も目にした見慣れた扉だ。
ふと、このままふらふら歩いた先の未来。もといこんな状態で歩いたときの、アルコールの減りを想像する。
「さすがに休もう」
そっと目の前の戸を開けて、ランタンをかざす。
最初の部屋によく似たそれは、しっかり見ると少しだけ配置が違っていた。
ベッドに腰を下ろすと、気が抜けたのか眠気が一気に襲ってくる。
ランタンの暖かなオレンジ色を眺めながら眠りたいと思いながらも、今後のことを考えて消した。
ごろんとベッドに寝転がったら、そこから先はもうなにも。
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