1.探索、あるいは逃亡

 ティエリというのが私の名だった。歳は十四と聞かされている。マルダ村出身。お母さんは私を生むときに死んじゃったから、お父さんと二人暮らし。だけど森に狩りに行ってくると言ってもう2週間も帰ってこない。お母さんは村の外から来た人らしくて、村の人たちはあんまり良く思ってなかったみたい。つまりその子供の私はも村の爪弾き。今ある食べ物が無くなったら、もうこの村では生きていけないと思う。

 だから私は、お父さんを探しに行くことにした。もしかして大きな獲物をずっと追っているのかも。どちらにしても街に行くには食べ物も、お金も足りない。だったら多少は危険でも森の中のほうが食べ物はあった。身体を売るなんて……まっぴらごめんだもの。


 森はいつも物を言わずに私を迎えてくれる。お父さんは時々、私を森に連れていてくれた。私は森に行くのが楽しくて楽しくて仕方なかった。どんなに元気がない時も、森の奥に入れば入るほど気分は高揚した。「ティエリはきっと精霊様に好かれているのさ」なんて、お父さんが言ってたな。

 だから家を放り出していく当てもなく森をさまよっている今も、別に怖くなんてない。「らーらら、森のあるじよ……」なんて、古い歌を口ずさみながら楽しく歩いてるんだ。お父さんは森の歩き方を教えてくれた。多分自分がいついなくなっても私が生きていけるよう、仕事を教えてくれてた。

 そしてお父さんが時々使っていた小屋にたどり着いた。もちろんお父さんはいない。ここで夜を明かして森の奥に進んでもいいだろうし、しばらくここに住んでもいい。いつ誰に襲われるかわからない村よりも何倍も安全だ。前から仕掛けてあった罠で食べ物もとれたし、何も問題はない。けれど……

「寂しいな」

 そう独り言ちて、私は意識を手放した。


□■□

 ここで暮らし始めてから一週間が経った。正直、不自由なことは何もない。どれかしらの罠に兎はかかっているし、秋口なのでまだ食べ物も見つかる。でも、そろそろお父さんを見つけて街に行くなり村に戻るなりしなければ凍え死んでしまう。ここの冬はあばら家で越せるほど甘いものではないのだ。私はお父さんが使っていた古い銃を持って外に出た。正直扱いには自信がないけど獣を脅かすのには役立つだろう。


 ざくり、ざくりと落ち葉を踏みしめながら森を歩く。木々の間にどれほど目を凝らしても動くものは何もない。私は森に入り慣れていないから、森の深い所へ歩いて行っているのかはわからない。でもこれが村のほうではないのは確かで、一週間…長くて二週間も歩けばどこかで森を抜けるはずだった。どこかで水場を見つければ何とかなるんだけどなぁ…。


 はら、はらりと葉が目の前を横切った。陽がでてからすぐ歩き始めて、もう一番高くまで登っている。いつ帰ろうかな……いや、もう少しだけ歩こう。日が暮れてからの森は本当に危険だ。狼だけじゃなくて悪い森の精が出てきて狩りをする。だからそれまでに帰らないと。どちらも聖印には近づいてこないから小屋は安全だ。村にはふたり祈祷師と呼ばれる人がいて農業をする傍らそういった聖印やお守りを作って小遣いを稼いでる。実は私も作れるんだけど、魔女の子供が作ったお守りは売れないらしい。結局お父さんが使うだけだった。

 ふと、オォーン……と遠くから狼の鳴き声が聞こえてきた。そしてザザッと落ち葉を掻きわける複数の足音が聞こえてくれる。最悪なことに聞こえてくる方向は小屋がある、私が帰りたい方向だ。ついてない……きっとお祈りが足りなかったのね。そういうことにして小屋の反対側へ走り出した。狼が追い付いてきたら銃で追い払う。もしも追い払えなかったら……なんて考えても仕方ないか。


 結局、いくら走っても狼はしつこく追ってきた。何回か近くまで寄ってきたのは銃で撃退できたけど、今度は距離をとって私が弱るのを待っている。狡猾で粘り強い追跡者は結局日が暮れるまで私を走らせ続けた。

「も、もう無理……」

 思わず膝をついてしまった。銃の残弾はあと僅か…当てることができても次の狼にトドメを刺されるのがオチだ。結局、お父さん見つけられなかったな……ついに覚悟を決めて目をぎゅっと瞑った。しかし、いつまでたっても彼らの生臭い吐息は近づいてこない。恐る恐る目を開けると…そこには巨大な柱があった。

いや、柱じゃない。これは……巨大な獣の足だ。血の気が引いたからなのか、もしくは目の前の巨大な獣が冷気を運んできたのか……私の体は震えが止まらなくなった。きっとこのまま、この獣の餌にされてしまうんだわ……またもや覚悟を決めて目を瞑る。次こそ私の命はないだろう。しかし獣の行動は私の予想とは違った。

「え?」

 まるで親猫が子猫を運ぶかのように、その獣は私の服をくわえた。目線は一気に上がり、獣臭が強く鼻をつく。そして獣はまるで私を傷つけたくないかのようにゆっくりと歩き出した。森の奥へ向かって。


 日はすっかりと暮れ、頼れるのは月明かりだけ。そんな不穏な森の中を私はいまだに獣に咥えられて進んでいた。荷物は進んでいくうちに振り落とされ、せいぜい腰につけている水袋と干し肉程度しか残っていない。つまり運よく逃げ出せたとしてもこの森を無事に抜けることはできないってこと。いっそのこと死ねたら楽なのに……そんなことを思うくらいには絶望的な状況だった。だんだんと寒くなっていることも絶望に拍車をかける。どういうわけか、森の奥へ進めば進むほど寒いのだ。そのせいかはわからないが体の震えも止まらない。


 そうして過ごすこと数刻、不意に月明かり以外の光が視界をちらついた。あれは……ランタン?もしかしてお父さんが……でも、そんなことはあり得ないか。じゃああれはいったい誰?

 ランタンの光は次第に近づき、その主の顔を浮かび上がらせた。それは……とても綺麗な女の人だった。腰ほどまである黒髪を揺らし、目がさえるほどの青い目が闇に浮かぶ。肌は生気を感じさせないほど白く、陶器のような無機質な美しさの印象をもたらす。農作業で日にあたりすぎて年中小麦色の肌をしている村娘とは明らかに違ういで立ちだ。

 獣はその女の前まで行くと私を下ろし、すぐに走り去った。

「ありがとう、ヴィゴ。そしていらっしゃい、かわいい客人。こんな場所に人が来るだなんて、いつぶりかな……あら、震えているね。これを羽織りなさい」

「あ、ありがとうございます……あの、あなたは一体?」

「私はしがない世捨て人だよ。暖かいものを用意してるんだ、うちに来ないかい?」

 そう言いながら女はしゃがんで私と目線を合わせると、じっと私の目をのぞき込んできた。とっても綺麗……そう思ったその時、私が首にかけていたお守りがぱきっと割れる音がした。このお守りは一度だけ呪いを弾いてくれるもの。つまり……

「そんな、あなたみたいな怪しい人についていくわけがありません!」

そういって女の手を振り払うと彼女はきょとんと、私がとった行動が信じられないかのように目を見開いた。しかしすぐに目を細め、じっと見つめてくる。

「私の魅了が効かないなんて……珍しいこともあるものだね。せっかく美味しそうな子豚がディナーに上がってきたと思ったのに……すぐ殺さなきゃいけないなんて、もったいない」

「やめて…来ないでください!」

逃げようとしたけれど、身体の震えが止まらなくて力が入らない。女は手を振り上げ…そこで私の意識は途切れた。


□■□

私は意外にもベッドの上で目覚めた。あたりを見回すと部屋の隅に私を襲った女がいた……が、眠っているようだ。何故か部屋の中は異様に暗かった。明かりは塞がれた窓の隙間から僅かに差し込んでいるだけで、その血のような色を見るとどうやら夕刻らしい。

「おはよう」

気づくと女が目を覚ましていた。

「あなたは……」

知らずと冷や汗が滲み、動悸がする。明らかに尋常な人ではない。私はまるで心臓を鷲掴みにされているような気分になった。

「……君はどうしてこんな森の奥へ?」

「ち、父を探しているのです」

「父親か……しかし君は可憐で、ひ弱な少女にしか見えない。父親は猟師か何かだろう?森で狼に襲われて死んでいるとも限らない」

「……ですが、私には父しかいなかったので。どうにかして探し出して、一緒にいてくれないと村で生きていくことなんてできません」

「なるほど、君は実質的に追放されてしまったいうわけだ。原因はこれかな?君の家族は村では肩身が狭かったようだね」

そう言って女は壊れた御守りを取り出した。改めて見るとまるで原型を留めていない……爆発したみたいになってる。

「ははは、そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。そうだな、ここで一緒に暮らすというのはどうだい?君は今のところどこに行っても居場所はないんだし……いくつか約束を守ってくれれば部屋を貸そう」

「ま、待ってください。私は父を探しに「死んだよ」

「……え?」

被せられた言葉に言葉を失った。お父さんが死んだ?

「でもそんなのどうやって……」

「君の父親の匂いで目が覚めたんだ。むせ返るような血の匂いさ。ヴィゴに見に行かせたらもう食い散らかされた後だった。狡猾な狼か…ほかの何かに襲われたんだろうね。可哀想に……」

女は話しながら近づいてきて、私の頬を撫でた。いつのまにか陽は沈んでいて、顔はよく見えない。私は熱に浮かされたみたいに力が入らなくて、後ずさることもままならなかった。

「そう、だから君はこれからここに住むんだ。約束ごとは私と、私の眷属の面倒を見ること。そしてこれはゆっくりでもいいけど、旅の支度をすること。そして……」

女の声は次第に耳に近づいてくる。女の囁きはとても熱くて、私は思わず身をよじった。女の髪はとてもいい匂いだけど、この匂いを言葉にすることはできなかった。

「君の血を、私に飲ませること。私の血袋として傍から離れないこと。とりあえずはこれくらいだ。さぁ君の名前を聞かせてくれ……」

女の両手が頬に添えられ、まるで言い聞かせるように……刻み込むようにその言葉が落ちてきた。私は何故か、この女の要求に応えることが、この人に全てを捧げることが正しいことなんだって思えた。

私は両手を伸ばし、彼女の頬に当てる。

「んっ……」

「んんっ!?」

そしていつのまにか彼女の唇にキスをしていた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

そういって彼女は私を引き剥がした。

「あ……」

残念そうな声が私の唇から溢れたを聞く。まるで私が私じゃないみたい……

「私は名前を聞かせろって言ったよな?名前を聞かせるんだ」

「名前は……ティエリです」

「よし、いい子だ。そのままじっと……おわっ!」

もう我慢ができなかった。彼女にキスのを降らし、次第に服をはだけさせていく。

「ま、まって!ちょ!そんなとこ……あんっ、やめろって!」

私は御構い無しで彼女を責め立て……夢中で彼女にしがみついた。

こうやって私はこの人のことを好きになったんだ。

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吸血鬼の血袋 @EiNStEi

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