第26話 魔王様とダンジョン整備

 魔物の増加は人為的なものでは無い。


 ということは例の魔王の噂とは無関係なのだろうか。だけど――


「近頃は、この学園に魔王が居るなどというくだらない噂が蔓延っているようだが、全くのデタラメだ」


 どうやら魔王の噂は先生の耳にも入っていたらしく、クザサ先生は苦々しい顔をする。


「ダンジョンの異変も魔物の増加も地震のせいだよ」


「そ、そうですよね」


 確かに、隣国で地震があったという話は新聞で見たような気がする。

 それで魔力の流れが乱れているというのは理屈としては分かる。

 だけど――何となく先生の様子がおかしい。先生、何かを隠してないか?


 俺が考えを巡らせていると、クザサ先生は眉を顰める。


「どうした。まだ何か聞きたいことでもあるのか?」


「あ、いえ、えっと……」


 俺は壁面に露出した魔法式に目をやった。

 普通の魔法使いでは扱いに困るほどの長く複雑な古代魔法式である。


「これは地中から魔力を集める魔法式ですか?」


「よく分かったな」


「ええ、なんとなく。これに似たのがうちにもあったので」


 俺の体を再生するには大量の魔力が必要だった。そこでレノルは神殿の地下から魔力を汲み上げるこれと似たような魔法式を敷いていたのだ。


「“うち”というのはレノル・ノルレインの家のことか」


 ボソリとクザサ先生が呟く。


「えっ?」


 思考が追いつかなくて、一瞬頭が真っ白になる。


 クザサ先生、なんでレノルのことを知っているんだ。


「――あ、はい。家というか、神殿というか。それより先生、レノル……神官のことを知っているんですか?」


「昔、少しな。名簿の保護者欄で名前を見つけた時はびっくりしたが、やはりそうか」


 先生は険しい顔で黙り込んだ。


「えっと……あの」


 俺はもっと聞きたいことがあったのだが、先生はくるりと壁の魔法式に向き直ると冷たい声で言った。


「まだ何か聞きたいことでもあるのか。そこに居られると作業の邪魔だ」


「あ、いえ。大丈夫です。ありがとうございました」


 頭を下げ、ルリハと共にその場を立ち去ろうとした時、クザサ先生が呼び止めた。


「マオ」


「何です?」


 暗い漆黒の瞳がこちらを見やる。


「あまり余計なことに首を突っ込むな。お前は、レベルを上げて落第を回避することだけ考えていればいい」


 強い西日がクザサ先生顔に影を作る。ザワザワと木々が風でなびいた。


「……はい」


 俺とルリハは何となく釈然としないものを感じながらもその場を立ち去った。





「じゃあ、また明日ね」


「うん。明日にはダンジョンが使えるようになっているといいね」


 校門前でルリハと別れ、寮への帰り道を急ぐ。


 夕闇が迫る。オレンジの中に薄い青が差して、一番星が煌めく。


 急いで寮に戻らなきゃ。そう思って足を早めていると、夜風が吹いた。


 ブルリと身を震わせる。寒さのためだけではない。視線だ。まとわりつくような嫌な視線。体の底から湧き上がってくるような嫌な感じ。


 ザワ。


 植え込みが揺れる。


「誰だ」


 ナイフを構える。


「そこに居るのは誰だ!?」


 ガサリと音がして、視線の主が姿を現した。


 そいつは、今までに見たどんなモンスターとも違っていた。


 薄闇の中、蠢くそいつは――



 肉の塊だった。



 手も足も、顔すらもない薄肌色の塊。そいつはぐねぐねと形を変えながらこちらに向かってくる。


「な、何だこいつ」


 ナイフを持つ手がガクガクと震えた。背中を流れる汗が止まらない。口の中がカラカラに乾く。


 恐怖からではない。恐怖もあるけど、それだけじゃない。


 あいつは、まさか――


「ファイアー!!」


 俺が戸惑っていると、肉の塊は炎に包まれた。


「ルリハ!」


 炎の主はルリハだ。慌てた様子で杖を構えている。


 炎の中で肉塊はおぞましい声を上げてもがき苦しむ。


「くっ、こいつ、中々しぶといわね……」


 ルリハは炎の中でもがく肉塊を見て汗をぬぐった。


 厳しい表情のルリハ。見ると炎に包まれながらも肉塊は俺の方ににじり寄ってくる。


「ガ……ダ……」


 肉塊からシュルシュルと触手が伸びる。


「ガラ……」


「寄るな!」


 思わず叫ぶ。


「もう、何なのよコイツ、気持ち悪い!」


 ルリハは再度杖を振り上げた。


「業火!!」


 今度は最大火力で肉塊を焼き払う。

 燃え盛る真っ赤な炎。


「オオ……アア……」


 肉塊は炎の中でもがき苦しむ。


「……今度こそ、仕留めたかしら?」


 二人で固唾を飲んで見守っていると、やがて炎は収まり、先程まで肉塊のいた場所には、黒っぽい煤だけが残されている。


 ホッと息を吐く。どうやら倒したようだ。


「どうやらやっつけたみたいね」


 ルリハは汗を拭った。


「うん。助かったよ。でも、どうしてここに?」


「ええ。寮に帰ろうとしたんだけだ、何だか嫌な気配がして戻ってきたの。そしたらあの妙な奴がいて――」


「そうだったのか」


 俺は消し炭になった肉塊を見つめた。


「それにしても、あの気味の悪い魔物は何なのかしら? あんなの、見たことない」


「そうだね。僕も見たことが無いよ」


 あんな、気味の悪い肉の塊なんて――


 そこまで考えて、俺はあの肉塊の正体に思い当たった。



 まさか。



 俺は、あれとそっくりなものを知っていた。バラバラの肉片となった魔物を知っていた。あれの正体に心当たりがあった。あいつは――


 風がザワザワと木々を揺らす。



 いや、まさかな。


 そんなはずはない。



「……どうしたの? マオ」


 ルリハが不思議そうに俺の顔を見上げてくる。


「いや、何でもないよ」


 慌てて笑みを作るも、頬が引きつってしまう。心臓が嫌な鼓動を打つ。



 ――だってそうだろう?



 まさか。


 そんなはずはない。





 あいつが十五年前のあの日、バラバラになった俺の体の一部だなんて、そんなことがある訳ないじゃないか。

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