神を倒し、神を孕め
ここまでの経緯で知りたかったこと。
温泉に浸かったときのように身体の芯から温まっていく。指先までしっかり血液が巡り、緊張していた筋肉がほぐれていくのがわかる。
――あぁ……気持ち良いな……。
そんな心地よさを経て、あたしはそっと目を開ける。
と。
「!?」
べちん!
あたしは目の前にあったクロード先輩の顔を平手打ちした。
「おはようございます。どうですか、心地は」
頬を叩かれたにも関わらず、クロード先輩は朝のさわやかさを象徴するかのような笑顔を向けてくる。
「良いわけないでしょっ! キスで起こされるだなんてっ!」
「月影の乙女、それは必要な処置だぞ?」
あたしの苛立ちの声を遮って告げたのはルーク。陽の入り始めた窓の脇で、壁に寄りかかったまま立っている。あたしが不満げな気持ちをこめた視線を送ると、解説を続ける。
「昨夜の戦闘での負傷を治しはしたが、それをしたことによって君はかなりの体力を奪われた状態。手っ取り早く回復させるために、直接精気を口移しで行ったのだよ」
「口移し以外にも方法はあるんじゃないの?」
当然のことのように淡々と告げるルークを横目に、あたしは上体をゆっくり起こす。妙な気だるさが残っているが、動けないわけではなさそうだ。
「口移しが一番効果が高い」
さらりと答え、理解しかねるといった様子で首をわずかに傾げると、ルークはさらに続ける。
「そんなに彼が嫌いか? その少年とも、僕とも口付けしたことがあるんだ。そんなに抵抗する必要も――ふがっ」
「あんたは乙女心を理解しろっ! 覗き魔がっ!」
手近にあった枕を投げつけてやると、ルークの顔面に直撃した。避けられる技量があるはずなのに避けなかったのがちょっと意外だ。
――しかし。
あたしを助けるためだったのにひっぱたかれて嫌な顔さえしなかったクロード先輩。さすがに申し訳なくなり、顔をそちらに向ける。
「ごめんなさい。叩いたりして……びっくりしたものだから、つい……」
「いえ。加減してくださったのはわかりましたからね。あなたのことですから、この程度は受けても当然かと」
言って、クロード先輩はあたしの頭を撫でる。が、そこで豹変した。
――えっと……クロード先輩?
「――で、ルークさん。さっき聞き捨てならない台詞が聞こえてきたのですが?」
あたしが目をぱちくりさせていると、クロード先輩はルークを見ずに底冷えするような声で問うた。
「なんのことかな?」
心当たりがないらしく、不思議そうにルークは返す。
「ミマナ君の唇を奪ったと、そう言いましたよね?」
ルークに向けられたクロード先輩の顔はとても険しく、ふだんの彼からは全く想像できない恐ろしい形相だった。
「えぇ。彼女が言うことを聞いてくれない様子だったので」
「へぇ……目的のためならば本当に手段を選ばないのですね……」
クロード先輩の周囲に漂う空気が、怒り荒れ狂う感情に支配されていく。
「彼女が悪い。――それに、僕も興味が湧いたからな。そこの少年や君が惚れた女と言うものに」
――えっと……あたしは止めたほうがいいのかしら?
そう思って、ふとマイトの姿を探す。窓側に置かれた寝台の上で、マイトはすやすやと眠っていた。これだけ騒いでいるのに全く目を覚まさないのはクロード先輩の術が効いているからだろうか。
「裸身を見て思わず欲情し彼女に悟られてしまったわけだから、僕が彼女に魅力を感じているのは事実なんだろうな。力で押さえつけず、口付けで脅そうという思考が働いたのも、その気持ち故だろうし」
「なっ……!?」
感情の起伏なく平然とした様子で語るルークに、怒りを通り越して口をあんぐりと開けたまま固まるクロード先輩。あたしもその台詞に全身を真っ赤にしながら硬直している。
――良かった、マイトが寝たまんまで。
そこで安堵している場合じゃない。あたしは頭を切り替える。
「……その辺の話はもう終わりにしていただけると嬉しいんだけど?」
痛み始めた額に手を当てながら問うと、ルークは小さく肩を竦めた。
「そうだな。どこでこんな話になったんだか」
「……この件が片付いたら絶対に滅してやる……」
ぼそりとクロード先輩は呟くと、いつもの穏やかな表情を取り戻した。
――て、敵に回さないように気をつけよう……。
クロード先輩は攻撃手段を持たない。ただそれだけの理由でこの場が血の海になるのが回避されているような気がしてならない。
――なるほど。クロード先輩の中にあるこういう感情を察知していたからこそ、あたしはこの人を苦手に感じていたのか。
あたしは心の中で大きくため息をつく。
「――で、最初に確認しておきたいんだけど」
そう前置きをして、あたしはクロード先輩に向き直る。
「ここにいるあなたは、あたしやマイトが幼い頃から知るクロード先輩と同一人物なのよね?」
話をしている限りでは違和感はなかった。あたしたちの知るクロード先輩そのものに思えた。だが、だとするならば、昨夜の神の使い発言はなんなのだろう。
すると、彼はにっこりと微笑んだ。
「えぇ。同一人物のはずですよ。本来いるべき町長の息子と入れ替わったわけではないので」
妙な物言いだ。あたしが訝しげに見つめていると、彼は続ける。
「ただ、オレと町長とは血の繋がりはありません。拾い子です」
「……え?」
確かに似ていないとは思ったが、まさか、そんな。
「父からその話を聞かされたときは気が動転して何も手がつかなくなり、自分の居場所がわからなくなってよく脱走していましたけどね。その辺のことはよくご存知でしょう?」
「えぇ、まぁ」
町の秀才と噂される少年がときどき怠けたり逃げ出したりするというのは、小さな町ではかなり目立つ。知らない人間はほとんどいないだろう。
「自分がどこから来た人間なのか知りたくて本をあさり、やがて魔導書に行き着いた。魔法を使えるかどうか試し、本当に発動させてしまったときは、あぁ、自分と両親に血の繋がりはないのだなと確信したものです。――そして、そんなオレの前にルークが現れた」
「ルークが? そういえば、先代の神の使いなんだっけ?」
あたしはルークに目を向ける。
「神の側近になることに固執して消されるよりは、と選出者を抱いた卑怯者だがね」
感慨もないらしく、実に淡白な口調で告げるルーク。
――本当に目的のためなら手段を選ばないんだな……。
あたしが呆れを隠さない視線を向けていると、ルークは続ける。
「そんな僕でも、神の側近になれないなら、なれなかったなりに雑用はいくらでもあるもので。――その仕事の一つが、神の使いを探し出し、その役目を告げること」
ルークの台詞を受けて、クロード先輩は重々しく続ける。
「――オレの前に現れ、ルークさんは言いました。『あなたは神が生み出した三人の使いのうちの一人である。選出者としてあなたが愛する女を差し出せ』と」
「じゃあ……あたしを選んだのはクロード先輩ってこと?」
ずっとルークがあたしを適当に選んだのだと思っていたのだが。
「えぇ。ずっとあなたのことが好きでしたからね。巻き込みたくはなかったのですが、そんな条件でしたので自動的に」
クロード先輩は困ったような顔をしたまま微笑んだ。
「ずっとって……あたし、気付いてなかったけど……いつからなの?」
マイトと比べると、クロード先輩とは接点が少ない。学校で一緒に過ごした期間も短いし、マイトの家の道場に通っていた頃を思い出しても、それほど親しくしていた記憶はない。
「さぁ。一目ぼれですからね。顔が好きだとか性格が好きだとか、そういう理屈じゃないんです。ただ、あなたならオレを受け入れてくれるような気がしたんですよ。不思議でしょう?」
――あ。
魔導師の話で口論になったとき、クロード先輩は何と言っていたか。あたしはマイトと違うだろうと、そんな期待を語っていたのではなかったか。
自身が魔導師であると打ち明けてくれた理由、それもあたしを信じていたからではなかったか。
「実際にこうして正体を明かしても、ミマナ君はオレを突き放したりしないのですから、直感もないがしろにはできませんね」
――確かにそうだ。でもなんでだろう。敵対しないと感じているからだろうか? だとすれば、あたしはクロード先輩を信じていることになる。多少胡散臭く感じてはいても、最終的には彼を信じるほうを選ぶのだ。
「……それで、あたしになったわけだ」
「はい」
よくよく思い返せば、この旅を始めることになったのも、すべきことや行き先を決めたのも全部クロード先輩だったような気がする。得られた情報も、ほとんどクロード先輩経由だった。
――うむ……この旅はクロード先輩に仕組まれていたといっても過言ではなさそうね……。
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