あなたと戦う理由なんてないのに。



 眠っていたはずだった。

 心地よい甘い香りの中ですやすやと眠っていたはずだ。

 しかしあたしはぱちりと目を開け、素早く体をひねる。

 とすっ。

 何かが落下するような音。そして腕に痛みが走る。


「くっ……」


 斬られた。腕に熱さと痛みが広がり、おかげで目が冴えていく。


「ステラ……?」


 寝台に突き立てられた短剣。それを握っていたのはステラだった。


「――よく……避けられましたね」


 聞き覚えのあるか細い声。冷たい目があたしを見下ろしている。蒸し暑い夜なのに、空気が冷え切っていた。すさまじい殺気である。


「この術なら……眠ったままで殺せるって……聞いていたのに」


 言って、彼女は短剣を引き抜く。あたしはそれを見ながら寝台を転がり、瞬時に起き上がった。切られた腕に手を当てると、ぬめっとした嫌な感触が伝わってくる。傷口は深くなさそうではあるが、さっさと手当てをしておいた方が良さそうな怪我だ。


 ――ま、動くには動くから、我慢できそうね……。


 冷や汗が頬を、背中を伝う。


「ステラ……どうしてこんなことを……?」


 急に襲ってくる理由がまったくわからない。寝込みを襲い、確実に命を奪うことを狙っていることに納得できない。

 すると彼女は幼いその顔を冷たく凍らせた。幼い少女がするような表情でもなければ、昼間の愛らしい様子は微塵もない。突き放すような視線に、あたしは警戒しつつ回答を待つ。


「まだ……気付かないのですね……」

「気付かないって、何を?」

「ミマナお姉さんは……だいぶ幸福な家庭で……お過ごしだったようですね」

「何のこと?」


 ふっと小さく笑うと、ステラは上着の釦を外して開く。その幼い身体にはぼんやりと淡い光を放つ細かな痣が広がっていた。


「ボクが、星屑の巫女なんですよ」

「え……?」


 いきなりの告白に、あたしの思考はついていかない。寝ぼけている所為なのか、それともこの部屋に満ちた香りの所為なのか。


「あ……でも、ちょっと待ってよ。あたし、ステラと戦う理由なんてないわ。あたし、ステラの邪魔をしようとは思っていないしっ」


 とにかくこの戦闘を避けたくて、あたしはステラに呼びかける。できることなら、彼女のような少女とは戦いたくない。怪我を負わされたこの状況下でも。


「ボクの邪魔をしない? ならば……早急に死んでください」


 短剣が無秩序に振り回される。洗練されていないその動きには無駄も多いのだが、しかしそれが先を読むのに苦労する。


「どうしてあたしたちが戦わなきゃいけないのよっ?!」


 あたしはステラに危害を加えることができずに、その剣戟を避けることに集中するだけ。当たりやすい胴体を狙った攻撃は格闘技を習ってきたと言うのに避けきれず、肌に無数の切り傷を生む。一つ一つの傷は浅いが、こうもあちこち斬られてばかりはいられない。


「お兄様を助けるため……です」

「どういうこと?」


 壁に追いつめられた。ステラはそこで停止し、短剣を構えたまま上がった息を整える。そして続けた。


「陽光の姫君に奇襲されて……神の使いであるお兄様の機転で……陽光の姫君の選出者としての資格を……奪うことには成功したのですが……ほぼ相打ちでお兄様がボクを庇って……呪いを受けてしまったんです……」

「じょ、状況は理解したけど、どうしてそれがあたしを殺すことに繋がるのよ? あたしはステラちゃんたちを邪魔しないって言っているでしょ?!」


 説得できないものだろうか。あちこち斬られてその形を維持していない上着を押さえながらあたしは言う。


「わかっていませんね」


 だが、あたしの思いは通じないようだった。ステラは冷たい笑みをこぼす。


「ボクは今すぐにでも神を倒して……お兄様を神の側近にしなくちゃいけないんです」

「だから、あたしを放っておいて、さっさと神を倒せば良いでしょ?!」


 あたしの台詞に、ステラの瞳に炎が宿った。殺意の炎。


「――他の選出者がいる間は、神の座への道は閉ざされたままなんです……ボクは、確実にミマナお姉さんを殺さなきゃいけない。できるだけ早く。……そうじゃないと、お兄様の身体が持たないから」

「なん……て……?」

「神の側近になれば……永遠の命が手に入る……そしたら、お兄様は助かる……だから」


 悲しげな、その運命を恨むかのような表情を浮かべるステラ。その顔がかすんで見える。


 ――あれ……。


 息が必要以上に上がっている。脈が乱れて動悸が激しい。それは運動を続けていたからだろうか。


 ――違う……これは、まさか。


 かくんと膝をつく。身体の様子がおかしい。


「……やっと効いてきたみたいですね」


 ――毒か……。


 状態を確認するためだろう。ステラはあたしに近付いてきた。あたしはもう動けない。見上げて、彼女の顔を確認するだけだ。焦点が定まらず、この薄明かりの中での彼女の姿は捉えきれないのだけども。


「念には念をとお兄様は言っていましたけど……その通りですね……」


 身体を支えることすらままならなくなって、その場に崩れる。呼吸が浅く、ぜぇぜぇという音が出てしまう。


 ――眠りを誘う香を焚いただけじゃなく、短剣に毒を塗っておくだなんて用意周到ですこと。


「あなた自身には恨みはないのですが……これもお兄様のためなんです……許してくださいね、ミマナお姉さん」


 ステラの掲げられた短剣が角灯の光に照らされ妖しく光る。


 ――終わったな……。


 何もかもを受け入れるつもりで瞳を閉じかけたとき、扉が勢いよく開いた。


「ミマナっ!」

「ミマナ君っ!」


 ――マイト、クロード先輩……、来るならもっと早くしなさいよ……。


 振り下ろされる短剣。しかしあたしは奇跡的に避けていた。


 ――ううん、奇跡じゃない。これは、魔法。


「あと少しだったのに……なんで……?」


 クロード先輩が得意としている強化系魔法、それが作用した結果だった。


 ――だけど、もう本当に限界かも。


 意識を保っているだけでもやっとだ。次をかわすのは偶然を利用しない限り厳しい。

 しかし、すぐに追撃は来なかった。マイトがステラの短剣を奪い、身動きを封じていたからだ。


「ミマナ君、大丈夫……ではなさそうですね……」


 抱きかかえられ、クロード先輩の着ていた白い上着を被せられる。あたしの血で赤く染まってしまうのを申し訳なく思いつつも、されるがままだ。心配そうな彼の顔を見ていると、胸が苦しい。


「唇が真っ青、かなりの汗……毒ですか。それもかなり回ってしまっている」


 息が上がっているときとは異なるヒューヒューという呼吸。身体がいうことを全く利かなくてだらんとしている。痛みが感じられないのが不思議だ。


「ふふ……。そこまで毒が回ってしまったら……時間の問題ですよ……」


 蒼白な顔で笑みを作るステラをマイトは締め上げる。幼い少女に対して容赦ないのは、あたしの危機を前に焦っているからだろうか。


「解毒剤くらい持っているんだろ? 出せよ!」


 必死な気持ちが声に乗せられている。そんなマイトの気持ちをあざ笑うかのように、ステラは答える。


「手遅れだって……言っているじゃないですか……」


 勝ち誇ったような笑い。しかしそこには後悔の念もわずかに感じられる。きっと人を殺したことがないのだろう。


「嘘をつくなっ! 持っていないわけがないじゃないかっ! どうせ鞄に隠しているんだろっ!?」

「押さえていて下さい! マイト君」


 その答えに逆上して、押さえつけていた手を緩めそうになったのを、クロード先輩が叫んで制止した。


「挑発に乗せられてはいけません。オレが、救ってみせますから」


 あたしを空いている寝台に運び、そっと下ろす。


「先輩、だが、あんたは――」

「独学の魔導師を、馬鹿にするもんじゃありませんよ」


 クロード先輩の瞳が閉じられる。集中が始まると、すぐに部屋の空気が変わった。殺意による冷たい空気から、それとは別のどこか穏やかな暖かな空気へと。


 ――妙な感じね……ほんの少し前まで、寒くて仕方がなかったのに……。


 誰かに抱き締められているかのように温かくて心地よい。ただ寝台に横たわっているだけだと言うのに、それがとても不思議だ。

 聴きなれない旋律。独特の発音。単語として認識することもできない意味不明な言葉の羅列。クロード先輩によって紡がれる不思議な歌に合わせ、あたしの身体を光る文字が埋め尽くしていく。


 ――これが、クロード先輩の魔法?


 呼吸が落ち着いてきた。激しかった動悸も穏やかになっている。痛みも戻ってきて、あたしは思わず顔を歪めた。


「――なんとか危機を脱してくれたようですね」


 あたしの様子に変化が見られたからだろう。クロード先輩は呪文を唱えるのをやめ、あたしに顔を寄せて額を撫でた。声はまだ出せず、頷くことしかできない。


「くっ……」


 解毒されてしまったことに腹が立ったらしく、ステラは年に似合わない苦々しい表情を浮かべた。


「やっぱりボクじゃ……お兄様の役には立てなかった……」


 落胆するステラの身体に広がっていた痣が消えていく。つまりそれは――選出者の資格を失ったことを示していた。


「あぁっ……お兄様……」


 戦意喪失と受け取ったらしい。マイトはステラを解放した。少女は自分の身体を抱くように腕を回し、その場にぺたりと腰を下ろしてすすり泣く。


「――星屑の巫女、君の仕事は終わった」


 どこからともなく響く声。それはルークのものにしか思えない低い声。


「神の使いである君の兄、レイは今しがた息を引き取った。彼を見送りに行くと良い」


 ステラの周りに瞬時に展開される魔法陣。それはメアリとサニーが使用していた転送魔法に似ており――光が収束すると、、幼い少女の姿は消えてなくなっているのだった。


「――意外と優しいところがあるんですね」


 呟いたのはクロード先輩。彼は窓に近い暗がりに目を向けた。


「僕は昔からこうだよ、クロード」


 その暗がりに浮かび上がるように姿を見せたのはルーク本人だった。


「……知り合いなのか? クロード先輩」


 互いを知っているらしく言葉を交わすクロード先輩とルークに、マイトは警戒している。今がどういう状況なのかわからず混乱している中、それでもあたしを守ろうとしている彼の背中は本当に頼もしい。


「ま、簡単に説明するなら、オレが本当の神の使いで、彼が偽物――もとい、先代の神の使いってことですよ」

「なっ……なんだと!?」


 叫び声に似た声を上げて、マイトはクロード先輩とルークの両方を交互に見る。


「今期の選出者もついにミマナ君だけになりましたし、今夜はゆっくり休みましょうか」

「これが休める状況か?! 眠れるわけないだろうがっ!」

「ならば、寝かしつけて差し上げましょう」


 一言そう告げると、マイトは静かに床に崩れ、横になった。あたしの場所からは見えないが、寝息が聞こえる。


「ミマナ君も、しっかり身体を休めてください。話はそれからにしましょう」


 促すようなクロード先輩の声に、あたしの意識はまどろみに誘われる。

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