旅立ちのお供に、もう一人。


 早起きの小鳥たちのさえずり、心地よい冷たい風。夜明けが近付いている。


「――ところでミマナ」


 あたしの家の玄関前にやってきたマイトの問い。荷物もまとめて準備万端である。


「ん?」

「神殿ってどこにあるんだ?」


 町長からは地図をもらえなかった。勝手な行動をされると困るからだろう。


「あぁ、それなら任せて。ちゃんと準備してあるわ」


 しかし町長が何を考えていようとも、あたしの行動力を甘く見るべきではなかった。

 あたしはふふんっと鼻を鳴らすと、背嚢から一枚の地図を取り出して見せる。


「お、すごいな。――でもどうやってこれを?」


 地図に目を通し始めるマイト。どのような道程で進むべきか検討しているのだろう。


「町長は言っていたわ。十年前に道は閉ざされた、今は部下が修復中だって。ってことは、よ? 十年前の地図と、修復中の職員を捕まえてくれば良いだけの話よ。簡単なことじゃない」


 自慢げに胸をそらしてあたしは答える。こんなのは楽勝だ。


「って、ミマナ。また暴力で情報を得たんじゃないだろうな?」


 マイトの冷たい視線。


 ――う、あたしを暴力女扱いする……。


「やぁねぇ。あたしを見るなり逃げるなんて失礼な態度をしてくるから、一発飛び蹴りを喰らってもらっただけよ」


 町長と面談した会議室を出たあたしがとった行動は情報集め。神殿がどこにあるのか、一体どんな場所であるのか、また、閉ざされた道を修復している職員は誰なのかを聞いて回ったのだ。ほとんどの人があたしの問いには答えてくれず、それは本当に知らないかららしかったのだが、たった一人だけ顕著な反応を示した人物がいたのであった。


「お前なぁ……一般人にお前の飛び蹴りを喰らわせたら死に掛けるだろうが。格闘技を習うものとしてそのくらいは考えろ」

「それは心配に及ばないわ。だってその相手、クロード先輩だもの」


 クロード先輩はあたしの三つ上の先輩。マイトのお父さんに格闘技を習っており、そのときはあたしも世話になっていた。学校を卒業してからは、町役場に就職し情報課で働いている。正直、運動音痴の彼に格闘技は向いていないと思う。それくらい弱かったのが印象に残っているのだが、避けと受け身だけなら誰よりもうまかった。あんまり羨ましい特技ではないけど。


「あぁ、あの人、役場に就職したんだっけ。今もいたのか?」


 その言い草はないと思うが、一方でマイトがそんな印象を持っているのも頷ける。集中力がなく飽きっぽいクロード先輩は、何度も学校や道場を脱走しているのだ。マイトは父親のそばにいるために暇さえあれば道場にいたのだから、その様子を身近で見ていたことだろう。


「えぇ。おかげでしっかり情報を得られたわけよ」

「ふーん。――だとしても、地図まで用意できているとは運がいいな」

「あたしには幸運の女神様がついているのよ。さ、行きましょ」


 背嚢を背負うとあたしは歩き出す。神殿はこの町の北、地図上の距離からすると半日ほど歩いた場所にあるようだ。馬車、せめて馬だけでもいれば楽であるのだが、目立つ行動は控えたいので徒歩にした。そう険しい道でもないようなので問題ないだろう。


「おう」


 マイトもあたしの後ろをついてくる。


 ――さっさと仕事を片付けて、楽しい日常に戻るのよ。


 そう心に決めた、そんなとき。


「男女二人でこんな早朝からお出掛けなんて、感心しませんなぁ。ミマナ君、マイト君」


 ――この声は……。


「まるで駆け落ちじゃありませんか?」


 朝陽を背景にして立つ細身の男。その容姿には覚えがある。


「く、クロード先輩……」


 長い三つ編みに細めの眼鏡。白っぽい色の服を好むその男は、先ほどまで話題に出ていたクロード先輩、その人だった。


 ――噂話はするもんじゃないわね……。


 正直、あたしはこの人が苦手だ。この人の回避能力と異様なまでに極められた受け身のせいで殴った感じが全くしないから。


「そんなに嫌な顔をしないでくださいよ。お父様の命令で、あなた方の補佐をすることになったのですから」

 ――クロード先輩の父親の命令ということは、町長命令か……。


 クロード先輩のお父さんは町長である。その縁故もあって町役場に就職したのだとも噂されるが、あたしは彼は実力で就職したのだと思っている。学校創立以来の秀才といわれ、彼が残した様々な学業の記録は破られていない。生徒会長としての手腕も大したもので、現在もなお伝説として語り継がれているのだ。


「戦闘要員以外はいらん! 足手まといだ、さっさと帰れ!」


 吠えたのはあたしじゃなくてマイト。戦闘要員以外はいらないという意見にはあたしも賛成。


「おやおや、本当に駆け落ちをするつもりだったようで」


 眼鏡に指を添えると、はぁ、っとため息。


「この町の命運が掛かっているんですよ? 町民の代表として監視しておきませんと。あなた方が恋仲になって任務を放棄してしまうのが一番の問題ですからね」


 余計な心配だ、そう思いながらあたしは話題の矛先を変えることにする。


「でも、よくここがわかったわね、クロード先輩」


 こう都合よく現れるなんて驚きである。明け方に出ることにしたのは奇襲されたからであって、始めからそう決めていたわけではない。


「あなたの行動ならオレは熟知していますよ」

「ほう、言ってくれるわね」


 腕を組んでクロード先輩を睨みつける。


「部下を使って監視していますからね」

「なにやらせてるんじゃ貴様っ!」


 しれっと何食わぬ顔で答えるクロード先輩に、思わず回し蹴りの突っ込み。狙うはその整った顔。


「――毎度同じ軌道なら避けるのは簡単ですよ」


 ほんのわずかに動いただけで、クロード先輩はあっさり避けてくれる。腹立たしいことこの上ない。


「それに、趣味であなたを監視していたわけではありませんよ? 選出者となったあなたが、勝手な行動を取らないように見張っていただけなんですから」

「避けないで、受けるか反撃するかしなさいよ!」

「あいにく、痛いのは嫌いですし、暴力も好まないので」


 冷たい笑顔のままでクロード先輩は答える。


 ――そりゃ、痛いのが好きって人間は少数派でしょうけど。


 だとしても、その気持ちだけでかわされちゃ面白くない。クロード先輩とは道場で何度か戦闘訓練の相手になったことがあるが、不戦勝での勝利だけでまともに伸したことはないのだった。


「なぁ、クロード先輩?」


 あたしが苛立っている後ろでマイトの真面目な声。


「はい、なんでしょう?」

「監視していたってことは、真夜中にミマナを襲撃してきた男のことも知っているんだろ?」


 ――あ、そう、それ。


 マイトの台詞にあたしは冷静さを取り戻す。


「夜這いに入ったあなた以外の訪問者、ですか?」


 うーん、とうなって首を傾げるクロード先輩。


「とぼけていないで質問に答えろ」

「いえ……オレにはそんな情報が伝わっていませんので」


 嘘をついている気配はない。クロード先輩は曲者だが嘘をつくときにある癖が出てしまう。つい眼鏡の位置を直してしまうのだ。


「伝わっていない?」


 確かに部屋にいたはずであるのに、その人物が出入しているところを誰も見ていない。それが本当であるなら相手は相当の使い手だ。気配を殺して侵入し、圧倒的な強さを持って制圧する。それを行えるだけの人物……。

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