男の子はずるい。
「――今なら俺の思うがままにできそうだな」
再び真顔になってこちらを見るマイト。
――や、やめい! その顔、その表情!
熱いお湯に浸かった時みたいにのぼせてしまっていて冷静な判断ができない。なんなの、これ。
「でも、それは卑怯だと思う。無防備な女を襲うのは俺の美的感覚に反するし、ミマナも嫌だろ、そういうの」
――あ。
マイトはあたしの頭に手を載せて優しくなでてくれる。
――あたしのほうがお姉さんなのに……。
「お前の頭をこうして撫でてみたかったんだよな。いっつもされる側だったし。すぐに半べそをかく俺を慰めるために撫でてくれるの。あれ、すっごく好きだった」
「……」
「――責任重大なことを町長に押し付けられて、泣きたい気持ちになっているかと心配だったんだけど、余計だったみたいだな。気を張っていっつもけろっとしているから、せめて俺の前では弱いところをさらけ出してくれてもいいんじゃないか、なんて期待していたんだけど」
言って、にっこりと優しく微笑む。
――あぁ、本当に彼はあたしの気を紛らわすのが目的で来てくれたんだ。
偽ることのない純真な笑顔。昔からそれは変わっていない。
いつの間にかあたしの視界はにじんでいた。
「ま、マイトぉ……」
やっと出てきた声がそれで。
「ほら、飛び込んでこい。肩でも胸でも貸してやるぞ」
いつの間に彼はこんなに頼もしい存在へと成長していたのだろうか。あたしはどんどんと弱くなっていくのに、男の子はずるい。
「ばか……」
それだけを言って、あたしは肩を借りた。寝台に腰を下ろした状態ではそこがちょうど良かったから。
「町長に任命された以上、責任を持ってお前を護るよ。だからそこは心配せず、お前はお前の任務を全うすればいい」
「うん」
あたしはどんどん弱くなっていく。男の子には勝てなくなっていく。それをなんとなく想像していたけど、それが現実になってしまうと気構えだけでは耐えられない。
あたしはずっと護る側にいたかった。護られる側になんて、そんな弱い存在になりたくなかった。どうしてそれが許されないのだろう。
――あたし、精神的にも弱くなっちゃったんだな……。
「必ず、戻ってこよう。この町に」
「うん」
「――くだらないな」
あたしたちは突然の闖入者にさっと離れ、声のした方を見る。
闇に紛れるためだと思われる黒っぽい衣装。身体に巻きつくようにぴったりとしているのは、彼が近接戦闘を好むからだろう。顔にまで布が巻かれているのは正体を隠すためか。
――い、いつからいたの? 全く気配を感じなかったんだけど!
格闘技を習っていた身としては恥ずべき失態である。黒尽くめの男はあたしの部屋にいたのだ。
「――何者だ?」
黒尽くめの男に向かって殺気を放ちながらマイトが問う。あたしよりも半歩ほど前に出ているのは、彼があたしを護ろうとしている気持ちの表れだろう。
「名乗るほどのものではない。それに、いずれまた会うだろうしな」
――「いずれまた会う」ということは、殺しに来たわけではなさそうだ。
しかし油断はできない。あたしたちは黒尽くめの男を睨む。
「二人ともいい目をしている。好きだよ、そういう目。そしてその戦意むき出しの目を絶望に染めるのがたまらなくいいんだ」
「何しに来た?」
「君たちに吉報を届けに」
――吉報? 良き知らせを届けに来るような格好じゃないと思うんだけどね。
「――我が主からの伝言だ。二人とも今すぐこの町を出なさい。さすれば、今は見逃す、と」
「今は見逃す、ですって?」
室内が戦場の雰囲気を帯びてきたからだろう。あたしの身体は水を得た魚のように滑らかに動き出す。
「冗談じゃないわ。あんたの主は何様のつもり? 上から目線とは良い根性をしているわね」
捕まえて情報を引き出そうと、瞬時に接近する。
「何様かと問われれば神様なんだがな」
すっと左に避けるところを、あたしは軽く足の位置を戻して回し蹴りに持ち込む。
「神様? 冗談でももっとまともなことを言うべきだと思うわ」
「そうか。――残念」
放たれる殺気。全身が総毛立つ。
――な!
あたしは回し蹴りをひっこめて素早く離脱。その動きを行えただけでもすごいことだ。
「素早いね」
壁に大きな傷ができていた。どういう仕組みなのかはわからないが、音も立てずに綺麗な直線が生まれている。
「ミマナ、無事か?」
「えぇ、マイト。……こいつ、かなり危険だわ」
全身が冷たい汗で覆われている。攻撃をやめていなければ命に関わっていたことだろう。身軽さが武器のあたしだからこそ緊急回避ができた。次も同じようにかわせる自信は正直ないけど。
「――だが、それだけでは勝つことはできないだろうな。生き延びるだけで精一杯」
ぼそっと呟く黒尽くめ。
「何のこと?」
「さぁてね。――では、これで失礼。従うか、抗うかは君たちの自由だ」
その刹那。
びゅうっ!
部屋に突風が巻き起こる。あたしはその風を腕で防ぐ。風がやむと、黒尽くめの男は消えていた。
「な、なんなのよ、あの男……」
まだ肌がチリチリしている。放たれた殺気の感覚がまだ残っているのだ。
「さぁな」
マイトは窓の外を確認しながら応える。追わないところを見ると、もう見えないかあるいは力の差を感じてあえて追わないか。いや、たぶんその両方。
「しかしどうする? 今すぐ出ろって話だったが――」
マイトはこちらを見て、そしてすぐに窓の外に視線を移す。
――ん、なに? その不自然な動きは。
「お……お前、服破れてる」
「へ?」
あたしの格好はへそが出るくらいに短い上着に短いパンツ。それが破れているとなると――。
「ひゃっ!」
黒尽くめの男が放った攻撃がかすっていたようだ。上半身がほとんどあらわになっている。
――って、見られた? 見られちゃった、マイトに……!
「せ、責任取りなさいよ!」
慌ててあたしは寝台の上に広がっていた敷布を身体に巻きつける。これで大丈夫、っと。
「俺は無責任なことはしないつもりだ」
「じゃあ、ちゃんと護ってもらうんだからね」
「あぁ、もちろん。約束する」
その返事を聞いてあたしは安心する。マイトは約束を必ず護る男だ。待ち合わせをしたときも一度も遅刻はしたことのない男だってことをあたしは良く知っている。
「――そうと決まれば出発しましょ。神殿までの道が開通しているのに期待して」
待っているのはあたしの性に合わない。あたしは常に攻めの女の子。問題が山積みなら、さっさと挑んで片付けてしまいたい性質なのだ。
――すぐにでも出発したいから、準備はもうできているのよね。服も背嚢も新調したかったけど、それは帰ってからにしようっと。帰る場所がなくなっちゃうのが一番困るから。
「わかった。すぐに支度する。お前のことだからすぐに行くって言い出すと思ってほとんどの準備は終わっているんだ」
「さっすがマイト。あたしの相棒はあんたしかいないわ!」
あたしがそう言ってやると、マイトはこちらを見て微笑む。
「一生お前の相棒でいて見せるよ」
ドキッ。
――う……不覚にも今ときめいてしまったぞ。
「さ、さっさと準備に出なさい! 夜明け前には出るわよ!」
「了解」
あたしが照れているとわかったのだろう。くすくすと笑いながらマイトは窓の外に出て行ったのだった。
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