第9話 クリエイター
作家と編集っていうはどこまでいっても仲良くなれないとつくづく思う。それはたとえ何十年の長い時間を共に過ごしてきた者同士であったとしてもだ。
そもそも作家と編集は生物学レベルで全く異なっている。作家は本来自分の世界で作り上げたものを自由に表現する生き物である。対して編集は日程、締め切り、相手方との規約を絶対順守し、作家の体にムチを打ち付け無理矢理にでも手を動かさせるまさに悪魔のような生き物だ。
出来栄えを求め続ける作家と、ある程度のクオリティで締め切りを守らせる編集。ぱっと考えてみただけでも、この2つの生物が絶対に相容れないのは当然のことである。
何が言いたいかというと、まあ要するに、うちの担当がうるさすぎてつらい。
携帯を開いてみると、着信履歴はとうに50件を越えていた。メールも数件入っている。その件名を見ただけで、私の担当である安良岡さんの怒り心頭のご様子が感じとれた。
と、ちょうどそこへまた着信が一件。相手は当然、安良岡さんだ。いまからお説教なんかが始まるのを考えただけでも憂鬱な気分になるが、これからの仕事の事を思うと出ないわけにもいかない。
私は恐る恐る、通話ボタンを押した。
「もしもし」
「もしもし、柏木先生!? 今どこにいらっしゃるんですか。お宅に伺っても誰もいない、電話も出ないで、私すごく心配したんですから、もう少しで捜索願いを出しそうでしたよ」
いや安良岡さん、それはやり過ぎでしょ。
「いやー気分転換にちょっと引っ越しをと思いまして……」
「なに馬鹿なこと言ってるんですか、ふざけてないで早く帰って来てください。この前話した仕事の打ち合わせがしたいので」
「いやだからですね、引っ越しをしたので東京には帰れないんですよ」
「……本当に?」
「はい」
「場所は?」
「位置的には岡山です」
「岡山って岡山? 倉敷とか、後楽園の岡山?」
「ちょっと分からないですけど、多分その岡山です」
「……」
しばし沈黙。安良岡さんは明らかに困惑した様子だ。
このまま黙っていても良かったのだが、やはり仕事の拠点を移す以上、安良岡さんには引っ越しのことを話しておくべきだ。まがりなりにも仕事のパートナーとしてお世話になっているのだから。
私は自身があっち島へ移住した経緯を断片的にではあるが、安良岡さんに伝えた。一通り話し終わると、安良岡さんは小さくため息をついた。
「柏木先生、何か事情があってのことでしょうし、私も深くは言及しませんが、そういうことは担当の私にも事前に一言ください」
「すみません……」
「分かればよろしい」
とりあえず引っ越し問題については和解できたようだ。まあ今のご時世、携帯で話すこともできるし、ネットを使えば顔を見ながら会話も出来る。イラストにしたって今やパソコン上で描くのが主流になっているし、加えて、ペンタブレットを手にした私はすでに無敵。もはや距離の問題は些細なことだ。
はい、解決しました。もう眠すぎて瞼が合体しかかっているし、子供は寝ないといけない時間だからそろそろ電話を切りましょう。
私が通話終了のボタンを押そうとしていると、電話口から安良岡さんの一段大きな声が響いてきた。さては私が電話を切ろうとしたのを察したな。
「それはそうと、お願いしていた挿し絵の原案、まだこっちに届いてないんですけど。あと前回の打ち合わせで出した課題も半分足りないですし」
「安良岡さん、日本の内でも時差ってあるらしいですよ。こっちはもう深夜なので高校生は寝る時間だなー」
「話を反らさないでください。あと日本国内で時差はありません。それに今は22時です。夜型のあなたがそんな健康的な時間に寝るとは思えませんが」
勝手に決めるんじゃないよ。私だって早く寝る時もあるわ。確かに最近は夜遅くまで起きているけども、それは安良岡さんの出した課題が終わらないからでしょうが。
ほらね、やっぱり相容れない。
安良岡さんは東京の出版・編集会社の人で、その会社もそこそこ名の通った所だ。
話すと長くなるので端的にまとめると、私は安良岡さんの会社が企画したイラストコンテストにたまたま応募した。その時は何の賞にも入らなかったが、私のイラストが安良岡さんの目に止まったようで、熱烈なアプローチを受けた結果、めでたく安良岡さんは私の指導役兼、形式上は雇われのイラストレーターとなった私の担当と相成ったのである。
だが、安良岡さんの指導はその穏やかそうな名前に反して、想像以上に過酷なものだった。自身も売りに出せるレベルのイラストが描けるだけあって、私のイラストに決して妥協は許してくれない。しかも課題は打ち合わせの度に出してくるし。
ワタシ一応コウコウセイ、ワカッテマス?
多分、今何を言っても論破される気がしたので、電話口でだんまりを決め込んでいると、安良岡さんはついに諦めたような力ない声で、
「とにかく、課題は後回しでいいので、挿し絵の原案は今週中にお願いします。高校生だからって甘やかしたりしませんからね。失礼します」
それだけ言い残して電話を切った。
分かってるよ。安良岡さんが私の事をちゃんと考えてくれていることくらい。
だから私は安良岡さんが期待している以上のイラストで応えてみたい。驚いてギャフンと言わせたい。この土地に来たのもその為なんだから。
ただ今は……もう……無理……。
通話の音が途切れると同時に、私はベッドに吸い込まれ、気を失うように眠ってしまった。
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