第8話 柏木

「……ん、あれ」


 目を開けるとそこには知らない天井があった。


 知らない部屋に知らないベッド。窓の外は、まだ夜の帳が下りたままだ。


 「ここ、どこだ」


 とりあえず体を起こそうとベッドから起き上がったところで、部屋の扉が開いた。


 「おっ、起きた起きた」


 入ってきたのはめぐみさんだった。手にはお皿が乗ったお盆を持っている。

 私がいまいち状況をつかめないでいるのを横目に、そのお盆をテーブルの上に置いた。お皿の上にはきれいな形のオムライス。それも私好みの半熟オムライスだ。


 そういえば今は何時なのだろう。夕飯の時間はとうに過ぎたはず。オムライスの美味しそうな香りに反応するようにお腹が鳴った。


 その音に、めぐみさんはちらっとこっちを見たが私は何もなかったふりをする。するとめぐみさんは何かを思い出したようにクスッと笑い、話し始めた。


 「お母さんに啖呵切って一人暮らし始めるってくらいやからどんな子かと思てたけど、まさか泣き疲れて眠っちゃうなんて、案外子供っぽいところもあるんやね」


 はい、っとオムライスのお皿を私に手渡して、めぐみさんは私の隣に座った。


 ようやく意識がはっきりしてきた。そうか、私はおばさんに抱き着いたまま眠ってしまったのか。


 ……え、私あのまま寝ちゃったの。


 差し出されたオムライスを受け取ってはみたものの、色々な恥ずかしさもあって顔を真っ赤にしながらオムライスを食べあぐねていると、めぐみさんは顎をくいっと動かして食べるのを促してきた。


 「お腹空いてるやろ、さっきも盛大にお腹鳴らしてたし。もうこんな時間やけぇ、あんまり遅うに食べたら太ってまうで」


 そう言われて、私はコクリと頷いてオムライスを食べ始めた。別に太るとかそんなのを気にしたわけじゃなく、単純にお腹が空いたから。ほんとだよ。まじまじ。マジの助。


 私が黙々とオムライスを頬張っている間、ずっと恵さんは頬杖をつきながらまじまじと見つめてニヤニヤとしていた。めぐみさん、めちゃめちゃ食べにくいっす。


 そうは言っても半熟オムライスは美味しくて、気が付けばめぐみさんの視線など気にならないほどに夢中になっていた。そんな私の様子を知ってか知らずか、まためぐみさんは話し始める。


「かえで、もう帰ったで。またなんかあったら電話してって。全く、目の前で熱いハグをずっと見せられとる私の気持ちにもなってほしいもんやわ」


 スプーンを持つ手が止まる。おばさん、本当に帰っちゃったんだ。


 次はいつ会えるだろうか、おばさんもなんだかんだ忙しい人だからな。しばらくは会えないかもしれない。


 また、今にも泣きだしそうな顔をしていると、頭の上に手の感触がした。


 「いつまでもしょげとらん。女はがっちり構えとったらええんじゃ。じゃないとまたおばさんに馬鹿にされっぞ。」


 そういってめぐみさんは私の頭をくしゃくしゃに撫で回した。おかげで髪はぼさぼさだ。突然のことに驚き、慌てて髪を押さえると、めぐみさんは高らかに笑ってベッドから立ち上がった。


 どうやら私の周りにいる人は、男勝りな人が多いらしい。


 きまりの悪さに少し頬を膨らまして強い眼差しを向けると、めぐみさんはまるでいたずらっ子のようにニッと笑い、私から視線を反らすと、


 「それに、こずえちゃんはひとりじゃないよ。この島はこずえちゃんの思っとるよりも温かいで。」


 そうぼそっと呟いた。その言葉に私は首を傾げる。


 「……夏だから?」


 私の質問にめぐみさんは一瞬きょとんとした顔を見せたが、ふと、窓の外を見て言う。


 「そう、夏だから」


 渥池島の夜には東京のような喧騒はなく、窓の外では鈴虫や蛙の合唱だけが真っ暗な夜を彩っていた。



 「さてと、そろそろうちのガキンチョどもを寝かさんとじゃけぇ、食べ終わったらお皿とかは下の台所にでも置いといてちょーだい」


 そう言ってめぐみさんは部屋から出て行こうとするが、何かを思い出したように足を止めて振り返えると、


 「そうそう、今日からここがこずえちゃんの部屋ね。改めて、ようこそ民宿『柏木』へ。明日からお願いしますよ、"新オーナー"」


ぱちっとウインクを決めて、部屋から出ていった。


 何だか含みのある言い方に、私は一抹の不安を覚えた。もしかすると明日から私は馬車馬のように働かされるのでは無かろうか。


 しばらくすると隣の家からめぐみさんの怒号が微かに聞こえた。恐らくそれは夜更かしする子供たちに向けられたものだろう。


 めぐみさんは母親のテンプレートみたいな人だ。ああいう親を、世間では疎ましく思う人もいるのだろう。でも今の私には、めぐみさんの子供が少し羨ましい。


 「ごちそうさまでした」


 オムライスを食べ終えると、改めてこの部屋、今日から私の部屋となった場所を見回してみた。


 板張りの天井にはところどころに雨漏りの形跡がある。多分この建物自体、建てられてから結構経っているのだろう。壁も何の変哲もない白塗りの壁。少し埃っぽい匂いもする。以前住んでいた所とは綺麗さは比べるまでもない。

 だが一目みたときから、私はこの部屋に関して、何の不満もなかった。

 

 身の丈に合ってるって言うと怒られちゃうかな。でも今の私が再スタートをきる場所としては、これくらいがちょうどいい。


 一つ、深呼吸をしてみた。埃っぽい匂いに混じって、木造らしい木の爽やかな匂いがする。その匂いは昼間の木漏れ日の場所を彷彿とさせた。荷ほどきが一段落ついたら、もう一度あの場所にも出掛けたいな。


 息を吐くと同時に体の力が抜ける。そして私はそのままベッドに倒れこんだ。どうやら体の方には大分と疲れが溜まっていたらしい。引っ越し旅が終わって今やっと、落ち着けたような気がする。


 窓際に置かれた机のそばには、前の家から送っておいた荷物の詰まった段ボールが積んである。その隣には私の持ってきたバッグがあった。恐らくめぐみさんが、寝ている私と一緒に運んでくれたのだろう。


 ありがたい限りではあるが、もう今日は荷ほどきをする気力はない。荷物の整理は明日にしよう。


 そうして、いつものように携帯をいじろうとポケットに手を伸ばすが、そこに携帯の感触はない。


 そうだ、船の上で携帯を落とすといけないから、自分のバッグの中に入れたんだった。


 仕方なくベッドから起き上がり、バッグのファスナーを開けると、中には私の携帯やパソコンと共に、見覚えのある綺麗な包みが入っていた。おばさんからのプレゼントだ。そういえばまだ中身を確認してなかったな。


 バッグからプレゼントと携帯を取り出すと、ベッドにとんぼ返りして座り、ちょっぴり濡れてくしゃくしゃになった包み紙を丁寧に開けていく。


 プレゼントを開ける瞬間って、どうしてこんなにもワクワクするのだろう。何が入っているか分からないけど、それがたとえ子供騙しのお菓子セットだったとしても今なら喜べる自信がある。贈り物は物がどうとかじゃなく、渡す気持ちに意味があるのだ。でも流石にびっくり箱なら怒るけどね。


 だが、中から出てきたのはお菓子詰め合わせでも、ピエロのバネ人形でも無かった。


 そこにあったのは何かの電子機器。薄い板のような形をしており、テレビのように画面がついている。付属品として太いペンのような物が入っていた。


 普通の人なら馴染みが無さすぎて、分からないという人もいるかもしれない。でも、私にはすぐに分かった。


 「ペンタブだっ……」


 ペンタブとはペンタブレットのことで、パソコン上で絵を描くときなどに使われる物だ。そして私が今、一番欲しかった物。


 とは言ってもその事をおばさんに話したことは一度もない。おばさんが知っているのはせいぜい私が絵を描くのが好きだということくらいだろう。全く、おばさんのプレゼントを選ぶセンスには、毎度のことだが舌を巻かずにはいられない。


 私が目を爛々と輝かせながらペンタブレットを確認していると、箱の中に一枚の手紙が添えられていた。


 『そろそろ必要になるかなと思ったのでこれを贈ります。でもこずえちゃん、学生の本分は勉強なんだからね。その事を肝に命じとくように! あと、あんまりお母さんの事怒らないであげてね。


 ps.仕事の依頼ならいつでも回せるから、やる気になったら電話して』


 なんか色々バレてそうな文面だった。でもやっぱり温かいな。


 そういえば、まだこのプレゼントのお礼を言っていない。今度ちゃんとおばさんに「ありがとう」と伝えよう。プレゼントのこと、それから、これまでのことに。


 おばさんの優しさをしみじみと胸の内で感じながら手紙を折り畳み直していると、ベッドの上で携帯がバイブレーションした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る