狂気的心情心理

第4話 狂気ノ繭

 美しいものを手に入れる。その感覚が堪らなく好きだった。


 だから、あの店主の囁きに突き動かされたんだ。



*****



 残暑が厳しい9月中旬、俺はいつもの様に大学で講義を受けていた。将来の為とか、就職の為とか、そんな事のために今こうして小難しい話を聞かされているのが、退屈でならないのだが。


(早くサークル行きたい・・・)


 最早、講義の内容などこれっぽっちも覚えていない。


 単位取得の為に、何時間もの時間を費やし、時刻は夕方に差し掛かっていた。これも仕方の無いことなんだと、あれこれ考えるのを止めて、俺は学内のサークルの部室が集まる建物―サークル会館―に向かった。そこの2階の廊下の突き当たり、そこに俺の所属するサークルの部室がある。サークルなのに部室と呼ぶのは変な気もするが、周りがそう呼んでいるのだから変に考える必要も無いだろう。


「お疲れ様です」


 回すタイプのドアノブの扉を開けると、そこにはいつもの様に乱雑した部屋があった。


あざみさん?居ないんすか?」


 あざみさんは、サークルの長であり、二つ上の先輩である女性だ。いつもならこの時間にはここに居ると思ったのだが。


「お、安田君。今日は君のが早かったね」


「うおっ!ちょっ、薊さん!いきなり後ろから話しかけないで下さいよ!心臓に悪いっすよ!」


「はは、ごめんごめん」


 今時女子大学生では珍しい長髪の黒髪に、丸眼鏡が良く似合う女性。それが薊さんだ。


「てか、珍しいですね。いつもなら部室で寝てるのに」


 先輩である薊さんは、単位はもう十分に取ってあるらしく、暇さえあれば部室に来てはまるで自室のようにくつろいでいる。今日こそ見れなかったが、部室のソファーで寝ているなんて日常茶飯事だ。いくら一番奥の部屋だからって、女性があんなにも無防備に寝ているのは如何なものかと思う。


「あぁ、里奈りなが用事あるからってそれに付き合ってたのよ」


「そうだったんですか」


「で、今日はその後も用があるからって、里奈は来れないってさ」


 薊さんが言う里奈りなとは、薊さんと同期であり、友人の高橋里奈たかはしりなさんだ。そして、俺の所属するサークルの一員でもある。


「そうですか。それは残念ですね」


「今日は、私と安田君だけかな。さて、何しようか」


 何しようかと言いながら、薊さんはちゃっかり自前のカメラのファインダーを覗いていた。


 俺が所属するサークル、それは写真サークルだ。現在メンバーは俺と、サークル長の薊さん、それと里奈りなさんこと高橋里奈たかはしりなさんの三人だ。少し前まではもう少しメンバーがいたらしいのだが、俺がこのサークルに入る頃にはすっかり衰退してしまっていたのだ。そのせいで、サークルは存続の危機に直面しており、この部室は愚か、「サークル」という名前も剥奪されそうになっている。


「そういえば、近々コンクールがありましたね」


「そう、新鳳舎しんほうしゃの写真コンクールね。そこで賞の一つでも取れれば、大学も私達の活動を認めてくれるでしょう!」


 信頼や実績を勝ち取るためには、結果を手にしなければならない。それはどこに行っても同じ話なのだ。それを今、俺達には課せられている。


「てことで、早速撮りに行こう!安田君も行くでしょ?」


 そんなことを聞かれなくても、俺のやることはここに来た時点で決まっている。


 俺は肩にかけていたカバンから、フィルムカメラを取り出した。




「ねえねえ!この写真良くない?!」


 俺と薊さんは構内のあらゆる所でシャッターを切った。薊さんが撮るのは、そよ風に揺れる緑葉や、木漏れ日に輝く防風林。自然をテーマにした写真が殆どだ。一方俺が撮っているのは、ファインダーを覗いて風景を切り取っては液晶の画面でそれを確認する、薊さんだった。


「いいと思いますよ」


「安田君て、それしか言わないよね。そういう君はどんなの撮ったのよ」


「俺のはフィルムなので、今は見せられませんよ」


 俺が愛用しているのはフィルムカメラだ。デジタルが主流の今、フィルムに拘るのはそれなりの理由がある。


 一つは、撮った写真が直ぐに分からないことだ。どんな写真が撮れたのか、上手くいったのか、失敗したのか、それは現像するまで誰にも分からない。だから、デジタルの様に撮って直ぐに見せることが出来ない。いや、出来ないからこそこうして薊さんを撮ることが出来るのだ。


 もう一つは、現像の過程が好きだからだ。普通なら現像なんて写真屋さんに任せてしまうものだろう。でも俺はその現像をわざわざ自分で行っている。俺の自室は写真現像の為の暗室になっている。あの暗室で、撮ったものが徐々に浮かび上がってくるそのひと時が堪らなく好きなのだ。それが、女性だと尚更興奮する。俺が切り取った風景に収まった被写体である可憐な女性。それは、俺の為だけに居るような感覚がして、滾る何かがある。だけど、そんなことは誰にも話していない。ましてや、自分の部屋である暗室に、里奈さんの写真がびっしりと敷き詰められてるなんて口が裂けても言えない。


 だから、本当はずっと薊さんを撮っていたいが、今はコンクールに応募する用の写真を撮りに来ている訳で、全てが外に出せないものでは流石に不審がられてしまう。その為、俺は適当にそこら辺の風景を撮っては、薊さんを撮り続けた。


 俺がこのサークルに入ったのは、今年の4月、つまりは大学に入って間のなくの頃だ。元々写真を撮るのが好きで、高校の時から写真部に所属していた。大学に入ってからは写真は趣味程度に抑え、他の何かに手を出そうかなんて考えていたが、幸か不幸か、俺は二人に出会ってしまった。その二人こそ、あざみさんと里奈りなさんだ。二人は部存続の危機に陥った写真部をどうにか復帰させたいと、新入生集めに必死になっていた。そんな中で、たまたま俺が声を掛けられたのだ。大学に入りたての十代の俺にとって、二十歳を過ぎた大人の女性―薊さんと里奈さんは大学三年生だ―はとても大人びた魅力的な女性に見えた。


 その時話した内容なんて、「写真は好き?」とか「一緒に写真撮らない?」とか、なんとも安直な勧誘だったけど、俺はそれを受け入れてしまった。きっと、心のどこかで俺の悪いところが出てきてしまったのだろう。


 この二人が欲しい。


 所有欲とは恐ろしいもので、誰しもが少なからず持ち合わせている欲望だ。そんな欲望が俺には人一倍溢れている。勿論、欲しいとはいっても、俺の女にしたいとかそういう類いのものではない。そんなことが出来るなら、俺はカメラのファインダーなど覗いていない。


 カメラは、写真は、風景を切り取ることが出来る。そしてそれは俺だけのものになる。目の前に広がる全ての世界が、光を用いることで時間を止め、一枚の写真に収まってしまう。そう、俺は薊さんと里奈さんに出会ったその時から、この二人を欲しいとりたいと思っていたのだ。


「安田君!ほら!次行くよ!」


 どうして今日は里奈さんがいないのだろうか。

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