相対問答

「例えばさ、キャッチボールで普通にまっすぐ投げ合うとするじゃん?」

「うん」

「それだけだったら、ちゃんとキャッチボールできる人はちゃんとキャッチボールできるんだよ」

「うん、当たり前の話だな」

「じゃあさ、今度はちょっと趣向を変えてだ。投げる側が、キャッチする側に対して平行に走りながら投げたとしたらどうなる?」

「ちょっと言ってる意味が分かんない」

「あれだ、流鏑馬って分かるだろ?」

「馬に乗りながら的に矢を射るあれのこと?」

「そうそう。あれって、要するにキャッチボールが弓矢に変わっただけだ。で、流鏑馬をキャッチボールに変換してみろ。馬に乗って矢を射るのがボールを投げる側、的がボールをキャッチする側」

「うん」

「そうすると、ボールはどう動くと思う?」

「そりゃあ、キャッチボールなんだから受ける側のグローブに向かって動くだろ?」

「そうなんだけど、じゃあ軌道はどうなるの?ってこと」

「軌道?」

「そう。投げる側は、動いていない時はそのまま真っ直ぐ投げれば良かった。でも、流鏑馬のように平行移動する場合は、真っ直ぐ投げる時に注意することがある」

「……んー?」

「それは、真っ直ぐ投げていた時よりも、ちょっと早いタイミングで投げなきゃダメだっていうことさ」

「やっぱり意味が分かんない。ひょっとしてお前、説明下手だな?」

「いやいやお前の想像力が足りないんだよ。イマジネーション。止まった状態でのキャッチボールは一方向にしか力の向きがかからなかった。でも、流鏑馬のように走って投げる時は、ざっくり言うと、縦と横、二つの力の向きがかかる」

「高校数学で習うベクトルって奴だ」

「そうそう。んで、ベクトルが二つになると、止まっていた場所から投げるとキャッチする側は動く必要がある」

「投げたボールが斜めの軌道を描くってことか!」

「正解」

「なるほどな」

「それが投げる側とキャッチする側の両方が同じ方向に平行に走っていると?」

「止まっていた時と同じ軌道でよい」

「正解。これが相対的、っていうこと」

「なるほどなあ」

「誰かから見た世界と、別の誰かから見た世界は、動きや速さが変わってくるっていうことだな」

「じゃあさじゃあさ、こんなことも考えられない?」

「何だよ」

「相対的っていう意味では、興味のある授業と興味のない授業じゃあ時間の進みが違うじゃん?興味のある、面白い授業なら、時間の進みも早いでしょ?もし、体感時間が人間にとって一定だとしたら、面白い授業を受けている人の方が、そうでない人よりも長生きするんじゃない?」

「ほうほう、面白いな。体感時間が人間にとって一定って考えるところが面白い」

「で、どうなの?」

「仮定の話だから何とも言えないな」

「ええー」

「いや、でもその体感時間っていうのは面白いな。ちょっと問題を考えてみよう」

「うん」

「人間は眠りを必要とするだろう?で、人によっては三時間で良いと言う人もいれば、九時間寝ないとダメだ、って言う人もいる。そこで問題。睡眠時間が三時間で六〇年生きた人と、睡眠時間が六時間で八〇歳まで生きた人、どちらが長生きと言えるかな?」

「そりゃあ、長く生きたんだから八〇歳まで生きた人でしょ?」

「それは他者からみた話だ。体感時間で考えてみろよ。眠っているときは、本人は基本的に一切の能動的な活動を停止した状態、つまり体感時間は限りなくゼロだ。ここでは、赤ちゃんの時や老後の話などは抜きにして、睡眠時間を一律三時間と六時間で考えてみる」

「つまり、睡眠時間が三時間で六〇年生きた人は……二一時間起きて活動していて、一方の睡眠時間が六時間で八〇年生きた人は……一八時間起きて活動している」

「活動時間の比率を考えると、七対四と二分の一。六〇年生きた人の方が、本人の活動時間を考えれば長生きだと言える」

「なーんか腑に落ちないけれど、本人の時間の感覚で言うとそう言うことなんだ、って言うのは分かった」

「もちろん、単純に時間がそれぞれの人に同じく流れているということが条件だから、面白い授業を受ければ体感時間は少なくなるだろうし、逆につまらない授業を受ければ体感時間は」

「長くなる」

「そういうこと。主観と客観の区別は、難しそうでいてそうでもない。考え方一つで物事はその姿をガラッと変えてしまうってことを考える必要があるってだけだ」

「でも、そういう他者を慮る気持ちっていうか、それこそ想像力っていうのは一朝一夕では身につかないわけじゃん?」

「そらそうだな」

「じゃあどうやって身につけるのさ」

「さあな。で終わらせるのはあまりにも無責任すぎるから一つだけ、俺の信じることを言うと、ものさしを作れ、ってことだな」

「ものさし?」

「そう。客観的に物事を捉える時には、常に自分の中にそれを測るための尺度が必要だ。ある行為が小さな親切なのか大きなお世話なのかは、その時の自分の尺度に照らし合わせる必要がある。その上で、その尺度が果たして相手の尺度と同じなのかどうかを判断できる」

「そういう意味のものさしですか。……でも、そのものさしが間違っていたら?」

「ものさしっていうのは、大抵の場合間違ってるぞ」

「えっ?」

「ものさしをイメージするとき、お前は何を想像する?」

「あの、プラスチックで作られた……。あるいは竹?っぽいので作られたのとか?」

「そうそう。あれは、大体合ってる。でも、正確には間違っている」

「どういうこと?」

「いろんなものさしを買って比べてみればいい。厳密に見ていくと若干のズレがあるもんだ」

「そりゃあ、工業製品だろうから多少のズレはあるだろうけどさ」

「人間だって、多少のズレはあっていいんだよ。間違っているとか、合っているとかいうのは、ものさしを他の何か絶対的に正しいものと比較したときだけだ」

「ああ、そうか。それで相対的になるんだ」

「そう言うこと。相対的なもので自分のものさしを比べて比べて、ズレを少しずつ修正していくしかないんだよ」

「なるほどね。しかしキャッチボールの話からそんな壮大な話になるなんて思わなかったよ」

「ハハハ。話は面白かったか?」

「うん、ちょっと時間を忘れた」

「それじゃあ、お前の体感時間はちょっと伸びたかもな」

「そうかもね、ハハハ」

「ハハハ」

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