誰も”彼女”にはなれない
黒幕横丁
誰も”彼女”にはなれない
この人のようになってみたいという願望を一度は抱いたことがあるだろう。
憧れもモデルや俳優、はたまた歴史の偉人など。
そんな夢のような願いを実現できる世界、仮想空間マリセング。
マリセングでは自分がなりたいモノをコード入力するだけで簡単にその人になれるという画期的な技術でオープンから大人気を博していた。
仮想空間内では、様々な有名人に扮したユーザーが闊歩し、誰もがイキイキとバーチャルの世界を楽しんでいた。
世界中でマリセングが楽しまれるようになった、ある日、公式サイトにておいてこんなお知らせが貼られ、世界中が注目した。
『マリセングにおける、禁忌データコード使用禁止について
いつも仮想空間マリセングをご利用くださりありがとうございます。
突然ではございますが、以下の人物のデータコードの今後一切の使用を禁止します
・メル・アイヴィー』
そのお知らせに誰もが驚愕していた。
【メル・アイヴィーって誰?】
【知らないの!? 歌姫だよ。よくCMとかで聴くじゃん】
【でも、テレビとかでは出てないよね】
【たしかプロフィールもあまりあかされてないよね】
【というか、なんでそんな歌姫一人だけ使えないんだよ】
【公式から一切説明もないってのも不思議だね】
SNSなどではそんな書き込みが相次いでいた。そして当然の如く、禁止されているというのにコードの配布が行われ、すぐに管理会社が巡回ののち削除に廻るなどいたちごっこなども起こった。
「メル・アイヴィーねぇ……」
そんな騒動の中、僕はそれ対岸の火事でも見ているような感じで眺めていた。しかし、メル・アイヴィーとは一体何者なのか妙に気にはなっていて、ネット検索で彼女の名前を検索した。探し当てた公式サイトと思わしき場所には彼女のプロフィールが少しばかり掲載されていた。
【名前: メル・アイヴィー(基本愛称はメル)
性別: 女性
外見年齢: 16~18歳
身長: 164cm
性挌: 大人しく感情表現が苦手、口数は少ない
髪型: 銀髪ロング
服装: 白のワンピース
アクセサリー: 編みこんだ髪にリボン、首に黒のチョーカー
好きな食べ物: プリン】
これ以上のことは何も書かれていなかった。本当に全く持って素性の分からない歌姫であった。
僕はそれを見てふぅと息をつき、画面を閉じた。興味本位で調べただけで別に歌姫に変わりたいとも思っていなかったし、何が起こるか分からない危ない橋を渡ろうとは思わなかった。
そう、あの日までは。
僕はリアルでの考査期間が終わり、久々にマリセングの世界へと入る。
毎度どこのワールドに飛んでも有名な俳優や歌手を模造した顔で溢れ返っていた。もし、本人達がこの状況をみたらどう思うのだろうか、と気になってはいる。
ドッペルゲンガーみたいに恐れるのだろうか? それとも、分裂したみたいだと面白がるのだろうか? まぁ、模造されている本人達もまた別のキャラになりきっているのかもしれないけれども。
ちなみに、僕は俳優とか歌手には疎いので、マイナーアニメの男主人公を模写したアバターでこの世界へ入っている。この方が周囲に見つけてもらいやすいから便利だ。
今日は久々のインなので、何か面白いものでもないかなぁとワールドの中をぐるぐると廻っていた。
すると、僕の目の前を長い銀髪をたなびかせた少女が駆けて行ったのが目に入る。
「え?」
僕はその駆けていった少女を目で追った。
銀髪ロング……白いワンピース、リボン。そして、首元には黒のチョーカーを身につけていた。
「なんで?」
僕は目を疑った。あんなにマリセングで禁止されているメル・アイヴィーのアバターがそこにあった。そして、彼女は何処かへ遠くへ走っていく。
運営会社に通報するべきなのだろうけど、何故か、僕は彼女が走った方向へ自然に足が向き、走る。
何故走り始めたのか僕自身でも分からない。ただ、今は彼女に追いつかないといけない気がした。
全力で走る。バーチャルの世界だから息は切れないけれども、彼女までの距離はまだある。
「まって!」
彼女に向かって僕は叫んだ。
すると、
「何?」
彼女は立ち止まって僕の方を振り向く。
「メルに何か用?」
どこかたどたどしい言葉使いで彼女は口を開いた。
「君、この世界では、メル・アイヴィーのデータコードは禁止されているのを知らないの?」
僕の言葉に彼女は首を傾げる。
「メルはメルなんだけど、ダメなの?」
彼女は自分のことをメルと呼んだ。……ということは、メル・アイヴィー本人なのか?
どうして、本人がそのままの格好でこのマリセングというバーチャル世界へいるのだろうか。僕が考えていると、
「メル、行かなきゃ」
メルの視線は遠くの方を見ていた。
「行くって何処に?」
「祈りを歌わなきゃ……」
まるで彼女は使命感に駆られているかの如く、どこまでも真っ直ぐな瞳でさらに向こうのほうを見ていた。
そして、走り出す。
「あ、待って、まだ話は終わってない」
僕はメルを追いかけてまた走り出す。
どれくらい彼女との追いかけっこをしていただろうか?
気づくと見慣れたマリセングのワールドとはガラッと変わって、薄暗くどこか恐ろしい場所へときていた。地図機能で検索してもヒットしない。非公開エリアまで来てしまったようだった。
マリセングにこんな場所があっただなんてと僕は挙動不審にあたりをキョロキョロとする。
一方のメルはとある扉のノブに手をかけて、扉を開きその中へと入っていく。
僕も一緒にその中へ入っていくと、其処には。
数十にもなるメルのデータの残骸のようなものがまるで博物館の展示物のように陳列されていた。
「これは……」
余り異様な光景に、僕は目を見開く。
データは時折異様に湾曲していたり、ノイズが走っていたりと完全なメル・アイヴィーとは程遠い姿形をしていた。
「みんな、メルになろうとした人達」
メルはどこか悲しげに口を開く。
「メルになろうとした人……」
「でも、メルになることは出来なかった。そして、皆、エラーのせいでこの展示室で眠っている。バーチャルでもリアルでも」
「どうして?」
「分からない。でも、みんなずっと眠って目を覚ますことは無い。だから、メルは祈りを捧げているの」
メルはそういうと、すぅっと大きく息を吸う。
そして、放ったのは、鎮魂歌。
何処か憂いに満ちて、心が洗われそうなその歌に、僕は心を奪われていた。
CMとかで聴くような歌じゃない。彼女が此処で眠っている彼女達の為に歌っている心から祈りを捧げる歌。
彼女が歌い終わる頃まで、僕はずっとその歌を聴き惚れていた。
恐らく、彼女になろうとした途端、何かしらの致命的なエラーによりこん睡状態に陥ってしまい、ソレを防ぐために運営はメルに“なる”ことを禁止したのだろう。
そして、そのエラーが改善するまで、彼女達は永久にあの薄暗い空間で眠っている。
そのことに心が痛むメルはずっと彼女達の為に歌を歌うのだろう。
僕はアレから彼女の歌が耳から離れない。
また、彼女のあの歌を生で聴きたいと思っていた。
でも、いつまた彼女に会えるかどうか分からない。あの場所へも辿りつけられるのかも分からない。
ならば……。
僕は必死にメルのデータコードをネットの海で探していた。
彼女のデータは広まった途端消されてしまうけれど、辛抱強く探せば……。
僕はあるアングラ系のサイトへと辿り着く。
そして、そこにはまさに彼女のデータが記されたコードが置いてあった。
これさえ手に入れて僕が彼女に成り損なえば、彼女は僕の為に歌を歌ってくれる。
そう思い立って、マリセングのサイトに手に入れたコードを打ち込んだ。
さぁ、彼女の鎮魂歌を子守唄に永遠の眠りへと入ろう。
【このコードでキャラメイクしますか?】
→【はい】 【いいえ】
【実行いたします】
ブツンと僕の意識は其処から途絶えた。
誰も”彼女”にはなれない 黒幕横丁 @kuromaku125
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