三十七話 格闘技ってすごいな!
リーシェッドが甘海の家で世話になることになって早くも一週間。甘海の通う高校が長期の休みに入る頃には、二人の関係は大きく変化していた。
「すぅ……すぅ……」
「…………ぐぅ……」
朝靄を晴らす陽の光に照らされながら、二人は抱き合うように眠っていた。まるで違和感などないその光景は、長年続けてきた習慣の如く自然であった。
「ん……ぁあ……」
毎朝同じ時間に目を覚ます寝ぼけ眼のリーシェッド。甘海の豊満な胸に埋まって顔を擦ると、起こさないようにゆっくりとベッドを抜け出した。
洗面所に向かい歯磨きと洗顔を済ませ、数箇所跳ねた寝癖を隠すように手早くお団子に纏めてしまう。まだ目が覚めないのかあっちへこっちへ彷徨いながら、寝巻きから自分の服へ着替えると庭に移動した。
「すぅ〜〜〜〜…………」
肺を膨らますイメージで空気を吸い上げると、音が立たないようゆっくり吐き出す。
何度もこの動きをして完全に目が覚めるとストレッチを始める。朝の運動は魔界にいる頃から毎日続けてきた習慣だった。
身体を捻って伸ばしていると、不意に頭上からカラカラと窓を開ける音が聞こえた。
「おはよ〜りっちゃん」
「ん、アマミ姉。起こしてしまったか?」
「たまたまだよ〜、昨日寝るの早かったし」
「そっか、おはよう」
手を振って窓を閉めた甘海は、お気に入りのパジャマを乱したまま縁側にやってきた。彼女がこの時間に起きることは非常に珍しく、元から細めの目をしているのに更に細くなっていた。
「りっちゃん、いつも朝に運動してるの?」
「習慣なんだ。これをすると身体が目を覚ます。一日気持ちよく動くことが出来るんだぞ」
「へ〜、見てていい?」
「構わんが、面白くないぞ?」
「いいのいいの」
「??」
怪訝な顔をするリーシェッドだが、見られて減るものでもないのでいつも通り念入りな柔軟に入る。
「うわぁ、柔らか……骨盤入ってる?」
「人をタコか何かみたいに言うな」
リーシェッド渾身の突っ込みに思わず自分で笑ってしまっていた。人間界にはタコという生き物が海を漂い、クラーケンに瓜二つだという。イカという生き物とも酷似しているが、語感的にタコの方が好きなリーシェッドである。
続いて筋トレに入るが、ここでも甘海は驚愕に目を見開いた。
「え、待って待って。りっちゃん何やってんの?」
「腕立て伏せ」
「腕っていうか、指じゃん! ホントに人間じゃないんだねぇ」
逆立ちをしたまま親指のみで腕立て伏せをする少女を前にしてようやく自分との違いを感じ始めた甘海は、興味深そうにリーシェッドの周りを回りながらマジックじゃないことを確認する。
我慢出来なくなったリーシェッドが立ち上がり、甘海の鎖骨辺りを自慢の指でトントン叩いた。
「あのなぁ、そんなに近くをうろうろされては集中出来んだろ。見学なら離れて黙って見ててくれ」
「りっちゃん、腕ムキッてして」
「あ、あぁ、こうか?」
「すごい! カチカチだ! 腹筋も腹筋も!」
「こうか?」
「岩だ! すごい!」
力を抜いても身体中ベタベタ触る姉を押し退け、「あーもー!」と言いながら無理矢理座らせた。
「何なのだ邪魔ばかり! もう立っちゃ駄目だぞ!」
「すっごいなぁ。りっちゃん凄く軽くて柔らかいのになんでそんな筋肉の塊なの? オリンピック行けちゃうね!」
「その『オリンピック』はよくわからんが、筋肉の質が人間とは違うのだろたぶん。戦闘が絶えない世界だったからそれに適した結果なんじゃないか?」
「凄まじい環境で育ったんだね……」
「今は割と平和だぞ。何せ我が終わらせたんだからな」
「終戦の立役者! よ、王様!」
「よ、よせやい……」
照れる妹分をはやし立てる甘海は興奮していた。それもそのはず、彼女には自慢の特技があったのだ。
「りっちゃん、ちょっと腕試ししない?」
「腕試し? 我と、アマミ姉でか?」
流石に馬鹿げていると苦笑いをするしかなかった。人間が進化したのは兵器方面で単純な武力は魔物の足元にも及ばない。しかも、リーシェッドは魔法を得意とすると言っても魔王。勝負にすらならないのならやる意味を全く感じなかった。
「ほら、行くよー!」
「おいおい」
体内の魔力を奥底へ沈みこませ、出来るだけ対等な条件になるように気を遣うリーシェッドへ、甘海の拳が襲い掛かる。
その瞬間、リーシェッドは考えを改めた。
「くっ……」
「か、硬った〜」
顔面に飛んできた拳をスウェーで避けた途端、逆手で腹筋の隙間を縫うような正確な内蔵破壊を打ち込まれる。既のところで力を入れることで防ぎ切ったが、気を抜けば急所を突かれていた。
「アマミ姉、少し戦い慣れておるな?」
「格闘技は小学生からずっと必須科目だからね。私、これでも打撃は全国大会行ってるんだよ?」
会話の隙間から容赦なく打たれる拳を、リーシェッドは避けきることが出来なかった。力でもスピードでもない、弱い物が身を守る為に特価させた圧倒的な技術。こんな所でも人間の刻んできた歴史を垣間見る事になり、つい彼女の血に火がついた。
「これはどうだ!」
「う、わぁ」
真上に真っ直ぐ伸びる足刀も読みでかわされ、リーシェッドはノリに乗ってしまった。
フェイントを入れた足技メインでリーチ差を克服して打ち合う。
傍から見れば激しい攻防だが、二人はとても楽しそうに笑っていた。リーシェッドが全力ならゴリ押しで圧倒していたが、それをしなかったのは甘海の使う『格闘技』に心底興味を持ってしまったせいだ。
普段ならもう朝の運動を終えている時間を大きく越えている。好奇心を埋めるようなやり取りに終止符を打ったのは甘海であった。
「よし、入った!」
「ぬ、動けんな」
隙の多い大振りに狙いを定めだ組技でリーシェッドの動きが止められ、甘海が三つカウントを取って組手は終了した。
お互いに座り直して微笑むと、負けを認めたリーシェッドは賞賛を述べる。
「やるじゃないかアマミ姉。そんなやわな身体でよく動けるもんだ」
「え〜? 手を抜いてたくせに褒めちゃうんだ。でもなんか嬉しいな。久しぶりにちゃんと動いて気持ちよかったぁ」
「格闘技か。アマミ姉。よかったらまた教えてくれないか?」
「うん! りっちゃんならすぐ覚えられるよ!」
二人は感想を言い合いながら、汗を流すために風呂へと向かった。
リーシェッドの中で、新たな感情が芽生えつつあった。それは人間とって、決して悪いことではない。
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