第24話 無能

「お世話になりました」


 茜色に眩く染まる室内。『退部届』と大きく丁寧に縦書きした一枚の封筒を渡し、動揺する顧問の眼前で頭を大きく下げた――。


 すべて断ち切った。もう何もない――未練も後悔も。

 届かなかった、またしても。あと一歩の所で――その先の世界へ行けたのに――。


 仮に一つの山の頂を見たとて、またその先にはより高い山が見える。また麓(ふもと)に落とされてしまった。ゼロからの振り出しに逆戻りだ。

 もう、その山を再び登れる気力は残っていない。

 第一、もう時間がない。ここでまた山を登れば、一生の中でが失われると感じたから。


 そのために、これまで積み重ねてきた努力を断絶し、断ち切る。並大抵なことでは出来ない。だが、もう決意した。後戻りは出来ない。後ろに置いてきたモノは何もない。

 スポーツ特待生という道も三年前はあっただろうが、そんな輝かしい称号は手の届く所にはおろか、もうどこにもない。

 ――知恵をつけず、ただ自分の強さに酔いしれていた自分が馬鹿だった。


 通算二度目となる決勝戦はもっと、体の鍛え方だけでなく頭の回転も身につけなければ駄目だった。頭を働かせれば、自分より格段に強い相手の戦略に対しても知恵で答えを出すことが出来たはず。

 自分がどれだけ野獣、知恵をつけない力任せの脳筋バカかを思い知った。敗北して、大舞台で膝をつく今の自分の姿が鏡で見せられたようにそうハッキリと見えた。

 ――あれは強さで負けたのではない。ただ猪突猛進の力任せで


 効率を追求すればいい。そこに余計な熱さなど不要。

 頭が良く効率的であれば、三年前の中学の地区大会もで朽ち果てることもなかった。

 もっと違う戦い方をして栄冠を勝ち取り、拳を突き上げて一つの山の頂に立つことが出来たのかもしれない。


 効率を考えて生きていれば、あいつの運命も変えられただろう。そうすればあの時気づくのも早かった。

 そういえばあいつは今、どこで何をしているのだろうか。たぶんろくな生活をしていないはずだろう。警察送りになって、学校からいなくなってからは何も知らない。


 馬鹿な単細胞では駄目だ――だから今こそ決別の時――リセットする。さっきの退部届はそのための餞別。

 決勝で負けて――再度築き上げたものがまた崩れて絶望に落ちた時――おふくろから受験や未だ不透明な進路について心配されて、あっさりと諦めがついた。

 試合の結果から顧みて自分の無能さをこれでもかと痛感する。


 高校の地区大会の決勝で相まみえたのは、柔道だけでなく成績優秀の才色兼備、実力だけでなく頭も良くケタ違い、顔も女と見間違えるほどの美男子で何かとキャーキャー騒ぐ女子の注目の的。

 勉強も時々好成績を叩き出す以外はいたって平均的で、柔道をひたすらやっていた地味な自分とは対照的だ。自分にはないものをまざまざと思い知らされた。

 為すすべもなく倒された。

 おまけに奴の活躍ぶりを観に来ていた女子から、屈服するこちらを嘲る笑い声が聞こえたような気がした。

 直後、地面を拳で殴りつけた――。


 賢く生きていけば取りこぼすことも何もない。

 非効率だったから、馬鹿だったからそれを反省して効率的に生きなければいけない。

 ――生きる証明が必要だ。柔道を引退して、一年先に控えている大学受験に備えてガリベン。他の柔道しか能のない猪突猛進な馬鹿野郎どもとは違うことを轟かせてやる。


 校舎を出ると、秋の冷たい風が少年に強く吹き荒ぶ。振り返って見えるそびえ立つ校舎は、どこか寂しげに夕闇に包まれていた――。

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