第25話 好敵手
――そいつの名前は十四年経っても忘れていなかった。
暖かい、よく眠れる布団の中でうっすらと瞼が開く。まるで長い夢を見ていて、そこから覚めた反動かまだ眠気があって、起きるのもかったるい。
もう少し寝ていたい気分だ。だが、起きなければならない――事件はまだ解決に向かっていないのだから。
布団を飛び出し、シャワーを浴びた後に鏡の前で歯を磨く――。
元濱を逮捕したことで、冤罪だった城崎も釈放されることになった。ところが、その口から意外な人物の名前が飛び出した。
それは記憶の奥底に未だに眠っていて掘り起こされた名前。
森野汪――。
中学の柔道の地区大会、準決勝で激突した
あの試合は決勝戦以上に十四年経っても、鉄生の思い出のアルバムの中に色褪せることなく焼き付いている。
今もよく覚えている。点の取り合いとなった接戦の末に相手のわずかな隙を突いて、正方形の上で頭から床に叩きつけ、拳を天に突き上げたことを。
決勝という頂がすぐそこに見えて嬉しかったあの日。この後、取り返しのつかないことになるのを知らずに。
最初は本人になりすました全くの別人という線も考えた。
だが、中学時代に同級生だったという元濱があそこまで友情を熱心に語り、忠実に犯行を行ったことや自分に対するピンポイントな攻撃の凄まじさから、偽物とは思えない。
十中八九、背後にいるのは森野本人で間違いない。
十四年前、病院送りにされた後、森野のいた学校を訪ねたら、教師からは知らぬ存ぜぬの返答しかなかった。
当然納得いかず調べまわったら、生徒間の風の噂では森野は警察に補導された後、長崎の更生施設に移送されたと聞いてそれっきりだ。
長きに渡る沈黙を破り、まるで過去からやってきたかのようにこちらに牙を剥く男。その行動原理はもう分かる。
――でなければ、オレが狙われる理由も思いつかない。
元濱が逮捕されてから三日が経った。
森野の命令なのか、二子玉川および二子新地は依然、黒服どもが徘徊しているという。それに家もあんな状態では寒さを凌げない。戻りたくても戻れない。
蔭山の手配もあり――警察も被害者に死なれては困るためか――今は東京都内のホテルで暮らしている。それも豪華な食事つきの。
部屋の外には鉄生の護衛のために刑事が見張りに入ってくれていた。
警察は今、元濱から得た情報を辿るように総力をあげて森野汪を追っている。ここは事態が収束するまでの一時的な隠れ家。
警察が話を通してくれたため、会社も有給を使わずに休みをとることが出来た。後で個別に上司に問い合わせたら、
『君が出勤して、殺し屋が職場に攻めてくる事態になったらどうするんだ』
もはや、
渋谷へ帰った城崎も安全を考慮して会社を休みにしてもらい、警官の警護がついているという。さっきメッセージが来た。
歯を磨き終えるとベッド隣のランプ下のコンセントに挿してあるスマホがブルブルと震えているのが視界に入った。
電話だと分かると慌てて出る。
『金田、もう起きてるか?』
「起きてますけど」
その声は蔭山であった。
『あんたから聞いた、十四年前に森野汪が移送されたという長崎の更生施設を訪ねてみた――そしたら、そのような子供はウチには来たことがないと言われたよ』
やれやれとした声音。
森野汪を追うため、聴取は元濱だけでなく鉄生にも行われた。元濱が森野の居場所に関してだけは一向に口を割らないためだ。
そこで森野が十四年前のあの後、どうなったかの足取りを追うための手掛かりになると思われたのが本当か定かではない、あの風の噂だ。
「そう、ですか……」
『西国分寺にある彼の母校である中学校も、知らぬ存ぜぬの一点張りでな。森野が十四年前にあんたと出会って、その後どうなったのかは正確には掴めなかった』
結局、何も収穫は無し。
十四年前――這いつくばって朦朧とする意識。微かに見えたのは駆けつけた二人組の警官に取り押さえられ、連行される一人の少年の背中。
それが最後に見た彼の姿――。
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