第13話 暴走

 頭の中に何度も響いたその言葉。

 軽々しく、さも貸してくれることが当たり前ともとれる刺激的な一言。城崎は耐え切れず振り向き――、


「ハアァァ!? 今更何を言っているんだ! 昨日、五万も貸しただろうが!」


 仰天とともに、思わず素っ頓狂な声をあげた。

 鉄生の住む二子玉川は、城崎の住む渋谷から電車一本で行ける。成田から日暮里、渋谷へと乗り換えて。

 普通に五万貸したうちの現状の残金で行けるだろう。まだお土産代や交通費、食費、観光施設の入場料を見積もっても半分以上それ未満は残っているはずだ。

 説明をした上で反論する。


「だから、カネを借りることもタクシーを使う必要もな――」

「今電車乗ってると、渋谷から二子玉川までの区間は終電を迎えちまう! どっちみちタクシー使うしかねえんだよ」


 終電。言われた途端、そこまで視野に入れず全く調べていなかった自分を痛感する。たとえフライトが遅れても、普通に帰れると思った淡い希望に賭けたのが間違いバカであったと。

 最も、そんな希望も頼みの綱が千切れた時点で消えてしまったが。


「渋谷から乗ればタクシー代も安くなってお得だぞ。我慢しろよ」

「やだ。オレは明日仕事なんだよ! 率直に言うと、帰るまで寝てたい」

 まるで小学生みたいなセリフだ。肩をすくめる城崎。ここまでいくともう鉄生は止まらない。


「それにお前は明日休みだし、ATMからもしもの時のために沢山余分に引き出してるんだからいいだろ? カネは事が終われば全額返すからさ……」


 鉄生は既に先読みしていた。渋谷と二子玉川を結ぶ電車が終電を迎えることを。すべては効率よく帰るために。

 事前に必要な情報はすべて調べた。雨でフライトが当初の予定よりも一時間遅れた高松の空港にて、飛行機の出発時刻から到着時刻までしっかりと。ルシエルライナーに乗って助かった可能性はわずかながらあった。

 だが、搭乗して実際に飛行機が動き出し、フライトするまでの時間が更に遅れたことでそれもゼロとなった。


 飛行機が無事に飛んだのが幸いで、何もかもここまで手筈通りだった。

 揺れる飛行機の中も寝ていれば着陸後に向こうが勝手に起こしてくれるので、自然に近づくことが出来る。

 あとはこの場にて、城崎からカネを借りてタクシーで帰る。そうすれば何もかも効率的である。

 最も効率の良い道を往くのに、多少の費用の大きさなど関係ない。その道を往くのにカネを使うのだから。

 

「ああ~もう!! しょうがねえな!!」


 頭をムシムシと掻きながら、城崎は観念して三万円を手渡す――、

「バカァ!! 足りねえよ!! 七万貸せ!!」

「三万で十分だろ!? これと残ったカネであとは自分で何とかしろよ!」


 三万もあれば、半分以上半分未満の残金と合わせてタクシー乗るにしても十分な所持金だろう。

 タクシー代を調べて、自分のカンを証明すべくすぐにスマホを出す――、

「そんなもので調べた額なんて何も役に立たねえよ」

 手を前に出されて止められた。


「いいか? タクシー代なんて調べてもおよその額でしかない。ドライバーの運転の仕方や渋滞とかで変わってくるんだよ。オレは前にタクシーでぼったくりに遭ったことがある。余分にカネ持ってないと一人でタクシーに怖くて乗れないんだ。分かるかな? し・ろ・さ・き・く・ん」


 なすすべもない。言われてみればタクシーは予め決まった運賃などない。

 鉄生の持論に対して、反論して覆せるものが見つからない。

 自分の弱みを前面に出した卑怯な物言いだ。しかも後半偉そうな上から目線なのが余計に腹が立つ。


「あ! やっぱり八万にしてくれ。それぐらいないと精神衛生上良くない」


 また軽々しく調子に乗った物言い。突然の訂正に神経を逆なでされる。

 コイツを止めるには、納得する意見を出して論破するか、要求を呑む以外ない。それは城崎が一番よく知っていた。

 効率のためならば、最良と考えたレールに乗っかろうとする。だから言い分に対してそれより効率度が勝る納得する意見を出してやれば、自ずと止められる。

 これまでも、そうやって止めたり、時に止められなかったりして過ごしてきた。時間さえあれば分からせてやりたい。

 

 しかし話しているうちにこのままだと電車に乗り遅れてしまうこと、疲れて論破する気にもなれない早く帰りたい。城崎はもうこれ以上反論することはなかった。

 この電車まで逃すのだけは嫌だ。時刻も夜十一時を回ろうとしている。悔しいが、納得いかない表情のまま手渡す。


「ほら! 昨日の分も含めてだ。これ必ず返してもらうからな!」

「へっ、ありがとよ。カネはなるべく早いうちに返すからな」

 得意気になった鉄生は一目散に外のタクシー乗り場へ行ってしまった。その背中を見送ると城崎はため息を吐きながら、ムシャクシャを抑えられないまま電車のある方向へと進む。


 カネを貸すという行為ばかり受けていると、便利屋扱いされているようで嫌になる。そもそも自分はATMじゃない。

 物事の効率性を求めるあまり時折出る、ああいう強引で自分勝手な一面はムカつくし、トラブルの火種を起こしたり、話し合いをややこしい方向にしてしまうことがあるから困ったものだ。


 とはいえ、小学校の頃からの付き合いの鉄生テツもああいう所もあるが良い奴ではあること。

 それは城崎が一番よく知っていた。 

 三泊四日の四国旅行が最後、まさか便利屋扱いで終わるとは。調子に乗ったあのムカつく顔が頭から離れないまま、城崎は駅のホームへと向かった――。


 訊かれたら思い出せるこの記憶――。

 それも二週間という時の中で次第に一つ、一つとあったはずのものが、錆びて朽ち果てる鉄のように失われ、歪曲されていく。

 些細なものからカネを貸した時の状況まで。二人がその重要性を思い知ることとなるのは、そう遠くはなかった――。

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