メル・アイヴィーあるいは鳥居さま
いすみ 静江
メル・アイヴィーあるいは鳥居さま
つーんと糸の張った空気が沁みる。
私の下に雲が敷かれる。
赤い鳥居さまは、幾千あるか。
ひとは、年の数だけ数えて行けばいいという。
千
レイリー・キャヴェン、ここにあなたの大切なことがあるのね。
「うふふふ。
「運がいいってことだよ、
セーラーの夏服の彼女たちにとって、鳥居さまは占いかしら。
私はこのひとたちとは、関わり合いがないの。
だから、黙ってすれ違う。
ざわめきながら、すれ違う。
私は、いつも独り。
レイリー・キャヴェンだけよ。
理解者は。
「うっわ。すっごい美人だわ。フランス人形みたい。修学旅行で嬉しいこともあるのね。お名前は何? あたしは、
私は、ざわめきの中、一人が振り向いて少し驚いた。
サオトメ・ユウさんか。
髪を巫女さんになれる位に伸ばしている。
元気な笑顔だわ。
知らないひとだけれども、初めて会う感じがしない。
名前なら、教えてもいいかな。
「私、メル・アイヴィー」
「キャー。声もかわいい。ね、愛花ちゃん」
普通だけど。
レイリー・キャヴェンは、変わった様子がなかったわ。
ただ、可愛いと言ってくれただけ。
「わたくしは、
そうかしら。
肩位で髪を切り揃えたイグチ・アイカさんは微笑んでいる。
二人とも黒髪。
なのに、私は、銀髪。
綺麗なのかしら。
本当に喜んでいるのかしら。
レイリー・キャヴェンの笑顔なら、私が死んでも忘れないのに。
「ね、ね。あたしたちは、これから、鳥居さまを十六まで数えようとしているの。あなたも高校生ぐらいよね。一緒に行かない?」
「こう、こうせい?」
そう。
年の数の鳥居さまにご用があるの。
一基、二基、三基と数えて行くの。
もしも、私が十六歳なら、十六基の赤い鳥居さまで何か大切なことがあるから。
レイリー・キャヴェンが教えてくれた。
この天空の都のような山から、鳥居さまにお参りするようにと。
「一緒に行きましょうよ。メル・アイヴィーさん」
サオトメ・ユウさんとイグチ・アイカさんは、私にはないちょっと強引な所があるの。
苦手だわ。
ひとりぼっちで行こうと思っていたけれども、どうしようかな。
ね、レイリー・キャヴェン。
「うーん。それとも、もっとお姉さんだったりする? すらっとしてかっこいいし」
そう。
まず、私は十六歳なのだろうか。
ちょっと待って。
レイリー・キャヴェン、教えておいてくれてもいいのに、ぶーだわ。
「私、ある赤い鳥居さまの神社に捨てられていたの。だから、十六歳か分からないわ」
「え!」
「まあ!」
驚かれたことに驚いたわ。
自分の生まれが分からないのって、そんなに不思議なの?
理解者とは、このことなのよ。
レイリー・キャヴェン。
「賽銭箱の上にネコを捨てるように私がいたらしいの。神主さんご一家に養子にして貰ったの」
「そ、そんなことがありましたのに、神社へ参拝に来られるのかしら? わたくしには、無理ですわ」
ふっと細く強い風が吹いた。
私の編み込んだ髪のリボンがほどけそうで気になり、手をやる。
頬をくすぐるように、銀髪が撫でまわす。
ごめんなさい、レイリー・キャヴェン。
大切にするから……。
「私は、サオトメ・ユウさんとイグチ・アイカさんとは、少しだけ異なるの。私は……。私を探したいと思う」
本当に十六歳だとしたら、そこで、何か大切なことがあるのね。
そうよね、レイリー・キャヴェン。
◇◇◇
「デリケートなこともありますから、
「それは、いいね! 愛花ちゃん。勿論、メル・アイヴィーさんもね」
さっきから、聞いてくれていますか?
レイリー・キャヴェン。
私は、心に瞬間を持っている。
何度か夢で見た赤い鳥居さまの連なる所なの。
私は、山の空気を胸に送りながら、ゆっくりと最初の鳥居さまに向かうの。
人混みが私の時を残して去り行く。
ざわざわ。
ざわざわ……。
サオトメ・ユウさんとイグチ・アイカさん、そして私は、他の修学旅行のグループの喧騒から逃れるようにゆっくりと山道を歩いたわ。
さわわわ。
さわわ……。
随分と静けさを感じられるものなのね。
ほっと一つ息をこぼす。
「メル・アイヴィーさん、そろそろ、入り口だよ」
赤い鳥居を首が痛くなるまで見上げると、思ったよりも大きかったわ。
遠くで幾千にもうつるよりも、足元に来てみると、薄汚れていたの。
手入れが行き届かないと、鳥居さまも汚れてしまうと言う現実の世界を引き寄せているようね。
「あたし。こここ、怖くなって来たな」
「優さん、大丈夫ですわ。わたくしも少しおごそかな気分になって来ましたから」
私は鳥居さまの赤色をなめるように下へと目をやる。
ここから覗くうねり道が、血のように赤い。
私が愛してやまない方は、このような山の鳥居さまにいるのだろうか。
黙々と足元の悪い道を三人で来たはずなのに、私は自分の影踏みをしていたような気がする。
引き締まる思いがして、お喋りする所ではないの。
ここは、確かに強い畏怖の念を感じる。
来てはいけない所だったのかしら。
ね、レイリー・キャヴェン。
「さっきはね……。私、気が付いたら、雲を下に敷く切り立った所で鳥居さまを眺めていたの」
何か、告白したくなったわ。
でも、私の独り言は、声が小さすぎたのかも知れない。
サオトメ・ユウさんとイグチ・アイカさんは二人の世界に入っているわ。
聞こえないのも分かるの。
だって、ひゅうびゅいときつい風が私のまわりを隠してしまう。
風が、風が強い。
銀髪がはらんで白い鳥の羽になる。
流れる雲が、私を追い越して行く。
雲に訊いてみよう。
大きく
「私は、メル・アイヴィー。雲よ、私を知っているの?」
その雲は、答えもなく去って行った。
胸が苦しくて仕方がなく、あの日、私が愛してやまない方からいただいた髪のリボンをきゅっと引き締めた。
「もう一度、教えて。レイリー・キャヴェンのことを」
無言の風が胸をうがった。
◇◇◇
「では、参りましょうか」
「いいね。十六基をしっかりと数えて行こうね。メル・アイヴィーさんも伸びをすると、どきどきがおさまるよ」
「ん……。ありがとうございます」
どうしてこうなったのか、三人で伸びをすることになったの。
聞いている?
レイリー・キャヴェン。
薄くつーんと張っている空気の向こうに雲がただよう。
私が伸びをすると、向こうにもシルエットが浮かび上がる。
さっと伸びをやめるとシルエットも伸びをやめる。
「あれは。見間違いかな」
今度は、横に手を伸ばした。
シルエットも寸分たがわず横へと伸ばした。
感覚的に分かったの。
「これは、私のドッペルゲンガー!」
◇◇◇
「一基」
「二基」
「三基」
「ねえ、同じようでいて、鳥居さまは面差しのようなものが変わるのね」
私は、思い切ってサオトメ・ユウさんとイグチ・アイカさんに話しかけてみた。
所が、二人は、霧の向こうでむせぶように薄らいでいる。
だから、もやの中を独りと決めて、歩み出したわ。
元々、誰かと来るだなんて考えてもいなかったから。
「十三基」
「十四基」
「十五……。基」
いよいよ、十五基の鳥居さまの影を踏んだわ。
こんなに沢山の鳥居さまが連なっているのに、木漏れ日のように私をちらりちらと照らす。
「今、十五まで来たのよね?」
「仰る通りですわ。優さん」
急に背後から声が聞こえて、驚いた。
あのこうこうの二人だと直ぐに分かったけれども。
「誰が最初に十六基に行く? 愛花ちゃんでもいいよ」
「優さんでもいいですよ」
「あ、あたしは。遠慮しておくわ。なんてね。怖いからじゃないよ」
私は、思い切って声にしてみた。
「私の目の前に、再びドッペルゲンガーが現れたの。だから、私から先に行く」
「メル・アイヴィーさん。ドッペルゲンガーって、本当?」
サオトメ・ユウさんにはいないのかしら。
私の話を信じてくれるかな。
「ほら、私が手をひらひらと振れば、向こうもこうしているの」
「残念だけれども、あたし達からは、見えないみたい。自分のドッペルゲンガーもね」
同じように手を振ってみせているけれども、二人は驚いていなかったので、本当に見えていないようだった。
「そうなのね。私は、自分の分身にも興味があるの。先に行かせて欲しいな」
私は、ドッペルゲンガーが恐ろしかったの。
けれども、レイリー・キャヴェン、あなたからのメッセージだと受け止めるわ。
◇◇◇
二人に手を振って、しゅっと前を向く。
私は光の差さない十六番目の鳥居さまへと歩み出す。
赤い鳥居の色を盗んだように、私は赤く燃える。
白いワンピースは、一瞬にして、血まみれになる。
「私が、怖いと思っているから、いけないのね」
姿勢を正して、一歩、二歩、三歩と近付く。
暗い。
暗いわ。
私は、十六歳ということね。
鳥居さまが迎え入れているの。
「怖い! レイリー・キャヴェン、あなたはどこ?」
こんな所で、こだまする。
「レイリー・キャヴェン、あなたはどこ?」
ひゃあ。
私自身なのに、ぞくぞくとする。
「メル!」
随分と遠くから声がした。
「俺は、ここだよ」
「レイリー・キャヴェン!」
姿が見えない。
「俺は、このドッペルゲンガーの形で会いに来た。分かるか? レイリー・キャヴェンだよ。俺の銀髪までは見えないだろうが、確かに俺だよ。」
「それは、私の姿ではないの?」
「さあ、俺が手を振れば、メルの手も動いてしまうだろう」
本当に同じく手を振ってしまい、どきっとした。
「レイリー・キャヴェン。私、会いたかった」
「俺もだ。ラストソングを歌ったのは、ミハマ公園だったな」
あんなにうねうねした公園で、レイリー・キャヴェンだけは光っていて、どこでも見つけられたの。
定位置のベンチ、覚えている。
夜八時。
私が座るとあなたが座る。
いつも右側で弾き語りしてくれて、私が泣きそうになったらその日はおしまい。
終わりは、決まって、ギターを叩くの。
だだだだんって。
ギターは、打楽器だぜと笑うあなたは、私の笑顔を待っている。
ごめんなさいと泣き笑いで返すと、頭をくしゃくしゃにされてしまう。
「そうだわ。レイリー・キャヴェン。私の頭をくしゃくしゃにし過ぎたとリボンをくれたのよね。私、髪に飾ることにした。別れたくないからよ」
「似合っているよ。メル」
私は、リボンをほどいて見せようとしたけれども、強く結ばれていてできなかったの。
「大丈夫、ずっと使っていて。メル」
「それからね。今、分かったの。私は十六歳みたい。こうして十六基めの鳥居さまで、大切なレイリー・キャヴェンに会えたもの」
レイリー・キャヴェンの姿が崩れて行く。
待って、待って、待って、待って、待って!
「いや! 置いていかないで……!」
私がこんなに大きな声を出すことはないのに。
もう、会えなくなってしまうのは、耐えられない。
「メルが心配するから、何も言わなかったけれども、あの病院は、特別なんだ」
「私、死んでも別れたくない……」
涙が、とうとうと流れて、頬から胸元まで濡らす。
干からびてしまう程かと思う。
「死んでもだなんて、言うなよ。メルにはしあわせになって欲しい」
「レイリー・キャヴェン。いつものようにくしゃくしゃに撫でて。そして、リボンを結び直して。――俺達は、いつも一緒だよって」
隣にいるだけでいいの。
ギターはなくてもいいの。
あなたのぬくもりが欲しいだけ。
「……俺の体は、ホスピスにいるんだ」
知っているわ。
だから、お参りに赤い鳥居さまの連なるお山に来たのよ。
「ただ、一秒でも一緒に生きて欲しかったわ」
◇◇◇
それから、私は倒れていたのをサオトメ・ユウさんとイグチ・アイカさんに抱き起こしてもらった。
これから、修学旅行で学校のバスに乗るからと、私と再び会えたなら沢山お話しさせてくださいと聞いた。
つーんと糸の張った空気が沁みる。
私の下に雲が敷かれる。
赤い鳥居さまは、幾千あるか。
ひとは、年の数だけ数えて行けばいいという。
千基もあるようなうねり道が、赤い、赤い、赤い。
レイリー・キャヴェン、あなたの魂と話せてよかった。
もう、脳死状態だったから……。
……私は、いつも隣にいるの。
◇◇◇
その数日後、レイリー・キャヴェンのホスピスでなきがらに会いに行くと、看護師がばたばたとしていた。
「やはり、亡くなってしまったのね」
冷たくなっているはずの手を取ると、ほのかにあたたかい。
「今、レイリー・キャヴェンさんは、お亡くなりになったのですか?」
慌てている看護師に声をかける。
そして、目を閉じてあげようと瞼に指を置こうとすると、私に電気が走った。
「生きて……いるの……?」
「メル……」
声さえも聞こえた気がした。
愛しているから、一秒でも一緒に生きて……。
Fin.
メル・アイヴィーあるいは鳥居さま いすみ 静江 @uhi_cna
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