第27話 élections législatives
などと一人叫んでも仕方がない。そもそも確証がないのだから。子犬のようにおとなしくお三方の話を拝聴することにしよう。
平井お嬢様がカップをソーサーの上に音も立てず優雅に置くと、眼を閉じながら誰に聞かせるのでもなく
「わたくしは父を助けて下さる織音様のご子息と言うことで、幼少の頃よりお兄様、そして瑠夏を存じておりました」
軽く息を吸うと、言葉を続けた。
「これでも議員の娘。父の名を
「だったら僕につきまとうのは……」
「ですが大器晩成、適材適所の言葉があります。そしてその言葉にもっとも当てはまるのが瑠夏でした。アレは……
「……」
織音さんは黙って聞いている。戸辺さんも口を挟まない。
「自由国民党総裁、安藤総理は天下の宝刀、解散総選挙を抜きました。野党に風が吹いている中、対立候補の民権党が担ぎ上げたのは、いわゆるタレント候補ですが知名度は抜群、ニュースにもなりました。父はかつてない
「父から連絡がありました。
織音さんが補足した。それが終わると平井お嬢様の言葉が続いた。
「未知のタレント候補をわたくしどもは攻めあぐんでいました。自由国民党の政策を前面に出すか? 政治に
すごい! ただのお嬢様じゃなかったんだ。
「瑠夏も事務所に寝泊まりしてくれました。嫌がらせで事務所にちょっかいかける輩もいますし、柔らかい物腰は劣勢を強いられる事務所内の空気を暖かくして下さいました。なにより女性が多い選挙事務員の中で、男手は助かりました。見かけによらず、力持ちでしたし」
ん? それって……。
「そんな中、無理がたたったのと、
『
もしかして……ウンベルトさん!?
「虚勢を張る候補者が多い中、瑠夏はあえて草の根で父の
平井お嬢様は、クライマックス寸前の”溜め”のように、カップを口に含んだ。
ゆっくりと蕾からカップが離されると、眼を閉じたまま、優しく、それでいて凛とした言葉を紡ぎ出した。
「そして瑠夏は、総理をも動かしました」
”!”
私は一昨年の選挙の記憶をたどる。
「あの……もしかして中須商店街を安藤総理が
「はい、瑠夏が父に進言し、覚悟を決めて父は党本部、そして総理へ訴えました。
『全国各地で劣勢を強いられている自由国民党の候補者を、安藤総理は見捨てるのか?』
と……。そしてわずかな時間ではありますが、駅前での街頭演説が終わると父の選挙区である中須商店街まで足を運んでくれました」
「僕は、なにもしていません。若造である僕の意見を聞き入れてくれた、すべては平井先生の器量が為し得たことです」
織音さんの言葉を気に止めないかのように、平井お嬢様は自身の言葉を続けた。
「自らのタレントとしての知名度と、よほどの大金を積んで比例代表の順番を得た余裕もあったのしょう。ろくな選挙運動をしない対立候補は父に惜敗しました。噂では比例代表の順番ですら対立候補はあと一つだったと。さらに怠慢な選挙運動をした民権党は議席を減らし、自由国民党は解散前より議席を得ることができました」
織音さん一人で……国を動かしたんだ。
「勝利の美酒に酔うのもつかの間。党本部では各選挙区の分析が行われていました。我が選挙区は相手の油断もありましたが、辛勝ですら奇跡だと判断されました。そう、すべては瑠夏のおかげです」
「……」
言っても無駄だと考えたのか、織音さんはなにも言わなかった。
「こうして支持者への挨拶回り等の残務整理が終わる頃、それまで泊まり込んでいた瑠夏は人知れず事務所を離れ、二度と戻ってはきませんでした」
「平井先生や秘書の皆様、戸辺さんを含む事務員さんには挨拶しましたよ。輝美さんはお風呂に入りたいと、一足先にお帰りになりましたよね」
織音さんが突っ込むも、平井お嬢様は自分に酔っているかのように顔を上げた。
「ええ、ようやくわかりましたの。瑠夏こそが、
『私の、運命の殿方』だと」
「!」
やっぱり平井お嬢様は、織音さんのことを。
「父の為にここまでしてくれた瑠夏に報いることができるのは、アルバイト料という俗なモノではありません。あの時、私は先に湯浴みをして、瑠夏にすべてを捧げるつもりでいました」
え? え?
「つい長湯をしてしまったのでしょう。再び事務所に赴くも人の気配は無し。むしろ瑠夏が一人寝泊まりしている今が好機だと。はやる気持ちを抑えながら鍵を開けたら、人っ子一人いない。戸辺に連絡を付けると、瑠夏は辞めたと……」
戸辺さんが補足した。
「お嬢様は幼き頃から、いわゆる白馬の王子を夢見る少女でした。それだけなら微笑ましいのですが、十代も半ばになると、いわゆる『中二病』に取り
『ご自身を貴族のご令嬢などとのたまう』
こともありました。さすがに人前では慎みましたけど……」
なんか戸辺さんも色々と苦労してそうだな。私みたいにストレスを溜めなければいいけど。
あれ? どこかで聞いたような話。
「あの時はせめて一言、私に言付けして下されば織音様を引き留め、有無を言わさずお嬢様を押し倒せるよう、じらしながら雄の体をたぎらせておいたのに……。もっとも私が我慢できず勢い余って味見しても、まぁそれはそれで役得ってことで」
ヲイ平井お嬢様、身内から裏切り者が出ているんだが。
ストレスを溜めると淫乱になるって、あながち都市伝説でもないんだな。
「買いかぶりすぎです! 僕はおっしゃるとおり凡人以下の男。貴女にはふさわしくない!」
「でも瑠夏はこれだけのことを成し遂げました。人には得手不得手があります。お兄様のように人の上に立つことはできなくても、主人を助け、下の者を導く技量を持っています。それは正に議員の秘書にふさわしい能力。ゆくゆくは、父の地盤を継いでも……」
「馬鹿馬鹿しい! それこそ世迷い言だ。平井先生に無断でそんな……」
「父も、そう考えておりますわ。あくまで私設秘書としての働きを見て、候補の一人としてですけどね」
再び、織音さんの言葉に、平井お嬢様の強めの言葉が覆い被さった。
「瑠夏が何かを為し得たいのなら、私は止めません。その為に私を利用しても、体を
「無礼な! 輝美さん、貴女って人は!」
織音さんが怒ってくれるけど、私はどうってことはない。
人間、突拍子もないことを言われると、かえって冷静になるんだな。
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