第26話 Garuda's past

 風景画からアバンギャルドな抽象画が壁を彩り。

 ダークブラウンの扉付き収納棚の上には、まっさらなアイボリーの壺から鑑賞の為に作られたピザよりも大きい絵皿が並べられ。

 本棚には新書から古書一歩手前の本からいろいろな雑誌までが詰め込まれており、

 そして部屋の中央には、店内のよりも装飾がほどされたダークブラウンのテーブルと四つの椅子が置かれていた。


 お嬢様のお気に入りなのか、白いティーカップに満たされたオレンジペコーが四つ、テーブルの上に優しく華開いた。

『ごゆっくりとおくつろぎ下さい』

 ロマンスグレーの礼と声に見送られ、ダークブラウンの扉が音もなく閉じられる。


 個室の中にたたずむ、殿方一人に淑女三人。

 お嬢様に対する執事さんの忠誠度合いから推測するに、ここでなにが起ころうとも彼は沈黙を守り、決して口外しないだろう。

 そう、例え、すべてをさらけ出す禁断で恥辱な、卑猥で怠惰な、淫欲で淫猥な、官能小説のような漢字が部屋を満たす行いをしても……。


「あ、青田さん……」

 固くそそり立つものから織音さんの指がそっと離れると、あとをなぞるように私は指を伸ばす。

 触れてはいけないもの。

 触れたら壊れてしまう。

 でも、触れなければならない。

 人差し指と親指の先端に固い感触が私の魂に伝わる。

 優しくゆっくりと引っ張る。そして時々、わずかに左右に振る。


 『抜く』


 殿方は己の自慰をそう形容する。

 それが今、私はその指で実感している。

「すぅ~ふう~……」

 行いが終わった私は軽く深呼吸をし、その『意』を秘書さんへバトンタッチする。


「かしこまりました」

 慣れているかのように、指先から二の腕までの動きはわずかな迷いも狂いも許さない正確さでつまむと、産業機械のようにアームを動かし、固くそびえ立つモノをより一層そそり立たせた。


「お嬢様、どうぞ」

 秘書さんの声にお嬢様は答えない。

 この個室に満たされる緊張という名の薄氷はわずかな波紋も許さない。

 触れては崩れてしまう。


 そう、ジェンガのように……。


”ドンガラガッシャァ~ン!”


 薄氷が割れるように、ホワイトブラウンの木片とダークブラウンのテーブルが混ざり合う音が部屋を満たすと

「あ~もう! なんで私が触ると崩れるのよぉ~!」

 頭を抱えるお嬢様そっちのけで、残りの三人は手や腕を使ってテーブルから落ちそうな木片をせき止めた。


「ジェンガそっちのけで織音様のお顔を見つめていらっしゃるから」

「な、なんで私がこ、こんな奴の顔を……」

 だったら、こんな席の配置にしなければいいのに……。


 個室へ通された時、淑女は上座だと、織音さんは私を奥の席へと勧めた。

 当然、秘書さんはお嬢様を上座である奥へ……

 私 織

  机   扉

 嬢 秘

となったが


 嬢「席を替わりなさい」

 秘「お嬢様を下座へは座らせません」

 その後、色々シャッフルされたが結局、

 私「あ、私はどこでも……いいです」


 織 私

  机   扉

 嬢 秘

となったのだ……。


 ふぅ、あの執事さんの苦労がちょっとだけわかったような気がする。

 そんなお嬢様はジェンガを倒しておきながら、優雅に紅茶をたしなんでいらっしゃる。

 さすがの私もしびれを切らし、てきぱきとジェンガを積み上げる秘書さんに話しかける。


「あの……織音さんはともかく、なんで私までお誘いしてくれたんですか?」

「お嬢様は心の広い御方です。織音様のお連れ様でも丁重におもてなし致します」

 席順といい、ジェンガといい、とてもそうとは……。

 しかし相手はお嬢様だ。下手したてに出て損をすることはない。


「ですが、お名前も知らない方からのもてなしは、あ、申し遅れました、私は青田真里奈と申します」

 ”ピタッ!”と秘書さんの手が止まる。  

「わたくしどもを、ご存じではない?」

「はい、先日、『Dragon's Tail』ではお見かけしましたが、それ以上は」


 お嬢様がカップから口を離す。

「どういうこと瑠夏るか? わたくしをこの方に紹介しないなんて。説明を求めるわ」

 織音さんを名前呼び……やっぱりこの人は。


「本人の知らないところであれこれ話すのは失礼だと思ったからです。ですから青田さんには知り合いとしかはなしていません。あと、名前呼びは……」

「なら、ここで紹介して欲しいわね。貴方のそのお口で」

 覆い被さるようなお嬢様の口調に、織音さんの唇がほんのちょっと、ゆがんだ。


「ふぅ、青田さん、紹介します。こちらは父が後援会に入っている、貴族院議員、《平井末義ひらいすえよし》先生のご令嬢、《平井輝美ひらいてるみ》さんです。お隣の方は先生の後援会の事務員さんで、《戸辺利恵とべりえ》さんです」

 貴族院議員! 現代ではもう名前だけだけど執事さんもいたみたいだし、やっぱりお嬢様なんだ!


「平井輝美です。父である平井末義共々、よろしくお願い致します」

 慣れた口調で軽く頭を下げる平井お嬢様。

「戸辺利恵です。平井末義、及び自由国民党をよろしくお願い致します」

 戸辺さんもまるで選挙の時に電話口で話すかのように、座りながらも深々とお辞儀をした。


「改めまして青田真里奈です。こちらこそ、よろしくお願い致します」

 私も元会社勤めとして、事務的な挨拶を交わした。


 戸辺さんが、再び頭を下げた。

「ジェンガでお互いの心がほぐれたところで、まずは青田様にお詫びを申し上げます」

「私に?」

「はい、お嬢様のわがままに振り回されまして、大変失礼ですが青田様を調べさせてもらいました」


「輝美さん! 貴女は!」

 椅子から飛びあがらんとばかりに、織音さんが激昂げきこうした。

 そして、織音さんも平井お嬢様を名前呼び。


「瑠夏、淑女同士の会話に殿方が割って入るのは失礼よ」

「くっ!」

「あ、私は大丈夫です。就職の時の身辺調査みたいだと思えば」

「まぁ、ぶっちゃけて言えば、織音様の行方を調べている時に、青田様が引っかかったと申し上げた方がよろしいですね」

「織音さん……の?」


 そうだ、私は織音さんのことをなにも知らない。

 そもそもどういう巡り合わせで、先生方に拾われたのかも。

 見てはいけないのに、織音さんの方を振り向いてしまう。

 それが、織音さんを苦しめるとわかっていても……。


「……僕の父は小さいながらも会社を持っていまして、平井先生が市会議員の頃から後援会に入って応援していました。ですから平井先生ご一家とウチの家は、パーティーとかで多少、交流がありました」

 ぽつりぽつりと、織音さんは言葉をつむぎ出した。


「平井先生が県会議員、そして貴族院議員へと当選なさるにつれて、父の会社もそこそこ大きくなりました。あ、先生の名誉の為に申し上げますと、別にやましいことはしていません」

 平井お嬢様、戸辺さんも黙って聞いている。


「僕には兄がいます。優秀で、ゆくゆくは父の会社を継ぐと周りからもてはやされています。対する僕は電話応対すらろくにできない人間。そんな空気に耐えきれず僕は家を飛び出し、一人でやっていこうと決心しました。それで今、マダムのお世話になっています」


「それがあの喫茶店と、同人誌ってわけね」

「!」「!」

 平井お嬢様のつぶやきに織音さんと私、二人同時に眼が見開いた。


「なぜ、同人誌のことを?」

 のどを絞り出すように織音さんが問いただすと、代わりに戸辺さんが答える。


「偶然にも、本当偶然にも、SNSをのぞいておりましたら、とある同人誌サークルで織音様らしき人が写っておりまして、さらに同人誌を販売するどころか、頂いた女性向け同人誌の感想を、丁寧にしたためたとか……。さらにあの伝説のサークル、《オール・アルジャン》とも関係があるとも。なんとうらやまけしからんと仕事を忘れて地団駄じだんだを踏みまくりました」


 織音さん、ちゃんと感想を書いたんだ。


「重ねて申し上げますが偶然の産物です。三回言いました。私はともかく、よもや貴族院議員のご令嬢が”二次元”とはいえ、BLと呼ばれる男性同士の恥辱の戯れに、寝食を忘れて夢中になることは決してありませんので、どうか誤解なきようよろしくお願い致します」


 戸辺さんの口調、どこをどう聞いてもこの二人、私同様”腐っている”としか思えないけど……。

 はっ! もしかしたら平井お嬢様は『貴腐人きふじん』!

 いや、ひょっとしたらあらゆる腐を超越した伝説の『御超腐人おちょうふじん』!


 なんてこったぁ!

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