第25話 Rose noir
「青田さん、『Dragon's Tail』はいかがでしたか?」
甘味に支配された私の顔をのぞき込むように、織音さんが尋ねてきた。
ち、近い……。
「なんか、口に出すと陳腐な言葉しか出てこないです」
私の方が陳腐だな。おっと、お嬢様の感想も言わなくては。
「お嬢様も……その……紅茶に感激していました」
もっと陳腐な答えだ……。
「そうですか! それはよかった! お連れした甲斐がありました」
満面の笑みを浮かべる織音さん。その笑顔を見た私も暖かくなってくる。
「ウンベルトさんは……その、どうでした?」
「あのパフェを味わうのに夢中でしたよ。メイド喫茶や執事喫茶を偵察するに辺り、青田さんとマルゲリータさんをお誘いしろと毎日のように叫んでおきながら、まったく、なにしに来たんだか……」
織音さんの顔に影が落ちる。
その後、時間差で帰る為、織音さんは食安めにとしばらく商店街をぶらつくそうだ。
よじ登るように階段を上り、ドレスを脱ぎ捨てると、ベッドのプールへと飛び込んだ。
「ふぅ……」
肉体的に開放された私は、膨らんだお腹に両手を置き、記憶をさかのぼる。
幻想的な空間、夢のような時、そして、とろけるような甘い味覚。
まだこの辺では馴染みがないけど、首都では一ヶ月待ちなのがよくわかる。いや、一度味わったら一ヶ月間、果たして我慢できるのだろうか?
まるで禁断の果実のような魅惑のお店。確かにこの国一番とウンベルトさんが
織音さん、いや、ウンベルトさん、
何より、お嬢様はどう考え……。
瞬間、体がアイスのように冷たくなる!
織音さんを眺めていた、あの、お嬢様。
にこやかに微笑みを返した織音さん。
『……知り合いに会うとは思ってもみませんでした』
身内ではない、赤の他人。それはつまり、男女の関係になり得ること。
……だからどうしたの?
お嬢様ではない。もう一人の私の声。
……身の程を知るのも、
そう、私は私。それ以上にはなれない。
ウェイトレスは、メイドは、”お坊ちゃま”の気まぐれな恥辱の相手になろうとも、それ以上は……。
体も魂も、極寒の中へ放り出されたように震えが止まらない。
掛け布団に潜り込んでも変わらない、冷たく、
ふいに体を包み込む、柔らかく暖かい感触。
この感じ……お嬢様!
(安心しなさい。私が暖めてあげるから。さぁ、その身を私にゆだねなさい)
”な……なんで?”
(公衆の面前でみっともなく流す涙は、淑女の恥。それをかばってくれた、せめてものお礼よ)
あの時の……涙。
感嘆の想いだけじゃない、悠久の時をさまよい、再び巡り会えた、至高の一杯。
『
それは紳士淑女の想いが凝縮された、問い詰めるのも不作法な、誰にも触れることができない、魂の雫。
お嬢様のぬくもりに、ゆっくりとまぶたが重くなる。
私はお嬢様に初めて抱かれながら、つかの間の甘い眠りについた……。
翌週。
再びワインレッドのパーティードレスを身に纏った私は、鶯色の着物姿の織音さんと共に、残り二つの執事喫茶へと赴いた。
一つはピチピチギャル(死語)が押し寄せる、アイドルショップの二階だ。
「ここって?」
「地元発祥の男性アイドルグループ、『
「い、いえ、私は名前程度しか……」
こんなことをショップやカフェ内で口ずさんだら、生きて店から出られるかどうか……。
十人以上待ちがあったけど、滞在時間が30分だし、団体で四人席に座る人が多い為、意外と早く座ることができた。
『いらっしゃいませ! ようこそボイジェンカフェへ!』
”!”
男性アイドルが第一種接近遭遇並みの近さに私の顔面の血管は拡張し……つまり赤くなっちゃった。
これは……アイドルに”はまる”紳士淑女を笑えない。会社勤めの以前の私だったら果たしてどうなっていたか……。
店内はボイジェンのメンバーのパネルやポスターが所狭しと飾られている。ボイジェン好きの淑女にとっては
私はオレンジジュース、織音さんはコーラがない為、抹茶アイスを注文した。
着物姿に抹茶アイスって、結構絵になりそう。
『お待たせしました! オレンジジュースに抹茶アイスです。ごゆっくりおくつろぎ下さいませ!』
さすがアイドル。さわやかでハキハキした声と共に、注文の品と……ん? アンケート用紙が置かれた。
「織音さん、これは?」
「ここで働いていらっしゃるのは、いわば研修生みたいですね。アンケートが投票になっていて、お気に入りの店員さんを書いてお会計の時に出すみたいです。ほら、あそこに研修生のパネルがあります」
壁にはバストショットの額縁がたくさん掛けられていた。一人一人みんなポーズや角度が違う。こんなにいるんだ。
「投票結果で、お給料がよくなるとか?」
「いえ、上位者はボイジェンの、いわば一軍のバックダンサーに選ばれて、ツアーに同行するみたいです。あとライブハウスの前座に出させてもらったりとか、野球中継のアシスタントとか」
「へぇ~すごいですね。正に弱肉強食、下克上ですね」
「これはこれで一つの接客方法ですね。カフェのお客様を楽しませることができなければ、アイドルを名乗る資格はない、厳しい世界です」
オレンジジュースを口に含みながら店員さんの動きを観察すると、店そのものが舞台で、カフェの店員という演技、いえ、この空間そのものがミュージックビデオのような、おもわず手拍子したくなってくる舞い。
「なんか、見ているだけで楽しくなってきます」
「『Dragon's Tail』とは違う、お客様へのおもてなしですね。これはこれで勉強になります」
せっかくだからと、給仕をしてくれたさわやかハキハキの人の名前を書いて、お会計時に提出した。
『いらっしゃいませ。ようこそ『SILVIA(シルビア)へ』
年配の執事さんから漂うロマンスグレーの声と佇まい。
店内は若干薄暗く、壁やカウンター、机や椅子までもがダークブラウンに統一されており、より落ち着きを私たちに与えていた。
私はレモンティーを注文し、織音さんは相変わらずコーラフロートだ。
「執事っぽいのに、『Dragon's Tail』とはちょっと雰囲気が違いますね」
コーラフロートを口に含んだ織音さんは、
「ここの執事さんは元々どこかの家に仕えていたり、
「え!? それじゃ、本物の執事さん!?」
「執事というものは知力と体力と気力も使うハードなお仕事ですから……コミックやアニメではそれこそ老体の執事がプロドライバー顔負けの運転や重火器まで使いますけど、あくまであれはフィクションです」
「そうなんですか……」
そんな執事さんを眺める織音さんの眼が、どことなく優しくなっている。
”チリンチリン”
『いらっしゃいませ。ようこそSILVIAへ。……様』
新しいお客様だ。名前呼び……常連さんかな?
「元気そうね」
「おかげさまで。……様のお世話から解放されて、息災に暮らしております」
「減らず口だけは相変わらずね。安心したわ」
影になって見えないけど、もしかして本物のお嬢様と元執事! すごい! こんな光景が!
「奥の個室は空いているかしら?」
「はい、いつご来店なさってもよいように、準備はできております」
はぁ~やっぱりお嬢様は個室なんだ。
執事さんの後ろからお嬢様とお付きの、紺のスーツ姿の……あれ? 何かデジャブが……。
私たちのテーブルで止まる、お嬢様とお付きの人。
まさか……見たくないのに……ゆっくりと顔を上げてしまう。
先週は赤い薔薇だったけど、今日は黒の薔薇のヴィンテージドレスに……頭には、お嬢様のトレードマーク! でっかい黒いリボン!
そして、
『こちらのお二方も、個室へご案内なさい』
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