第24話 Ça fait longtemps
私の目の前に座っている男性は、同人誌即売会で
しかもそれが
「うぅ~ん! ホイップではなく生クリームなのは当たり前ですが、泡立てすぎずギリギリまでコクを引き出した仕上がりはさすがですね~」
織音さんは唇の端とほっぺにクリームがつけながら、巨大パフェを満面の笑みでほおばっているお約束の姿へと変貌していた。
これはこれで、別の意味で店内の女性の眼を引きつけていた。
私もお約束で、ほっぺについた生クリームを指先で取って舐めなければならないのだろうか?
「青田さん、どうかされましたか? 僕に遠慮せず、どうぞ召し上がって下さい」
むしろ見ている方が楽しいのだが、スィーツを目の前にしてなにも食べなければ女子の名折れ!
そう! 男女平等なことわざで例えるのなら!
『
下っ腹がどうしたぁ~! また先生達にむち打たれればよいのだぁ~!
いざ!
「織音さん、このフルーツはなんでしょう? 白い果肉の中にごま粒みたいな黒い種? が入ってますけど?」
「おそらく南国原産の『ドラゴンフルーツ』ですね。論より証拠、召し上がってみて下さい」
「はい……。ん~マンゴみたいにどろっとしているわけでなく、さっぱりめ? 逆に生クリームのような強い甘さに合うような……」
「店名に
女性のお客さんは、目の前の紅茶やスィーツを楽しみながら、執事さんとの恋の妄想を夢見ているのか……。
カップルのお客さんは、互いに恋の
そんな甘ったるい空気に生クリームをぶっかけるがごとく! 織音さんと私はひたすらクリスタル縄文土器へ何度も突撃を掛け、少しずつ攻略していった。
『『『『『いらっしゃいませ! ○○お嬢様、△△お嬢様』』』』』
お嬢様二人のご来店だ。私たちの姿を見てドン引きするかな?
いや、むしろ驚け! 眼を見開け! はっはっはっ! 開き直り。
家令のティアマトさんの気配が近づいてくる。私たちが座っているレヴィアタンさん担当のテーブルへご案内するのかな?
……あれ? 気配が、止まった。
「……」
ゆっくりと顔を上げると、お洒落に
パフェをほおばっている織音さんを眺めていた。
ゆっくりと眼を見開きながら。まるで
『なぜ貴方がここにいる!?』
と、顔に文字を浮かび上がらせたみたいに。
ようやく気がついた織音さんが顔を上げると、ちょっと柔らかく、溶けかけのソフトクリームのような微笑みをその女性に向けた。
私の知らないその微笑み。昨日今日、出会った人間には向けない、長い年月を共有した、そんな懐かしい微笑み。
……なぜだろう、胸が苦しい。これ以上ない甘い物を食べているのに、口も、そして胸も、剣で突き刺したような酸っぱさを感じていた。
ティアマトさんが振り向いて一歩踏み出そうとすると、その気勢を制するかのように後ろの女性が小声で
「……様」
と名前を
”様”って……まさか! 本物のお嬢様!?
紺色のスーツを召した後ろの女性はメイド? いや、お付きの人? 秘書?
お嬢様はまるで織音さんが最初からいなかったようにきびすを返すと、ティアマトさんの後ろを歩んでいった。
そして後ろの女性はほんのわずか、私たちに軽く会釈をして席を離れていった。
「あ……」
思わず声が出てしまった。
どなただろう……。織音さんのお知り合い? でも、尋ねるのは……。
「いやぁ~まさかこんな所で知り合いに会うとは~。いやむしろよかったのかな? なにせここでは他のお客様との会話は禁止されていますからね。はっはっはっ!」
無垢な声に無垢な笑み。なにも隠そうとしないのが、逆に私を苦しくさせる。
あの女性について尋ねたいことは無数にある。でも、その資格を得るほど、私は織音さんと時を過ごしていない。
何より、私は織音さんのことを、なにも知らない……。
(……食べなさい。
そうだ、今、私は織音さんと一緒の時を過ごしている。それだけでいい。
たわいのない話をして、たわいのない笑みを交わす。
今の私は、学生時代や社会人の時に比べたらこれ以上ない時を過ごしている。
たとえ、これが夢であったとしても……。
「ふぅ……」
なんとか空にしたクリスタル縄文土器を前にして、背もたれに体を預けながらベルトをほんのちょっと……かなり緩めた。
周りのお客さんもちょっと驚いた顔をしている。
さっきのお嬢様と秘書さんは、同じ列だからここからは見えない。
「いやぁ~完食できて幸いでした。実は現物を見た瞬間、逃げだそうかと思いましたが、人間、何とかなるモノですね」
結婚式で花嫁、花婿が逃げ出すのは、出席者の間で永遠に語られる笑い話だが、クリスタル縄文土器のパフェを見て、もし織音さんが逃げ出したら、別の意味で笑いものになったかも。
織音さんはもとより、取り残された私も。
「とりあえず時間まで食休みと致しましょう。よろしければお口直しに何か注文されますか?」
「い、いえ、もう……お冷やすら……ふぅ、入りません」
さすがにゲップだけはこらえなくては! 私一人ならかまわないけど、織音さんにまで恥をかかせるわけにはいかない。
時間になったので、人間ビヤ樽と化した私はなんとか立ち上がり、お会計へと向かう織音さんのあとを転がるように歩いていった。
織音さんはテーブル番号が書かれた札を、『ヒュドラ』の名札を付けた茶色のタキシードの執事さんへと手渡した。
そして織音さんがカードを出し、ヒュドラさんがスキャンすると……。
「失礼します瑠夏おぼっちゃま。こちらへ暗証番号をお願い致します」
よくある半分隠れた入力装置に織音さんは数字を……えっ!
ぐるりっ!
いきなり自分の体が回れ右をした。
視線の先は厨房のすぐ前のテーブル……座っているのはさっきのお嬢様と秘書さん!?
しかもお嬢様はこっちを見ている!
もしやお嬢様はさっきのお嬢様を見たいから回れ右を……ええい! ややこしい!
「失礼します瑠夏お坊ちゃま。こちらへ”生体認証”をお願い致します」
え? 生体認証!? 暗証番号だけじゃなくて?
織音さん、いったんどんなカードを持っているの?
「お待たせして申し訳ありません。青田さん、行きますか」
「は、はい」
さっきのお嬢様はまだこちらを見ている。秘書さんもなにも言わないみたいだ。
『『ありがとうございました。真里奈お嬢様、瑠夏お坊ちゃま』』
コンシェルジュさんにドアを開けてもらって、私たちはティアマトさんとヒュドラさんの声を背に、『Dragon's Tail』をあとにする。
ビルから外へ出ると、そこは電柱からアスファルト、自動車から雑踏までが異世界の景色だと錯覚するほどの現実世界。
わずか一時間半程の幻想旅行から私たちは帰ってきたのだった。
「すいません、久しぶりにカードを使ったものですから会計の時にもたもたしてしまって。万が一を考えて、一万円以上は指紋認証に設定したのをすっかり忘れていました」
「い、いえ、こちらこそ大層なご馳走して頂きまして」
なんか、舌と唇がギクシャクして、うまく話せない。
「え~と、実はあと二店、考えていたのですが、青田さんのそのご様子では……またの機会に致しますか?」
こ、これ以上何か飲み食いするつもりだったのぉ~!
……私は丁重にお断りした。
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