第14話 Depravity Lady

「にゃるほどの~。かるらちゃんの”うんべると”ちゃんにそ~ゆ~事情があったんがね」

 織音さんの説明を聞いた金剛おばあちゃんが、ゆっくりとうなずいた。

「あたしゃ~かみゃ(かまいま)~せんよ」

 私の膝の上に座っている白銀おばあちゃんは、そう言って私の方を振り向いた。


「じゃ、じゃあ」

 織音さんが私に食いついてくる。でも金剛さんが

「でもな~。まりなちゃんはどうおもっとりゃ~すの?」

「えっ!? 私は……そんな、いきなり」 


 白銀さんが

『じょ~ちゃん。あんた、行くとこありゃ~すの?』


「わ、私は……私は……」

「え、青田さん? どういう……」

 なんだろう、不思議だ。このお二人には、私のすべてがわかっているような……。

 流そうと思っていないのに、なんの感情も持っていないのに、頬を伝う雫……。

 「あお……たさん」

 戸惑う織音さんの声。


『もうええんよ』

『楽になりんしゃい』


 初めてかもしれない。私の……すべてをわかってくれる人に出会えたのは……。

 うつむく私。差し出されるハンカチーフ。

 織音さんのか、金剛さんのか、白銀さんのかはわからない。

 すんでの所でそれを手に取ると、目に当て、口を開けた。


『ぁーーーーーーー!!』


 声も出ない、顔中に血液を送り、ただ涙を流すだけの嗚咽。


『はあぁぁー!』

 大きく息を吸い、もう一度、体の中で叫ぶ。


『あぁーーーーーー!!』


いばらむちは、白き肌に血の媚薬を流す為の淫魔インキュバスからのとがめ!』


おとこってのはな、繰り出される”攻め”をすべて”受ける”もんだぁ!』


陰茎いんけいに血潮を限界まで送り、括約筋かつやくきんを締めながらひたすら、撃つべし! 撃つべし!』


『……白濁の欲液は、純粋無垢の証。純粋ゆえ、”やおい穴”の中でしかはな開かぬ純白ないんつぼみ


 私の嗚咽を消してくれるかのように、白鳥さん、目黒さん、乾さん、隼さんの口上の声が大きくなった気がする。

「……」

 マルゲリータ嬢も、空気を読んでか、話しかけてはこなかった。


 ……大罪の書BL本のキャッチコピーをサラウンドで聞きながら嗚咽する女は、世界中で私ぐらいなもんだ。あとになってそう思った。


”スンッ!””スンッ!”

 かわいく鼻をすすり、織音さんとお二人だけに聞かせるよう、少しずつ、ゆっくり話し始めた。


 周りからいわれた。私は、『悪女』だと。


 相手が憎くて、相手をからかうのがおもしろくて、そういう行動を取っているのなら。

 空気を読まず、何気ない言葉が人を傷つけているのなら、私も理解できた。

 しかし、そんな簡単な理由ではなかった。


 いわゆる、私は優等生タイプだった。

 中学、高校でも校則を順守し、間違ったこと、ふざけたことは自分がやらないならまだしも、それを他人に強制させた。

 自然と私の周りには、空虚な人間関係しか残らなかった


 それでもまだ、勉強ができれば、

 それでもまだ、スポーツができれば、

 それでもまだ、文化的活動がひいでていたのなら

 私のそんな性格は、逆にストイックという長所に変換されたのだろう。

 大学入学を機に一人暮らしをして、一人黙々と講義とバイトの日々に明け暮れた。


 卒業後は事務として就職してから、やっと私の心が落ち着いた。

 何しろここは会社。社会という倫理が絶対的な場所。

 しかし、現実は学校以上に汚水とヘドロが渦巻いていた。


 最初は社会を知らない、初々しく思われていた私の性格も、時がたち、周りから

『融通が利かない』

『杓子定規』

『早くもお局化』

と、陰口がまかり通るようになった。


 ここでやっと私は処世術を覚えた。己を殺し、言われたとおりにやると。

 だけど、表面上はそうでも心にストレスは溜まる。

 そんな時出会ったのが、古本屋にあったいわゆるBL系のレディースコミックだった。


 インモラルで禁忌で禁物でタブーな、ほとんど同じ意味の言葉が私の頭の中を駆け巡っていた。

 しかもそれが社会的認知を得て、正々堂々普通に本屋さんで売られている衝撃!

 恋愛も性行為も男女の間でしか存在しないと、それこそ思春期のまま成長していない私の性に、新しい菌糸が舞い降りた。


 純粋培養の生ものである私は、それこそ乾さんのキャッチコピーのように、そこに描かれている熱い息吹と舞い散る白濁液によって、真夏のヨーグルトよりも早く腐敗した。


 もちろんこんな比喩は、お三方には申しておりませんです。


 BLによってストレスを発散し、なんとか社会生活を送れると思った矢先、会社が倒産した。

 例え何十年と続いた会社でも、いつかは終わりが来る。

 それを知ってか知らずか、言わずにおれないのか、


『疫病神が入社したせいだ』


 誰かが呟いた言葉が、ウイルスのように屍となった会社中に蔓延した。


 それだけならまだしも、

『会社の金を使い込んだ』だの

『粉飾決算をした』だの

『ライバル会社から送られたスパイ』だの

 本当なら経営陣に言うべき言葉が、なぜか私に集中した。


 弁護士さんと一緒に残務整理を行っているがゆえ、それが逆にこびを売り、弁護士さんのツテで新しい職場を紹介してもらおうと見られたのかもしれない。

 もちろんそんなことはなかった。


 悪いことは続く。

 すべてが終わったら実家へ帰ろうと考えていた矢先、両親が離婚した。

 小さいことが積み重なり、我慢の限界だったらしい。

 私の性格は二人から受け継がれたみたいだ。

 もしこの二人が早くにBL本に出会っていたらと、そんな力のない冗談すら思い描くようになった。


 ほぼ同時に、ささやかな玉の輿に乗った姉、麗奈れな姉さんからメールが来た。

『三人目の子供ができちゃったから、頼られても困る』と。

 そして今日を迎えたのである。


「そうだったんですか……」

「……すいません、つまらない話をお聞かせしてしまって」

「だったらなおのこと!」


「かるらちゃん、ここからは”おんにゃのこ同士”の話だでぇ~」

「ちょっと、だましかって(黙ってて)ちょ」

「は、はい……」

 金剛さん、白銀さんに言われて、織音さんは口をつぐんだ。

 でも目だけはまっすぐに私を見ている。

 私を? 誰を?


 金剛さんが口を開いた。

「まりなちゃん。うちの”ひよっこ”たちをみんしゃい(見なさい)」

 大罪の書の口上を述べている白鳥さん、目黒さん、乾さん、隼さんを順番に視界に収めた。


『みんなね~。うちらが”拾った”ひよっこなんだぎゃ』


「ひろ……った?」

 今度は白銀さんが顔を上げ、遠くを見るように呟いた。


「『巣から落ちたり』、

『違う巣で生まれたり』、

『羽根をもがれたり』、

『飛べないと思ったり』、

『逆に自分からおもしを付けたり』、

『唄えなくなったり』、

『巣立ちに失敗したり』、

『空から落ちたり』

『心を射貫かれたり』、

『ネギをしょったり』……あと、なんだっけな。はぁっはぁっはぁ!」


 誰が誰を指しているなんて詮索しない。

 あれ? ひ~ふ~み~よ~いつ~む~……織音さんを入れても余るような? それに最後は……まぁいいか。


 再び、金剛さんが優しく語りかけてくれた。

「ワシらはねぇ~”この世界”に来てからぎょうさん(たくさん)人を見てきたんだぎゃ~。ほんだでわかるんだぎゃ~。まりなちゃん、あんたぁ、今まで人に頼ったこと、あんまりにゃかったろぉ~?」

「!」

「だからよ~、今度はよ~、ワシらを頼ってもええんだぎゃ~」

 再び、伝い落ちる雫。悲しみではない。喜びでもない。安堵の涙。


”いいの?”


 語りかけるも、彼女は沈黙したままだ。

 そうだよね。自分で決めなくちゃ。


『よろしく……お願いします』


 白銀さんと”ごっつんこ”しないよう、軽く頭を下げた。

「あぁ!」

 織音さんから歓喜の息が聞こえる。

 なんか、お見合いしているみたい。


『完売しました!』

 白鳥さんが『Excellent!!』

”パチパチパチパチ!”


『こちらも完売しました!』

 目黒さんが『よっしゃあぁぁぁ!』

”パチパチパチパチ!”


『完売です! ありがとうございます!』

 乾さんが『うむ!』

”パチパチパチパチ!”


『やったぁ! 完売だぁ!』

 隼さんが『ふっ! 俺にかかれば、これくらい造作もない』

”パチパチパチパチ!”


 サークルのあちこちから完売の拍手が華開く。

 織音さんも一緒に拍手をする。


 でもその顔は、その眼は、その拍手は、私とマルゲリータ嬢に向けられていた。

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