第4話 Main Dish

 小さいお皿に小さいクロッシュ。現れたのは

「失礼致します。コガネジカのブロス(スープ)でございます。冬に備えてコガネドングリを食した、一番脂ののった時期の肉を使っております」


 右手側の一番外側に並んでいるスプーンを手に取ると、皿の手前からわずかに沈めた。

 すくい上げた黄金色のスープを、ゆっくりと口に含む。


「!」

 口の中に広がる、幾百もの味と香りと風味。

 まるで……デパートの食品売り場をこの一さじに凝縮したような!


 仕方ないでしょう! こんな表現しかできないのだから!

 だって私は、お嬢様でもご令嬢でもない、朴訥ぼくとつな庶民の娘なのだから。


(素敵だけど……いつもと違う)

 ”誰か”の声が、私に尋ねてくる。

 操られるがまま、私はレシピを聞いた。

 たった一つだけ、いつもと違う味を。


 まばたきの間、ほんのわずかに眼を見開く彼。

 まるで、”私じゃないもの”に触れたように。


「貴重なモンシロキジが手に入りましたので、下ごしらえの後、丸ごと煮込みました」

「そう、ありがとう。すばらしかったわ」

「ありがとうございます」

 どこか戸惑ったような、彼の礼。気のせいかしら?


「失礼致します。ロブスターサーモンのムニエルでございます。白レモンとルタルソースがございますが、いかが致しましょう」

「ルタルソースでお願い」

「かしこまりました」

 あおくどろっとした、おかゆのようなソースが、ムニエルの上にかけられる。

 その色に一瞬、心がひるむけど、また操られるようにナイフとフォークを手に取る私の手。


(怖がらなくても大丈夫よ。素敵なお味だから)


 一口分に切り分け、口に含む。なにこれ!

 普通、熱を加えたサーモンはバサバサしているけど、これはサーモンのレアステーキ!

 舌に乗せると、アイスみたいにゆっくりと旨味がとろけてくる。


 それにこのソース!

 蒼い大海原を凝縮したような! 

 ああ、今! 私は人魚になって、魚たちと泳いでいるような……。


 そんなグルメ漫画のような感想も、食べ終わったら消えていってしまう。

 ハーフサイズなんて頼まなければよかった。


「舌休めにレッドオレンジのソルベ(シャーベット)をお持ち致しました」

 サーモンの脂と大海原の塩気が一気に洗い流されて、口の中にさわやかな甘酸っぱさが広がった。


「失礼します。本日のメインディッシュでございます」

 テーブルに置かれた、高級そうなお皿。

 彼はもったいぶるかのように、クロッシュを持ち上げた。


「パールダックのローストステーキでございます。真珠鴨にトマトを食べさせた、肉質が柔らかく、甘みのあるステーキです。ブラックビネガーのソースでお召し上がり下さい」


 もう言葉が出なかった。だって私は、空を飛んでいるのだから。


 その後も

『レインボーサラダ』、

『エメラルドカカオのチョコケーキ』、

 十一種類の果物を入れた『イレブンフルーツポンチ』

 まさに夢のようなひとときだった。


 でも、一つの料理が終わるたび、時が近づいてくる。

 彼との、別れの時が……。


「シュガーハーブティーでございます。よろしければ、何か一曲、おきいたしましょうか?」

 彼が示す部屋の隅には、”いつのまにか”チェンバロのような鍵盤楽器が置かれている。


「結構よ。……それに、いいお茶には素敵な会話、でしょう?」

「かしこまりました。そうですねぇ……」

 言葉の語尾になにやら、いやらしい匂いが感じられた。


「”ご婚約者のウンベルト様”とは、どこまで進展なさったのですか?」


”!”

 何とかむせるのをこらえたが、おかげで鼻の奥にハーブティーがこみあがってきた!

 一度息を吸い、吐き出してから、慌てたそぶりを見せず、言葉を返す。


「あいかわらず無礼な男ね。もともとお父様と公爵閣下が勝手に決めた縁談でしょ? それに、社交界に出席するどころか、


”今まで一度も顔を合わせていない男”


の事なんて、答えようがないわよ」


「おっしゃるとおりですが、よもや無関心というわけには参りませぬ。お嬢様の御将来、それに、ジェノヴァ家の未来の為に……」


「……そう、誰の差し金? お父様? お母様? それとも、お父上であらせられるピエモンテ公爵閣下から、私の胸中を探れって頼まれたの?」


「”新しきご主人様”となられる御方ゆえ、わたくしにもお二人の縁がうまくゆけばと日々、祈っております」


「……なるほどね、今から身の振り方を考えている訳ね。殊勝な心がけだわ。でもそれは”あちら側”が決めること。運良くこのまま召し仕えられるか、お役御免になるかは、


”ウンベルトという御方”の胸先三寸でしょうに!」


 語尾を強めた私の言葉。

 それでも彼は彫刻のように身も心も微動だにしなかった。


「それとも、私に口添えしてもらいたいの? ジェノヴァ家の令嬢、マルゲリータが、一介の執事の進退を公爵家の男子に向かって!? はん! 末代までの笑い話だわ! 恥を知りなさい!」


 最後には顔を合わせず、ただ、ティーカップに向かって怒鳴っていた。

 いつもこうだ。彼と話をする時、最後にはケンカになってしまう。


 もっと素直になれば……って?

 これは”彼女”が決めること。


 ”今の”私にはどうすることもできない、自らに科せられた、鎖の拘束ギアス

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