第5話 Commedia dell'arte

 紅茶を飲み終えた私は意を決し、立ち上がる。

 こんな”茶番”を終わらせる為に。


「お嬢様、どちらへ?」

「夜風に当たりたいの。庭を散歩してくるわ」

 彼は正面玄関へのドアの前に立ちふさがった。


「いけません! 夜風は体に毒です。お風呂の準備もできております」

「執事の分際で無礼よ! ここは私の家よ! なぜ庭すら散歩できないの!? そこをどきなさい!」

 彼はゆっくりと横へ体をずらすと半身になり、胸に手を当て礼を捧げる。

 ダイニングのドアを開け、エントランスを早足で駆け、正面玄関のドアを自ら開けた。


 私に飛び込んできたのは、唯一、門までの道に明かりが灯されている、闇の世界。

 夜空には十三夜の月が輝いているにもかかわらず、月からの明かりを拒絶するかのように、闇が覆っていた。

 小川も、池も、滝も、お花畑も、そして、愛馬の白銀号の泣き声どころか気配も、今の私には感じられない。

 そう、まるで最初から存在していなかったように。


「……お嬢様」

 私の後ろに控える彼。

 彼に向かって、この茶番を終わらせる『三つ目のルール』を唱える。

 それは、『招待客自ら、物語を終わらせること』。


 だって、それができなければ、私は永遠にこの物語に閉じ込められてしまうのだから。

 それもいいかも、と、何度自問したことか。

 ここにいれば、彼と永遠に暮らせる。

 例え結ばれなくとも……永遠に。 


 でも、ディナーを食べ終わった私は、この物語すべてを否定した。

 『彼が書いた物語』を。そして、それを推敲した私も。

 だってそうよね、物語には『お腹がふくれる』描写なんて書いていないのだから。


 だから唱えるの。

 彼と私しか知らない、『初稿の結末』を。

「今日までよく我が家に仕えてくれました。父と母に代わり、礼を申し上げます」

「お嬢様……なにを」


「執事である貴方が、よもやとぼけるとは……。見てご覧なさい! この庭を! 池や小川の水は枯れ、花壇には雑草が生い茂り、白銀号は真っ先のよそへ売られていったわ!」

「お嬢様、お戯れは……」


「お父様は『女王陛下の財務省』へ毎日のように金策に走り、お母様は他の貴族に気取られぬよう、見栄の張り合いに講じている。その証拠に我が家では、レストルームのタオルでさえ使い回し! お風呂ですって!? 何回沸かし直しているの? 垢まみれのお風呂に飛び込むぐらいなら、ヌーセ川で全裸になって泳いだ方がましだわ!」


「……」

 無言でそれを肯定する彼。

 そして私は”彼の名”を唱えるの。

 私が立てた”一つ目の誓い”にのっとって。

 

 それは、『彼をお役御免にする時』。

 それによってこの物語は終焉を迎える。

 彼が執事である理由。

 私がマルゲリータである理由。

 この二つが崩れ落ちることによって、この物語そのものが消滅する。


 私自身も崩れそうになりながら精一杯、自分を支え、彼の名を口にした。

 敬愛のハーブを加えながらも、淡々と……。

 だって、彼とはもう二度と、会えないのだから……。


「ジェノヴァ家はこれで終わりです。もう私に仕える必要はございません。”ウンベルト子爵様”」

「!」


 そう、これは互いが互いを化かし合う、たわいのない『仮面喜劇Commedia dell'arte』。

 私が思いついた、ちょっとした悪戯。

 両親が決めた婚約者に対する、精一杯の反抗。


 でも彼はそれを受け入れた。

 すべてを捨て、こんな小娘に仕える為に我が家へやってきた。

 双方の両親の慌てようは私は知らない。

 できることといえば、他の貴族に対して、精一杯とぼけることだった。


 それでも、『貴方と結婚する女はこんな女』だと思い知らしめる為、私は彼を馬車馬のように扱った。

 それでも……彼は犬のように私について行き、無理難題をこなし、絶対的な忠誠をその身で表してきた。


 もし彼が愛想を尽かし、私の横っ面を張り倒してくれたなら、私は彼を愛したかもしれない。

 だって、こんな私を本気で叱ってくれたのだから。


 もし彼が力任せに私を押し倒し、愛のない、お仕置きの為の陵辱を行っても、それはそれで彼についていったかもしれない。彼が望めばだけど。

 だって、私にとって最初の男性だから……。


 やがて、私の心に変化が訪れる。

 それは、貴族の娘として、最大の禁忌タブー


 ”執事としての彼”を、愛してしまったこと……。


 お父様は会合と称しながら、愛人の家で情事にふけっているかもしれない。

 お母様も夜会と称して、他のご婦人達と共に若い燕共と怠惰たいだな宴に身を興じているのかもしれない。

 でもそれは、婚姻というつながりがあってこそ許されるモノ。


 未婚の乙女が使用人にその身を投じることは、両親も、家の名も、そして、社交界が許さない。

 二人を待っているのは、荒れ果てた荒野と茨の道。そして、庶民からの冷たい視線。

 だから終わらせるの。


「マルゲリータ様は……いかがなさるのですか?」

「すべてを風に任せますわ。運がよければ家の名が欲しい成り上がり商人の嫁。あるいは生意気なジェノヴァ家のご令嬢をもてあそべると、貴族の子弟共が集まるうたげにえになるかも……。それで誰の子かわからない非嫡子を生まされて、安娼館へ売られ、庶民共の欲望のはけ口になるでしょうね。フフ……ハハ……ア~ハッハッハッハ!」


 おかしいわよね、笑っているのに、頬をつたうモノは何かしら?


「もう、終わらせましょう。貴方様もお家へお帰りなさって下さい。その車は差し上げます。もう我が家には、これしか残っていませんから……」 

 そう、私にはもう何も残っていない。

 この物語でも、そして……。


 ”これから戻る世界でも……。”


「何があったんですか? ……青田あおたさん」

 それは”久しぶり”に聞く、真の彼の声だった。

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