0-2

「はい」


 頷く声が耳に届く。

 二年半ぶりであろうとスキルは正常に発動し、果たして少年の告白は聞き届けられた。

 するりと絡みついてくる腕がそのままトネットを抱きしめ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。豊麗な膨らみが優しく押し当てられ、ギュッと詰まった肉感を伝えてくる。

 そうしてトネットは、しなやかな女性の肩口で天を仰ぎ、深々と、本当に深く深く、諦念のため息を漏らした。

「またかぁ……」

 その呟きからは先ほどまで抱いていた煮えたぎる怒りは消えている。代わりに込められていたのは、憐まずにはいられないほどの、哀切だ。

「またなのかぁ……」

 もうすっかり気が抜けた呟き。しかし待って欲しい。彼の渾身の、それこそ絶対に使わないと決めていたチートスキルを使ってまでの告白は聞き届けられたはずだ。現にこうして彼は抱きしめられ、告白に対しての返答も貰っている。

 はい、とか細く、しかし嬉しそうに。気恥ずかしさとこれからの期待を含んだ声音は、人生に一度は異性から囁かれたいと思うような響きであった。

 そんな声を聞いているにもかかわらず、トネットがこうも哀切に満ちた表情を浮かべている理由。それは、今彼を抱きしめているのがリリアナではないからだ。

「なんだか久しぶりな光景ですねぇ」

 なんて、リリアナは抱きしめられるトネットをしみじみとした、どこか懐かしさを噛みしめるような眼差しで見つめている。

 彼女と視線が合う以上、当然ながらトネットを抱きしめているのはリリアナではない。

「アスセーナ。いい加減に放してくれ」

「嫌よ」

「なぜ!?」

「だってトネットから告白されたのよ? そんなの二年半――ううん、そんな大雑把な数え方はダメよね。正確に数えて916日ぶりなのよ。トネット、私とても嬉しいわ。あなたの口からまたこうして愛の言葉を聞けるなんて思ってなかったもの。だからね、もう少しだけこのままでいさせて。お願いよ、トネット」

 情熱的にまくし立てた女は、そのままうっとりとした表情でトネットの体を優しく、しかし情感的に抱きしめる。その手つきは初恋に夢中な少女のように瑞々しく、同時に多くの愛を囁く情婦のように熱っぽい。

「あー、これはあれですかね。いつの間にかリリアナちゃんはお邪魔虫になってましたかね。よかったですね、トネット君。告白がうまくいって。あ、これは私からのお祝いです。トネット君好みのクズスキルで『指一本で逆立ちが出来るようになるスキル』です。うまく使ってくださいね。では」

 と、些か一方的に告げてリリアナは姿を消す。止める暇さえなかった。しかし彼女がいなくなる直前、トネットは自分の中に新たな力が芽生えたのを悟った。リリアナの言う『指一本で逆立ちが出来るようになるスキル』を習得したのだろう。どこで使えと言うのだ、そんなスキル。大道芸人にでもなればいいのか。

「ふふ、さすがの性悪女神でも空気ぐらいは読めるみたい。さあトネット、たっぷり愛し合いましょう。大丈夫、あなたが初めてだというのは知っているし、私も人間とこんなことするのは初めてだけれど、きっと大丈夫よ。だって私はあなたを愛しているもの」

「その言葉に何の根拠があるんだよ。あと、さりげなく人を童貞だと喧伝するな。俺が皆殺しにしてなきゃ、魔族中に知れ渡ってるところだぞ」

「大丈夫、大丈夫よトネット。だってそうでしょう? もし喧伝されたとしても、それは『トネットの初めての相手は、空と水の精霊アスセーナ』という事実だもの。心配しないでトネット。あなたが晒す恥なんて、全て私がそそいであげるから」

「いやそれ、『空気相手に腰を振る変態』と同義だからな? そそぐどころか恥の上塗りだからな? というか、いい加減に放せっての」

「やん」

 と、いささか艶っぽく、それでいて残念そうな声を上げてアスセーナと呼ばれた女性は振りほどかれる。その指先は最後まで名残惜しそうにトネットの体を撫でていた。

「あー、くっそー。また失敗した」

 アスセーナの抱擁から解放されたトネットはうんこ座りでしゃがみこむ。がっくりと肩を落としたその姿をどこぞの画家が見れば、『少年期の切なさ』といったタイトルで一枚描き上げたかもしれない。

「なーにが、<オールクリア>だよ。なにが最強のチートスキルだよ。全然使えないクズスキルじゃねーかよ。これならまださっき貰ったスキルの方が使い道あるっての」

 などと管を巻くトネットだが、何を隠そうこの少年、世界中から『勇者』や『英雄』と呼ばれ持て囃されているのである。あらゆる魔族を打ち倒し、つい数か月前には天災と恐れられた邪竜すら討伐している。

「ちくしょー。今度はうまくいくと思ったんだけどなあ。あーあ」

しかし今の彼は、そんな英雄像とはまるでかけ離れた姿でやさぐれる。好きな女子への告白が失敗したという、17歳の少年らしい理由で。

「ていうか何でリリアナへの告白がお前への告白になってんだよ」

 ついには恨めしそうな眼差しでアスセーナを見やる始末だ。その瞳は今にも泣きだしそうな光を湛えている。涙を零していないのは、十代少年のせめてもの意地だろう。

 そんなトネットを愛おしげに見つめ返すのは、絶世の美女だ。女神であるリリアナにも引けを取らない美しさだ。艶やかな黒髪に真っ白な肌。肉感的な体つきと、それを引き立たせる服飾品。整った顔立ちで微笑まれれば、並の男ならば立ちどころに魅了されるだろうに、あろうことかアスセーナが恋に落ちたのは、自分とは別の少女に夢中な少年だというのだから、もったいない。

「なぜ、と言われても困るわ。だって私は『空と水の精霊』だもの。この世界に生きる全ての命の側に私はいるの。だから世界中のどんな言葉も私の元に届くのよ」

「人の告白を盗み聞くとか趣味が悪すぎんだろ。ていうか、俺はリリアナに告ったつもりなんだぞ」

「ええ、でもどうしてかしら。あなたのその言葉に私は恋をしてしまったのよ」

 アスセーナはうっとりと告げる。その様子にトネットは大きくため息を吐くしかない。

 これは仮定でしかないが、恐らく<オールクリア>は女神であるリリアナには効かないのだろう。でなければ、『お前の代わりに俺を神にしろ』なんて荒唐無稽な願いすら叶ってしまう。いかにチートスキルと言えど、神にまで作用してしまうなんて、そんな本末転倒があっていいはずがない。

 そして仮定に仮定を重ねるが、リリアナに向けた<オールクリア>が無効だったため、その効果は別の誰かに向けられる事となり、その対象となったのがアスセーナということだ。

「それにしたって、相手が『空気』って無差別にもほどがあるだろ……」

「私はこの世界のどこにでもいるもの。だけどねトネット、今はあなただけの側にいたいわ」

「俺をストーキングするために世界を滅ぼすのはやめろよ」

「ええ、もちろんよ。私は生きているトネットが好きなんだもの。だってトネットが死んでしまったら、『転生』って称して死体があの性悪女神のものになってしまうのでしょう? それは嫌だわ。あなたの死体は私が貰って、腐らないように空気にも触れさせないで保管したいのに」

「いや、さすがに怖いわ。勝手に人の死体プランを設計してんじゃねぇよ。普通に腐らせろ。自然に還してくれ」

「あら? あらあらあら。ねえ、トネット。私すごいことに気づいてしまったわ。あなたが自然に還れば、いつだって私と繋がっているということよね。それってつまり、あなたが死ねば私たちいつまでもセックスしてられるってことよね!?」

「驚きの発想に開いた口が塞がらねぇよ。なんだよ、そのびっくりセックス論は」

 落ち込む暇もねぇ。そう嘯くトネットだが、アスセーナと言葉を交わすことでほんの少しだが元気になっているのにも気づいている。

 自分の死体のあり方で活力が湧いてくるのも嫌な話だが、まあ、それはそれとして、告白が失敗した時にぼっちでいなくて済んだことは、感謝してもいいのかもしれない。

「それにあれだしな。失敗しただけで、フラれたわけじゃないしな」

 そう、要はギャグが滑ったような感じだ。そもそもがリリアナへの告白だと受け取られていないのだ。

「つまり、まだ希望はあるってことだ。フラれてない。そうだ大丈夫だ。俺はまだフラれてない!!」

 自分に言い聞かせ奮起するトネット。その側ではアスセーナが未だにトネットの死体のあり方を妄想し身をよじらせている。見た目がリリアナにも負けないくらいの美人なだけに、その姿は残念極まりない。

「よっしゃ、やってやる!! まだチャンスはある。俺がこの世界から転生しない限り、リリアナと付き合うチャンスはある!!」

 好きな女子と付き合うことに意欲を燃やす少年。

 そんな少年への愛を漲らせ呪文のように妄想を口にする美女。

 しかし彼らがいるのは、おびただしい数の死体が転がる戦場跡。

 なんともちぐはぐだが、これがまあ、異世界転生三年目であるトネットの日常なのであった。

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