第11話 理事長解任と刑事告発
午後3時30分から大塚学院の視聴覚室で開かれた記者会見には船守の言う通り、湊テレビと湊新聞、中央新聞と中央テレビの他に新橋新聞と新橋テレビ、竹橋新聞と竹橋テレビ、更には汐留通信と日比谷通信の両通信社の他にNHKの記者までが出席した。この体罰事件をマスメディアが如何に重大視しているのかが分かろうというものである。
記者会見の様子は日曜午後5時30分にスタートする民放各局がトップニュースとして報じ…、そうでない民放や、更にはNHKまでも午後5時30分から10分間だけ特別にニュースを流したほどであった。士郎はそれを自宅のリビングのテレビで視聴した。
湊テレビにチャンネルを合わせるとテレビ画面に理事長の内藤を真ん中に挟んで学園長の保科と副学園長の奥野が画面向かって左右に並んでまずは深々と頭を下げて見せる映像が映し出された。保科と奥野は謝罪慣れしているのかごく自然な様子で頭を下げたのに対して内藤はと言うと、頭を下げる動作が如何にもぎこちなかった。普段から頭を下げ慣れていない様子が画面からありありと伝わってくる。但し、普段から頭を下げ慣れている保科や奥野に較べると人間としてはまだ保科の方が信頼出来るという視点もなきにしもあらず、であった。
頭を下げ終えた内藤たちは椅子に座るとまずは保科があらかじめ用意しておいたらしい原稿用紙に目を落とすとそれを棒読みするシーンが映し出された。
生中継ではないので、ダイジェスト版として本来、カットしても良さそうなシーンだが、敢えて視聴者からの反発を喰らうのは確実な、そんなシーンをノーカットで放映した辺り、テレビ局の底意地の悪さ、嫌らしさといった部分を見せつけられた思いであった。そして学園長の保科もそのことを織り込み済み、いや、もっと言えば内藤を悪人であると視聴者に印象付けるべく記者会見の場に引っ張り込んだのではないかと、士郎は勘繰ったほどである。理由は勿論、この機に乗じて理事長の内藤を大塚学院から追い出すための布石の一つ、としてである。そうなれば今、この記者会見の場に同席している副学園長にして内藤派の2号理事でもある奥野にしても、もしかしたら保科派に寝返るのかも知れなかった。何せ奥野は日和見主義者で有名であったからだ。
内藤は中央新聞及び中央テレビが報じた喫煙疑惑…、生徒の名前こそ伏せたものの、士郎に喫煙の濡れ衣を着せた一件、それから湊テレビが報じた体罰に関していずれも事実であると認め、更にはいずれの件に関しても同じ教諭が関わっているとも認めた。会見場はどよめきに包まれた。当然の反応であった。とてもまともな教師の所業ではないからだ。それが礼儀作法を教える筈の、お手本ともなるべき剣道部の顧問であるという事実が、
「まさかそんなお手本となるべき教師が…」
という思いを増幅させるのに一役も二役も買っていた。
内藤が原稿用紙を読み終えると記者との質疑応答へと移っていった。質問のトップバッターに立ったのは中央新聞の記者であった。質問内容は浅野が理事長の内藤の甥であり、そのことが浅野を暴走させる理由になったのではないか、つまり理事長の甥であるという血縁という強い結び付きを笠に来て暴走したのではないかと、誰もが一番知りたいであろうことを尋ねた。それに答えようとしたのは学園長の保科であった。如何にも内藤の盾となって答えるという風情であった。だがマイクを握った瞬間に質問者である中央新聞の記者からの、
『理事長にお答え願いたい』
との一言で保科はいともあっさりとマイクをテーブルに置くと内藤にボールを投げてしまった。もしかするとマイクを握ったのも保科のパフォーマンスに過ぎなかったのかも知れない。本気で答えるつもりなど最初からなく、質問に立った中央新聞の記者から、
『理事長にお答え願いたい』
との異議申し立てがあるのを見越しての単なるパフォーマンスに過ぎなかったのかも知れない。もし本気で内藤を庇うつもりがあるならば質問者である中央新聞の記者がどんなに騒ぎ立てようともそれを無視して強引に内藤の代わりに答弁する筈だからだ。
だが保科はそうはしなかった。つまり最初から内藤を悪人に仕立てて全ての責任をおっ被せるつもりなのであろう。そして誰よりも内藤自身がそんな保科の胸のうちを知っているのか、マイクをテーブルに置いた保科を睨み付ける内藤の表情が士郎には印象的であった。マイクを握り締めた内藤は勿論、中央新聞の記者に対して否定する答弁をしてみせた。まさか、はいその通りで御座います、と答えるわけにもいかないであろう。中央新聞の記者も当然、内藤の答弁は織り込み済みであったらしく、それならばどうして浅野の暴走を止められなかったのかと、今度は保科に対して質問を投げ掛けた。保科はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに満足気に頷くと、マイクを握った。記者の誰もが、そして士郎たち視聴者も、
『そんな事実はありません』
と誤魔化すに違いない…、そう信じて疑わなかった。
だが保科の答弁は想定の範囲外のものであった。
『記者さんの仰る通り、本校の生徒に体罰を振るった教諭は理事長の甥であり、そしてそのことを…、つまり理事長の甥である、という強い結び付き、要するに血縁ですが、それをかさに来て我が物顔で振舞っていたことは事実です』
会見場は再び記者たちのどよめきに包まれた。てっきり否定するものとばかり思っていた現場の責任者である学園長の保科がいともあっさりと記者の質問に対して真相を明かしてしまったからだ。
だが保科が真相を明かしたことで別の問題が急浮上した。それは言うまでもなく内藤の答弁についてである。内藤は浅野が理事長である自分の甥であり、そのことが浅野を暴走させる理由になったのではないか、との記者の質問に対して堂々と『そんなことはない』と否定していたからだ。その直後、保科が内藤の答弁とは矛盾する、もっと言うならば真実を明かしたことで内藤が虚偽答弁したことがクローズアップされてしまった。
こう言った場合、敢えて自分に不利な情報を明かした方に軍配が上るのは明白であり、この場合、保科が真実を口にし、内藤が嘘をついていると、記者にも、視聴者にもそう思わせ、そしてそれは正しかった。
『それならば先程の内藤理事長の答弁は虚偽答弁ということですかっ!?』
記者は当然の疑問を口にした。
『私は嘘などついてはおらんっ!』
内藤は当然、そう反論し、それに対して保科も負けじと、『私も嘘はついておりません』と応じた。内藤は隣に座る保科を睨んだものの、保科は素知らぬ顔であった。
その後も内藤と保科の答弁はかみ合わぬまま、痺れを切らした内藤が無理やり記者会見を打ち切り、記者からの怒号に包まれながら内藤が記者会見場から退席する様子でダイジェスト版は終わりを告げた。
ちょうどその頃、理事長室ではやはり内藤が保科と向き合っていた。記者会見終了直後に内藤は保科をこの理事長室に連れ込むと、1時間近くに亘って罵声を浴びせつつ、今は漸く落ち着いたといったところである。
「答弁がかみ合いませんで、大変、申し訳なく思っております」
保科は内心では舌ベロを出しつつ、そう答えると、
「今後は答弁に齟齬が生じないよう、マスメディアからの厳しい追及をかわすべきか、知恵を出し合う必要があると存じ上げます」
「君にしては珍しくまともなことを言うな?」
幾分、落ち着きを取り戻した内藤はそう応じた。
「恐れ入ります」
「それで具体的には?」
「これから全理事を招集して、話し合いを持つべきかと…」
「全理事と言ったな?」
「はい」
「そこには当然、浅野も含まれるのか?」
「勿論です。それに浅野先生はずっと家に引きこもったままのようですから、そろそろ学園に顔を出して頂かないことには懲戒免職の事由に該当することになってしまいます」
「君にはその方が都合が良いのではないのかね?」
保科はその質問には答えず、微笑を浮かべると、
「懲戒免職にしろ、辞表を出させるにしろ、浅野先生が現れないことには話になりませんから…、ともかく浅野先生に至急、学園に出頭するよう理事長の方から仰っては頂けませんか?」
そう頼んだ。
「俺の方から?」
「はい。私から申し上げるよりは理事長から仰って頂いた方が効果があるでしょうから」
「それはまあ…、その通りだな」
内藤は頷いた。
「それでは宜しくお願い致します」
保科は叩頭すると理事長室を後にし、学園長室に戻ると副学園長の奥野を呼んだ。
内藤は保科にすすめられた通り、携帯電話を取り出すと浅野の番号にかけた。浅野が果たして自分からの電話に出てくれるものかどうか内藤にも自信はなかったが、数コールの後、「もしもし…」という暗い声が返って来た。本当にあの浅野の声なのかと、内藤は一瞬、疑ってしまうほどに暗い声であった。
「俺だ。理事長の内藤だ」
「あっ、理事長…」
「今、我が校がどんな状況に置かれているのか、分かっているな?」
「はい…」
「結構。ならば至急、学校に来い」
「これから、ですか?」
「そうだ」
「でも校門前にはマスコミが…」
「マスコミなんぞ気にしている場合ではない。これ以上、無断欠勤が続くようならば懲戒免職になるぞ?」
「懲戒免職…」
「それが嫌なら直ぐに学校に来い」
「でも学校に来て一体…」
「今後のことで全ての理事と協議する必要がある。お前も理事なのだから来い」
「今後のこと?」
「大塚学院はこれからマスコミから集中攻撃を受けることになるだろう。それに対処するための協議だ」
「…分かりました」
午後7時、大塚学院の大会議室は重苦しい空気に包まれていた。
今、大会議室には理事長の内藤、学園長の保科、副学園長の奥野、教務主任の喜連川、学年主任の進藤、進路指導主任の小山、それに弁護士の千坂、色部、公認会計士の芋川、そして生活指導主任であり諸悪の根源である浅野ら全ての理事が今後の対応策について協議するために集まっていた。今日までずっと自宅に引きこもっていた浅野の顔色はお世辞にも良いとは言えなかった。そこにはかつて体罰教師としてならしたかつての面影はなく、青白い、まるで病人のような顔をした男がいるだけであった。髭も長い間、剃っておらず慌てて剃ったらしく、所々に切傷があった。
理事会には全理事の他に学園の顧問弁護士である柳沢と、それから屈強な三人の警備員の姿まであった。どうして彼らまでいるのか、内藤には不思議であったが深くは考えないことにした。何よりも深く考える余裕も気力も、今の内藤にはなかった。
内藤はいつもの自分の席から全理事を見渡し、
「それでは今後の対応策について…」
協議する…、内藤がそう呼びかけようとしたその時だった。
「只今より内藤理事長の理事長解職、及び浅野理事の理事解任、並びに保科理事の理事長選任を議案とする臨時理事会開催を要求します」
内藤の隣に座っていた副学園長の奥野がいきなり立ち上がるとそう提案して内藤を遮った。
いきなり出鼻を挫かれた格好の内藤は一瞬、何が起こったのか理解出来ず、それから数秒の間を置いてから漸く事態の重大性に気付き、「何を馬鹿なことを言ってんだっ!」と怒鳴ったものの、すぐに気付いた。
「臨時理事会開催には寄附行為により総理事数の3分の1以上の理事から会議の目的事項を示して請求があった場合に限られ、更にその請求があった日より5日以内に、臨時理事会開催の請求のあった日より2週間以内の日を臨時理事会開催日とする招集通知を全理事に対して通知した上でなければ臨時理事会を開催出来ない筈…」
内藤はそこまで呟くと、「まさか貴様ら…」と自分を挟んで両隣に座っていた保科と奥野を交互に見比べた。
「グルだったのか…」
内藤は呻くと保科はその通りだ言わんばかり、ニヤリと笑ってみせた。
「端からこれが目当てで全理事を集めたのかっ!」
内藤はそう怒鳴り上げたものの最早、後の祭りであった。
「内藤理事長の理事長解職、及び浅野理事の理事解任、並びに保科理事の理事長選任を議案とする臨時理事会開催に賛成の方は挙手願います」
保科は若干、恥ずかしげな様子で全理事にそう呼びかけた。
「保科っ、貴様っ、何で貴様が会議を仕切るんだっ!」
「本来ならば内藤理事長が議長となられるべきところでしょうが、内藤理事長は解職動議の対象になられ、特別利害関係人に該当しますので規則により議長になることは出来ず、また議決権行使も出来ません。ちなみに解任動議の対象である浅野理事に関しても特別利害関係人に該当しますので議決権行使は出来ません。よって1号理事である不肖、保科、この私が議長を代行することが寄附行為により定められております」
「それなら貴様だって理事長選任動議の対象なのだから立派な特別利害関係人だろうがっ!」
「解任動議と違って選任動議の対象者は特別利害関係人には該当しないんですよ。これも寄附行為により定められておりますよ」
と保科は勝ち誇ったようにそう言うと、
「それでは改めて、内藤理事長の理事長解職、及び浅野理事の理事解任、並びに保科理事の理事長選任を議案とする臨時理事会開催に賛成の方は挙手願います」
そう呼びかけた。するとその呼びかけに提案者である奥野を始めとし、内藤と浅野以外の全ての理事が挙手をした。
「賛成者は8名、臨時理事会開催に必要な理事は特別利害関係人を覗いた総理事数の3分の1以上である3名ですので、従って臨時理事会開催に必要な総理事数を満たしているものと認めます。これより内藤理事長の理事長解職、並びに浅野理事の理事解任、並びに保科理事の理事長選任を議案とする臨時理事会を開催致します。それでは奥野理事、提案理由の説明を」
保科に指名された奥野は立ち上がるなり、
「この際、提案理由の説明は省略したいと思います」
そう言い放った。既に保科と奥野の間ではシナリオが出来ていたらしく、二人が頷くのが窺えた。
「提案理由の説明を省略することに賛成の方は挙手願います」
保科がやはり全理事に向かって呼びかけるとまたしても先程と同様、内藤と浅野以外の全ての理事が挙手をした。
「賛成者8名、よって賛成多数と認め、提案理由説明を省略することに決しました。これより直ちに採決に移ります。まず内藤理事長の理事長解職、及び浅野理事の理事解任に賛成の方は挙手して下さい」
保科の呼びかけにやはり同じ面子が挙手をした。
「賛成者8名、理事長解職、及び理事解任に必要な理事は特別利害関係人を除いた総理事数の4分の3である6名ですので、これを満たしております。内藤理事長の理事長解職、及び浅野理事の理事解任の動議は可決されました」
保科が高らかに宣言すると良しっ、という掛け声が聞こえた。
「次に保科理事の理事長選任に賛成の方は挙手して下さい」
保科はやはり気恥ずかしそうにそう告げると、8名全員が挙手をした。
「賛成者8名、理事長選任に必要な理事は出席理事数の過半数である5名ですので、これを満たしております。従いまして保科理事の理事長選任の動議は可決されました」
浅野は理事を解任されたので議決権を失った。一方で内藤は理事長こそ解職されたものの、理事としての議決権行使を剥奪されたわけではなく、要するにヒラの理事に落とされただけなので、保科の理事長選任議案に対する議決権行使は可能であり、その場合の出席理事数は浅野を除いた9名となり、過半数は5名という計算になる。勿論、内藤は保科の理事長選任議案に賛成しなかった。
「こんなのは無効だっ!」
内藤はいきなり立ち上がるとそう叫んだ。本来ならば浅野もそれに呼応すべきところ、それだけの気力がもうないらしい。相当、重症と言えた。
一方、保科は一向に動ずる気配も見せず、
「柳沢先生、今の臨時理事会決議は有効でしょうか?それとも無効でしょうか?」
ズバリ尋ねた。すると柳沢は、「有効です」と答えた。保科は柳沢の答えに大きく頷いてみせた。
一方で内藤は今になって漸くこの場に顧問弁護士の柳沢が同席していることに納得がいった様子であり、そして愕然とした。
午後8時40分、士郎はNHKの大河ドラマを見ていると、聞き覚えのあるテロップの音と同時に画面上に、「NHKニュース速報」の文字が点滅した。そして、
「大塚学院、理事長を解任」
との速報が流れた。そしてそれからすぐに第二弾とも言うべき速報が流れた。
「大塚学院、浅野氏を理事解任、懲戒免職処分」
遂に浅野の実名を流したのであった。実名を流すからには刑事告発を見据えてのことに違いない。士郎がそう思っていると、
「大塚学院、浅野氏を刑事告発」
という速報が流れたのであった。士郎は勿論、母親もその速報を目にして驚いた様子であった。
8時45分に大河ドラマが終わると、それからすぐに大塚学院関連のニュースとなった。ニュースに釘付けになっていると、玄関のチャイムが鳴った。インターホンの映像に映し出されたのは二人組の男であり、母親は出るか出まいか迷った後、一応、「はい」と声をかけた。すると二人組のその男たちは背広の内ポケットからドラマなどで良くみる開閉式の警察手帳を取り出したかと思うと、警察手帳を開いて、交互にカメラのレンズに向けると、
「警察の者です。吉良士郎さんにお話を伺いたいことがありまして、あけてもらえますか?」
一人の刑事がそう告げた。母親は驚いたような顔をして倅を見た。
「あんた、何かしたのっ!?」
「いや、何もしていない。と言うか、された方だな」
「何ですってっ!?」
「とりあえず、刑事さん方を家に上げてくれないかな」
士郎がそう促したので、母親は不安げ様子ながらも玄関の扉を開けて、二人の刑事を招じ入れた。
二人の刑事は母親によってリビングへと案内された。どうやら自分も同席するつもりらしい。士郎はリビングで二人の刑事と向き合った。
「吉良士郎さんですね?」
先ほど、インターホンごしに開けてくれと頼んだ刑事が尋ねた。
「ええ。いかにも俺が吉良士郎です。体罰に関して、ですよね?」
士郎が先手を打つ格好で尋ねると、二人の刑事はうなずいた。それで母親も漸く士郎が体罰の被害者であることを知った。
「それじゃあ、あれは…」
そう言いかける母親に対して、
「済まないが、暫くの間、黙っていてくれ。刑事さんの聴取の邪魔をしたくはないんでね」
士郎はそう頼み、母親の気分を害したものの、二人の刑事を前にしては倅を叱ることもできず、不機嫌そうにソファに座った。それで士郎も二人の刑事にソファに座るようにすすめ、自分も座った。
「改めまして、私は警視庁刑事部捜査第一課の多門(おかど)と申します」
「私は巣鴨警察署刑事課の大久保と申します」
扉を開けるようにと頼んだのは大久保刑事であった。
「それでお聞きになりたいのは体罰問題のことですよね?」
士郎が繰り返すと、「傷害事件です」と多門(おかど)が訂正した。
「傷害事件…、それじゃあもしかして逮捕とか?」
「それも視野に入れております」
「それにしてもわざわざ捜査一課の刑事さんがお出ましとは…、通常は所轄警察署レベルの案件ではないのですか?」
「確かに、大塚学院の理事長名で浅野又郎を被告発人とする告発状が巣鴨警察署に提出され、巣鴨警察署では直ちにこれを受理し、事件を認知致しましたが、教諭による生徒に対する傷害、それも自分が顧問を務める剣道部の部員を扇動しての傷害事件という事案の重大性に鑑み、巣鴨警察署は警視庁本部捜査第一課とも連携を取りつつ所要の捜査態勢を確立致しました」
大久保刑事がそう補足した。
「理事長…、それは新理事長ですか?」
「ええ。保科理事長名による告発状です」
新理事長最初の仕事が告発状の提出とは。
「そうですか…、でも一課は殺しの捜査が専門なのでは?」
士郎は多門刑事の胸元を見つつ、そう尋ねた。胸元には例の赤バッジがなかった。
「バッジが気になるようですね」
多門刑事は微笑した。
「ええ、まぁ…」
「ドラマですっかり有名になってしまいましたからね。確かに本部…、警視庁本部や、あなたもご存知のいわゆる帳場などではつけますが、こうした聞き込みではつけないんですよ」
「そうなんですか?」
士郎は目を丸くした。
「赤バッジは見せびらかすものではありませんから」
多門刑事のその言葉には重みがあった。
「それとあなたの最初の質問ですが、確かに捜査一課にある各係…、第三から私が所属する第五強行犯捜査・殺人犯捜査第七係はいわゆる殺しのナンバーとも言われていますが、このように特に重大な傷害事件も捜査します」
「それじゃあ巣鴨警察署には…」
「ええ、ご想像の通り、帳場が立ちました」
「それじゃあ特別捜査本部、ってことですか?」
「いえ、さすがにそこまでは。ですが刑事部長指揮による捜査本部ですから、殺人捜査並みの捜査態勢です」
これまた随分と大事になってきたな…、士郎は及び腰になったが、それでもともかく多門刑事と大久保刑事の聴取に応じることにした。専ら、聞き役が多門刑事で、大久保刑事はそれをノートに書き取るという役回りであった。大久保刑事は持参したハンドバッグからA4サイズのノートを取り出し、質疑応答を書き写した。勉強などでよく使うA4サイズのノートを刑事が使うとは、士郎にはそれが新鮮的であった。
「ところで、事件が揉み消される、なんてことはありませんよね?いや、何しろ内藤理事長、いや、前理事長は次の都議会議員選挙に立候補するそうですから。都知事が立ち上げた新政党の公認を得て…」
聴取を終えると士郎はふと思い出したように尋ねた。所轄の大久保刑事はともかく、一課の多門刑事はさすがに嫌な顔をするだろうか…、士郎は言ってしまった後でそう後悔した。
だが多門刑事は嫌な顔をすることはなく、神妙な顔付きとなった。
「もしかして総理のお友達ジャーナリストによる準強制性交等被疑事件のことですね?」
士郎はうなずいた。
「あれは警視庁本部始まって以来の最大の汚点です」
多門刑事はあっさりと認め、士郎を驚かせた。まさかそんなにあっさりと認めるとは思ってもいなかったからだ。
「ですが逮捕取り止めを命じた馬鹿男…、刑事部長はもう本庁…、本庁とは警察庁のことなんですが、警察庁にお引取り願ったので御安心を。それに仮に今の刑事部長がそんな馬鹿げた命令を下そうとも、少なくとも私たち第七係が捜査に入った以上はそんな馬鹿げた命令には従いませんので御安心を」
多門刑事はそう言うとにっこりと笑い、士郎に自然と頭を下げさせた。さすがに一課の刑事は迫力が違うな…、士郎はそう思った。
「第一、前理事長の内藤は恐らく公認が取り消されるでしょう。何しろ都知事は排除が口癖の方ですから」
多門刑事の読み通り、後日、内藤は公認を取り消され、排除された格好だった。
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