第10話 リーク 3

 翌日の日曜日、休日ではあったが大塚学院では休日どころではなく、昨日、大会議室に集まった面々が再び大会議室に顔を見せていた。議題は勿論、浅野の処分についてであった。昨日、浅野は自主退職することを拒んだので、あとは強制的に辞めさせるしか方法はなかった。だがこれには異論が出された。


「懲戒免職ともなると外聞が…」


 そう難色を示したのは副学園長の奥野であった。奥野は理事長派であったからそう主張したのかも知れないが、しかし、学園長の保科もこれには同意見であった。教師が懲戒免職になるというのは余程の事態に違いない…、周囲にそう思わせてしまうからだ。事実、その通りなのだが、学園としては隠密裏にことを処理した。それにはやはり浅野本人が辞表を出してくれるのが一番良く、この点については内藤と保科の意見は合致していた。


 だが浅野は辞表を出すことを拒んだ。さてどうしたら良いものか…、堂々巡りの議論に終始し、会議は小田原評定の様相を呈していた。


「とりあえず暫時、休憩としますか…」


 会議室の時計の針が午後1時50分をさしていたので保科はそう告げた。保科の休憩宣言により教師達はそれぞれ大会議室を後にし、内藤も保科と連れ立って大会議室を出るとそれぞれの個室へと一旦、引き上げた。


 学園長室に戻った保科は執務机の椅子に座るなり伸びをしてから部屋に備え付けられているテレビの電源を入れ、リモコンを操ってチャンネルを変え始めた。


 やがて時刻は午後2時となった。湊テレビでは毎週日曜日のこの時間帯にドキュメンタリー番組を流しており、現に新聞のテレビ欄にもそうあった。だがテレビ画面に映し出されたのはよく目にするニュースキャスターであった。


『…この時間は予定を変更してMNN報道特別番組をお送り致します』


 いきなりこんなで出だしから始まった番組に保科はすわ何事かと思い、もしかして大事件か、あるいは大事故…、航空機事故でも発生したのかと思い、他のチャンネルにも合わせてみたものの、湊テレビ以外の各局は民放も、そしてNHKも新聞のテレビ欄と寸分違わぬいつもの番組構成であった。民放である湊テレビだけが報道特別番組を流しているとは一体、どういうことだと、保科は首をかしげつつ、再び湊テレビにチャンネルを戻した。


『…MNNの独自取材により明らかになりました。これがその時の映像です』


 湊テレビの独占スクープか…、保科はそう思いつつ、その時の映像なるものがどんなものなのか興味が湧いた。


 ところが画面がニューススタジオから、その時の映像なるものに移り変わった瞬間、保科は心臓が止まりそうになった。


 画面に映し出されたのは複数の剣道部員らしき少年たちが一人の少年をリンチしている映像が流れたのであった。木刀で殴りつけ、柱にロープで縛り付けた少年を殴る蹴るのリンチを加える映像であった。勿論、モザイクで画像処理されていたもののその剣道場がこの大塚学院の剣道場であり、被害生徒が吉良士郎であることは学校関係者なら容易に想像が出来た。そして更にその映像にはリンチの様子をただ黙って眺めている一人のジャージ姿の男…、剣道部顧問の浅野の姿も映し出されていた。いや、映像の最初に浅野が吉良の腹を殴りつけ、うずくまらせたのだ。やはりモザイクで画像処理されていたものの、大塚学院の関係者ならば容易に浅野と分かる。ちなみに浅野の音声だけは処理されていなかったので、吉良士郎に対して投げかけられる音声が明らかに加工されたと思われる複数の剣道部員の声が流れる中、浅野の声だけはそのまま流された。


 そしてリンチされて意識を失った士郎に対して、浅野が部員に命じてバケツに並々と注がれた水を士郎にぶっかけさせて意識を強制的に取り戻させるという暴挙に出た後で、


『よーし、今日の練習はこれまでだっ!』


 という浅野の声がした。すると剣道部員は元気良く返事をすると一人ずつ士郎に対して蹴りを見舞いながら道場から出て行き、そして最後には浅野までも士郎を蹴り上げて道場から引き上げる様子が流れた。


 映像の最後はボロ雑巾のようにボロボロとなった吉良士郎が一人、自分が床にぶちまけた吐瀉物を手で掬ってそれをバケツへと入れる姿が流された。それまでのリンチ映像も衝撃的であったが、この最後に流れた映像…、士郎がたった一人で吐瀉物を手で掬って処理するという映像も中々にインパクトがあった。


 映像は再びニューススタジオに切り替わった。


『この映像は私立大塚学院で行われた体罰の映像です』


 キャスターがはっきりと大塚学院の実名を出した…、事の重大性に保科は思わず椅子から立ち上がっていた。


『大塚学院ではこのような信じ難い体罰が日常的に行われていたようです。次に今の映像において体罰を受けていた高校生のインタビュー映像をお送り致します』


 映像は吉良士郎に対するインタビュー映像へと切り替わった。勿論、吉良士郎と分からぬよう画面に映し出されているのは、座っている士郎の膝から下までであり、膝から上は照明を暗くすることでそれが誰なのか分からないように画像処理されているものの、今、テレビを見ている保科を始め、大塚学院の関係者ならばそれが吉良士郎であるということはやはり馬鹿でも分かる。


 インタビュー映像はキャスターと吉良士郎との一問一答形式で行われた。どうして浅野からの体罰を受けるようになったのか、その経緯から大塚学院では体罰が日常茶飯事であるとの証言まで飛び出した。これは大変なことになるに違いない…、保科はそう直感すると卓上電話の受話器に手を伸ばしていた。


「ああ、内藤理事長ですか?今、大変な事態になっております…」


 保科の受話器を握る手は震えていた。


「これから面白い展開になるぞ…、これは…」


 士郎は湊テレビ局の主調整室で流れるMNN報道特別番組を見ながらそうほくそ笑んだ。大塚学院では大騒ぎしている最中だろうな、とも思った。この映像を目にした誰か…、理事長の内藤か学園長の保科か、それはともかく、この衝撃的な映像を目にした学校関係者は皆、ビックリ仰天するに違いない。今後予想されるであろう事態に備えて今頃は職員室で善後策を講じているかも知れなかった。


 今後予想される事態…、まず抗議の電話が殺到するのは間違いない、いや、抗議などと生易しいものではなく脅迫電話、あるいは投書の類が学校に投げ込まれるかも知れない、だがそれ以上に恐ろしい事態…、区の教育委員会が動き出す、あるいは文部科学省初等中等教育局が実態把握調査に動き出すかも知れない…、いや、それよりもさらに恐ろしい事態…、警察が事件化するかも知れない…、そうなれば大塚学院の評判は地に堕ちることになる。


「本当にありがとうございました」


 隣に立つ番組プロデューサーの船守にそう声をかけられて士郎は我に返った。


「えっ?」


「情報提供ですよ」


「ああ…」


「これはかなりの数字が期待できますよ」


 船守は愉快げにそう言った。


「…それにしても他の局はどこも通常の番組を流して…、まさかその裏で湊テレビが報道特別番組を流しているとは…」


 士郎は主調整室に設置されてあるテレビ画面から流れる他局の番組を見てそう呟いた。士郎は今朝、休日にもかかわらず朝早くに出かける倅を訝る母親を尻目に、リュックサックを担いで台場にあるこの湊テレビを訪れ、そして番組プロデューサーである船守と対面を果たしたのだ。受付で身分証…、顔写真入りの大塚学院の学生証をポケットの中から取り出して、受付嬢に呈示し、番組プロデューサーの船守とアポがあると告げると、受付嬢は内線電話でもってどこかと連絡を取り、そしてそれから間もなくして一人の男が受付の前に姿を見せたのだ。その男こそが船守であり、士郎は船守と対面すると、船守にも顔写真入りの大塚学院の学生証を呈示し、自分が吉良士郎であることを証明した後、リュックサックの中に大事にしまっておいた小型カメラを渡した。船守は小型カメラを受け取ると別室に士郎を案内した。果たして録画出来ているだろうか…、この時まで士郎は小型カメラに録画した体罰映像を再生したことはなく、それゆえきちんと録画できているかどうか自信がなかった。もしかしたら録画できていないのではないかと、そんな不安もあったが、しかし、それは杞憂に過ぎなかった。別室のテレビ画面に体罰シーンが再生されたのだ。士郎はホッとすると同時に、自分はこんな体罰を受けたのかとしみじみそう思った。士郎はそれから特設のスタジオでテレビで見かけるキャスターとの一問一答形式のインタビューを受け、そして午後2時からの報道特別番組に漕ぎ着けることに成功したのだ。


「今頃は他局の主調整室ではパニック状態ですよ」


 と船守は愉快そうに応じた。パニック状態…、それは大塚学院にも当て嵌まった。


 午後2時半になろうかという時には既に大塚学院の電話回線はパンク寸前であった。湊テレビが報じた報道特別番組における体罰映像の視聴者からの抗議電話であった。電話の内容はいずれも神聖なる学校現場において教師が事もあろうに部員を煽動して一人の生徒を袋叩きにするとは何事か、という至極尤もな意見であった。至極尤もな意見であるために反論さえ許されず、応対に当たった教師たちは受話器を耳に当てながら平身低頭するより他に術はなかった。


 そして校門前にはマスコミ陣が殺到していた。昨日は校門前に集まったマスメディアは中央新聞と中央テレビの2社だけだったので黙殺戦法も可能であったが今の状況ではそれも許されなかった。校門を開けろ、記者会見をしろと、校門前に殺到したマスコミ陣からそんな大合唱が聞かれた。守衛は校内に立ち入らせまいとして校門で目を光らせていたがそれもそろそろ限界に近付きつつあった。それから間もなく、パトカーが出動する騒ぎとなった。どうやらこの騒ぎが近所の住民の耳にまで達したようで、騒ぎを聞きつけた住民からの通報が警察に寄せられたらしくパトカーが出動するに至ったのだ。


「理事長…」


 今、保科は理事長室で内藤と向き合っていた。


「記者会見を開くべきかと…」


 保科はそう進言した。


「記者会見だと?今、記者会見を開いてどうしろと言うんだ。まだ何も準備出来ていないんだぞ?そんな状況で記者会見なんか開いてみろ。記者から突っ込まれて惨憺たることになりはせんか?」


「ですがこのまま校門前に集まっておりますマスコミ陣を放置しておくわけにもまいりますまい」


「あれは警察が追い払ったんじゃないのか?」


「近所の住人に迷惑にならぬよう、注意はして頂きましたが警察に出来るのはそこまでです。別に集会ではありませんから警察に解散命令を出す権限はありません」


「それじゃあ…」


「先程、所轄警察署であります巣鴨警察署から連絡がございまして、早急に記者会見を開かれた方が良い、との勧告を受けまして…」


「勧告だと?何を馬鹿な…。相手が違うだろうに。勧告すべきはあの、校門前に集まっている蛆虫どもじゃないのかね?さっさと退去しろ、とな」


「確かにその通りではございますが、何せ状況はこちら側にとって圧倒的に不利でして…」


「状況…」


「ええ。何しろ体罰シーンが電波に乗りましてそれこそ、全国津々浦々のテレビ画面に流れてしまいましたから…」


「非はこちらにある、そう言いたいのか?」


「はっきりと申し上げるなら、そういうことでございます」


「何が体罰だ…。どこの学校でも良くある話だろうに…」


「確かにただの体罰ならばそうかもしれませんが…、あの体罰は他の体罰とは訳が違います。何せ剣道部の顧問である浅野先生が剣道部員を煽動して吉良士郎に対して暴力を振るうように唆す映像ですから…。あれは最早、体罰のレベルを超えています。立派な犯罪だと…」


「おい、学園長である君がそんなことを言うなよ。犯罪だなんて…」


「申し訳ありません。ですがこれは私一人の意見ではなく…」


「なに?」


「先程、巣鴨警察署から連絡がありましたことは既にご報告申し上げましたが…」


「ああ。記者会見を開けとのとんでもない電話勧告だったな」


「ええ。ですがもう一つ、とんでもない連絡事項がありまして…」


「もう一つのとんでもない連絡事項だと?」


「はい」


「巣鴨警察署はこの上、どんな馬鹿げたことを言い出したと言うんだ?」


「例の体罰シーンですが、部員を唆して吉良士郎に暴行を加えるように命じた教諭…、浅野先生のことですが、浅野先生を傷害容疑で告発された方が良い、との勧告を受けまして…」


「馬鹿な…」


「私も同感です。ですが警察が申しますにはこのまま放置されるようであれば警察としては独自に動かざるを得ない、と…」


「独自に動く、だと?」


「ええ」


「それはつまり…」


「独自捜査、という意味です」


「事件化するつもりかっ!?」


「警察はそのつもりのようです」


「馬鹿なっ!一体、何のために月々、決して安くはない額の用心棒代を与えてやっていると思っているんだっ!」


 用心棒代…、大塚学院では柔道指導のために警察OBを雇い入れ、更には防犯教室なる名目で授業を受け持つ巣鴨警察署の生活安全課にも月々、少なくない額のお手当を支払っていた。その他にもビール券やら着物の仕立券やらを巣鴨警察署の署長や副署長、刑事課長や地域課長にまでばら撒くことでその代わりとして生徒の不祥事…、コンビニでの万引き事犯等に目を瞑ってもらっていたのだ。


「理事長の仰ることはごもっともではございますが、体罰の映像が全国ネットに流れてしまった以上は最早…」


「庇いきれない、そういうことか?」


「はい」


「それなら今直ぐに有無を言わさずに浅野に辞表を出させる、だからそれで…」


「幕引きを図る、と?」


「そうだ」


「確かにあの体罰シーンがテレビに流れる前でしたらそのカードも有効でしたでしょうが、今となっては逆効果です」


「逆効果だと?」


「はい。今、浅野先生に辞表を出させたりすればそれこそ疑惑隠し、トカゲの尻尾きり、とマスメディアは勿論のこと世論からも非難の十字砲火を浴びることにもなりかねません」


「それじゃあどうすれば良いんだっ!」


「ともかく、今は一刻も早く記者会見を開くべきかと存じ上げます」


「私が矢面に立たされるのかっ!?」


 やはりそれを心配していたのか、保科は内心、失笑した。


「理事長ですから…。何よりマスメディアも理事長の記者会見を要求しております」


「だが俺一人だけで記者会見をこなす自信はないな…。それなら俺の補佐として君も出席してくれたまえ」


「えっ?私がですか?」


 思わぬ展開に保科は声が裏返った。


「当たり前だろうが。最高責任者というのならば学園長である君は教育現場における最高責任者なのだからな、教師や生徒と触れ合う時間は経営者に過ぎないこの私よりも遥かに多い筈だ」


 それだけ俺よりも責任があるのだぞ…、内藤は暗にそう仄めかした。


 一方、保科としては記者会見を開くべしと内藤に進言した手前、自分は記者会見に出たくないとは言えず、


「分かりました」


 と心中、ほぞを嚙みながらそう答えた。


「それから記者会見用の原稿、それに想定問答集も作っておいてくれたまえ」


 さも当然の如く命じる内藤に対して保科は内心、この馬鹿野郎と、内藤に罵声を浴びせつつも、「承知しました」とどこぞの家政婦のようなセリフを口にした。


 報道特別番組も終わり、湊テレビの主調整室で報道特別番組を視聴し終えた士郎は、「それじゃあ」と船守に挨拶してから主調整室を出ようとした時のことである。船守の携帯電話が鳴った。船守は、失礼、と断ってから携帯電話に出て電話の相手と会話を始め、徐々に興奮を帯びる様子が窺えた。船守が携帯電話をポケットにしまうと、


「たった今、大塚学院に向かった取材班からなんですが、大塚学院は記者会見を行うようです」


 と興奮した面持ちでそう教えてくれた。


「記者会見を?」


「ええ。午後3時半から記者会見を行う予定だそうです」


「記者会見には誰が?」


「取材班からの情報によると理事長、学園長、副学園長の三人だそうです」


「それは釈明会見、ということですか?」


「勿論です」


「記者会見には湊テレビの取材クルーの他にはどこの社が?」


 それは士郎が一番気になるところであった。多ければ多いほど良い。


「それはもう全テレビ局に新聞社、それに通信社にNHKの取材班まで…」


 士郎は内心、唸り声を上げた。


「さしずめ大塚学院の校門前に殺到した…、そんなところですか?」


「ええ。お陰でパトカーの出動騒ぎまであったそうですよ」


「そうですか…」


 士郎はくっくっ、と笑い声を上げた。そんな士郎の笑い声に船守は怪訝な表情を浮かべ、「何が可笑しいんですか?」と尋ねてきた。


「いや…、ここまで事態が大きくなった以上は最早、俺を切り捨てることは不可能になった…、それを思うと愉快でね…」


「切り捨てる?」


 士郎は頷いた。


「それはどういう…」


「中央新聞と中央テレビが報じた喫煙疑惑、浅野が俺に喫煙の濡れ衣を着せた一件、それが中央新聞と中央テレビの2社だけの報道に止まっていれば、その間に浅野に辞表を出させて幕引きを図り、そして時を置いてから俺も中央新聞にリークした裏切者として退学処分にでもする腹積もりだったんでしょうが、それも今となっては無効になった、ってことですよ」


「まさか…」


「いや、恐らく理事長も学園長もそう考えていた筈ですよ。それはテレビ関係者のあなたなら覚えがある筈だ」


 士郎はそう言うと、それは正しく図星だったらしく船守は黙り込んでしまい、士郎の顔をジッと見詰め、やがて、


「もしかしてうちに体罰映像をリークして事を荒立てたのはそのためですか?」


 そう尋ねたので、士郎は微笑んでみせた。


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