第9話 リーク 2
「それにしてもICレコーダーのインパクトはデカかったな…」
士郎はニヤリと笑った。中央テレビのニュースの中で体育館での生々しいやり取りが流された。勿論、プライバシーに配慮して、一部、音声が加工されていたが、それでもほぼそのまま流されたのであった。まず浅野が士郎や図書部の部員に対して喫煙しているのではいかと詰問する様子、次にDNA鑑定の結果、士郎や図書部の部員が潔白であることが証明された様子、そして最後の止めとしてその問題のタバコの吸い口に付着していた唾液から検出されたDNAが浅野と浅野が顧問を務める剣道部の部員のそれと一致し、浅野が醜態を晒す様子…、それらが番組の中で生々しく再生されたのだ。このインパクトは相当にデカい。
「さてと…、次の段階に進むとするか…」
士郎はそう思い立つと、テレビを消してソファから立ち上がると、自分の部屋に引き上げた。
士郎は自室に入ると、ドアを固く閉じた。幸いにも母親は台所で未だに夕食の後片付けをしていた。水を流す音や、食器を片付ける音が聞こえた。士郎にとっては幸いであった。
士郎はそれからすぐにノートパソコンを開いて電源を入れ、インターネットに接続すると、ポータルサイトで湊テレビと検索し、そして湊テレビ局のホームページに入った。そのサイトのインターネットサイトの情報提供コーナーに体罰映像を提供したいと、士郎は自分のメールアドレスを添えて送信した。体罰映像、というキャッチコピーに惹かれたのか湊テレビ局の反応は素早かった。その数分後には士郎のメールアドレス宛てに返信があった。その間、母親が風呂に入った。
『詳しい情報を伺いたいのでもし宜しければお名前を…』
元より、士郎としては最初から身元を明かすつもりであったので直ぐに自分の住所氏名と携帯電話の番号、更には通っている高校名を打ち込んで再び送信した。するとそれから数分、いや、数十秒後に士郎の携帯電話の番号に着信が入った。
「もしもし」
『きら…、しろうさんですか?』
番組スタッフらしき男の声が聞こえた。声に若干、懐疑の色が混じっているのは未だに士郎の情報提供の信憑性について図りかねているところがあるからに相違なかった。もしかしたらタチの悪い悪戯かもしれない、そう思っているのかも知れなかった。
「はい。如何にも俺が吉良士郎です」
『それでは先程の情報提供は…』
「勿論、嘘や冗談ではありませんよ」
『そうですか…』
聞こえてくる男の声が柔らかくなった。信憑性のある、極めて角度の高い情報、男はそう判断したのかも知れなかった。
『詳しいお話をお聞かせ願えますか?』
番組スタッフらしき男は電話の声から察するに士郎よりも遥かに年嵩であったが、若造の士郎に対して馬鹿がつくほどの丁寧語でもって応対した。それだけスクープに飢えている証拠かも知れなかった。
「それは構いませんが、あなたのお名前をお聞かせ下さるとありがたいのですがね…」
『あっ…、これは大変、失礼致しました。私は番組プロデューサーの船守と申します』
「ふなもりさん、ね」
『はい。それで先程の話の続きですが…』
「そうでしたね、詳しい話でしたね。先程もメールした通り、俺は大塚学院に通う高校一年生です」
『体罰映像を提供したい、とのことですが…』
「ええ、俺が剣道場で受けた体罰の映像です」
『剣道場…、それでは…』
「ええ。ご想像の通りですよ。俺に体罰を振るったのは剣道部の顧問で浅野又郎という男です」
『あさの、またお、ですか」
「そうです」
『それでその時の映像を?』
「ええ。剣道場の神棚に小型カメラを設置しておいたんですよ」
『設置しておいた…、それはあらかじめ、という意味ですか?』
船守が疑問に思うのも当然であった。まるで体罰を予期していたかのようである。
「ええ」
『それはつまり剣道部で常習的に体罰が行われていたために、部員であるあなたが証拠を押さえるべく、神棚に小型カメラを設置したと、そういうことですね?』
普通はそう考えるものだろう。だが実際には違う。
「いや、それが少し違うんですよね」
『違う?』
「俺は生憎と、剣道部の部員ではないんですよ」
『それなら一体…』
「少し話が長くなりますが、構いませんか?」
『ええ、勿論です』
それから士郎はなぜ浅野に体罰を受けることになったのか、その経緯を要領よく説明した。
『なるほど…、そういう事情から、呼び出された剣道場で体罰を受けるのではないかと、そう予期されて、剣道場の神棚に小型カメラを設置したというわけですか…』
船守は話を聞き終えるなり、そう応えた。
「その通りです」
『それでその映像には浅野教諭による体罰シーンが収められている、というわけですね?』
「ええ。いや…、正確には浅野教諭たち、と言うべきでしょうね」
『浅野教諭たち?』
「俺に体罰、いや、この場合は体罰ではなく暴力と呼ぶべきなのかも知れませんが…、それはともかく、俺をボコボコにしたのは浅野教諭とそれに浅野教諭に唆された部員たちなんですよ」
『何ですってっ!?』
船守は素っ頓狂な声を張り上げた。それが当然の反応であった。
『部員、とは勿論、剣道部員、という意味ですよね?』
「ええ」
『つまり浅野教諭は自分が顧問を務める剣道部の部員に吉良さんをボコボコにするように唆した、ということですか?』
「その通りです」
士郎がそう答えると暫し、間が空いた。電話の向こうにいる船守が絶句する様子が手に取るように分かった。
『…ところでどうして体罰を告発されようと思い立ったのですか?』
「まず個人的な恨み」
『体罰を振るわれたことに対する?』
「ええ」
『他には?』
「このまま体罰の事実が闇に葬り去られることに対する憤り、まあこれも恨みの部類に入るのかもしれませんが…」
『そうですか…。ところで大塚学院の生徒さんということですが…』
船守は今になって漸く気付いた様子であった。
「ええ。如何にも俺は大塚学院の生徒で、あなたが想像しておられる通り、喫煙の濡れ衣を着せられた人間ですよ」
『それじゃあ中央新聞にリークしたのは…』
「俺です」
『中央新聞、それから中央テレビの報道によると高校教師が剣道部員をけしかけて、その教諭と剣道部員にタバコを吸わせてそのタバコの吸殻を図書室のゴミ箱に捨て、そして図書部の部員でもあるあなたが如何にも喫煙したように見せかけた…、とのことですが…』
「それも浅野一党の仕業ですよ」
『何と…』
船守は絶句した。呆れてモノが言えない、そんな風情であった。
『ところでどうして湊テレビに情報提供を?』
「既に中央新聞にリークしたから、というのがその理由ですよ」
『えっ?』
「中央新聞に喫煙の濡れ衣の情報提供をした、当然、中央新聞とそれに中央新聞とは系列である中央テレビはその喫煙の件に関して繰り返し報道してくれていますが、あなたのところの湊テレビを始めとする他のマスメディアは当然、黙殺です」
『いえ、決して黙殺などということは…』
言い訳しようとする船守を士郎は制した。
「分かっています。他局のスクープを後追いするのはあなた方、報道マンにとっては不本意でしょうし、何よりも報道マンとしてのプライドが許さない、だから黙殺を決め込んでいる、そんなところでしょう?」
士郎は船守にそう水を向けてみたものの、船守からの返答は聞かれなかったので先を続けることにした。
「しかも中央新聞と中央テレビが左派系マスメディアの雄であるのに対してあなた方、湊テレビとそれに系列である湊新聞はそれとは正反対の、右派系マスメディアの雄で、教師の体罰に関しては基本的には容認しておられる論調だ」
『いえ、決して容認しているわけでは…』
「おや?そうですかな?俺の家では湊新聞を購読しているんだが、社説欄で体罰は必要であり、教師に裁量権を与えるべし、との社説を読んだ記憶があるんですがねぇ。また湊テレビにしても平日の午後5時台の報道番組における特集コーナーで引きこもりを暴力でもって解決する引きこもり解決請負人なんて特集を度々、放映されているでしょう?」
またしても船守から答えは聞かれなかった。
「そんな湊テレビに体罰映像を提供することに意義があるんですよ。あの教師の体罰を容認している筈の右派系マスメディアの雄である湊テレビが体罰告発の報道をした、それも体罰を振るっている生々しい映像を流した、となれば他のマスメディア、例えば湊テレビ及び湊新聞よりは穏健な中道右派系の新橋テレビ及び新橋新聞も、俺に体罰を振るった浅野と、それから体罰を放置した大塚学院に対する責任追及の戦列に加わらざるを得ないでしょうし、そうなれば中道左派系の竹橋テレビ及び竹橋新聞、それからやはり左派系の汐留通信と日比谷通信の両通信社も言うに及ばず、当然、その動きに追随することでしょう」
『…事を荒立てたい、ということですか?』
「そういうことです。いけませんか?」
『いえ…』
そう口篭る船守だった。事を荒立てようとする士郎に対して不信、懐疑、といった感情を抱いているのは明らかであった。
「まあ、事を荒立てたい、という俺の動機が気に入らない、というのであればこのお話はなかったということで…」
『えっ!?』
「マスメディアはここだけではない、ということですよ」
他にもスクープ映像…、それもただの体罰映像ではなく、教諭が部員を扇動して一人の生徒にリンチを加えるという、そんな年に、いや、一生に一度あるかないかというスクープ映像を欲しがるマスメディアは他にもある…、士郎がそう匂わせた途端、『待って下さいっ!』という船守の大声が聞こえた。
「何でしょうか?」
士郎は努めて冷たい声で返事をした。
『是非ともうちでやらせて下さい』
船守は報道マンとしての己の信念よりも視聴率を優先させたのはこれまた明らかであった。
「良いでしょう。但し条件があります」
『条件…、もしかして、謝礼のことですか?』
船守は声を潜ませた。この手の要求を受けることが多いのであろう。士郎はそれを一笑に付した。
『まさか。お金は要りませんよ。どこぞの連続殺人犯じゃあるまいし…、それにお金を受け取っていたことが明らかになれば報道に対して疑義が生じるでしょうからね。そうなれば喜ぶのは大塚学院と、それに浅野ぐらいのものだ」
『そう仰って頂けるとありがたいですな。それで条件とは?』
「明日のトップニュースで扱って欲しいんですよ」
『トップニュース、ですか?』
「駄目ですか?」
『いえ、駄目というわけではありませんが、しかし、明日は…、今日もそうなんですが、土日は基本的にニュース番組は午後5時30分スタートでして…』
「別にそれでも構いませんけど?」
『いえ、うちとしてはもっと早い時間にその体罰映像をニュースとして流したいと思いまして…』
どうやら士郎が他局に持ち込むのではないか、あるいは他局に勘付かれるのではないか、それを恐れている様子であった。
「別に俺は他局に持ち込んだりはしませんから安心して下さいよ」
士郎がそう言うと、船守のくぐもった笑いが聞こえた。
『まぁ、それでもやはりうちとしてはなるべく早い時間に流したい』
「でもニュース番組は午後5時台なんでしょう?」
『報道特別番組として流します』
「報道特別番組…」
随分と話が大袈裟になってきたな…、士郎はそう思った。
『ええ』
「でも、報道特別番組ともなれば、通常番組が一つ、潰れることになるんじゃないんですか?そうなればスポンサーもいい顔をしないのでは…」
大袈裟な話になってきたので、士郎はつい腰が引けた態度を取ってしまった。
『それは通常番組よりも数字が取れなかった場合の話でして…』
船守はそう答えた。
「つまり…、俺の体罰映像には通常の番組よりも数字…、視聴率を稼ぎ出せるだけのモノであると?」
『少なくとも私はそう考えております。何しろ独占スクープですからね』
船守はあっさりと答えた。
「でも果たして上層部は…」
果たして船守の一存で決められることなのか…、士郎はそう示唆した。すると船守もそうと気付いたらしく、『これだけのネタなら上層部を説得できます』と断言してみせた。それで士郎も漸く覚悟を決めた。
「分かりました。それで具体的には何時頃を…」
『午後2時台を考えています』
「午後2時…」
ノンフィクション番組だったな…、士郎はふとそう思った。それなら体罰映像も立派なノンフィクションと言えた。
『その際には是非ともインタビューに応じて頂きたい』
「俺の?」
『そうです。勿論、吉良さんと分からないように画像処理しますので…』
「大塚学院の関係者には俺だと分かるでしょうがね」
『それはそうでしょうが、しかし体罰映像を告発される段階でそれは承知の上では?』
「確かにね。それで俺のインタビューと共に体罰映像を流してくださるわけですね?」
『そういうことです。あなたのインタビュー映像があれば体罰映像の迫真性や信憑性が増しますから』
「なるほど。そういうことでしたら喜んでインタビューに応じましょう」
『ありがとうございます。それで収録ですが、明日、午前8時に台場にある局までお越しを願えますか?』
「午前8時、ですね」
『はい。その際には身分証…、学生証で結構ですので、それと肝心要の体罰映像を収めてあります小型カメラも…』
「分かりました。必ずや忘れずに持参いたします」
『お願いします。受付でお名前を仰って頂ければ話が通るように取り計らっておきますから』
「了解」
士郎は電話を切った。それと時を同じくして、母親が風呂から出た。
ちょうどその頃、照雄は豊島区内にある浅野の自宅マンションを訪れた。思わぬ訪問者に浅野は驚いたものの、それでも追い返すことなく招じ入れ、リビングで相対した。
「一体、何のようだ…、俺を慰めにきてくれたのか…、それとも意趣返しにでも来たか…」
そう尋ねる浅野の吐く息は酒臭かった。
「実は浅野先生にお尋ねしたいことがありまして…」
「何だ?」
「単刀直入に伺いますが、浅野先生は例の喫煙に関しては無実ですか?」
「なに?」
「ですから、吉良たち図書部の部員に喫煙の濡れ衣など着せてはいないか、それを尋ねているんです」
「俺はやってねぇよ…」
浅野は弱々しく答えた。初めて目にする姿であった。
「分かりました」
「何が分かったんだ?」
「浅野先生が無実だということが…」
「おいおい…、もしかしたら俺が嘘をついているのかも知れねぇんだぞ?そんなに簡単に信じて、それでジャーナリストの卵って言えるのか?」
浅野はからかうように尋ねた。自分がジャーナリスト志望であることを浅野が知っていたとは、照雄は少しだけ浅野を見直した。
「その時は自分には人を見る眼がなかったということですよ」
そう切り返す照雄のことを浅野はジッと見つめ、そして、「俺はマジでやってねぇ」と繰り返した。前より眼に真剣みが増した。
「分かりました。それでは浅野先生が無実だとして、しかし、DNA鑑定の結果、図書室のゴミ箱に棄てられていた10本のタバコの吸い殻のうち1本の吸い殻の吸い口に付着していた唾液のDNAが先生のそれと一致した…、これをどう考えられますか?」
「どう考えるって…」
「考えられるとしたら浅野先生のタバコの吸い殻を誰か…、はっきり申し上げますが、吉良が拾い、それをゴミ箱に棄てた…」
照雄がその可能性を示唆した際、「あっ」と浅野は声を上げた。
「どうかされましたか?」
「いや…、その可能性ならあるなって…」
「吉良が浅野先生のタバコの吸い殻を拾った可能性、ですね?」
「ああ…」
「それは一体、どこで?職員室にでも忍び込んでは、浅野先生のデスクの灰皿から回収したとでも?」
「いや…、そういう話じゃねぇんだ…」
浅野はどうにも歯切れが悪かった。
「それでは一体、どういうことですか?」
語気を強めて尋ねる照雄に対して、浅野はこれ以上は逃げられないとばかり、「実は…」と切り出すと、士郎が自分のタバコの吸い殻を拾った可能性…、剣道場にタバコをポイ捨てし、それを士郎に処理させたこと照雄に打ち明けた。照雄もさすがに呆れた様子であった。
「そんなことをさせたんですか…」
「いや、申し訳ない…」
謝るべき相手が違うだろう…、照雄はそう思ったが、今は浅野を追及したいわけではないことに気付き、その言葉を飲み込んだ。
「問題は、浅野先生の他にも9人の剣道部員のDNA型までが検出されたということです。残る9本のタバコの吸い殻の吸い口に付着していたDNA型が…」
「それは俺もずっと疑問に思っていたんだ…」
「まさか、吉良の前で9人の部員にもタバコを吸わせたわけじゃないですよね?」
「まさかっ、いくらなんでもそこまでは…」
「そこまでは?」
「あっ、いや…」
浅野は失言したと思ったらしく、口を閉ざした。
「先生、何もかも正直に仰って頂かないことには、先生と、それに9人の部員の無実を証明することはできませんよ?」
照雄は諭すように言った。すると浅野も観念したようで、やはり「実は…」と切り出すと、9人の部員に唾を吐かせたことを打ち明けたのであった。
「ピッカピカに磨き上げた床にタバコだけでなく、唾まで吐けば、あの野郎…、いや、吉良に相当のダメージを与えられるに違いねぇって…」
こいつは本当に教師なのか…、照雄は心底からそう思った。先ほど、浅野を追及したいわけではないと、再認識したばかりであったが、それでもそう思わずにはいられなかった。
それでも照雄は浅野を責めたい欲求を必死で抑え込んだ。浅野の今の言葉の中に気になるところがあったからだ。
「ピッカピカに磨き上げた床…」
「ああ。洗剤でピッカピカに磨き上げた床にタバコや唾やらを落とせば吉良にダメージを…」
そう繰り返す浅野に対して、照雄は「浅野先生」と遮った。
「何だ?」
「その洗剤ですが、何という洗剤ですか?」
「何というって…」
「どのような成分の洗剤ですか?」
「いや…、いきなりそんなことを言われても…」
浅野に分かるわけがなかったと、照雄は自分の迂闊さを呪った。それでもある可能性が見えたことは事実であった。
「浅野先生、もしかして無実を証明できるかも知れませんよ」
「なにっ!?それは本当かっ!」
「ええ。無論、それで吉良に対する暴行傷害がチャラになるわけではありませんが…、部員も含めて、ですが」
照雄はそう釘を刺した。
「分かってる。で、一体、どうやって無実を証明できると言うんだ?」
浅野は身を乗り出すようにして尋ねた。
「それには浅野先生の協力が必要ですが…」
「どんな協力でも惜しまねぇよ」
だからさっさと教えろと、そう言わんばかりの勢いであった。
それから照雄と浅野の話は午後6時にまで及んだ。
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