登山 エッセイ集

祖谷 隆

第1話 ヒマラヤ カトマンドゥ


 ”Delayed”

 その言葉が告げられた瞬間、ある種の一体感に包まれた待合室から一斉に溜息が上がる。ある人は諦めたような顔で、ある人は苛立ちを隠そうとせずに。

 

 ネパール首都カトマンドゥ、早朝。

 国際線から少し離れた位置にある国内線ロビーの待合室に私は一人佇んでいた。

 タイル張りの床はいく年の汚れが降り積もり黒くくすんでおり、その上には大きなリュックが所狭しと並んでいる。大きなガラス窓からは、小型の飛行機が立ち並んだ滑走路と、未だ明けきらないカトマンドゥの空が見える。手すりにはうっすらと土ぼこりが降り積もっている。蛍光灯は点灯していない。


 待合室にいる人種は様々だ。

 ヨーロッパ系のポニーテールをした金髪の女性が、航空会社のカウンターにかじりついて怒鳴っている。航空券が印刷された紙を振りかざし、ジェスチャを交えながら職員を問い詰めている。職員は困ったように上司の指示を仰ぐ具ために後ろを振り向くが、そこには誰もいない。おそらく皆がバックヤードで駆けずり回っているのだろう。他のメンバーはもうすでに諦めきった表情だ。

「昨日も一昨日も飛ばなかったのよ!?」

 女性は言葉を繰り出すがもう誰も真剣に聞いていない。職員も力なくうなずくだけだ。

 中国人だろうか、アジア系の老人のグループが端っこに座っている。リーダー格の赤いジャンバーを羽織った老人が前に立ち、今後の計画表を指差しながら大声で話している。原色のジャンバーを羽織った老人の集団が一斉にうなづいている。軍隊のように規律のとれた集団であったが、年老いた姿との差にもの悲しさを覚える。

 ネパール人は自由に振舞っている。彼らにとって欠航など取るに足らない日常の一コマなのだろう、タバコを吸ったり談笑したりと思い思いの行動をとっている。大半がビーサンを履き、その脚は硬い地面で鍛えられているのか隆起している。

 周りを見渡しても一人ポツネンと佇んでいる人間は意外とおらず、そのことが少々疎外感を感じさせた。


 エベレストを擁するヒマラヤ・クーンブ山群の玄関口であるルクラ、多くの旅行者が押し寄せる村である。ここへ行くに空路を取らないとなれば、カトマンドゥからバスに1日揺られ続け徒歩で5日。大抵の旅行者は時間を短縮するために空路を選ぶ。

 しかし飛行場も山深いところに位置しており、今日のように欠航なんてことはざらにある。運が良ければ1日、悪ければ1週間、今日は少し悪くて3日目。

 ルクラの村から富士山近い標高にあるナムチェという村まではおよそ2日。そしてここから、エベレストを望む展望台として名高いカラ・パタール(5545m)やゴーキョピーク(5360m)へは更に4日程度かかる。カラ・パタールからエベレストのベースキャンプ(EBC, 5364m)まではほんの一息だ。

 道のりは大して厳しくはないものの、標高が高いために高度順応が非常に重要となってくる。ネパール西部のアンナプルナ山域を並びヒマラヤトレッキングの中でも主要なコースのうちの一つであるため、山小屋もある程度は整備されおり、緊急時にはヘリコプターなども使用できる。

 クーンブには世界最高峰のエベレスト(8848m)を始め、4位のローチェ(8516m)、5位のマカルー(8463m)と近くには名だたる高峰がそびえ立っている。これらを制覇するために世界中からクライマーが押し寄せ、それを支援するシェルパという職がこの地方の貴重な収入源となった。

 それと同時に最近はこれらの峰々を望むために世界中から人々が押し寄せており、それをサポートするネパール人ガイド、お土産を売る人々など、ネパールの観光行政・外貨獲得に大きく寄与している。


 仕事がひと段落し久方ぶりの空白区間を手に入れ、ネパールの航空券をとったのが3月。せっかくだからとEBCまでのトレッキングの計画を立てたのであった。といってもいつまでも休めるわけではない。限られた日程でEBCまで行くには非常にタイトなスケジュールになってしまっていた。前日の最終便でカトマンドゥに到着し、早朝の第一便でルクラに飛ぶためにまだ暗いうちから宿を出て空港に向かったのである。

 だからこそ、この欠航は非常に厳しいものだった。

 1日遅れればEBCまでいくには高度順応をせずに向かわなければならない。単独で行動する私にとっては非常にリスキーな選択だ。いや、1日で収まってくれればいい。これが2日、3日と続いてしまったら…。ポニーテールの女性が言うには今日は欠航3日目だ。この先天候が回復してくれる保証などどこにもない。そうなればトレッキング自体が白紙になってしまう。

 独り座っている中で、焦燥感だけが自分の身に襲いかかって来る。何もできることはない。

 背後では国際便が離着陸を始めている。


 喧騒が突然止んだ。

 ヨーロッパ系のグループはお互いに肩を叩き合い、前に注目するように促している。赤いジャンバーの中国人がおしゃべりをしていたお婆さん2人組を、声ともつかない威嚇するような音で嗜めた。皆が突然話し声が止んだことに気づき一斉に前を向く。

 バックヤードから責任者が出て来た。皆が固唾を飲んで見守る。

「カトマンドゥは快晴だが、ルクラは濃霧とのことである。回復する見込みはないため正午までは欠航、その後天候を見極めて判断する。正午までは欠航!」

 それだけ一気に話すと怒声が上がるより早く彼は後ろに引っ込み、急いで後を追うように職員もバックヤードへと下がっていく。無人のカウンターだけが残された。

 大声で文句を言う者もいたがぶつける相手がいない。だんだんと尻すぼみになり、肩をすくめたと思ったら荷物を投げつけ座り込んでしまった。


 待合室を出て大きくため息をついた。

 どこかのグループのネパール人ガイドだろうか、細身の壮年男性が「いつかは飛ぶさ」と笑いかけてきた。「その通りだね」と返し共にタバコを吸う。心にゆっくりと紫煙が混じっていく。

 彼と少々話した後、私は一度市街地に出て朝飯を食べることにした。空港のそばまで適当に歩けば何かしら食べることはできる、という彼の言葉を思い出しゆっくりと歩き出した。

 カトマンドゥの街並みは東南アジアのそれを思い起こさせる。いや、東南アジアよりもそれらしい、と言うべきか。高層ビルの立ち並んで行くバンコクやクアラルンプールの光景は、もはや日本のそれと変わらないようにすら思える。カトマンドゥはその点、未だ色濃くアジアの雰囲気を見に纏っている。路地にはバザールが立ち、昼間ともなると活気と喧騒にあふれている。道路の舗装は無いも同じで、たまに姿を表す大きな水溜りには注意しなければならない。

 街のあちこちにヒンドゥーの神々が祀られ人々が祈りを捧げて行く。広場や高台に行けば仏塔が聳え、マニ車が回りタルチェがはためく。老人が小さな祠にお供え物を用意している。何かを燃やす匂いが鼻を刺激する。


 路地の端にある食堂に踏み入れ、食事を頼む。

「トレッキングかい?」

 モモと呼ばれる水餃子のようなチベット料理を食べていると、カウンターの後ろに座った50歳前後の女性に話しかけられた。

「ああそうだ。ただ、国内便は欠航だと言われてしまったよ」

 そう私が返すと、彼女はおもむろにこちらの方に近づいて来る。足を悪くしているのだろうか、右膝が曲がりきっておらず引きずっている。肌は綺麗だが間違いなくこれまでの労苦がその皺に刻まれている。

 彼女は私の肩を叩き窓の向こうを指差す。

 磨き上げられたガラス窓の遠く向こうのほんの一画に、白く染まった山々が微かに見える。朝の光を浴びて純白のベールが煌めいて見える。

 彼女が口角を上げ優しげに笑いかけてくる。その見た目に反して肩に置かれた手は堂々と力強いものであった。

 別に今日飛ばなくても良いではないか。何とは無しにそう思えた。


 山の端が明るくなり、もうしばらく経った。日の光は峰々だけを照らすのを止め、街中を照らし始める。車が、人々が動き出し、土埃を舞い上げる。遠くでゴミを燃やす煙が上がる。ゆっくりと青空が霞み、遠く向こうの白い峰々は姿を消す。

 カトマンドゥの朝が始まる。

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