学院の落ちこぼれ3
「あれは僕が――」
何でもない事みたいに話そうとして、失敗した。
僕の過去なんて大した話ではない。もっと過酷な使命やらなんやらを背負っている人はいるだろう。少なくとも、この学院においては平凡とさえ言える。
しかし、僕だけはそれを笑い飛ばしたりはできないのだ。
「っごめん、あんまりこういうの慣れてなくて」
「大丈夫ですよ」
僕は秋月さんと本気で仲良くなりたい。
だから、ちゃんと伝えなきゃいけない。
「じゃあ、もう一回。あれは僕が――」
§
僕、柏木ヒロは平凡な一般人だった。
魔術や魔法なんて存在するとは露知らず、平凡な日常を生きる普通の子供だった。
いや、平凡というのは少し違うかもしれない。当時の僕は不登校で引き篭もりで。小学校をいつ卒業したのかも知らなければ、自分がどの中学に入ったのかも知らなかった。そもそも本当に中学生だったのかも怪しい。
毎日締め切った部屋でパソコンの前に齧り付き、インターネットの掲示板で見知らぬ誰かに噛み付くだけの生活。まさしく駄目人間の鑑だった。
家族や親戚はそんな僕を心配してくれた。
それは素直に嬉しいことなのだけど、当時の僕は今よりもっと性根が曲がっていた。
『みんな口だけいい事を言って、裏ではどうせ俺なんか居なくなればいいと思っているんだ!』
そんな事を本気で思っていたのは、思い返すだけでも恥ずかしい過去だ。もしも人生をやり直せるとしたら、家族にこれでもかと謝るだろう。
今となっては取り返しのつかない話。
もはや謝りも怒りも、それどころか会う事すらできないのだから。
とにかく、そうしてろくでもない生活をしていたある日、家族が旅行するという事を聞かされた。それを理由に「部屋から出て」一緒に行こうとも誘われる。
『ねえ、お兄ちゃんも一緒に行こう?』
『ヒロも好きな温泉だ』
『久しぶりに家族でゆっくり――』
『行かねえよっ!』
『――そう、そうよね。ごめんね、お母さん勝手に盛り上がっちゃって』
僕は家族に散々酷い事を言って、部屋の前から追い払った。
家族はそのまま旅行へ行った。
そして、二度と帰ってはこなかった。
一週間、二週間と経っても帰らない家族。
季節は五月の終わり。
旅行に行ったのは大型連休の始めだったから、いくら何でも遅すぎる。
流石の僕も不審に思い、色々と調べ始めた。家に残されたパンフレットやらなんやらを漁り旅行先の検討をつけたり、ここ最近の事故の記録を探したり、出来る事は何でもやった。
家族がパスポートを取得した形跡はないから、行き先は国内に限定される。温泉の話が出たから、近くに温泉がある旅館かホテルを予約したはず。当てはまる宿泊施設へ白み潰しに電話をした結果、柏木も親戚の名前の客も、連休中には泊まっていないという事だけが分かった。
事故の記録も、電車が停電で少し止まった程度で、一家が犠牲になるようなものは無かった。
引き篭もりの僕に嫌気がさしてどこかへ消えた?
いや、ローンもして買った家を放置するなんて考え辛い。
散々悩んだ挙げ句、僕は警察に相談する事にした。近所の交番でお巡りさんに声をかけ、そのまま近くの警察署に案内され、そこでとんでもない事を聞かされる。
『えー、柏木君だっけ? 申し訳ないんだけど、いないんだよね、そんな人達』
スーツを着た警官から、柏木という家族がこの町には存在しない事、柏木ヒロという人物の戸籍もない事、そんな訳の分からない説明をされた。
直ぐには意味が分からなかった。
『そんなわけないだろっ!』
『なんだ君、偽名なんて名乗ってきた上にその態度は舐めているのか!?』
『ふざけんな!』
僕はその警官と口論になり、そのまま勢いで警察署を飛び出した。すっかり衰えた身体にむち打ち家に向かって走り、その道中で倒れ込んだ。今まで数年間も部屋にこもりきりだったのに、急に走ったりしたら貧血にもなる。
こめかみを押しながら立ち上がると、定まらない視界に変な女が映っていた。さっきまで居なかったのに、突然現れたみたいに見えた。
シンプルな黒いドレスに、真っ黒な日傘。
気怠げな瞳が僕を見つめていた。
『柏木ヒロ君。君の家族はもうこの世にはいない』
女もまたわけの分からない事を言う。
確かその時、「今日は厄日か」なんてズレた事を考えていたはず。要するに現実逃避だ。でも、変な格好をした女からいきなりそんな事を言われて、ホイホイ信じる人がどれだけいるだろう。
とにかく、その女はこう続けた。
『失礼、自己紹介がまだだったね。私はユリア。見ての通り……かどうかは分からないが、一応『魔女』という奴だ。呪文や魔法陣、それに魔法薬を扱うアレだよ。正確には魔法士だが、細かい話は今はいいだろう』
ユリアと名乗る女性が指を鳴らすと、いつの間にか僕の部屋に移動していた。
【瞬間移動】の魔法だと今なら分かるが、当時はそんな事もちろん知らない。人生で初の魔法を体験させられ、僕は軽いパニックになった。キョロキョロと見慣れた部屋を見回して、間違いなく本物だと分かった時の衝撃は、それはもう凄いものだった。
「そんな、馬鹿な……」
なんて呟いたのもはっきりと覚えている。
『さて、これから君のご家族に起きた不幸の説明をさせてもらうが……心の準備は大丈夫かな?』
もちろん大丈夫ではない。
しかし、ユリアさんは固まる僕の様子を都合よく解釈した。あの人のそういう強引さは今でも同じだ。
『それは結構。時間も惜しい事だし本題からいこう――』
そうしてユリアさんがしてくれた話は、驚くべきものだった。
超常の力、
そして、魔法士協会には倫理規定というものがあって、魔法士の中にはそれを守らない悪い奴がいるという事も教わった。僕の家族はそんな『悪い奴』に殺されたらしい。
『第十三条 一般人への不干渉
会員は、評議会が認める一部の場合を除いて、TGの一般人への超常の力の行使を禁ずる。』
もしもこの一文を全ての魔法士が守っていれば、僕の家族は平和に暮らしていたはずだのだ。そう思うと、無性に腹立たしかった。
移動中の車ごと魔法で拉致され、謎の儀式の生贄としてそのまま……そんな最期は認められない。普通の事故や事件ならばまだ納得がいっただろう。しかし、僕がどれだけ苦労して調べても分からない理由で殺されたなんて、ふざけすぎている。
なぜ僕の家族だったのかは分からない。たまたま選ばれたのか、それとも儀式の条件にでも合致したのか。とにかく三人はもうこの世にはいなかった。
『犯人は既に魔法士協会が捕縛し、処分も下された。ただ、超常の力の存在をTG(ザグラウンド)、つまり一般社会に知られる訳にはいかない。だから、私は協会から依頼を受けて、君の家族の存在を抹消した。そもそもそんな家族はいない、そう認識するように世界を改変した』
『そ、そんなこと……』
『あり得ない、又は出来るわけがない、そんなところかな。結論から言えば可能だ。警察でなんと言われたか思い出してみたまえ。もはや君以外に柏木家の存在を証明する者はいないのだよ』
ユリアさんは僕に見せつけるように、掌の上に氷を作り出して、それを目の前で燃やし尽くした。だから僕は嫌でもあの人の言う事が真実だと分からされた。
でも、納得は出来なかった。
人は二度死ぬという話がある。僕の家族はユリアさんによって二度殺されたわけだ。
『でも、俺は忘れない』
それは決意のつもりだったけど、ユリアさんは別な風にとった。
『そう、そこが問題だ。私は完璧な形で魔法を行使したはずだが、君は一切を覚えたまま。予定なら隣の家庭の子供として修正されていたはずが、こうしてピンピンしている。私の魔法は魔力のない全ての事象に影響を及ぼすはずなのに、例外として君はここにいる。おかしいんだよ、君は。だから私がこうして直々に現れたわけだ』
ユリアさんはゆっくりと僕に近寄ると、髪がかかるくらい顔を寄せて、僕の瞳を覗き込んだ。僕は金縛りにあったみたいに動けず、そのまま、右目から強引に探られた。
身体中を荒らされるような酷い感覚は、後にも先にもきっとアレだけだろうね。
『なるほど、やはりそうか』
僕は短い間に汗だくになって、横になりたいくらい疲れてしまった。視界もぼんやり霞んできた。
『君には魔法士の素質がある。どうだい、私の弟子にならないか』
『……嫌だ』
何とかそれだけを言うと、僕の意識はぷっつりと途切れた。
§
「え、断ったんですか!? 話の流れではてっきり弟子になったのかと思いました」
「そりゃあ、いきなり変なおばさんから『弟子にならないか』なんて言われても断るよ。ただ、あの時弟子になっておけばなって思う事はある。足りない知識を補うために、魔術学園なんて通ってるくらいだからね」
僕は遠い目をしながら言った。
「結局、家族が居なくなって行き場のない僕は、ユリアさんの所で世話になる事になったんだ。ついでに最低限の魔術も教えてもらったんだけど……」
「何かあったんですか?」
指で輪っかを作る。
「とんでもないコレを請求されたんだ」
秋月さんがまた鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔をした。金額を伝えるとさらに驚かれる。当たり前だ、一般的な魔術師の生涯年収に近い額なんだから。
「一流魔術師の家庭教師って、とっても高いって聞いた事があります。そのユリアさんって人はよっぽどすごい方なんですね」
「そりゃあすごい人ではあるけど、人格的にはとても尊敬はできないよ。僕をこの世界に引きずり込んだ元凶みたいなものなのに、金までむしり取ろうとしてくるんだよ? ほんと、人情とかそういうものが欠けてるんだ」
言いながらユリアさんのしごきを思い出す。
毎日二十時間以上も続けて魔術を行使して、合間に与えられるのは修行僧もかくやという粗末な食事のみ。それすら疲労で吐き出し、睡眠不足にもなった。万全とはいえない状態でも魔術の練習はきっちりさせられ、それが原因でさらに体調が悪化するという、地獄のような環境だ。
他の『弟子』は虚ろな目をして今も練習を続けているはずだ。
そう考えると、弟子にならなくて正解な気もしなくはない。
「ま、そんな授業料を払えるわけなくて、変わりにここへ通うことにしたんだけどね。それでも学費はかかるわけだから、ユリアさんから仕事を紹介してもらって、不定期でバイトしてるってわけ」
「そういえば、柏木くんはときどき授業休んでますけど、
もしかして」
「そういうこと。半分は学費のためだから仕方ないけど、授業についていけなくてまいっちゃうよ」
そんな軽口を叩いていると、僕のポケットがブルブルと震えだした。携帯を取り出して画面を確認すると、『ユリアから着信』の文字が見える。
「噂をすればなんとやらだ。ちょっと出てくる」
「はい」
§
小走りで本棚の裏へ入り込む。
誰もいない事を確認し、応答ボタンを押した。
「もしもしユリアさ――」
僕の台詞は『ズドン』という爆音によって遮られた。図書館の中から発せられたのではなく、スピーカーからの、つまりは電話の向こうで発した音らしい。何事かと目をぱちくりさせていると、微かにユリアさんの声が聞こえてきた。
「……ぁ、すまな……遮断……」
少し待つと、とんでもない音はすっと収まった。
「これでいいかな、遮音の結界を張ったのだが」
「大丈夫ですけど……いったい何をしてたんですか?」
「大したことではない。ちょっと年増の手下が来たからあしらっていただけだ」
つい先日読んだ記事を思い出してしまう。確か六道会の建物に若作りババアなんて落書きがあったという内容だったはず。
確かにユリアさんは六道会の会長と仲が悪い。それは仕事の上でもそうだし、それ以外にも過去に色々とあったようで、顔を合わせると大変な事になる。しかし、いくら何でも仲が悪いからと言って落書きなんて低俗な嫌がらせをユリアさんがするのだろうか。いや、絶対する。なんなら犬の糞で書くまである。やっぱりユリアさんが悪いな。
僕は秋月さんにみせてもらった新聞の情報を、さも今考えた風を装って口にする。
「そんな事言って、六道会の建物に落書きでもしたんでしょう」
「む、珍しく鋭いな。確かに私は落所をしたためたが、それだけで事務所に極大魔法を打ち込んでくるなど、向こうの気が短すぎるのはいただけない。きっと自分が若作りだという自覚があるからここまで怒っているのだろうな」
「いや、今すぐ謝ってこいよ」
「……」
しょうもなさ過ぎて思わず本音が出てしまったが、ユリアさんは珍しくそれを聞き流してくれた。機嫌が悪い日なら特別授業と称して壮絶なパワハラを受けたのは間違いない。こんな幸運は宝くじを二連続で当てたよりもすごい。今日は非常についている。そんな風に思ってしまった。
僕はどこまでも馬鹿だった。
あれだけ酷い目に遭わされてきたっていうのに、まだ僕はユリアさんの事を甘く見ていた。
「さて、本題に入ろうじゃないか」
真剣な調子に切り替わった。
「君には仕事が入っている。報酬はいつもの通り。資料は別途メールで送信するが、今回は学院と協力して事に当たってもらう事になる」
「学院と……ですか? つまり、対象は学内にいる生徒か教師になるんですね」
「その通り。ちなみに依頼区分はDだ」
「わかりました」
プツンと通話が切られる。
気が抜けてため息が出た。
依頼区分D――それは死の頭文字をとった依頼だ。つまるところが人殺しである。
全くもって真っ当ではない仕事だが、学費と借金のためには仕方がない。秋月さんには人を殺す仕事しているなんて伝えられなくて、そこを無意識にぼかしてしまった。僕は基本的に卑怯な人間なのである。そんな自分が好きでも嫌いでもなかった。
本棚を背もたれにしてずるずるとしゃがむ。
手にした携帯が再びブルブルと通知を示す。仕事の詳細が書かれたメールが来たのだ。
早速メールを開いて中身に目を通す。
「ああ……くそったれ」
読み終えた僕は、ユリアさんの高笑いが目に見えるようで、思わず携帯を床に落とした。
泣きたくなった。
そこには殺害対象として見知った名前が書かれていたのだ。
『対象:秋月遥』
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