学院の落ちこぼれ2

 翌日、僕は昨日の事が気になって、全く授業に身が入らなかった。こんな調子で不真面目にやってきたから落ちこぼれたっていうのに、講義の内容が耳から耳へと素通りしてしまう。

 そんな風にボーッとしていると、講堂からみんな立ち上がって、どこかへ移動を始めた。


「どうしたんだろ」


 回らない頭でその様子をのんびりと眺めつつ呟く。

 とうとう僕意外の全員が居なくなった時、ぴょこっと入り口から顔が生えた。いや、秋月さんが室内を覗き込んだのだ。


「柏木くん、行かないんですか?」


「い、行くってどこへ?」


「第三グラウンドです。あ、もしかして、次が実習だって忘れてるんでしょう」


 それでようやく思い出した。


「げぇ、魔術演習!? もしかして今日なの!?」


「早くしないと遅れちゃいますよ」


 慌てて立ち上がり、思い切り膝を机にぶつけた。

 痛すぎて涙目になってしまう。

 こんな情けないところを秋月さんに見られるなんて、とことん今日の僕は駄目だった。



§



 今日の実習は【力線】の魔術を採点するためのものだ。

 僕はたった四つの魔術しか覚えていないし、属性魔術に至っては一度も発動すらした事がない。

 そんな落ちこぼれの僕には魔術演習は大敵だ。

 幸いなことに【力線】は基礎魔術なので、発動くらいは出来るだろう。点数は期待できないけど。まあ、こういうのは参加したっていう形が大事なのだ。


 【力線】は離れた場所にある物体に干渉する魔術だ。

 力線を伸ばして物体に結着させ、そこから押したり引っ張ったりということが出来る。戦闘に特化した魔術師の中には、【力線】を自在に操り千本ものナイフを操る者までいるらしい。基礎魔術とは言え舐めてかかると痛い目に遭うだろう。

 実習では流石にそこまでのレベルは求められない。二人一組となって同じボールに【力線】をかけ、綱引きの要領でボールを奪い合うだけだ。


 さて、問題は二人一組という点である。


「ま、なんとかなるでしょ」


 コミュ障な僕が余裕をぶっこいているのにも理由があった。

 全てのクラスは人数に多少の差はあれ、男女同数が原則であり、つまるところ偶数なのである。いくら僕が自分から人を誘えないのみの心臓だとしても、最後に余った誰かと組めばいいのだ。


 なんて考えていた時期が僕にもありました。


「まさか休みがいたとは……」


 誰に聞かせるでもなくぼやく。


 嫌な予感がして人数を数えてみたら案の定奇数だったのだ。増えるって事はないはずだから、当然誰かが休んだと言う事になる。病欠だかなんだか知らないが迷惑な奴め。

 これでは最後に余って「先生と一緒にやりましょう」なんて事になりかねない。

 希望があるとすれば他の生徒もコミュ障が多いことくらいだ。魔術師なんて上位者になればなるほど陰気でひねくれた奴しかいなくなる。そんな人格破綻者を養成している魔術学院に通う生徒も、当然一癖や二癖もある人物が多いのは仕方のないことだった。


 そんなダメ人間の誰かが誘ってくれないかなとふらついていると、あの龍造寺恭弥が視界に入ってしまう。「うわっ」と内心毒づいて、こそこそと見つからないポジションに移った。休んだのが龍造寺が良かったのに。

 龍造寺はどうやら誰かを誘うのに必死なようで、僕に気付いた様子はない。


「遥ちゃん、今日は俺と組まないか。普段組んでる相手が休みなんだろう? ほら、俺たちも三人だから、いつも残りの一人を探すのに苦労しているんだ」


 え、秋月さん?

 目を凝らすと龍造寺が秋月さんを口説いているのが分かった。


「私はこの女とは組めない。麗奈、今日は私と組んで」


「え、私は恭弥と組むつもりで……分かった、分かったから引っ張らないでよ!」


 龍造寺の取り巻き左右が離れる中、龍造寺自身は秋月さんへ次々とアプローチをかけている。空気を読め龍造寺、秋月さんが嫌がっているだろう。


 あ、秋月さんと目が合った。

 気のせいだろうか、多分そうだろうな。あの秋月さんが僕と目が合って嬉しそうにするはずがない。


「ごめんなさい。今日は先約がいるんです」


「そうか、それなら仕様が無いな。ところで先約が誰か聞いてもいいかい?」


「柏木君です」


 ピシリと龍造寺が固まる。

 いい笑顔を浮かべる秋月さん。


 そっか、柏木って奴と先約があったのか。

 ん?


「あ、柏木くん。こっちですこっち!」


 こちらへ向けて手を振ってきた。

 僕は秋月さんと約束なんてした覚えはないから、別の柏木さんだろう。そう思って後ろを確認するが、もちろん柏木なんて奴は見つからない。そもそもこの学年の柏木は僕一人だ。

 もしかして、もしかしなくても、柏木って僕のことか?


「え、えっと、どうも……」


 控え目な感じで近寄ると、龍造寺が凄い形相でこちらを睨んでいた。


「覚えてろよ、落ちこぼれ」


 イケメン御曹司が捨て台詞を残して去っていく。

 知らない内にカースト上位者に勝利してしまったらしい。正確には僕が勝ったというより、秋月さんというさらなる上位者に負けたのだが、そんな事は僕にも龍造寺にも些細な問題だろう。

 いやあ、負け惜しみが心地良いっす。

 もちろんこんな事を考えているとはおくびにも出さない。プロコミュ障な僕はわざわざ厄介事を背負い込むような真似はしないのだ。


「柏木くんも、勝手な事言っちゃってごめんなさい。龍造寺くんがあんまりしつこかったからつい……」


 哀れ龍造寺。


「もしかして、柏木くんはもうペア見つちゃっていました? それなら申し訳ないですし、これから新しい人を探しますけど」


「い、いやいや。ぼ、僕もちょうど組んでくれる人探してたから、大丈夫」


「そうですか、よかったぁ」


 秋月さんは手のひらを合わせてポンと鳴らし、満開の花が咲くような笑みを浮かべた。手を叩いた瞬間に揺れた双丘を眺めて僕もニッコリだ。

 とにかく、これで最後の一人として余る事態は避けられた。

 本当に秋月さんには感謝してもしきれない。


 そういえば、振られた龍造寺は最後まで売れ残り、先生と組む羽目になっていた。ざまあみろ。



§



 実習は目についた組から教師が採点していく方式だ。一度に観られるのはせいぜい二組までなので、その間は他の組は暇を持て余す事になる。別に遊んでいても責められはしないが、自然とその術の練習をする組が多かった。

 僕と秋月さんのペアもその一つ。

 二人がかりで【力線】を飛ばしボールを浮かせながら、(僕基準で)他愛ない会話をしていく。


 僕は最近知ったパン屋の話や、久しぶりに見た映画の話、そんな事を身振り手振りまで使って話していった。秋月さんは楽しそうに時折相槌をしてくれて、和やかな時間が過ぎた。

 そう僕は間抜けにも信じていた。


「そ、そういえば。昨日はあれから、い、色々探して、分かりやすい教本を見つけた。見つけ、ました……」


「へえ、そうなんですか」


「う、うん。『猿でも分かる基礎魔術』って本、です。もちろん秋月さんが教えてくれた方が分かりやすいよ! でも、ぼ、僕一人でも勉強できるようにって、思ったから、あの」


「ひょっとして気を遣って貰ってます?」


 一瞬、僕は言葉に詰まった。今までキャッチボールをしてたのに、突然クイックで豪速球を投げられたくらいの衝撃を受けた。

 何よりも彼女の言葉は図星だった。

 僕としては昨日の事を全く気にしてない風に振る舞っていたはずだけど、あっさり見抜かれてしまったらしい。秋月さんは心を覗く魔術でも使えるんだろうか。


「……なんで、分かるんですか」


「ほら、柏木くんって普段はそんなにしゃべらないですし」


 ぐうの音も出ない正論だった。

 自分の対人スキルの低さが恨めしい。


「あー、私って駄目な子なんです」


 苦笑いする秋月さん。

 ボールが揺れ出した。僕の魔術制御が甘いせいかと思ったら、秋月さんの力線が歪んでいた。


「仁科さんみたいな人に私は……こんな話、つまんないですよね。ごめんなさい」


 歪みはすぐに止んだが、ボールはそのまま制御を失って落ちてしまう。ポンポンと跳ねるボールを追いかけながら、僕はある事を決意した。


 もっと秋月さんの事が知りたい。


 あれだけ勉強を教えてもらったのに、僕は秋月さんに何も返せていないから、せめて彼女の悩みくらいは知りたかった。そして、出来れば彼女の力になりたいと思った。

 彼女以上に駄目な僕だ。例え聞いても役に立たない可能性は高い。しかし、このままの関係性――ただの第三者という立ち位置に我慢出来なくなったのだ。

 秋月さんの特別になりたい。

 この気持ちは僕にとっては大きな一歩だった。


 ボールを拾い立ち上がり、背を向けたまま一言。


「僕は秋月さんが駄目だなんて思わない」


 振り返ると秋月さんは目をぱちくりさせていた。初めて見る表情だった。


「僕は魔術が下手で、話をするのが苦手で、友達も少ない。でも、秋月さんは魔術がすごくて、僕みたいな奴にも優しく話しかけてくれて、友達だってたくさんいる。だから、秋月さんは駄目なんかじゃないよ」


 一息で吐き出したせいでちょっとだけ視界がふらついた。

 こんなに話したのは久々だ。

 まだまだ言いたい事はあるのに、体力が追い付かない。


「僕の信じる秋月さんを悪く言うなんて、例え秋月さんでも許さない。だから、その……」


 秋月さんは鳩に豆鉄砲くらったような顔をして、それからクスクスと笑いだした。


「柏木くんって、実はおしゃべりだったんですね」


 結局、それ以上踏み込んだ事は聞けなかった。

 なぜなら、この後すぐに採点役の教師がやって来たせいで、話が中断してしまったからだ。

 こういうのは一度間を置くと再び話題にするのは難しい。完全にタイミングを逃してしまった僕は、固めたはずの決意をどこかへ放り投げてしまった。


 そういえば、僕の点数は今までで一番マシだった。



§



「……今日は来ないかと思ってた」


「柏木くんって意外と酷い人なんですね。しくしく」


「冗談だって」


「そういうの笑えないですよ」


「秋月さんだって、変な笑い方」


 放課後の何時もの時間、図書館の入り口に秋月さんは立っていた。それが嬉しくて下手な冗談を口走った。秋月さんは口調とは裏腹に何だか期限が良さそうである。

 でも、半分くらいは本気で秋月さんは来ないんじゃないかと思っていた。


 まだ僕は秋月さんの事はほとんど知らない。

 同時に、秋月さんにも僕は多くのことを隠している。


「とりあえず、中に入りましょうか」


「そうだね」


 今日は比較的列が空いていて、あっさり入館手続きも済んでしまった。

 中に入るとかび臭い空気が鼻に入る。

 僕はこの匂いが嫌いではなかった。


 二人並んでいつもの席へ向かう。僕の方が少し歩幅が大きくて、秋月さんは時折小走りになった。それに気が付く度に歩調を緩めると、秋月さんは「すいません」と謝ってくる。最初は「ごめん」と返したけれど、二度目以降は「うん」とだけ返した。


 図書館は広大だ。

 いつも二人で勉強している席へ着くと、やはりそこには誰もいなかった。そもそも、この図書館で他人と鉢合わせするには、入り口で待ち合わせするしかない。

 だから、大きな長机にも関わらず、僕たちだけで独占して使うことが出来ていた。


 いつもの定位置に座ると、秋月さんも僕の隣に座る。そこでようやく昨日の教本を取っていないのを思い出した。本当なら行きの途中で回収するつもりだったのだ。

 『猿でも分かる基礎魔術』はここから少し離れた本棚にあるはず。これから取りに行くのは微妙に骨だ。いっその事、適当な魔術書を探して今日はそれを使おうか。いやいや、それは流石にまずい。

 そんな風に迷っていると、秋月さんが声をかけてきた。


「今日の実習の時に思ったんです」


「は、はあ……」


「私、柏木くんの事何もしらないんだなって。あんなに良くしゃべる人だっていうのも初めて知りましたし、話し方だって全然違う。さっき冗談を聞いた時なんて耳を疑いました。もしかして、この人は私が気付いていないのをいい事に、猫を被って散々からかっていたんじゃないかって。そう考えたら私、とっても悔しくなりました。だから……」


 秋月さんは一度言葉をきって深呼吸をした。



「あなたの事をもっと教えて下さい」



 真っ直ぐな眼差しと共に、その台詞が僕をの胸を射抜いた。

 やられた。

 僕があれだけの決意して、それでも出来なかった事を、秋月さんは平然とやってのけた。「すごい」より「ずるい」の方が大きい。

 でも、不思議と嫌な気はしない。


「僕の事なんて聞いたって面白くないよ?」


「いいえ、私には面白いんです……多分」


「なにそれ」


 お互いに顔を見合わせ、プッと吹き出す。

 こんなに楽しいのは本当に久しぶりだ。それこそ、僕が魔法士になる前まで遡るかもしれない。


「何を話せばいいんだろう。僕が魔術学院に入る前の事とかでいいのかな」


「はい」


「じゃあ、それで。あれは僕が――」

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